3.誘拐犯
◎
週に一度ある休日、無趣味な僕としては暇を持て余すくらいだが今日に限っては予定があった。数少ない学園の制服以外の服を着込んで大広間に出ると、既にメイドさん達が朝ごはんの準備をしていた。
「おはようございます」
「おはようございます、クロム様」
エリスは丁寧に頭を下げてくる。三人いるメイドさんの中で最年少の少女。僕よりも若いのにしっかり働いていることに毎日感心するばかりだ。
「しかし、様っていうのは止めて欲しいんだけどね。間借りしてるだけだし」
「でも、私は一介のメイドですし……仕事であっても仕える相手ですから。それとも主様、と呼んだ方が良いですか?」
なんて蠱惑的に笑う。
「主様よりは良いけどさ」
どちらにしろ様付けは確定な訳か。仕事と言われれば何も言い返せなかった。
四人分の食事がテーブルに並ぶのを待ってから両手を合わせる。彼女達が見ている中、僕が一人食べるのが申し訳なさ過ぎて喉を通らなかったということがあったから皆で食べることになったのだ。
料理はおいしく頂きました――。
「あの、少し良いですか?」
「どうぞなんなりと」
メイドの一人、エインさんは作業の手を止め、僕に向き直る。
「傭兵斡旋所ってどこにあるかわかりますか?」
「斡旋所、ですか……はい、存じております。地図をご用意しましょうか?」
「そこまでは良いです」
「では、口頭で」
ようやく慣れてきた中央都市の全景を思い浮かべながら聞いた。比較的わかりやすいところにあるようで道に迷うことはなさそう。
「よくわかりました、ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
一礼して、彼女は作業を再開する。僕は出掛ける準備をしてエントランスに向かうと既に最年長メイドのメリーさんが入口で待っていた。
「帰るのは少し遅くなるかもしれません」
「わかりました。お気をつけてください。ここ最近は夜になると巷を騒がす誘拐犯が出るとのことなので」
「誘拐犯ですか……わかりました、気をつけます」
「行ってらっしゃいませ、クロム様」
門を潜って街に繰り出し、学園方向に歩き出す。目的地は傭兵斡旋所だが、集合場所が学園前になっているのだ。
制服を着ていないだけで街の印象が真っ逆さまに変わる。何というか購買意欲が上がっている感じだ。
例の人物は僕よりも先に着いていた。装いがいつもと違うのでだいぶ印象が変わっている。
「お待たせしました、ハインさん」
「いえ、私も今来たところですから」
今日はツインテールではなく、一本結びのポニーテール。眼鏡も掛けているので一瞬誰だかわからなかったくらいだ。
僕の視線を気取ったのか、彼女は眼鏡を弄る。
「場所も場所なので顔が覚えられないように変装したかったんです」
「僕も変装した方が良かったですかね?」
「貴族という訳でもないなら大丈夫だと思いますよ」
「それなら良いのですが」
「では、行きましょうか」
僕らは二人並んで学園を出発した。目的地は傭兵斡旋所。
学園から真っ直ぐに伸びる大通りの商店を見遣りつつ、僕は先日のハインさんとの会話を思い出す。
――試験にて僕の試合が終わった後、ほとぼりが冷めて静かになったタイミングでハインさんが話し掛けてきた。他の生徒は行われていた試合に目を奪われていた。
「少しお話良いでしょうか?」
「……はい、大丈夫ですが」
「ありがとうございます。隣失礼します」
そう言って石製の長椅子に腰を下ろした。闘技場を見詰めながら彼女は言う。
「突然のことで驚くでしょうが、はっきりと言いましょう。私にあなたの力を貸してもらいたいのです」
「……というと?」
一口に聞いただけではよくわからない。
ただ、このタイミングとなると僕の試合を見て力量を知ったからということなのだろう。
「そうですね、クロムさんは傭兵斡旋所というものを知っていますか?」
予想外の言葉が予想外の人物から出てきた。
僕は首を縦に頷いた。
「はい、生活が落ち着いたら行こうとは思ってました」
「それは好都合です。斡旋所は私の父が管理しているのですが、勉強ということで経営の真似事をしているのですけど」
