20.白龍の儀式
◎
大樹崩壊の少し前――フィニスは三人と別れた後、草原地帯から跳躍し、森林を飛び越え、〈エクス・クレルト〉の上空に辿り着いた。
目下に広がるマゼンタの鳥籠を義眼で睨む。義眼の《視界調整》の魔法で内部まで見通す。映ったのは胸を抑えて苦しむ村人の姿。
――エネルギーが吸われてる……?
集落の端から端までさらに視線を巡らせるが、探していたものは見つからなかった。
「まさか――〈人型災害〉は起動して逃げた!?」
では、どこにいるのか。
急いで鳥籠の外に探索範囲を広げると、巨体が遠くに離れていることがわかる。フィニスを足止めするためにわざと〈朧美月〉を起動して逃げたのだ。
フィニスも〈人型災害〉にそこまでの知能があることを予想していなかった。
「どっちに行くべきか……!」
檻を破壊するか、すぐに災害を追うか。
〈人型災害〉は既に追いつけるか追いつけないかの距離にまで逃げている。一〇秒ほどで鳥籠を破壊し尽くすことができたとしても、ギリギリになる。
人々の生気が吸い込まれるまでにクロム達が〈朧美月〉を破壊できる保証もない。
刹那の慟哭――フィニスは魔法陣の先から〈戦騎神剣〉を取り出し、魔眼で小さくなった〈人型災害〉を捉える。
「ここは任せて先に行く!」
フィニスは蓄積してきたエネルギーを推進力に驚異的なスピードで災害に迫る。〈人型災害〉の頭上に来ると〈神剣〉で振り下ろして森林に振り落とした。
大木を折りながら地面に転がる災害に蹴りを叩き込んで追撃する。川辺に砂利に埋まるように倒れた黒い塊に引導を渡す。
「ここであなたを葬ると森が消えるから――」
剣を持つ手とは逆の手には銀色のカードが挟まっていた。
〈人型災害〉も使っていた結界カードと同種のマジックアイテム。当然、種類が違えば〈月下夜桜〉とは画するスキルが発動する。
「――ここで終わらせるよ。〈虚無世界〉」
カードが砕けると瞬く間に世界が塗り替わる。
冷たい川、削れた岩石、生い茂った森の全てが消失して果てなき真っ白な世界が構築された。空も地上も存在しないため、距離という概念も曖昧だ。
この空間は、世界の主以外の魔法を一切禁止するという権能がある。ただの膂力で戦闘を繰り広げる〈人型災害〉とは相性が悪いが、フィニスは周りへ被害を出さないためだけに使った。
逃げられないと悟って襲い掛かって来る〈人型災害〉を横目に、〈白龍紋〉と〈神剣〉にエネルギーを込める。
フィニスは黒き剛腕をひらり、とかわした。
〈神剣〉の刃を紋章の輝く右手で撫でると、剣身に透き通る白い煙が纏われる。その刃を首元に押し当てた。黄金の血液が剣身を走り、相乗的に膨大なエネルギーが刃に収束する。
背後から脳天を撃ち抜かんと拳を振るう〈人型災害〉へ――。
「《黄金・白龍斬》」
振り向き様に、交錯しながら一太刀薙いだ。刃に纏われた白輝黄金が泡沫のように静まった。
鞘にしまうが如く、魔法陣の中に収納する。
「ガ……アアア――」
縦に一刀両断された〈人型災害〉は線が刻まれたまま動きを止めた。やがて、真っ黒な表皮がボロボロと崩れた。殻が破れ、白い素体が覗く。二つの矛盾生物が生という罪から解放されたことによって本来の姿が露わになったのだ。
そこに〈白龍紋〉をかざすと、融合した二つの生命が一つと一つに分かれる。人型スピリッツと〈人型神獣〉が背中合わせに座った。光の塵となって消えていく。
フィニスが踵を返したところで〈虚無世界〉が解除された。冷たさを感じたと思ったら、川の真ん中に立っていた。
「……さよならさん、〈人型災害〉」
