13.公国の訂正機関
◎
「お初にお目にかかります、〈訂正機関〉ナンバースリー、プシロと申します。死ぬまでの短い間お見知りおきを」
開口一番、殺人犯――プシロはそう言った。
優雅な所作、しかし、張り付いた笑みは道化染みて気色が悪い。この状況を楽しんでいる節だ。スリルに快楽を感じるタイプとでも言おうか。
こちらを殺す気満々ということが態度からも伝わって来た。
礼を終えるとどこからともなく鎖を取り出して手元で回し始める。先端には鋭利な刃物がついて、血痕が付着していた。あれを投擲して心臓を貫いた、ということか。
一緒に来た傭兵達は各々の武装を纏い、プシロを睨みつけた。じりじり、と距離を詰め、剣の射程に入ろうとしている。
――そういえば〈訂正機関〉……以前、フィニスさんが何か言っていたような気がする。
過去に一度だけフィニスさんが、僕と出会う以前のことを話してくれたことがあった。その時にそんな名前を聞いた。よく思い出せないが敵対しているんだっけか。
「――……!?」
――鎖と楔が弾けて僕の頬を浅く裂いた。
反射的に通り過ぎる鎖を掴んで引っ張ろうとして、思わず動きを止めてしまった。銀色の鎧の男の喉を貫いて僕に攻撃が飛んで来たのだ。
僕が力を入れると彼の首が僅かに裂けた。だから、離した。
「二人纏めて殺すつもりだったのですが……なかなかの反射速度ですね」
警戒心を露わにしてこちらを見詰めるプシロ。
標的を僕に絞ったな。他の者には視線さえもやっていない。彼は戦闘に慣れ過ぎている。
「〈赤狼紋〉!」
赤いオーラが左腕から噴き出し、全身を包み込んだ。
先程の攻撃――普通じゃあり得ない速度が出ていた。方法はわからないが――いや、何らかの魔法でスピードを速くしているのだろう。
動体視力で追い切れるギリギリだ。あれ以上速くなるとダメージは免れない。
〈紋章剣〉を引き抜き、回転する鎖を凝視する。動き出しがわかれば何とか撃ち落とせる……はず。
鎖が消えた――狙いは足下だった。地面が抉れるが、斜めに避けてそのまま男に突っ込む。振り被った〈紋章剣〉の柄からレールが伸び、プシロの肩口を捉えた。
彼の左手に巻かれたリングを起点に橙色のバリアが展開されるがそのまま斬り落とした。僅かに軌道をずらされたため掠っただけだった。
「これはまずいですね……」鎖を回転させつつ、肩から流れる血を治癒魔法で癒す。「これは集中する必要がありますねッ!」
高速回転する鎖の中に何かを放り込んだ。水の魔法によって生成された液体が――三日月の形を為して路地の全面に飛来する。
「《巡廻水月》」
瞬きする時間もなかった。左手からありったけのエネルギーを引き出して全身を覆い、視界一杯の三日月を正面から受け止める。ダメージ覚悟で避けることはできたが、その場合は僕の後ろに立つ人達が襤褸雑巾になってしまうだろう。
「ぐああああああああああ」
エネルギーは無尽蔵という訳ではない。
オーラのバリアは貫かれて全身をくまなく切り刻んだ。
流れる血を感じる。だが、オーラで打ち消しているから一つ一つの傷は深くない。
体感で五分ほど経った気がする。
《巡廻水月》が止んだ。
「――《固定》!」
声がして、目を開いた時にはナイフが額に触れていた。
鎖は《固定》の魔法で槍と化している。引っ張って軌道をずらすこともできない。
そもそも、この距離まで来たのならもはや回避は不可能だ。
「――生き残れるなら避ける必要はない。〈赤狼紋〉!」
紋章が励起する――頭どころか全身が砕けて人間とは別の材質に再構成される。皮膚とは比べ物にならない硬質な鎧が狼人の形を象った。鋭利な武装が頭部の角から足の爪まで張り巡らされる。
目覚めの咆哮は都市中を響かせる。
鎖を握り締めると《固定》を物ともせずに砕けた。
死臭が漂う。死の匂いが背後からした。先程の水の刃に晒されたのだろう。
「そうか」
「何ですか、その魔法……変身魔法ではない、まさか幻覚だと?」
「試してみれば良い」
「――まさか、ナンバーズ……?」
疑いの眼差しながらも、妙に確信染みた言い方だが、それほどの脅威とは感じているらしい。
しかし、ナンバーズという言葉が出るとは思わなかった。
そういうことなら、と意識をあの数字に傾ける。
マゼンタの文字腕に浮かび上がった。〈七七六〉だった。順位が一つ上がっていた。
「……あなたからは出ていないということは、知人がナンバーズということですか」
「七百番台……!」
僕の順位を見た瞬間、プシロはたじろぐ。
彼の反応である程度の知名度と信用があることはわかった。
「――いや、これは好都合か?」
怯えた様子に見えたが、そう言った途端にプシロの空気は変わった。額に指をあて、《通信》の魔法を使う。
「通信失礼します。今すぐナンバーズ級兵器を送って頂きたい。七百番台です」
「そんな余裕があると思ったか?」
支援を要請しているようだが、律儀に待つ訳ない。
躍動する三本爪を突き立てる。
――ガキッ!
