2.手加減
◎
薔薇庭園――円卓には僕の他に貴族の少女が座して紅茶を飲んでいた。
正午過ぎ、約束通り庭園にて昼食がてら茶をしているのだ。
目の前の人物――アテナ・ハルデン。
桃色の髪を真っ直ぐに伸ばした凛とした少女。転入して来た僕に、学園のことをよく説明してくれたりとお世話になった人物だ。
こう仲良くしてもらっているが、この学園に通っているということは貴族な訳で。
侯爵令嬢というらしい。それがそれだけ偉いか知らないが無礼なことはしてはならない、ということだけは学んだ。
気安く接触し過ぎた。気づいた時には後戻りできなくなった。
そんなこんなで多少の気後れしているのだった。
「この茶葉は北方から直接取り寄せたんです。良い香りがして最近は好んで飲んでますの」
アテナさんはそう言って紅茶を喉を通した。
僕もメイドさんに出されたお茶を飲んでみる。
「あは、確かに良い香りですね」
と、言ってみた。お茶の香りはわかってもそれがどうして奥深いのかは全く理解していない。この嘘がいつバレるかも結構怖かったりする。
貴族ではないにしろこの学園に転入しているためにそれなりの家で育った、と思われているのだろう。
僕は普通ではないけど、一般家庭で育った訳でもないけど、細やかに生きてきただけ。貴族のマナーというのもピント来てない奴である。
考えれば考える程尽きないのが不安というものだ。
将来の不安に思いをはせていると――。
「ん?」
ふと、校舎への一直線の煉瓦道からの雑音が消えた。視線を巡らせると丁度、二人の少女が歩いてくるところだった。
不覚ながら目を奪われた。
少女は空色の波打つ髪を携えている。
頭から爪先まで完璧な所作で整っており、視線から雰囲気まで氷を思わせる触れ難い冷たさを感じさせた。
但し、美しいとは思わない。それは隣にいる人物が眩し過ぎたから。
背中を覆い隠すほどの金髪金眼を纏う上背のある美しき女性は――間違えようもない、我が姉である。魅了の効果を抑える眼鏡もモノクルも付けていない。あるべき姿の彼女が堂々、凱旋している。
瞳に映した人間を男女関係なく惹きつけてしまう権能が発揮されていた。僕には効果は薄いがそれでも息を飲むくらいに強力だ。
不意に水色の髪をした少女と目が合った、ような気がした。
「――……?」
やがて二人は校舎へと消えていった。
鳴りを潜めていた喧噪が徐々に湧き出る。本当に一瞬、時が止まったようだった。風の流れさえ止まっていたと思う。
全く持って恐ろしい。出会った時よりも彼女の力は遥かに増している。
「あら、私今……何を……」
アテナさんが瞬きして頭を振った。そのまま首を傾げた。
「新しい従者……なのですかね……」
「あの人、偉い方なんですか?」
「知らないのですか?」
若干引かれたが、彼女は快く説明してくれた。
「あの方は、この国の第一王女ローズ・ラフォント様です」
「え、王女様?」
どうしてフィニスさんが王女様と、と思ってはた、と気づく。
僕らがこの国〈セレンメルク〉に来た初日に王城に入ったことを思い出す。
フィニスさんは王城に何気なく入れる立場だった。そのお供であった僕も入ったのだ。
僕は外交官と村のことについて話している間、彼女は別のことをしていた。女王と接触するタイミングと因果はある。
フィニスさんは一応国賓扱いらしいので王女様と歩いてもおかしくはないが。
「あの方、とても綺麗な人でしたね」
「えぇ、本当に」
「クロムさんもそう思うのですか? 女子の私でも綺麗だと思うなら男子ならもっと……」
声のトーンが下がる。含みのありそうな言い方だ。
僕は一つ咳払いをして答える。
「惹きつけるのはトラブルもですけどね。我が姉ながら、もう少し自重して欲しいところです」
「お姉さんなんですか?」
「はい」
――義理の。
と、心の中で付け加えた。僕もフィニスさんも金髪金眼なので疑われることはないだろう、という算段だ。そして、どうやら僕もそれなりに美形のようで不自然には思われない。今朝もそんなことがあった。
