7.雷鳴のナンバーズ
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――故郷〈エクス・クレルト〉を出て〈セレンメルク〉へ行く道中、フィニスさんと僕の身に不思議なことが起きた。
気づいた時には、腕にマゼンタの文字が刻まれていたのだ。
記されていたのは数字と人物を表す名称――僕の腕には七七七と〈赤狼紋〉と刻まれ、フィニスさんには二二と〈黄金血統〉〈金色夜叉姫〉と。
腕を伸ばすとその文字は手の甲に上ってきた。隠そうとしてもどこかしらに浮き出てくる仕組みらしく、服で隠すとさらにその上にでかでか、と駆け抜ける。
一体何のために仕掛けられたが知らないが、とても良くないことが起きそうな予感はしていた。僕の勘は良く当たるので幸先悪いと思ったものだ。
例の如くフィニスさんは全く気にしてなさそうだったが僕は無知は怖いものだと思った。しかし、実害はなくあれ以降、出てくることはなかたのですっかり忘れていた。
その意味ももった早く気づくべきだった。
二二と七七七という数字の差――考えればわかるはずだったのに。
――〈テスラクレト武器商団〉を出た僕とバニアさんは学園方面に向かって歩を進める。
隣り合って歩いているというのに無言というのも何なので僕は会話を試みた。
教室や昼休みに話すことはあったが、じっくりと話ことはない。折角だから心理的距離を近づけておこう、という魂胆である。
「バニアさんはどうして一緒に来たんですか?」
予定を訊かれたし何か目的はあるはずだ。
どこか言っていないのに着いてきたということから、大した用事ではないことはわかるが。
「えっと、クロム君と仲良くなりたくて……何が好きとか知りたかったんです」
「そう、ですか……」
こう素直に言われるとこちらも恥ずかしくなる。嬉しいけど、真っ直ぐに顔を見にくい。
バニアさんも常識知らずの僕と仲良くしてくれる良い人だ。
今日は僕に付き合ってくれたから、次はバニアさんの行きたいところに一緒に行こう。ハインさんにも改めてお礼もした。
「バニアさん」
「はい?」
「後日、良ければ――」
――ぐああああああああああっ!
突如として十字路の先から野太い男の悲鳴が聞こえてきた。呼応するように扇動者の叫びを帯びた歓声が耳に届いた。
こんな街中で何が起きたのだろうか――そう考えてすぐに誘拐事件が脳裏を過る。まさかあの男が倒されたとか?
「クロムさん!?」
気づくと――またもや僕は走り出していた。角を曲がって道の真ん中にできている人混みを掻き分ける。
人がいて一瞬気づかなかったが、ここは傭兵斡旋所の近くである。
中央に二人の男がいて野次馬がそこれを囲んでいる。
以前、斡旋所に向かった時にガンを飛ばしてきたやたら難いの良い男が地面に伏していた。
見下ろしているのは黄色と黒色の髪を持つ、つり目の若い男だった。身の程サイズの大剣を背負っている。
青年は吐き捨てるように言った。
「俺に逆らう、ってことはこういうことだ。まだわからないか? 雑魚が」
「ぐがあッ」
胴体を踏みつけられ、厳つい男は苦悶の声を漏らした。
どういう経過がわからないが、二人の諍いが喧嘩まで発展した――程度のことらしい。全く持って野蛮な話だ。
体格からして、どちらも誘拐犯ではない――。
あんなに筋肉質ではないし、長身でもなかったはずだ。
「い、一体何が起きているんですか?」
「バニアさん、急に走ってすみません。諍いが喧嘩に発展したそうです」
「喧嘩……こんな一方的に」
「…………」
この青年は強い。
僕がこの国に来て会った人の中で上から二番目と言ったところか。
誘拐犯を相手取ってもきっと彼は勝つだろう。あの底なしの外交官にはわからないが。
――もしかしたら僕よりも。一応、彼の戦闘も見ておこう。
その意志を固めた瞬間だったろう――僕の瞳に〈七七七〉という数字が浮かんだ。
「これは!?」
マゼンタの文字は瞬時に僕の腕を駆け抜けた。
どうして、今頃文字が?