すごいことをあっさりと言われたような気もするが続けて耳を傾ける。
「最近、妙に活気づいまして調査したいと思いまして。しかし、私がああいうところに表立って現れると目立ち過ぎます」
「それで僕が行って、その活気の正体を探るということですか」
「理解が早くて助かります。そういう訳でご協力して欲しいのですが」
どちらにしろ後で行くつもりだったので僕はその場で了承したのだった。
――そして、現在に至る。
何が起きるかわからないので一応、ハインさんが着いて来てくれた。斡旋所には顔が通るからある程度のトラブルなら抑えらるのだとか。
「久し振りに来ましたが結構変わってますね」
街並みをひとしきり眺めたハインさんが呟いた。
「そうなんですか?」
「はい……というのも半年振りにここに来たからですけどね。学園にいても何でも揃いますから案外、出掛ける機会がありません」
敷地内にはレストランや衣服も売っているのだとか。生徒の安全を確保するためには、できるだけ外に出ないようにさせるのが一番楽ということだ。僕は一度も利用したことはないが――というか、法外な金銭を要求されるので利用できないのだが。
「しかし、意外と活気がありましたね。誘拐事件が立て続けに起こっているというのに」
「だからって働かなかったら生きられませんからね。それに現れるのは夜だとか」
「公国魔法師団が調査をしているようですが影も掴めないようです」
誘拐犯は魔法使いなので王国の軍隊、魔法師団が対応しているらしいが捜査は難航しているようだ。何でも広範囲を法則性なしに渡っているらしく手掛かりもないようだ。
話を聞いてみれば事件は僕が〈セレンメルク〉に来るよりも先に起きており、今では多くの人員が割かれているとのこと。
「かなり手強いようですね」
「早く捕まることを祈るばかりです」
そう言っている間に、僕達は傭兵斡旋所に辿り着いた。
斡旋上は木造建築で、予想以上に横に広く、縦に長い。上に行くほど構造は小さくなっていて頂上では白地に黒の紋章が描かれている旗が揺れていた。
「私は外で待っているので、傭兵登録しながら様子を探ってください。後、ガラの悪い人もいるので一応用心を」
「わかりました」
「何かあったらすぐ戻ってきてくださいね」
ハインさんと別れ、斡旋所の開け放たれている入口を踏み越える。暗めの色合いの外壁だったが中は結構綺麗なもので、さっぱりとしている。左右にはテーブルが置いてあり休憩スペースとして解放されているらしい。
やけに筋肉質な男達が掲示物に目を遣って何やら話している姿が見受けられる。
――傭兵、か。
鎧を纏っている者、剣を手入れしている者、革袋を抱えている者と多用だが皆傭兵。
これほど広大な敷地にも関わらず人々が溢れかえっている。確かにこれは活気づいている。これこそ誘拐犯騒ぎなどおかまいにしに。
天井から吊るされた看板に従って傭兵登録を行う受付に向かう。その際、傭兵達に不躾な目で見られた。多分、武器も何も持っていないからだ。一見して普通の少年にしか見えない。
受付にいたのは斡旋所職員らしき女性。
「えっと登録? ですか、したいんですけど」
「では、こちらの書類にご記入を」
と、台にペンと紙が差し出された。
意外としっかりとしたシステムだ。筋肉の塊みたいな男共もこうして筆を走らせたと思うとほっこりしてしまう。
ふと、視線を巡らせると少し離れたとことにある受付に人が集まっていた。
「あっちに何かあるんですか?」
「はぁ」と詰まらなそうに受付の人は言った。何回答えれば良いんだ、と言わんばかりのうんざりした様子である。「新人の受付嬢がおりまして……」
新人か。もしかしたら、その人が斡旋所の繁盛の理由かもしれない。後で行こうか。
書類を記入して渡してしばらく待つと青いプレートを渡された。そのカードには先程記入された情報がある程度、刻み込まれている。
最低ランクのGの称号がでかでかと載っていた。
カードを懐にしまって人だかりに近づく。依頼を完遂した傭兵が受付に報告するエリアだ。報告したまま帰ろうとしていないようで続々と人が集まっているらしい。隙間から覗こうとするも新人とやらを見ることができない。
