8.ローズ・ラフォント
◎
突然だが、僕の学園生活は再び混沌の様相を呈し始めた。
それは先日の騒ぎが発端である。街中で突如として勃発した〈蛮雷ノ勇者〉ことリンクスとの戦闘は数多くの人に見られていた。
金髪の学園生が特A級の傭兵を倒したという情報だ。
バニアさん以外にも近くに学園生がいたようで情報は瞬く間に学園中を駆け巡った。
いや、学園だけじゃなくこの街一帯か。居候している館に住み込みで働くメイドも知っていたくらいだ。
館を出てからずっと知らない人から話し掛けられる。
愛想良く返事するのにも疲れてきた。有名人とかフィニスさんはこんな世界で生きてきたんだと思うと尊敬の念を感じ得ない。
学園敷地内に入ると後輩と思われる学生から話し掛けられた。
「初めまして、フランドル・メロエと申します」
短めのツインテールの少女が完璧な作法で会釈する。
「クロム・パルスエノンさんでよろしいでしょうか?」
「はい、僕の名前ですが」
「良ければお昼に一緒にお茶会にお誘いしたいのですが」
なんてことが立て続けに起こっているのだ。
お誘い自体は嬉しいのだが自分の強さを喧伝しているようであまり気分は良くない。
今回も、丁重に断らせてもらって僕は教室に向かった。予想通り、教室の方でも似たり寄ったりなことが起きるのだった。
「いや困ったな……」
――昼休み、僕は薔薇庭園には行かず校舎の裏手の何もない草原に寝転んで現状を顧みる。
こんなことになるなら全力で逃げれば良かった。
軽率な判断だったか?
しかし、あちらから攻撃してきたから逃げても追ってきた公算は高い。
ならばこうなるのは道理――運命なのかもしれない。
ほとぼりが冷めるまでこういう生活が続くのか。先が思いやられる。
そのまま寝ようとした。
不意に――ゴオオオオオン、と爆発音が響いた。
「うわッ!」
完全に息を抜いていた。〈人型災害〉でも降ってきたか――と思ったが、そんなことはなかった。少し離れたところで少女が魔法をぶっ放していたのだ。
「王女様か――あぁ、なるほど。彼女も人を視線から逃げていたんだな……」
王女となれば嫌でも視線を集めてしまう。彼女が王女様である以上、敬われ続けるのでほとぼりが下がるということもない。
だからこんなところで魔法の練習をしていた。
大変なのは僕だけではない、文句は言っていられないか。
「よし、精神統一でもするか」
触発された。
上体を起こして坐禅を組み、瞳を閉じて、ゆっくりと息は吐いた。隣で聞こえてくる爆音も修行の一環だと思えば丁度良い。久し振りに自然と一体化するとしよう。
意識を深く埋没させる。あるのはただの暗闇――否、空虚。エネルギーはそういうところに集まってくる。
それから幾ら経ったか。
――風の流れが変わった?
