16.霊園と剣豪
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都市からしばらく離れた場所に位置する霊園――。
中央都市を見下ろすことのできる小高い丘の上には数えきれない墓標が突き立っていた。錆びた剣、石造りの十字架、中身のない柩。出生や生い立ちを選ばない無資格の墓場。数十年前から管理されていない廃れた霊園である。
乾いた風の吹く墓場に一人の長身痩躯の老人が立っていた。まるで数十年前からここにいたように完全に馴染んでいる。彼はその場で微動だにせず街を見下ろしていた。しかし、見ているものはもっと遠くである。
忘れられた墓場――〈幽界霊園〉に眠る多くは数百年前に滅んだとされる国の民らしい。そして、真夜中にここに赴くと死んだはずの民が幽霊として現れて身体を乗っ取ろうとするとか。
そんな曰くつきの墓にどうして彼がいるかと言われれば、それは待ち合わせというものである。
――軽い足音がする。
女性として長身な背は金髪に覆われている。どこかで使われていたであろう白色金刺繍の軍服を纏う少女の足音であった。
「待たせちゃったかな」
老人から一〇メートルは離れた位置から少女――フィニスは問い掛けた。
「問題ない」と彼女よりももっと長身の男は答えた。
路地裏の時も思ったがこの男の気配は異常に薄い。フィニスは思考しながらこの白髪の老人を観察する。二回りは大きい上背、黒い外套から飛び出す刀身の長い剣、見るも珍しい赤眼。
存在自体が何気ない――そう結論付けた。見てわかることなどたかが知れている。それでも彼という人間を語るには十分なのだろう。
強張った身体を意識したので、肩が落ちるくらいに深い息を吐いたフィニス。
「約束のブツはちゃんと持ってきたよ」
いかがわしい言い方をしてフィニスは《亜空掌握》による空間から革袋を取り出した。持ち上げると中身が擦れてチャリン、と鳴る。一体どれほどの量の金銭なのか、フィニス自身もわかっていない。ただ、何となく沢山持ってきた。外交官に言えば持ってきてくれる、程度しか思っていないのだ。
金銭感覚というかそれ以前の金感覚の欠乏である。
紐で縛ってあることを確認して投げようとした時に気づく。老人が掌を向けていたのだ、いつの間にか。
「その金は貰わないことにした」
彼は突然そんなことを言った。この男からすれば前々から決めていたことだろうから、驚くのも突然なのもフィニスだけだ。
「え、えーと……理由を訊いていいかな?」
「…………」
「いや、言いたくないならいいけど」
「大した理由じゃない。知り合いに似ていた。それだけだ」
「――私が?」
「あぁ」
生真面目な面で老人はあぁ、と言った。
それはまた面妖な理由だ。とはいえ。唐突に出会った人の顔が知っているものだったらいつも通りに行動するのは難しいかもしれない。ならば普通かと言われればわからないが。
またもフィニスは驚いた。誰かと似ているなど言われた経験はなかった。むしろ、誰よりも特別扱いされる彼女の同類はいないはずなのだ。
あるとしても今は亡き羨望神の恩恵を持つ者くらいしか――。
興味が湧いた。
「どんな人か訊いて良いかな?」
すると、彼は少し顔を傾けてフィニスの顔を見る。彼女を通して何かを見ていた。
やがて彼は「そうだな」と呟く。フィニスの顔は彼の思い出を起こさせた。
「私はフィニス、あなたの名前は?」
「私の名は――……俺はガイザー」
ガイザーは名乗ると同時に歩き出し中身のない棺桶に腰を下ろした。予備動作のない歩法もさることながら、移動速度が異常だった。眼を離さず見ていたにも関わらず、フィニスにはその挙動を見ることはできなかった。
文字通りに気づいた時には、という感じである。
フィニスは右手に力を込める。瞬間に、その腕にマゼンタの文字が浮かんだ。称号と数字――この世界における強さの順位。