「クロムさんにはお姉さんがいらしたのですね」
「疲れる時もありますが退屈しない姉ですよ」
「仲が良いのですね」とアテナさんは肩を震わした。
そんな珍しいことなのだろうか。
「ここらでは変ですかね?」
「それはそうですけど、クロムさんが楽しそうに話すので。いつか私もちゃんと話してみたいものです」
「はは……機会があれば」
空笑いが出た。冗談ではない、と僕なんかは思うがそれは人の自由だ。会ったことでアテナさんがどうなろうと僕の責任ではない、と思いたい。
――ああ、そうだ。
唐突だったが引っ掛かっていた疑問が解けた。
王女様からの視線。僕は王城でも同じように見られていた。フィニスさんと共に王城を後にする時、僕は水色の髪をした少女がいたことに気づいていたではないか。
「……ローズ・ラフォント」
噛み締めるように小さく呟く。
どうしてかしばらくその名が頭から離れなかった。
◎
試験会場は学園に敷設された闘技場である。
各々の持ち込んだ魔道具でもって技量を測るという試験システム。
基本的には高価なものの方が扱いやすく、強力とのこと。学園側から用意されたものもあるが、使う人はほとんどいない。使うとしても僕やフィニスさんくらいだろう。
意外に思ったのが決闘形式でも良いということ。
魔道具を扱う試験とは言うものの、勝敗もまた別の評価基準らしい。やるからにはどんな手段でも良い。敗北条件は負けを認めるか、再起不能になるかだけ。殺さなければ何でもあり。
「上級貴族の我儘でできた仕組みなんですって」
「そうなんですね」
ランネリアさんがそう教えてくれた。
酔狂なことをするかと思われるが、〈神獣〉などの脅威がある以上は実戦経験も必要なのかもしれない。
魔道具を使えない僕としては決闘形式で評価を上げたいところだが都合良く相手が見つかる訳もない。
――と、思っていたのだがクラスメイトのシグム・タイラーという男が僕を相手にしたいと言う。やけにいやらしい笑みを浮かべるがそれはどうでも良いだろう。
動きやすいように上着を脱ぎ、腰に剣を差す。村を出る時に村長がくれた剣――便宜上〈紋章剣〉と名付けた。
意外にも決闘形式を選択する者は多かった。仲良くさせてもらっている四人の淑女達もこぞってだ。
「おい、私達が一番目だ」
シグム君が不愉快そうに言って、闘技場に足を踏み入れる。追って僕も入るが講師に止められた。
「君の魔道具はそれだけですか?」
「はい、そのつもりですが……」
「君が良いなら良いのだが……」
講師はそう言い残して闘技場の真ん中まで行った。
身体をほぐしながらシグム君の前に立ったところで講師の意図に気づく。
彼は右手で剣を、左で盾。指輪、バングルや、腰に巻いたベルトにも立方体をした小物が固定されていた。数えきれない。
なるほど――使えるならば幾つでも良かったのか。
僕自身が魔道具をあまり使ってなかったから気づきもしなかった。まぁ、どちらにしろ僕には使えないから一緒だけど。
――魔道具……一体どれほどのものなのか。
危険であることは授業中にも何度も聞いたがどうしても楽しんでいる部分がある。僕の力がどこまで通用するかもこれを機に知っておきたい。
「まさか持っている魔道具はそれだけか?」
嘲笑混じりにシグム君は言った。
ああ、そうか――やっと気づく。僕が弱そうだから対戦相手に選んだ訳だ。納得行く理由である。
「はい、これだけです」と剣の柄を握りながら答える。
「なんだそのガラクタは? ない方がマシなんてことはないだろうな?」
「大丈夫です」
「ふん、ならいいさ。どうなっても文句は言うなよ」
講師が腕を突き出した。「試合開始!」という宣言と共に空を切る。
シグム君は剣を持って静かに近づいてきた。剣身は何らかの魔法が起動したのか青白く光っている。
「攻げ――……っ!」
攻撃魔法か、と呟くはずが唐突に喉を締め付けられて言葉が紡げなかった。