深層に沈んでいた知識を引き上げる。危険の可能性は敏感に察知しなければならない。
「……!」
目の前にフィニスさんがいた。文字通り、一センチほどの隙間しか空いていない近距離に眼鏡がある。
僕は静かにため息を吐いてしまった。
「……こんな近くに来ても気づけなかったなんて、僕もまだまだですね。というか魔法を使って近づいてこないでください」
「いや、集中を切らさないようにね」
彼女が使ったのは《物理循環》という魔法。
触れたエネルギーを吸収して操作することができるらしい。今回は足音や空気抵抗をゼロにして歩いてきたのだ。彼女がいる所だけは不自然に流れが消えるので目で見なくても存在は知覚できる。
「そういえばすごい話題になってたね。荒くれ者と戦ったとか」
「軽率に行動してしまって……そのことも含めて話したいことがあるんですが今日、時間良いですか?」
「じゃあ、放課後で良いかな?」
「わかりました。場所は?」
「そうだね……家庭教師があるから王城で良いよね」
「良くないですよ」
「え? 大丈夫だよ。許可は取るから」
そういう問題ではない。木っ端である僕がただの個人的な話し合い王の屋敷になんて入って良いのかという問題である。
しかし、僕にフィニスさんを止められる精神的パワーはない。
許可を取るのなら恐れ多いが飲み込めないこともないので渋々頷く。
「丁度、王女様もいる訳だしね」
「ここに来たのは彼女に会うためでしたか」
「察しが良いね」
この程度のことは誰にでもわかる。
残念ながら、フィニスさんの中の僕の優先度はあまり高くない。会いに来てくれたことなど一度でもあっただろうか。
「行ってくる」と言ってフィニスさんは草原を滑って第一王女の下へ向かった。今度は摩擦をゼロにしているみたいだ。
もうすぐ午後の授業が始まる、僕は修行を切り上げて教室に戻った。
「時間の都合さえ良ければ、これから少しお茶がてらにお話でもしませんか?」
――放課後、僕らの前でアテナさんがこんなこと言った。
「参加させて頂きます」
「私も参加します」
「わ、私もです」
ランネリアさん、ハインさん、バニアさんは参加するようだ。
僕に場合、訊かれることなく参加させられる流れである。だが、今日は傍観者を気取る訳にはいかなかった。
「すみません、今日は予定がありまして」
「そうなんですか? それはとても残念です……」
見違えて落ち込んでいる顔を見ると、嘘です、と言いたくなってしまう。
だが、僕はこれから心の傷よりも大事なことを話すのだ。
「おーい、クロム君」
名前を呼ばれた。教室後方にはフィニスさんが――そして、王女様もいた。この組み合わせは凶悪なほど目立つため、生徒の視線は彼女らに注がれる。
「失礼します。さようなら」
呆然と立ち尽くす四人に別れの挨拶して、フィニスさん達に合流した。
本来なら僕はこの二人と並んだら浮いてしまうのだが、例の噂のせいで〈こいつ何者!?〉と一目置かれている状態だ。気まずいことこの上ない。
「これから僕はどんな扱いになるのか……」
「深刻な顔しなくても良いじゃん。女の子から好かれると思うよ?」
我が姉は慰めにもならない言葉を掛けてくる。
「好かれてどうするんですか」
「とっかいひっかいするんだよ」
本気で言っているのか? 弟がそんな節操なしであなたは良いのか?
「僕は誰彼構わず好かれたいとは思いませんよ。好かれたい人に好かれたいです」
「ちゃんとしてるなぁ、勿体なくない?」
「あなたが言いますか?」
「私?」
自覚なし、というが致命的である。
詮無い会話をしていると王女様があはっ、と笑った。
フィニスさんと顔を見合わせる。面白いことを言ったつもりはお互いにない。
「面白い姉弟の会話ですね。どっちも自覚がないと思ってる辺りが笑いどころです」
「「どっちも自覚がない?」」
聞き逃せない言葉に声が重なった。
「お二人はそのままで良いと思いますよ」
「どういう意味?」
「…………」
効率だけを生き甲斐にする氷みたいな人だと思っていたが、こんな風に笑うのか。
考えてみれば、意外でもない。僕が他人に好かれても困るように、王女様も誰彼構わず愛想を振り撒こうとは思えないというだけ。
――槍を掲げて道を開ける兵士を横目に石造りの城門を潜って城内に足を踏み入れる。
学園にある薔薇庭園が最高ランクだと信じてきたが、王宮の庭は次元が違う。大空と花に囲まれてお茶を飲むなんてリラックスし過ぎて身体が宙に浮きそうなものだ。
「先にサリア見てくるから二人で飲んでてー」
主催者のフィニスさんが早速席を外してしまった。
僕は知り合いの知り合いという関係性の、しかも王女様と二人きりでお茶をしなくてはならない。
何の試練だこれは?