ナンバーズはナンバーズを探すことができる。
予想通り、ガイザーの腕にも文字が躍った。
「えっ、〈三〉!? 世界で三番目!?」
そして――〈統一剣王〉〈神殺人剣〉〈魔女ノ不死者〉という三つの称号。
雰囲気からして勝てそうにないとは思っていたが、そこまでの戦闘力があるとは予測もしてなかった。フィニスでさえ大陸を半分なら破壊し尽くせる、ならば三位は一体どこまでできるのか。
称号の方も言及したくなるようなすごいものばかりだ。
美少女台無しに開いた口が塞がらない。フィニスがここまで感情を露わにするのは珍しい。一種の極限状態だったとも言える。
危険を前にしている自覚を得た。
言いたいことも訊きたいことも沢山あったが全て飲み込んだ。少なくとも逆らうことはしまい、と心に決めた。
ガイザーはフィニスの鼓動が落ち着いたのを確認してから口を開く。
「……彼女は――フィユールは〈マースデン帝国〉の王女だった」
「マースデン? 東大陸?」
「西大陸だ。数百年以上前の話だがな」
「数百年前……不死者……神話時代……」
となると神々が地上に現れて人類を撲滅しようとしていた時代だ。正真正銘の御伽噺の世界。不死者という称号の彼ならば今の時代まで生き残れるかもしれない。
ガイザーは首を横に振ることなく否定した。
「私が生まれた頃には〈最終決戦〉は終わっていた。だが、〈血統者〉はいたな」
神々との戦争に勝利に際して人類の先頭に立った神々の力を継いだ者のこと。彼らの中には国を興して王になる者もいた。今でも残っている国は少ないが、〈神覇王国インぺリア〉などはそれに当てはまる。
「〈マースデン〉は〈血統者〉の子によって作られたものだったはずだ。そして、私は〈陸制国家プランク〉にて傭兵をしていた。私は二国の戦争に参加して日銭を稼いだ。沢山の人が死んだ、この手で殺しもした。だが、戦は終わらなかった」
〈最終決戦〉直後となると人類の魔法は〈神獣〉を屠り、〈使徒〉をも殺す威力を持っている。そんな魔法を多くの者がばかすか撃つ。被害の規模も死傷者も当然のように積み上がった。
神々の次は人類と――不毛に思える戦いに戦士達は身を投じ、亡くなり、生き残る。
「だが、ある時、敵の将であるはずのフィユールが戦場に現れた。彼女は王女にしておくには強過ぎた。あの一撃で俺以外の人間は死んだだろう。俺は運良く生き残った。そして――恋をした」
「…………」
帝国の王女という肩書こそないが、戦場に突っ込んで掻き乱す辺りはフィニスに似ているかもしれなかった。
「彼女は名前から受ける印象とかけ離れた性格をしていた。性質は苛烈極まりなかった。凄まじい意志の塊だった。同時に、明晰でもあったのだろう。フィユールは私をスカウトした」
「スカウト」
「私は故郷を裏切った。そして、フィユールの下について〈陸制国家〉を滅ぼした」
「滅ぼしたの?」
「塵一つ残さず、住民一人とさえ残さずにな」
この時代からガイザーの圧倒的才覚は発揮されていた。勿論、〈セレンメルク〉ほどは大きくないし人口だって多くない時代だ。それでも数多くの軍を単騎で駆逐したのは事実である。
ふと、ガイザーが俯いて、陰ったような気もした。
「私はフィユールの思うままに敵を斬った。彼女と共にいられるなら何でもした。自らの故郷すらも斬り捨てた。彼女もそれで良いと言ってくれた。だが、私と彼女が良くてもいけなかった。戦に勝利を齎したはずのフィユールは殺された。彼女が王位を得ることを嫌った彼女の兄の手によって」
やっと掴んだはずの平和な理想的世界は呆気なく終焉を迎えた。
フィユールもガイザーも敵を倒せば帝国はより発展し、栄華を極めると思っていた。敵が現れてもガイザーが斬れば良いだけ。それで帝国に安寧が訪れるはずだった。