嫌な金属音。突如として現れた小手が三本爪を弾いた。
「っ、危なかった。あと少しで本当に死ぬかもしれなかった……!」
汗を流して右腕の小手を見て、にやついた。
「すぐに準備はできますので、お待ち頂けるとありがたいです」
次々とプシロの下に鎧が転送される。どれも黒色に金のラインが入ったデザインだ。小手 と、脛当、グローブ、バイザー、計七つの装甲。
驚くべきは鎧を纏ったのを境に数字が変化したことである。
僕のナンバーは〈七七七〉と戻り、プシロの首筋に走る数字は――。
「……〈七七四〉……」
「辛うじて、超えましたか。いや、危なかった。本当に」
楽観の見え隠れする声色。
たった〈三〉上回った途端である。
「いえ、この場合はこの魔道具が異常だったということでしょうね。知っていましたか? 魔道具によって強化された場合も順位の変動に含まれることは?」
再構成する時に纏めて分解した〈紋章剣〉を思い浮かんだ。僕があれを持っても順位は変わらなかったという思う。つまり、あの剣だけでは強さはさして変わらないということだ。
彼の話を信じるなら、だが。
「その装甲からは尋常ではない力を感じる、が……」
「言いたいことはわかりますよ。確かに、私にこの魔道具は相応しくないでしょう。手に余ると言っても良い。ですが、それでも世界最高峰の力に匹敵するんですよ。半端なままにあなたに勝ってしまう」
彼は断ち斬れた鎖を回す。
「残酷なまでの兵器を使って我々は目的を達成します。なのであなたには〈訂正機関〉の礎に――屍になってもらいます」
「その魔道具は本当に凄いものなんでしょう。だが、僕だってまだ本気は出していない」
「というと?」
「――〈白龍の儀式〉」
僕の故郷に伝わる話がある。〈人型災害〉と敵対した僕らの先祖が脅威を撃退するために当代の〈白龍紋〉の使い手が儀式を通して戦士達を強化したというものだ。儀式の後、〈白龍紋〉の使い手は死んでしまう。これはあくまでも御伽噺。
数か月前、フィニスさんは〈白龍紋〉の儀式を執り行った。村人全員に白龍の力を齎した。だが、依然として生きていた。
僕もその祝福を受けている。既に祝福は消えてしまったがエネルギーの操作で疑似的に再現することができたのだ。
持って一分。一分で十分。
「〈真・赤狼紋〉!」
装甲が内側から砕け、白色の光に包まれる。再構築の光だ。
通常の〈赤狼紋〉の時は上半身が肥大化していたが、この形態では元の姿に近い。赤と白が混ざった鎧に重厚感はなくなり薄いフォルムになったが、硬度は比較にならないだろう。三本爪もより凶悪な性能を発揮する。
〈白龍の儀式〉は単純な強化を行うもの。〈人型災害〉の膂力に追いつくために発生した儀式である。
一秒が経過した。
僕よりも格上になったプシロに手加減している余裕はない。本気でぶつかれば、彼は死んでしまうかもしれない。油断はしないと決めた、だからその意思を貫く。
二秒が経過した。
あの魔道具が何であろうと、この路地が消失しようと、やめるという選択肢はないのだ。
真っ直ぐにプシロを捉え、右腕を引き絞る。
「《真・孤狼千斬一閃》」
右爪に深紅と白色の輝煌が収束し、高密度のエネルギーが刃状に変形する。地表を抉って駆け抜ける。すれ違い様に叩き込んで空へ撃ち上げよう。
四秒が経過した。
一秒が長く感じる。彼を観察する余裕さえできていた。