円卓に三つの椅子が正三角形を為して等間隔に並んでいる。どこに座っても隣り合ってしまう位置関係。
専属のメイドさんがお茶と菓子を並べて一礼、王宮に戻る。
「頂きましょうか」
「はい」
お茶の風味だ。きっと高いのだろうけど僕には依然わからない。
無言の時間が続き、風が草葉を揺らす音だけがする。フィニスさんはまだだろうか――いっそ、ここで修行始めようかと考え始めたところで目の前の人物が口を開いた。
「お名前訊いてもよろしいでしょうか? フィニスさんから度々聞いてますが改めて」
「あ、はい。クロム・パルスエノンです」
「では、私も――ローズ・ラフォントと申します。いきなりこんなことを言うと失礼かもしれませんが、あなたとフィニスさんは実の姉弟ではないですよね」
押し迫るような笑みだ。
嘘を吐いてもバレそうだ。
都合が良かったからそういう設定にしただけで隠し立てする理由はない。
「どうしてわかったんですか? 顔は似てませんが金髪と金眼は同じですし見分けつかないと思いますが」
「確信はありませんでした、強いて言えば視線ですかね」
「視線ですか」
「姉を見る目ではなかったですよ」
言って、王女様は微笑んだ。
対して僕は鼻白む思いだ。
「別に恋愛対象として、とかでもありませんでしたよ。崇拝、憧憬、畏怖、劣等感といったところですね。恋愛感情が一切ない、とは言い切れませんがね」
微塵も包み隠さず断定してきた。
劣等感なんて――僕の深層心理でも覗いているかのようだ。
「王女様はフィニスさんみたいなタイプなんですね……良い意味で」
正直過ぎて損をするタイプとかではなくて、あくまでも誉め言葉して。
「いえ、これはそのフィニスさんに正直に言いなよ、と励まされまして……本来の私なら気づいていても言いませんよ」
全く持って、笑える話だ。
「……普通はそうですよね」
「クロムさんはフィニスさんが好きなんですか?」
「かッ――」
こんなことまで訊いてくるのか。
お嬢様の好奇心の振れ幅が想像以上に大きい、王女は王女でも年頃の乙女。
落ち着け、動揺すればする程後が苦しくなるだけだ。改めて、好きか嫌いか考える。
結論は実に呆気なく出る。
ため息の出る詰まらない解答だった。
「――彼女のことを好きにならない人なんていますか?」
彼女は魅了が男女関係ないことは一緒に過ごしてきたからわかる。
王女様も思い当たる節はあるといった様子。
「確かに……これを恋と言っても違和感はないですね」
「それに僕は既に振られてますから」
「……驚きました。お似合いなのに」
「本気で言ってます?」
「えぇ、あなたならフィニスさんの隣にいても納得はできますよ」
納得ね、釣り合うかはまた別の問題。
既に振られている身、今更言われても嬉しくも何ともない。
「反実仮想ですよ。それにフィニスさんは何者にも囚われない自由なのが似合っていますから」
「自由過ぎて困りますけどね。マナーはどこに置いてきたのでしょうか」
王女様は先程から楽しそうに笑っている。
フィニスさんという強烈な人格のエピソードを共有できる機会がなかったのかもしれない。
愛されているな、フィニスさんは――。
「楽しそうですね、王女様」
「……少しはしゃぎ過ぎましたね。それと、私のことはローズと呼んでくださって構いません。王女様と呼ばれるのはあまり好きではありません」
「…………」
「そんな意識されてはこちらの方が恥ずかしくなりますよ」
フィニスさんみたいに呼べと? まぁ、いいか。
「わかりました、ローズ」
望み通りに呼んだのに、ローズは目を丸くする。
「何ですか?」
「いえ、新鮮だと思いまして」
それはともかく――と話は移ろう。
「フィニスさんがどうして妹の家庭教師をしてるか知っていますか? 訊くタイミングなくて」
「目の前で話してましたよ。確か、外交官の人が頼んでました」
「そう。あの方が――」
あの時のことは今もよく覚えている。入国した初日に強引に連れてこられたのまだ記憶に新しい。
若干曖昧だが、話がてら思い出してみよう。