7.友達
◎
フィニスが〈ギルド〉に戻ったのは依頼開始から二時間後のことだった。
扉を開け放ち様子を窺う。右サイドに併設されている酒場の一席に双子姉妹ユウラとシエスが座っていた。その真ん中に受付嬢のエルラシア、周りにはこぞってムキムキの男が集まっている。
どうやらしっかりと見守っててくれたようだが……。
「ただいま、皆……」
「ただいまっ、お姉ちゃん!」「ただいま、お姉さん!」
「あ、おかえりなさいフィニスさん」
三人だけじゃなく、おっさん達も友達に送るような気軽な挨拶をしてきた。よくわからないが大歓迎だ。
当初危惧していた男共の乱痴気はなかったことのように、双子姉妹はその場に適応していた。それはそれでいいが置いてけぼり感を拭えないフィニス。ごにょごにょとユウラ、シエスに耳打ちしたエルラシアはフィニスを連れて受付台に向かった。
「で、どうでしたか? やっぱり〈神獣〉いましたか?」
「うん、いたよ。他にも色々いたけど……道中でガンフリット騎士見習いも着いて来たし全滅させたと思うよ」
「全滅って……ハウシアさんもウキウキだったでしょうね」
「それがそうでもなく、弱かったって嘆いてた」
「うわぁ……フィニスさんはそんなこと言わないですよね?」
「…………い、言わないよ…………?」
心の中で思っただけで――とも言えないけれど。
察したエルラシアは小さくため息を吐いて、付け加える。
「ガンフリットさんは騎士見習いは卒業しましたよ。一応新人騎士ですから……フィニスさんが気づかなかったということからも何があったかは想像できそうですが」
「い、いやそれは、ハウシアが見習いみたいなこと言うからで…………本人もね?」
責任転嫁してみたものの苦しい言い訳である。結局、起きたことを洗いざらい話すと開けた口が塞がらず、ついには卒倒される始末だった。受付の裏側に回ってエルラシアを介抱する。
「エルラ! 急にどうしたの? しっかりしてよ」
「私もしっかりしたいけど……〈使徒〉って何? もう止めてよ……私を追い詰めるのは……」
「訊かれたから答えたんだけど」
脇に腕を通して起き上がらせていると、〈ギルド〉の扉が開いた。大剣を背負った藍髪少女――ハウシアが布袋を手に現れる。チャリンチャリンと金属の擦れる音に誰もが振り返った。領主邸宅から帰ってきたようだ。
エルラシアを連れながらハウシアの正面に立つフィニス。
「どしたのエルちゃん?」
「う、うぅ……」
「ちょっと疲れてるみたい」
「ふぅん、健康には気をつけて欲しいね。で、これ金貨一〇枚」
無造作に袋をひっくり返すものだから反射的にエルラシアを離して両手を器にする。一〇枚どころか三〇枚分積み上がった。
嬉しそうに笑んだハウシアが言う。
「六〇枚ももらっちゃったんだよね」
「こんなに!? もうしばらく働かなくても良さそう……うますぎる……」
「その思考はヤバいですフィニスさん」
「あ、エルラ……落としてごめん」
「い、いえ、もう大丈夫なのでご心配とご迷惑をお掛けしました。ですが二人とも無事に帰ってきて良かったです。〈神獣〉相手となると大怪我は当たり前の世界なので」
スカートに着いた埃を払いながしみじみとエルラシアは言う。
「帰ってこなかったらあの双子をどうしようかと思いましたよ。というか行きずりの仲なんですってね? よくもまぁ、養おうと決められましたね」
「養わないよ。彼女達も〈王国都市〉に行くって言うから一緒に過ごしているだけだよ」
「はぁ、そうなんですね」
エルラシアは一応納得して頷いた。
対して正面の女性は目を丸くしてフィニスに詰め寄った。ドーン、と胸がぶつかりあって変形している――とエルラシアは顔を赤くしながら思っていた。