身に着けている七つの魔道具は黒を基調として材質で、その上に金色で幾何学模様が描かれている。これに魔法的効果が付与されているらしい。見たことのない魔法陣。少なくとも自然現象の魔法陣ではない。特殊系統の魔法が込められている。
そんなプシロは険しい表情をしている。それ以前に瞳が僕を捉えていない。見失って、やっと接近に気づいた辺りだ。
腹部を殴るような動作で爪を身体に突き立て、空目掛けて振り上げた。
――犯罪なんて一つも起こってないかと思いたくなる見事なまでの快晴と、街を美しく染め上げる夕日が見える。
次の瞬間、視界が飛んだ。暗黒にも包まれていない。
気づいた時には身体と首が切り離されていた。
「あなたという強者に出会えて良かったです。命の危機に瀕してようやく、影でこそこそしている方が性に合っている、と確信できましたので」
姿は見えなかったが、声は聞こえた。
「増援が来る頃でしょう、退散させて頂きます。では――っと」
声が遠退いて行く、そう思った矢先、轟音が耳朶を叩く。
どこかで聞いたことのある轟音――雷鳴だった。
「お前が殺人犯か?」
少し高いところから……路地に面した建物の屋上から青年の声が降ってくる。どこか野蛮に思われる声音だ。聞き間違えるはずもない。
増援者の名はリンクス――〈蛮雷ノ勇者〉だった。
「質問に答えろよ、糸目野郎」
「その態度、噂の荒くれ傭兵ですか。学園生に負けた、っていう」
「――ッ!」
合図はなかった。しかし、引き金は引かれている。〈蛮雷ノ勇者〉にとって僕の話題は禁句になっている。
周囲の被害を全く考慮していないであろう雷が路地に降雷した。絡みついてくるという凶悪な性質を持つ雷は首なしの僕の身体にも否応なく浴びせられる。
…………。
――何というか、僕は生きている。首を落とされても生きていた。
再構成に再構成を重ね、人間と言うよりも生物として逸脱した存在になっていたらしい。自分でも知らなかった。そりゃ、初めてのことだから当たり前だが。
現在、胴体の方で元の人間としての姿で構築されている途中。雷を浴びせられ、著しく阻害されているため濃度は半分くらいだ。
視界が安定するまでしばらく時間は掛かりそうだ。僕が考え始めたのは数十秒前のことだった。
音速すらも優に超えたと自負している疾走。にも関わらず、気づいた時には首が刎ねられていた。その原理がわからない限り勝ち目はなく、あの順位は不動な壁となる。
七つの魔道具に付与された魔法だろうが――不可視の斬撃? 壁に細いワイヤーが仕掛けられていたとか? それともあの鎖が関係しているのか。
再構成が終わろうとしていた――。
僕に勝ち目はない。〈訂正機関〉のナンバースリー、プシロという情報を持ち帰るだけでも十分な成果だ。加えて、攻撃方法はわからなかったが即死級の技も見れた。改めて戦力を集めて討伐作戦を行っても良い。それができなくてもフィニスさんがいれば――。
狼の鎧が風に乗って消え、路地が見えてくる。その瞬間、視界一杯の大きな物体が横切った。
壁を背に崩れ落ちているのは〈蛮雷ノ勇者〉だった。
「噂によればこの順位はかの〈魔女〉の魔法とも言われています。過去現在未来を見通した上での番付故に驚くほど正確なんです」
プシロは倒れる青年に対して饒舌に説明した。相当機嫌が良い。僕と彼、ナンバーズを二人も倒したのなら仕方ないかもしれないが。
吐血しながらもリンクスは立ち上がる。鎖にやられたのか脇腹は抉れ、右足も赤く染まっていた。
「では、次で仕留めますので」とプシロが鎖を回す。
