17.幼女との再会
◎
目覚めるとそこには見覚えのある天井だった。
記憶は朧気だが、何となく不思議な気分だった。疲れているような気もするが、その逆のようにも思える。
心なしか肌寒い。服を着ていないから当然だった。
全く不思議なこともあったものだ。なんて――。
「……現実逃避はこれくらいにしよう。いや、まだ現実逃避しよう」
迷ったがとりあえず問題を後回しにする。一糸纏わぬ姿で寝息を立てているローズを起こさないようにしていそいそと制服に着替えた。
「…………っあああああ……」
あああああ。考えないようにしていても思い出すし、思いやられる。当時は最高な気分だったはずなのに、今では最悪な気分になっている。
そして、昨日はいつの間にか今日になっていた。学校がなかったから良かったものの。それともそれをわかってて誘ったのか。
「わうぇえええええ……うあああああ……」
無断で外泊したこと、館のメイドさん達に謝らないと――そんな関係ないことを考えて現実逃避する。
ローズはすっかり寝入っているので、一筆書いてからローズの部屋を後にした。横に広い廊下を歩いているとローズの妹、サリア様が正面からやって来る。
不機嫌そうな顔をしていた。
「何であんたがいるのよ。こんな朝っぱらから」
「それは僕も知りたいですよ……」
「お姉様に何かしたんじゃないでしょうね?」
訊いて、睨みを利かせてくる。
否定しにくい質問だった。というか頷くしかないような気もする。
「むしろ何かされた側というか……」
「は?」
「あ、遅れましたがこの前城に入れてくれたこと感謝します」
ローズのことを言及されないように、手早く頭を下げて王城を後にする。背後からサリア様の「変態!」という誹りが聞こえたような気がした。きゃあああああ、というローズの部屋に侵入したであろう少女の叫び声に紛れて王城を後にする。
そこから全力で疾走した。とにかく城から離れたかったのだ。こんな必死だと悪いことをしていた、と言っているようなものだ。
とにかく走って気分転換したかったというのもある。
おや、街中に人々の視線を一身に受ける金髪の後ろ姿が。見間違えようのない我が姉だ。
「おはようございます、フィニスさん」
「あれ、クロムじゃん。朝から運動かな? 制服で?」
「ま、まぁ、そんなところです」
彼女は鈍感なので露骨なことをしなければ滅多なことはスルーする。それは無関心の裏返しかもしれない。いつもなら落ち込むところだが今は好都合だった。結局、僕はフィニスさんのことばかり考えてしまうのか。
「今日は何かするんですか?」
「斡旋所で依頼を受けようと思ってね」
そういえばお金稼ぎに便利とかいう理由で登録した、と言っていた。間違えられて職員になったらしいが。遂に利用するようだ。
「暇なら一緒に来る?」
ただの質問をフィニスさんが尋ねてくる。
断ろうと思ったが、思うところがあって頷くことにした。
ローズとの一件について相談したい。もしかしたら、フィニスさんは相談相手としては極めて不敵かとも思うが、立ち入った相談ができる仲なのは彼女しかいなかった。
「そういえば職員は辞めたんですか?」
「辞めてないけど時間は減ったよ。これでサリアの教師と両立できる」
王女様の家庭教師と、斡旋所の職員を同等の仕事に扱っているようだ。周りから見る限りにおいては不安になるが、楽しんでいるなら結構だ。