「もしかして、もう行くの!? フィニスちゃん!?」
「元々そういうつもりだったからね。〈王国都市〉に絶対会わなくちゃいけない人がいるんだ。ユウラとシエスも急いでるみたいだし」
「……荷物を届けるんでしたっけ。さっき聞きました」
「そ、そんなぁ……運命の出会いだと思ったのに……」
「今生の別れでもないんですからいいでしょうよハウシアさん。自棄になって暴れないでくださいよ」
エルラシアの何気ない台詞に胸がチクリと痛んだ。
今生の別れ――正直、あながち間違った表現でない。ほんの二年まったく会わなかっただけで実現してしまうのだ。
だが、それを実現させないためにも行かなければならない。フィニスはでき得る限りの精一杯の作り笑顔でもってハウシアに向き直る。
「すぐまた会えるから落ち込まないで、ね?」
「もうっ、しょうがないなぁ! 可愛いから許す!」
抱き着くとさらに胴体と胴体の間にあるあれが、すごい勢いで変形していくのをエルラシアは驚愕の瞳で見ていた。すごい人が二人集まるだけですごいな、と悪しき妄想が広がっていくことに彼女は気づかない。
フィニスは〈ギルド〉局員と、メンバーに別れの挨拶を済ませると双子姉妹ユウラとシエスの手を取って、宿屋に向かった。空は夕方らしいオレンジ色の染まり、一日の終わりはすぐにやって来る。
第一区に市街地の〈北青一番〉という宿屋。数時間ぶりに木製の扉を開いた。お金があるという意識から、前回より手にかかる重さが軽いように思える。
「いらっしゃーい!」という大きな声も二回目だ。受付のおばさんはすぐにフィニス達のことに気づいて訊いてくる。
「えぇ? 首尾の方はどうだった? お金は工面できそう?」
「はい、ちゃんと稼いできました。銀貨二枚でしたよね……金貨でお支払いします」
「はいよ。夕食、朝食はいる?」
「じゃあ、頂きますね」
「銀貨四枚ね」
「はい……」
ちゃっかり回収されつつも、つつがなく一部屋借りることができた。鍵の受け渡しと食事の時間をばあさんに聞いた後、宿舎二階一番奥の一室へ向かう。
部屋の間取りはシンプルで、ベッド、机と椅子があるだけで機能性を極めている。基本的に旅人が泊まる宿なのでそれも当たり前であるが子ども二人と泊まるには退屈だった。
「ベッド一つしかないね……」
「うん」「はい」
壁際に荷物を置いて、どこに座ろうかでしばらくうろうろした後、椅子を引いて腰を下ろした。ギルドで〈神覇王国〉の地図を手に入れたので机の上で開く。
現在フィニスらがいる〈北青都市〉は円形に壁を打建てた構造都市をしている。上部は街並みが広がっており、下部は主に領主の屋敷が多くの面積を陣取っている。貴族、領主が住んでいるらしいが詳しいところは安全面を考慮してか地図にも載っていない。
そこからさらに南に下ると〈王国都市〉がある。これまた円形を為しており、東西南北合わせて上から見ると変わった形だ。
『飛んで三時間ってとこじゃない?』俯瞰する女神がフィニスの飛行スピードを概算して答えた。『それより都市を出る時に何か手続きあるんじゃない? 明日ギルドの受付嬢に訊いてみれば?』
「ガンフリットさんじゃダメなの?」
『……男はやめておきましょう。あなた非常識だから無意識に誘惑しちゃうもの』
「そんなことないと思うけど」
『気づいてないのがもうダメよ……昔から言ってるでしょ? 自覚しなさいよって』
「ええぇ……謙虚にしろっていつも言ってたじゃん……」
『可愛い女の子が性格悪いって屑じゃん』
女神ウェヌスの容赦ない教育により、フィニスが性悪になることはなかったが対人関係に関しては自意識過小らしい。己の美貌の使い方を知らずに成長してしまった少女は誰にでも愛想を良くしてしまう。誘惑と判断されてしまうこともあった。不用意に接触したり――と。