彼はまだ僕のことに気づいていない。
ナンバーズは魔道具の有無によって変わると言っていたが、ナンバーズ同士が共闘した場合の戦闘力はどう換算されるのだろう。僕はその気になっているが、依然として順位に変動はない。
何もしなければリンクスは死ぬ。
それでも度し難い実力差が埋まることはない。僕が助力したところで勝てるかどうかわからない。理不尽な力によって首が飛ばされる想像が簡単できた。
手の中には刃のない剣が握り込まれている。
大剣を掲げたリンクスから雷が噴き出す。膨大な黄雷が剣身を覆い、轟音を打ち鳴らした。
「《電雲霹靂雷霆斬》!」
「あなたも強いですね、ですが〈八一一〉。今の私には勝てません」
プシロの魔道具から金色の粒子が漏れた。
彼を凝視する。何が起きているか見逃してはならない。僕に魔眼はないが、動体視力は普通の人間よりも高い。
リンクスが踏み込んで大剣を振るう。轟雷が降り注ぐ。
気づいた時には、プシロの周りで回っていた鎖が消えていて、リンクスの腕を穿っていた。雷を纏った大剣が腕ごと空に舞う。
呆然としたのも束の間、〈蛮雷ノ勇者〉は腕を抑えて苦悶に叫んだ。
「その首頂きます」
あくまでも冷静にプシロは一歩踏み出した。丁度、空から落ちてくる大剣を。
当然、「危ないですね」と、軽快に避けた。
「《霹靂》」
大剣に込められていた魔法が解放され、殺人犯に絡みついた。
「小細工を……《重結界》」
雷は半透明の壁を舐める。これでは内側へのダメージはゼロだ。
「この程度では喩え僕でも倒せませ――ッ、がふッ!?」
奴の言葉は途切れた。口から赤いものを零し、震えていた。
視線を下げる彼を背に、僕はさらに剣身に突き込んだ。貫いたのが心臓だけあって血液が留めなく溢れるが、赤き剣身に触れた瞬間に蒸発している。
「ぐッ、あなたはッ……何故生きて!?」
「死んでませんよ、最初から。あなたが気づかなかっただけだ」
リンクスは気づいていた。装甲消滅の名残の煙が噴き出す中にいた僕の気配を。
――ナンバーズは多人数の戦闘を想定していない。
――魔道具によって順位は変動する。戦闘経験が上がる訳ではない、順位は正面戦闘の強さだけを意味する。
プシロを振り回すだけの力は残っていなかった。
「そんな――こんなところで僕が死ぬ、なんて……」
力尽きた。プシロは――殺人犯は死んだ。
エネルギーを止めると、支えがなくなった彼の身体が仰向けに転がる。悔恨に満ち満ちた表情だ。僕が殺した。
次の瞬間、七つの魔道具が姿を消した。使用者の絶命を感知したように、僕の思惑を外すように。
殺人犯は〈訂正機関〉という組織に所属して、何らかの目的のためにこのような蛮行を行っていた。そして、恐ろしい力を秘めた魔道具をも持ち出した。敵は僕の思っているよりも大きな存在なのかもしれない。
「リンクスさん、大丈夫ですか?」
「お前には大丈夫なように見えるのか?」
不快そうに尋ね返してくる。
右腕が千切れているが魔法で処置したのかもう血が出ていない。
「思ったよりは余裕そうに見えますね……」
傭兵の青年の死体を漁って、通信の魔法具を取り出す。但し、僕には使えないので〈蛮雷ノ勇者〉の彼に任せる。大剣も拾おうとしたが痺れたので止めておいた。
リンクスは睨んできたが素直に斡旋所に連絡してくれる。
血みどろの戦いがようやく終わった。死者多数。最終的に勝ったとはいえ、勝利とは言い難い結果だ。
「それでも、終わった。今終われて良かった」