フィニスと共に傭兵斡旋所に向かった。建物の中に入ると空気が変わる。これはフィニスさんが美しいからだけではない。僕が殺人者を殺した、という情報も加味されているだろう。
僕の傭兵斡旋所のランクは特A級に引き上げられている。殺人犯の凶悪性を鑑みて出された結果がこれだ。
「ランクによって受けられる依頼が制限されますよ。Gだとほとんど金になりません」
「私、特G級だから」
何だそれ。特A級がA級の上ということはわかるが、G級の上はF級だ。徹底的に優遇されている感じはフィニスさんならではだが。
ともかく依頼を受けても問題はないのだろうな。
壁際の掲示板を眺める。市民から寄せられた依頼から、国が要請したものもある。家に改築を手伝って欲しいとか、怪鳥を退治して欲しいとか。傾向としてあまり物騒な者はない。たまに敵軍が攻めて来たというものあるらしいが。
「どれにしますか? 一番難しそうなものでも余裕じゃないですか?」
「そうだけどね。おっと? これは」
紙が張り巡らされている掲示板の一角にあった四つ角が切り取られた薄紙にフィニスさんは目をつける。隣から見てみて、僕は思わず首を傾げる。何というかよくわからなかった。
「カードを探している? 詳しい内容は依頼者と会ってから、ですか……金額も提示されてませんしね」
「面白そうじゃない?」
「そうですかね」
フィニスさんの嗅覚を理解することはできないが、ろくなことにならないのは目に見えている。だが、止めることはできない。フィニスさんは瞳を爛々と輝かせて受付台にまで向かっていった。
受付に行くと受付の令嬢と楽し気に言葉を交わしていた。〈本当に大丈夫なの?〉とか〈斡旋所辞めたりしないよね?〉とか言われている。対して、まだ辞めるつもりはないとしっかり伝えていた。
「友人か……」
不意に思った。僕はほんの少し前まで不敬ではるがローズを友人として扱っていた。共通の知り合いであるフィニスさんについて語れる貴重な人物。幼馴染みたいなものだな、と思ったものだ。
ローズもそうだろう、と思っていた。だけど、それは僕の勘違いで彼女はしばらく前からタイミングを探していたらしい。いつからだったのか知る由もないが、僕にもある魅了のような性質が関係しているのは間違いない。彼女の感情が仮初だったなら止めなければならない、と言うものの既に手遅れの状態。
王女という立場の者に対して僕は何ができるというのだ。
「お待たせ。依頼人がいるところは聞いてきたから」
「わかりました」
もしも、ローズが王女ではなかったら。
そうなって初めて定義される疑問がある。果たして僕はどういう気持ちなのか――僕は一体誰のことを愛しているのか。今更遅いけれど、答えを出さないことには向き合うこともできないから。
だから、僕はフィニスエアルという少女と向き合わなければならない。
――目的の館は中央都市の端にあった。
立派な館だが、国が用意してくれた僕の住居や王城とは比べるべくもない。とはいえ、個人が持つには十分な規模であることには間違いなく、王城と比べれば入るのにも抵抗は少なかった。
鉄柵の門を押し、フィニスさんが木製の大扉を叩く。
「こんにちは、斡旋所から依頼の件について聞きに来ました」
向こうからぱたぱた、という足音が聞こえてくる。内側から扉は開いた。
フィニスさんが下を向く。出てきたのは、扉に対して半分ほどの身長の幼女だった。
おや、どこかで見たことがあるような?