人類を脅かす災禍であり、以前大怪我を追わせられたというのにフィニスは何故か悲しく思えた。こんな呆気なく終わらせてしまって良かったのか――まるで歴史を冒涜しているような気がした。〈エクス・クレルト〉の負の歴史もここで潰えるのだ。
大きなことしちゃったな――と適当に思っている辺りはいつもと変わらないのだが。
ピンポイントで人類を殺戮したということで規模こそ狭いものの天災と同等の扱いを受けた概念を滅ぼしたことの価値を理解できていない。その辺りは実際に目の当たりにしていないからかもしれないが。
「鳥籠が解除されたか」
一息吐いて、肩を大きく竦めた。使命を果たし、村人もギリギリ生きている。フィニスのやるべきことは全て終わった。
「じゃあ戻りますかっ」
伸びをして、静まった森林に踏み入った。樹木の葉っぱにより視界は陰っている。快晴の空も見通すことはできない。
◎
大樹と一体化した魔道具を破壊した僕らは、外に出て空を見上げる。〈朧美月〉から降りていた赤紫の光線群が薄まって、やがて途切れた。
同時に〈エクス・クレルト〉を見守っていた青い月の光も失われる。灰色に染まった。
「間に合ったかな?」
「大丈夫だよ」
僕を支えてティラが言った。
「あそこにいる人達は強いから。あんなんじゃ死なないよ」
「そう、だね……そんな気がする」
村長は八〇歳を超えるというのにあんな厳つくガンを飛ばしてくるくらいだ。アルカちゃんとかは少し心配ではあるが。
正直、心配よりも左腕の痛みの方が大きい。意識を集中していないと思考が止まってしまう。早急に治療しなければまずい。こんな眠るように死にたくはない。
「あんな頑張ったのに誰にも知られないんだよなー」クラドが笑いながら言う。「英雄みたいじゃね?」
「ほとんどフィニスさんの手柄みたなものですけどね」
「それな」
クラドが笑うと、セラスも釣られて微笑んだ。多分、僕も。
黒鎧の残骸を通り過ぎて、村へ帰る。そうして顔を上げて僕は思わず首を傾げた。
気のせいか。血が足りてないのかもしれない。いや――。
「えっと……心なしか月が…………落ちて来てるように見えるんだけど」
「そんなことある訳ないでしょ? 血が足りてないんじゃないの?」
嫌な予感を抱かせる言い回しをしてティラが空を見る。セラスとクラドも同じように。
「うわ」ティラの端的に状況を表した声により確定した。「落ちてきてるじゃんあれどうすんの!?」
「そうだね……逃げるしかないんじゃないかな」
〈朧美月〉は村の頭上に常に浮いており、そこまで距離は遠くないが、実際の月と同じ大きさに見える。比べれば一回り、二回り小さいのだが、それでも人間が止めるには大き過ぎる。
言ってしまえば、直径だけで村を覆い尽くしている。
「落下まで五分ほどですか……スピリッツを使ったとしても間に合うか微妙そうですね」
「ならまず、村に行くか、逃げるか決めよう」
セラスの意見を訊いたクラドが僕らに問う。
「私は村に行く」とティラは即答した。
対してセラスは「逃げるべきです」と言う。
「俺はどちらでも良い」と堂々と言ったクラドは顰蹙を買って女性陣二名に殴られた末、逃げた方が良い気が……と涙目に意見を変えた。
三人の視線が僕に向かう。まるで僕の意見が全体の決断になるかのように錯覚してしまいそうになる。
――フィニスさんならどうにかできるかもしれない。
だけど、彼女はここにはいない。今頃〈人型災害〉と死闘を交えているかもしれない。
頼ってばかりじゃいられない。僕ができることは何だ?