呼吸は整っている。ただ、声を発することができない。
「〈沈黙の盾〉だ。敗北を宣言することはできないぞ」
審判には聞こえない声、暗い笑みだ。
元より負けを認めるつもりはない。しかし、それだけのためにその盾を持ってきたとなると相当陰湿だと言わざる負えない。
彼はわかりやすいくらいに突撃して来た。
刃が肩口に迫る寸前で〈紋章剣〉を引き抜き、弧を描く。赤い残像が流れた。
コロン、という鉄の欠片が落ちる音――。
シグム君の剣は真っ二つになって青白い輝きは失われている。
対して、僕の持つ剣は血潮のような赤色に染まっていた。
「これは、テスラレクトの剣だぞ!? どうしてそんなゴミみたいな剣に壊される!?」
後退る彼を追撃するように一歩前に出ると「うわぁ!」と〈沈黙の盾〉を差し出してきた。カウンターがある様子もなく、冷静に卸した。三つに斬られた鉄塊が落ちる。同時に声も解放された。
「何だその剣は!」
「もらった剣ですよ」
剣を鞘にしまう中、持ち手を捨てた彼はリングにエネルギーを通した。
黄色の魔法陣が頭上に浮かび、雷が降り注いだ。横合いに飛び、回避すると今度は赤い魔法陣が三つ並ぶ。
シグム君の両手は腰の箱型の魔道具に乗っている。どれも同じ魔法が込められているのか。
「《火炎弾》!」
もう一度剣を引き抜いて横に振り払えば、途端に火炎の塊は二つに分かれてあらぬ方向に逸れていった。その後、再度剣は鞘にしまう。
「あの剣の間合いは伸びるのか!? くッ、《火炎砲》!」
腕のバングルを起点として先程のものより一回り大きい魔法陣が現れる。
正面から直径二メートルある火炎が迫ってきた。当然、この程度は斬り払えた。最期の一発のはずだが――しかし、シグム君の瞳は笑う。
「わかったぞ! その剣は威力は高いが一回の使用毎に鞘に込めなければならないんだろう!?」
雷の魔法陣が頭上に浮かんでいた。
魔道具――エネルギーを込めれば幾らでも使うことができる、か。
鞘に剣を込める時間はない。
依然として。腕を振り上げ、雷を魔法陣ごと斬り裂いた。
「なっ……!? どうして!?」
「鞘にしまっていたのは形を整えるためです」
掲げると〈紋章剣〉の剣身は揺らいで微妙に曲がっていることがよくわかる。エネルギーをそのまま刃にすることができるが制御が甘いとこうやって歪んでしまうのだ。
僕はシグム君の肩口に刃をあてる。
「条件は何でしたっけ」
「……私の負けだっ」
彼は悔しそうに地面を殴りつける。帯剣してステージを降りるとアテナさんを始めとした女子生徒達が僕の下に押し寄せてきた。
「素晴らしい試合でした!」
「身のこなしも学生とは思えませんわ! 魔法師団に推薦されるのでは?」
「後でお話でもしませんか!」
講師が「静粛に」と言うまで女子軍団の突撃は終わらなかった。
一段落したのは次の試合が始まってから。岩石を切り出してできた椅子に腰を下ろし、試合を眺めた。
シグム君との戦いでわかったが、学生は学生レベル。
この学園の中では僕は結構強い部類らしい。試合を見ている限り――隙だらけで魔法を発動して撃ち合っている光景を見る限り、魔道具でだいぶ左右されるのだろう。
「欠陥だらけの評価基準だな……そのシステムを作ったのは貴族か」
常識知らずの僕が勉強する分には便利だが、魔法に関してはとてもじゃないが実戦レベルを遥かに下回る。あれでは〈神獣〉も倒せない。鳥獣が関の山だ。
――それで成り立っているなら良いのかな?
国を守る貴族があんなふにゃふにゃだと心配にもなるが、一応安全なので何とも言えなかった。
そういえばAクラスでフィニスさんもこの試験を受けることになっているが大丈夫だろうか。
「クロムさん」
名前を呼ばれた。
「はい、何でしょう」
振り向くとツインテールを揺らすハインさんが立っていた。
「少しお話良いでしょうか?」
「……はい、大丈夫ですが」
「頼みたいことがあります」
耳元に囁くように言ってきた。