「あなた達は……!」
幼女は僕らの顔を見て大袈裟なくらいに驚いた。
「久し振りね。まさかここで会うとは……いえ、これも運命という奴かしら」
何やら一人で舞い上がっている。
幼女、幼女と考えていると出てくるのは故郷にいるアルカちゃんというなかなか神経の太い子供を思い出してしまうが。と、ここで思い当たる節を見つけた。
もしかして――と。この国に向かっている途中に鳥獣に襲われていた幼女がいたような気がする。顔までは覚えていないが何となくこの人のような気がしてきた。
「えっと、誰?」
「やはりそうですよね」
思わず言ってしまった。フィニスさん、やはり覚えていなかったか。
愕然としている幼女を横目に耳元で思い出したことについて囁いた。すると、〈あ、あぁ、あれか〉と申し訳なさそうに呟くのだった。
「久し振り、元気そうだね」
「ほんの数秒前までは。まぁ、いいわ、覚えてなくても」
と、言いつつテンションは低いままだ。
応接間に案内され、ソファーに腰掛けるとメイドさんがお茶を持ってきた。フィニスさんが早速、紅茶を喉に通したところで彼女は口火を切る。
「私はネーネリア・トゥーン。言っておくけど、あなた達より遥かに年上だから」
僕とフィニスさんは顔を見合わせた。
フィニスさんは僕と同い年のはずだが、二つくらいは上にも見える。だが、下に見ることはない。幼さを感じさせる可愛さもあるのだが、不思議なことに年下とは思わない。
「呪いに掛けられたのよ、化物に」
苦いものでも含んだような顔つきだ。嫌悪感というものだろう。
呪い――すなわち、魔法。魔法ならそういうこともあるかもしれない。少なくともただの幼女には見えないのは確かだし。態度も、この館の主ということからも。
「へー」とフィニスさんはわかったようなわからないような返事をする。「私はフィニスエアル。皆、フィニスって呼んでるからよろしく」
「クロム・パルスエノンと申します」
「早速、依頼なんだけど大したことではないわ。探して欲しいものがあるの」
「カードって話だけど」
「正確にはカード型魔道具だけどね。斡旋所のカードと同じくらいの大きさで、合計五〇枚あるわ。どこにあるかはわからない。だからそれらしいものがあったら何でも良いから教えて欲しいの。前払いできる量は少ないけど、見つけてくれたらこの館でも何でもあげるわ」
随分と太っ腹、というより向こう見ずな行動にも見える。それだけ重要ということなのかもしれないが、そこまで切望する価値があるのか。そのカードとやらは。なので質問する。
「魔道具と言うとどんな?」
「簡単に言うと結界ね。対象を巻き込む結界で設定された空間に移動する効果が付与されてるわ」
「設定された空間と言うと、例えば戦いが有利に進められるって感じですかね」
「有利どころじゃないのが厄介なんだけどね。誰でも簡単に使えるのに加えて、結界カードはそれも理不尽な魔法が付与されててね、戦闘に勝って取り返すのはほぼ不可能だと思う。だから、依頼は発見までで良いわ」
だとすれば一方的な戦闘が繰り広げれることだろう。実力差さえも覆して――プシロがやったように、ナンバーすらも引き上げるほどの力を有しているかもしれない。言い分から、結界を自力で抜け出すのは無理そう。
「じゃあ、ネーネリア」フィニスさんが真っ直ぐな視線でもって彼女を射抜く。「どうしてそんな物騒なものを集めているの?」
ネーネリアさんは沈黙する。窺うような目つき。僕らに言って良いのか迷っているようにも見える。
「……あなた達には一度助けてもらったし、特別に教えましょう」
「それはどーも」
「理由は単純、私が創ったからよ。それを盗まれてしまってね、犯人はもう捕まえたけど中央大陸で売りさばいたって聞いて大陸を回っているのよ」
いやはや、大変な理由だ。誰でも使える強力な兵器の拡散。数が少ないからこそ被害は少ないとも言える。
「我ながらとんでもないものを創ってしまったわ。並大抵の戦闘力じゃ返り討ちに遭うだけだし」
「鳥獣に襲われるくらいだからね」
「呪いがあったばっかりに。これさえなければ今頃は……なんて言っても仕方ないけど」
女性陣は意外と冷静な意見である。
僕にはそのカードの凄さはわからないが、とんでもない兵器ではないのか? こんな呑気な気持ちでいて良いのか?
いや――以前、似たようなものを見た気がする。
当然のようにフィニスが結界を使っていた光景を目にしたはずだ。〈人型災害〉との一騎打ちを周りに被害を出さないように、どうしたんだ?