その疑問の答えが出る前に――大剣を背負う青年にも同じようにマゼンタの文字が浮かんだ。
この国に来た時の僕や、フィニスさんと同じ。
まずい、何かわからないがとにかくまずいことはわかる。僕はバニアさんの手を握って踵を返した。
「バニアさん、すぐに離れましょう」
「え、え? どうして……?」
「とにかく危なそうだから」
気づかれる前に人混みに紛れようとしたが、しかし――「おいッ!」と呼び止められる。あちらからここが見えるはずもない。だが、声は確かに僕に向かって発された。
僕が気づいたように、彼も気づいた。
それだけの話。
青年は強引に人混みを割って近づいてくる。
「バニアさん、離れてください。ここは危険です」
「一体どういう……?」
「来ます」
バニアさんの胸を押して後方に下がらせる。
市民を薙ぎ倒して黄と黒の髪の男がやって来た。僕を見ると、楽し気に頬を歪ませる。
「こんなところにナンバーズがいるとは、驚いたな」
「ナンバーズ?」
知らない単語だ。この数字に関係するのか。
「んなことどうでも良いんだよ。ナンバーズが出会った時にすることは一つだ」
言って、青年は背負っていた大剣を構える。
刺すほどの敵意を僕に向けた彼は言った。
「俺の名はリンクス――〈蛮雷ノ勇者〉。お前は誰だ?」
「なるほど……クロム・パルスエノン――〈赤狼紋〉です」
逃げることは叶わない。やり過ごすことができるほど僕も強くない。
戦うしか道はなさそうだ。
名乗ると同時に左手の甲の紋章を起動する。誘拐犯との戦闘のような上辺だけのものではなく、エネルギーを内部まで浸透させる形に。
「……ッ!」
雷が瞬いた――瞬きした瞬間に、リンクスの大剣が目の前に迫っていた。
全身に雷を纏っている。電気で身体機能を助長させたと言ったところか。
左肩を引いて、刃を避けると同時に力の籠った右の拳を見舞う。しかし、リンクスは心得たように後退した。
「このスピードについてくるとはな、面白い。魔法はどうだ?」
轟音が鳴った。彼の左手に黄色の魔法陣が浮かぶと指向性を持って飛んで来る。
「《雷霆》」
赤いオーラの手刀にて高速で迫る雷の弾道をずらす。
野次馬に当たりそうになり、彼らは悲鳴を上げて散っていく。
「《霹靂》」
今度は速さはそれほどでもなかった。先程と同じように手刀で軌道で捻じ曲げようするが腕に絡みついてきた。
得意げに笑う雷の勇者。
「《雷霆》は撃ち抜く雷、《霹靂》は絡みつく雷だ。前者は防御できるが、後者は当たる前に避けなければならない」
「当たる前に……腕から離れそうにないな。なら――」
オーラを食い尽くさんとしている雷。
右腕を覆うオーラごと地面に叩きつける。雷は地面に流れていった。
「正しい対処法だな。初見で見抜かれるとは――いや、ナンバーズなら当たり前か」
「もう終わりですか?」
「あぁ、お前から来いよクロム」
「そういうことならッ!」
内部を駆け巡っていたエネルギーを外側に発露すると、身体を覆っていた赤いオーラが肥大化する。
特に右腕が変化しており、構造ごと赤い鎧に作り替えられている。そこから三本の爪が伸びて怪しく光った。右腕を振るうと三本の斬撃が彼に飛来する。
「ふん、まだまだ本気じゃないだろ? さっさと本気を出さないと一瞬で終わるぞ」
雷を纏った大剣で僕の飛ばした斬撃を掻き消した。
正直、ここまで強いとは思わなかった。紋章を覚醒させなければならなくては勝つことはできないが、この街中で使うのは控えたい。