微かにだが笑い声が聞こえてきた――苦笑い、という感じだ。
人波に乗るようにして受付に近づいていく。筋肉の隙間から金色の髪が垣間見えた。
「なるほど、完全に理解した」
僕はすぐに傭兵斡旋所の建物から出た。
ハインさんは手持無沙汰に待っていて、僕に気づくと小走りで近づいてくる。
「何かわかりましたか?」
「はい、新しく入った受付嬢が人を集めているようです」
「……それだけですか?」
「間違いなく」
ハインさんは気掛かり、というか信じられないという表情をしている。
それが普通の反応である。だが、そう言うしかない。それが事実なのだから。
「新人が入ったからってそこまで……?」
「見てみればすぐにわかりますよ」
「いえ、それは止めておきます。こんなことでクロムさんが嘘を吐く必要もありませんしね」
「それなら良かったです。後、無事に登録できました」
「危険なことはしないでくださいね」
ハインさんが歩き出したので、その後ろを追った。
ハインさんの手前、詳しくは説明しなかったがどうして我が姉が傭兵斡旋所で働いている? 驚きの余り声を掛ける余裕がなかった。お金を目的にしていないことだけは確かだが。
大変そうだが続けているということは満足しているということだろう。平和な日常を送っているようで何よりだ。
――その時、女性の叫び声が聞こえた。
相当な距離があるのか小さな声だったが確かに。
「悲鳴聞こえませんでしたか?」
「悲鳴? どこでですか?」
気づいた時には走り出していた。
五感は人より鋭い、大体場所は掴めているがどうやら場所は路地裏のようで視界が著しく狭まっている。
建物の間隙、角を曲がると何者かがその場から逃げる後ろ姿を確認できた。その背中には大量の武器を背負っている。
赤いオーラを覆い、身体が加速した。壁面を走行して逃亡者の肩を思い切り引いて前に躍り出る。
黒ずくめの男が油断なく僕を見詰める。僕も同じように観察した。
「あなたは巷を騒がせる誘拐犯ですか?」
怪しさ満点だが、一応聞いてみる。
彼は質問に答えることなく、背中に掛かっていた剣を掴み僕に向けてきた。
つまり、そういうことだ――。
かなり手慣れていると見える。油断はできない、出し惜しみはしない。
左手の甲に意識を傾けると、赤い狼の紋章が躍った。
「〈赤狼紋〉!」
全身から血のような紅の波動が溢れてくる。
僕の生まれた村に伝わる紋章の力――スピリッツの力を解放した。
「さぁ、掛かって来い!」
咆哮と共に、エネルギーが柱のように噴き上がる。
構えた瞬間、男は剣を投擲していた。エネルギーを纏って腕で弾き飛ばし接近する。竜巻のように荒れ狂う拳を繰り出すものの、身を捻って避けられる。
誘拐犯容疑者は背負っていた剣を次々と空に投げた。妙な回転も掛かっていて回避は難しいが今の僕なら当たっても大丈夫だ。
男は空中の一本を掴み振り下ろしてくる――それよりも速く僕は懐に潜り込み、肘鉄を食らわす。
「ッ、ぐぅッ」と仰け反りながら呻く。声は思ったよりも年老いた感じだった。
剣を潜り抜け、追撃を咥えようとしたその時――。
「クロムさん!? 大丈夫ですか!」
「ハインさん!」
思わず声を荒げてしまった。
男はその隙を逃してはくれず、丁度足元に刺さっていた剣をハイン目掛けて振り被る。
このままでは彼女に剣が刺さるが僕の速度ならその前に叩き落とすこともできる。
「はっ!」
左手の赤き光が推進力となって僕を押し出した。間合いに入った剣を壁に叩きつけて急ブレーキを入れる。勢いを殺しきれずに抱き着きそうになるが何とか留まった。
「ふぅ、何とか間に合ったかな。大丈夫、ハインさん?」
「私は大丈夫です。それよりもクロムさんは……!」
「僕は大じょ――……ッ!」
視線だけ後ろを向くと、黒ずくめの男の紫色に光る掌が背中に押し当てられていた。
身体の自由が利かない、まるで生気を吸い取られているようだ。ハインさんの手を掴もうとするが腕を上げることも叶わない。
「ハイン、逃げ――」
――そんな顔しないでくれ。
申し訳なさそうな顔を見て、僕の方も申し訳なくなる。最後まで言い終わる前に僕の意識は寸断された。