フィニスさんは魔法陣に手を突っ込むと、カードを二枚取り出した。斡旋所の特G級のカードではない。
「結界カードとやらがどんなものかは知らないけど、危ないから取り上げたものがあるんだよね」
銀色のカードを机に並べた。
「これってもしかして……?」
「――〈月下夜桜〉、〈虚無世界〉……私の創ったものね、間違いなく。既に持っていたなんて一体どうやって……」
「〈虚無世界〉は〈フレイザー〉の爆弾魔が、〈月下夜桜〉は〈人型災害〉が持ってた」
「ちょ、待ちなさい……! 爆弾魔はともかく〈人型災害〉!?」
「あー、説明しなきゃダメ?」
「当然っ!」
面倒臭そうにしながらフィニスさんは爆弾魔とやらと〈人型災害〉との戦闘の一部始終を説明するのだった。〈人型災害〉の方は僕も関与していたので概ね理解することができた。
しかし、語られた中では結界のカードはフィニスさんですらも苦戦を免れない展開になったという。それでも勝ったのは凄まじいし、製作者すらも予見できないことであろう。
「まさか〈人型災害〉が持っているなんて……だとしたら依頼したところで期待できないわね」
「私はできたけどね」
と、彼女が胸を反らすと白色の軍服風の服がはちきれんばかりに伸びた。破れないらしい。良い素材を使っているに違いない。
「まぁ、私みたいな人が他にもいないとは限らないし、確率は低くてもやっておくに越したことはないんじゃない?」
「そうね。で強者が持っている、ってのは確定しているようなものだし。正直、ここで二枚見つかったことの方が驚いたくらいだわ」
「じゃあ、あげる。というか返す」
「片方で良いわよ。少なくともあなたなら悪用しないと思うし、それを回収するのは後でも良いと思うわ」
「そっか。じゃあ、〈虚無世界〉の方で」
「私でもそっちを選ぶわ。最凶だもの」
あっさりとした口調でネーネリアは言い切った。
その名に相応しい凄まじい能力だ。〈虚無世界〉――自分以外は魔法を禁止してしまうのだとか。では、魔道具は良いかと言ったらこれも使用不可能。外部からエネルギーを込めようとしても霧散するらしい。
魔道具にエネルギーを貯めておいたり、エネルギーを体内部で完結させれば使用可能だが、そんな荒業を覚えている者は数少ないだろう。義肢や義眼などがそうだ。
「お礼だけど、この館欲しい?」
問い掛けに僕もフィニスさんも首を横に振った。
ネーネリアさんは小さな肩を大袈裟に竦める。
「一体何で払えば良いの?」
フィニスさんはロンググローブを纏って手で人差し指を立てた。
「一つ、協力して欲しいことがある」
「嫌な予感しかしないけど、一応訊こうかしら」
「別に大したことじゃないよ。ネーネリアは魔道具が創れるんだよね? 例えば、魔道具を見て誰が作ったのか見破れたりする?」
ネーネリアさんが顎に手をあてて考えること半秒「特徴がわかれば」と答えた。
「近々、製作者の特定に協力して欲しいの」
「なるほどね。詳しい内容は訊かないわ。それだけなら了承しても良い」
「じゃあ、よろしく!」
固い握手を交わした二人。
まさかこんなことになるなんて。もしや、フィニスさんはここまで見越していたのか? 内容不明の依頼を前もって特定し、カードを条件に〈訂正機関〉の陰謀を阻止する算段をつけていたと?
「まさかな」
そう思ってしまいそうなくらい、鮮やかな手並みだった。
人から好かれるという性質を加味してもスムーズ過ぎると言えた。
話し合いは終わり、僕達は玄関口に向かう。ネーネリアさんもそこまでは送ってくれるらしい。
「おい、クロム君」
小声でネーネリアさんが名を呼んできた。
「何でしょうか?」
「君は、彼女に嫌われているの?」
「……そんなことはないと思いますが。どうして?」
「どうしても何も。彼女は君のことを一切見ていなかったじゃない」
それに気づかない僕も鈍感ではない。
ネーネリアさんに注視していた訳ではなかった。インテリアを眺めたり、メイドさんを見詰めたりもしていた。それでも、僕のことは視界の端くらいには捉えていたはずだ。
「特に用がなかっただけでしょう。そういう人ですよ」
「そう。それなら良いわ」
気掛かりといった様子だったが納得はしてくれたみたいだ。手を振って僕らを見送った。