「性格良いに越したことはないでしょ」
文句を垂れながら椅子で伸びをした際、ベッドに腰かけて隣り合っている双子が何とも言えない視線を彼女に向けていた。どうしたんだろう――とフィニスが思っていると。
『独り言だと思われてたんじゃない?』
「あっ」
壁に向かって会話する変な人にしか見えない事実に気づき、すぐに弁解を試みるが何と言えばいいのかわからず、しどろもどろになる。
「いや、さっきのは独り言じゃなくて、その……ちゃんとしたやつだから!」
「…………」「…………」
「…………気にしないで…………」
本当に意味がわからない、という真顔を向けられてしまえば言い訳をする気力もなくなることを学んだフィニス氏は、椅子に座り直し話題を転換する。
明日の予定、そして〈王国都市〉に着いた後の話。
「明日のことなんだけどさ九時くらいに出発でいいかな?」
「うん、わかった」とユウラがサイドポニーを縦に揺らして答える。「ありがとうお姉ちゃん」
「ど、どういたしましてっ」
お礼されるのも慣れておらず若干にやけつつの受け答えるフィニスに、もう一人のサイドポニーのシエスが問い掛けてくる。
「お姉さんはどうして私達を助けてくれんですか? 今日出会ったばかりなのに……」
その顔は深刻そのもので、彼女が意外に神経質な性格をしていると思わせられる。一〇あたりの少女の抱く感情ではないだろう。双子といえど、似るのは見た目だけなのかユウラとは正反対とばかりだ。
しかし――シエスの抱く疑問は尤もで、初対面の人間を信用するというのは言葉以上に難しい。草原で獣に襲われているところを助けてくれた彼女は一緒に北の都市までやって来た。そして、宿まで世話をしている。
知らない他人にできることじゃない、それが世間一般の意見。
『人を助けるのにも理由がいる……ってことね。平和な時代ならでは感性なのかしら。どうするの? あなたが助けた理由は私も知らないわ』
ウェヌスも興味深そうな視線をフィニスに向けた。
「私は……」
理由。
すべての行動に理由がある訳ではない。常に理由を思考しながら行動している人間もまたいない。特異な出生、生活をしてきたフィニスもその例に漏れない。
だが――必ずしも理由はなくとも因果はある。
今までフィニスエアルの助けたことある人物は二人しかいない。
両親のみ。彼女の住んでいた村には親以外の大人がいなかった。世間一般の当たり前が通用しない世界。彼女の助けとは家族への助けでしかないのだ。
他人への気遣いは知らない人生。
それが普通じゃないこともわかっていた。だからこそ。
「――私はね、多分、誰かと話したかったんだと思う。知らない人と……いや違うかな。欲しかったの、友達が……」
「友達……?」
シエスも予想外の答えで訊き返してしまう。
ゆっくりとフィニスは頷いた。
「うん、だから二人と友達になりたい……です……」
と、チラッと青い方の双子を見る。あまり伝わっていないような円らな瞳が返ってきたので、若干頬が熱くなって朱に染まる。
「う、うぅ……何か返事をください……」
「は、はいっ、私も友達になりたいですっ」
「私もお姉ちゃんと友達になりたい!」
「……二人ともありがとう」
かみしめるように抱き合った三人からあえて目を逸らした女神は窓際から夕暮れに照らされた街を眺めた。
『まったく。恥ずかしいもの見せつけちゃって』
涙ぐんだりはしないものの、嬉しみはあって頬が緩んでいた。
丁度、貴族街に建てられている大鐘が打ち鳴らされる。都市一帯を包み込む立体重低音に応じて日が沈み、やがて黒に包まれた。