「――何ができるかわからないけど、僕は〈エクス・クレルト〉に帰る」
「じゃ、帰ろうよ」
「いたたたっ……!」
腕を無理矢理引こうとするので神経をつままれたような激痛が走る。
セラスはわざとらしくため息を吐いた。
「そんな気がしましたよ、クロム君は優しいですから」
「優しいなんてつもりはないよ」
「なら、私だけがそう思っておくことにしますよ」
僕の耳元で囁くものだから背筋が震えた。
その時、ティラが「私も思ってるし」と小さくぼやいたのも聞こえている。
正面入口に着くと、中央広場に村民が集まっており、村長が声を張り上げていた。
「言うまでもないが〈朧美月〉が落ちてきている! 村を守るため、立ち向かうぞ!」
おおおおお、と男共の声援が応えた。雰囲気に飲まれて女性陣もぐっと拳を握っている。
できるだけ逃がす、という僕の計画は打ち砕かれた形だ。
「あの馬鹿共ッ!」
「せ、セラス……?」
「現実見ろよ、老害虫! とっとと逃げろよ肝心な時に使えない奴らッ!」
「……………………」
うん、見てないことにしよう――ティラ、クラドとアイコンタクトしてそう決め込んだ。言及したら僕らも標的になりそうだから。
現実味のない作戦ではある。しかし、数百人が一意に団結することによって発揮するパワーは予想以上のものだった。
家屋の屋根に立った村長が叫ぶ。
「飛行可能なスピリッツ! 総員突撃! 地上か部隊は援護射撃用意!」
それだけで数十のスピリッツが一直線に月面に張り付いた。だが、僅かも動きが止まった様子はない。続いて「砲撃!」と様々な色の光が線となって〈朧美月〉に撃ちあがるも、表面に傷がつく程度だった。
しかし、素晴らしい眺望でもある。
戦士団以外の数百のスピリッツを見るなんて機会は普通はない。それにモデルとなった生物が同じものがあっても、色が同じものはない。全く同じスピリッツは一つとしてなく、この虹色が〈エクス・クレルト〉の全てを体現している。
こんな光景が見れるなんて――こんな時に不謹慎だが、感動していた。皆に応えたい、と思ってしまった。
「――もう、月を止めるしかないみたいだ。なら、僕も――」
――〈エクス・クレルト〉の一人として。
〈赤狼紋〉を起動してスピリッツ体に変身し、脚部にエネルギーに集中する。赤い線を引きながら〈朧美月〉に向けて跳躍した。滞空中に貯めたエネルギーを纏わせた三本爪を引き絞り、月面に解放する。
根本まで爪が埋まったことで天井に四肢を突き立てることができた。その際、月の砂がサラサラ、と零れる。
「壊せないなら小さくすれば良いだけだ!」
「クロムに続けェ!」という掛け声と共に一斉にスピリッツ達が月に突っ込んだ。飛べない者は飛行型スピリッツに抱えられて月面に拳を叩きつけた。
端も見えないほど大きい物体を相手取ってだ、できる訳がない。だけど、誰もそんなことは思っていない。全員が本気で星を砕こうとしている。
セラスじゃなくても大馬鹿野郎だと思う。だけど、この瞬間だけは――。
スピリッツ達は落下する〈朧美月〉振り落とされた。加速度的に速まった月は地面と激突するまで残り数分だ。
周りを見渡す。全員が空を見上げ、俯く人は誰一人としていなかった。目の前まで迫ってきた月に両手を掲げる。スピリッツも、紋章を持たない者も希望を抱いて手を伸ばした。
僕も壊れた左腕の分も含めて右腕を上げる。ティラも、セラスも、クラドも村長も……。
立ち昇ったスピリッツのエネルギーは混ざり合って極彩色の柱と化して月面と繋がることで一つになる。僅かに速度は落ちたが、やはり止めることは叶わない。
空を覆い尽くす天蓋となった〈朧美月〉により徐々に視界が薄暗く。
「きっと大丈夫」
根拠はない。だけど、死ぬなんて微塵も考えられなかった。
鈴を転がすような声が聞こえてくる――その時、咆哮する白龍が僕達目掛けて飛来して皆の身体を通り抜けた。その瞬間、身体の芯から途方もない力が沸き上がった。
――白龍の儀式。
白輝は〈朧美月〉を覆い尽くし、落下を止めると、そのまま空に向けてふわりと浮かび上がった。光に包まれた月は陥没して、崩壊を開始した。徐々に狭まって、一点の光の球と化す。
やがて、木の枝を折ったような軽い音が鳴って、球体は崩れて消えた。
遥か太古から〈エクス・クレルト〉を見下ろしていた〈朧美月〉はなくなり、何にも遮られない空は澄み渡るほどの快晴だった。
僕は飽きるまでずっと青空を見詰める。周りから上がる歓喜を聞きながら僕は笑った。
「ようやく終わった。いや、始まったんだ――」