政治抗争と、フィユールの持つガイザーという名の圧倒的戦力。そして、フィユールという女の悪鬼に見紛えんばかりの苛烈なる性格――。
フィユールも誰からも好かれる善人ではない。彼女の強烈な性格を起因として人生を棒に振るった者も多かった。彼女が上に立って欲しい、と思う者は真に帝国の栄華と繁栄を望む者だけだった。
「フィユールが死に、私も殺されかけた。辛うじて亡骸を手に脱出し、復讐を考えたがそこで力尽きた。そこに現れたのが――」
「――魔女」
「魔女はこの身を不死の身体にした。理由はわからない、何か言っていた気もするがその時の私は復讐しか考えられなかった。私は〈帝国〉を滅ぼした」
たった一人の戦力が二国を消滅させた。控えめに言って尋常ではない戦果――否、戦禍である。
「学んだのは失ったものを取り戻すことはできないということだけだった。それから私は旅をした。幾百年以上掛けて全ての大陸を。目的はなかったが、途中からは死ぬために魔女を探した」
目的も、愛する者も失った彼には終わらない生しか残されていない。
ただ、人間的な生活を捨てることはなかった。傭兵として最低限の仕事は行って日銭を稼いでいた。
いつかの戦場のように。
そして、そこで出会ったのが――。
「九〇〇年を超えて、君に出会った」
そう言った時の彼の眼は希望に満ち溢れているようだった。
「そんなに似ているの?」
「顔は似ていない。纏う空気も、髪色も、眼の色も違う。もっと弱かった、もっと輝いてた、もっと美しかった」
「へぇ!」
フィニスは笑った。
今まで自分よりも綺麗な人がいるなんて今まで言われたことはなかった。
否応なく魅了する彼女の性質は人間の感情さえも乱す。そうでなくても美形、彼女よりも美しい存在など聞いたこともない。
故に、フィユールとやらに会ってみたいとさえ思う。死んでいるが。
そしてそれは、ガイザーの真なる愛を示している。誰よりもフィユールを大切に想い、決して誰にも阻むことのできない真実であると。きっと彼はフィニスを特別扱いしないのだろう。
「何故か彼女を思い出した、言ってしまえばそれだけだ」
「ですか」
「…………」
語り終えたガイザーは顔を上げ、悠久の空をじっと見詰める。
やがて彼は呟いた。
「フィユールのことを思い出せた。報酬はそれだけ良い。その金は君が使え」
「…………」
「笑うことは少なかったが、君のおかげで笑顔のフィユールを思い出せた。ありがとう」
目で追えるゆっくりとした動作で頭を下げた。
「顔を上げてください」
反射的に出たのは敬語だった。
何もしてない――というのがフィニスの感想だった。結果を見れば、彼が勝手に面影を見て感傷に浸っていただけだ。対価も代償も払ってない感謝ほど心地の悪いものもない。
そこら辺はしっかり蹴りつけておきたかった。
「感謝さえる謂れはないです」
「そうだな。君と私は違う」
「後、お金も受け取ってください。これはこれ、それはそれですから」
「君がそう言うならそうさせてもらおう」
微塵の遠慮もなく彼は革袋受け取った。そのまま生成した魔法陣に革袋を突っ込む。神話時代近辺の人間ならば空間魔法《亜空掌握》も使えて当然か。
見届けてからフィニスは問い掛けた。
「しばらくこの街にいるんですか?」
「そのつもりだ」
「そっか。じゃあ、何か頼むかもしれません。良ければ訊いてくれませんか?」
「わかった。一度だけ君の力になろう」
ちゃんと制限を決めている辺り、流石というかちゃっかりしているというか。歴戦の猛者だとは思えない慎重さとも思うが、あえて言うなら処世術というものだろう。
フィニスは満足気に頷いた。
そんな自信満々な態度にガイザーは仄かに笑んだ。フィユールに似ていたのかもしれない。
目を瞑ってフィニスは霊園に眠る人々を想像した。彼らの生きた国を、その苛烈で美しき王女様を。
誰かが覚えていなければならないと思った。