――本気は出せない。だが、勝つ。
さらにエネルギーを練って強固に纏う。同時に精神を深く沈ませる。
三本爪を繰り出すと、リンクスは雷の大剣で応じた。巻き付いてくる雷は高速で動くことで置き去りにして回避する。
瞬時に繰り広げられる剣戟。刃を交わした回数は数秒で数百を超えた。
リンクスの猛攻は続く。
「《霹靂雷霆》」
魔法陣から撃ち出される雷が僕の身体を焼き焦がす。オーラのバリアも貫いて身体を痺れさせる。撃ち抜いた後にまきつく性能という訳か。
「おいおい、こんなものじゃないだろ!?」
「くッ――」
大剣の刃が僅かだが左腕に食い込み、血液が流れる。
これはわざとだ――僕は雷の瞬く剣身を赤いオーラで覆っていく。
この剣は魔道具であり、内部に雷の魔法が込められている。加えて彼は外側からも魔法を重ねている。二重の雷は僕のオーラすらも斬り裂いてきた。
二つあったから脅威になり得た。だから片方だけを潰す。
大剣を弾き返すとそのまま突きを繰り出し、リンクスの脇腹を裂いた。
しかし、戦い慣れているのか。動揺の素振りも見せず、間断なくこちらを見詰めてくる。彼の頭上に大きな魔法陣が浮かぶ。
「《至光電撃》!」
溢れ出した雷を僕だけではなく辺りの建物にすら牙を剥く。
このままでは全身を焼かれて意識を失ってしまう。もはや選択肢は一つしかない。
「使うか――〈赤狼紋〉」
オーラの嵐が吹き荒れ、僕の身体を包み込む。人としての構造が分解され、紋章の因子を解放して再構成される。
上半身が異様に大きい刺々しい狼人というのが今も僕の見た目である。曲線を描く角がこめかみ辺りから伸びている。
両手には鋼鉄すら容易く卸す三本爪。五感が強化され、街のあらゆる情報が入って来る。
これが僕の本気――スピリッツの力。
これを見た人はきっと人外と断ずる、だから見せたくなかったがこうなっては仕方ない。幸いにもリンクスの攻撃のおかげで人は少ないので思う存分戦える。
僕を見て、リンクスは身体を強張らせていた。
「それがお前の……本当の力なのか……」
「次の一撃で決めます」
再び、右手にエネルギーを収束させる。この技は半励起状態での斬撃とは比較にならないほどの威力がある。下手な相手に使うと余波で街を壊してしまうが、彼が相手なら丁度良い。
赤熱するエネルギーで刃を鋭く、鋭く研いでいく。
そして――リンクスも膨大な密度の雷を剣身に纏っていた。
「《孤狼千斬一閃》 」
「《電雲霹靂雷霆斬》!」
赤い刃と黄色の刃が激突した瞬間、世界は煌々に包まれた。
爆音と爆風。地面に入った亀裂が広がり、煙霧が一帯を駆け巡る。
爆心地上、僕はスピリッツを解除した。ところどころ黒くなっている学生服。そして、リンクスは足元で仰向けに倒れている。
僕はこの勝負に勝利を収めた。
順当な勝利であると言える。
一つ、気づいたこともある。マゼンタの数字の意味――僕は七七七、フィニスさんは二二、リンクスは八一〇。
「これはやっぱり強さ順なんだ。ナンバーズは世界で何番目に強いかを表している。加えてナンバーズはナンバーズに気づくことができる……いや、探そうと思えば探せるってところか」
戦意を持って探れば、勝手にナンバーと称号が現れるという仕組み。
依然として数字の目的は不明だが、ろくでもないものであることには間違いない。
「フィニスさんより強い人が世界に二一人もいるなんて信じられないな……」
目に見える闘争力の開示。
さらなる争いが巻き起きる予感がした。