17.血統万来
「セラス、クラド! 耐えててくれ!」
ほんの数メートル先から少年の声が聞こえた。
セラスは間近で揺れる地面に意識を傾けながら、少年の名前を呼ぶ。
「クロム君!?」
伸ばした手も空しくクロムは視界から消え、代わりに現れたのは全長一〇メートルはある黄色をした〈神獣〉――〈狼型神獣〉だった。
狼の赤色の三白眼が目下に立つセラスを殺意を持って睨みつける。
恐怖。驚異。動揺。
全ての感情を圧縮し、叫んだ。鷲を模した紫色の紋章が首筋に浮んでいた。
「〈紫鷲紋〉!」
全身がスピリッツ体に入れ替わったと同時に蹴りを〈神獣〉の顔面に見舞う。ドゴオオオ――とけたたましい音と共に〈神獣〉の身体が倒れた。獣の顔面はぐしゃぐしゃ、に消し飛んでいる。
鷲の紋章は飛行能力と、脚力に特化した性能を持つ。その一撃は〈神獣〉を軽々粉々にするポテンシャルを有す。
地面の亀裂は続々と広がって無数の獣が姿を現し、もはやフィニスの居場所はわからない。
セラスは空を見上げる。
真っ黒なカーテンが大空を遮った。正確には〈虫型神獣〉の大軍。全長三メートルもある〈神獣〉が万単位で群を作って空を覆っていた。
「回避は不能!? ここまでは予想できないでしょ! ……ッ、クラド! 背中合わせに!」
「おう!」
既に〈空亀紋〉のスピリッツ化をしているクラドと背中合わせになって、迫って来る〈神獣〉を屠る。
セラスはトンボのように空中滑空する〈虫型〉を次々蹴り上げる。
クラドは圧倒的硬度を誇る盾を用いて〈狼型〉のボディを破壊する。
目まぐるしい戦闘が繰り広げられた。死んだ〈神獣〉が続々と霧散する。
減ることのない〈神獣〉の軍勢の中から出てきたのは真っ白なのっぺらぼう――三対の羽根を抱えた布を巻き付けたような女体。
セラス達は知る由もないがそれは〈神獣〉のを生み出すことのできる〈神〉の眷属の〈使徒〉である。
セラスに標的を定めた〈使徒〉が青い光弾を放った。
翼を広げて回避したセラスは勢いそのままオーバーヘッド気味の蹴りをのっぺらぼうに叩き込んだ。返ってきた感触は硬い、内部に衝撃は伝わっていない。
攻撃が通ってないことを悟って距離を取り、警戒心を強める。
「何あれ……こんなの見たことない。文献にも……」
「――!」〈使徒〉は高音の咆哮をあげ、数十に渡る青き光弾を自らの周りに装填する。一斉にセラス目掛けて放射。
紫の翼を震わせ、上空に回避する。だが、完全に避けきる前に弾道の軌道が曲がった。
「ぐッ! ――くあッ」
片翼を強引に振る。直撃は避けたものの、抉るように迫った光弾は腹部を掠った。装甲版が溶けて内部にも刺すような熱が通った。
無理な挙動の反動を受けて墜落するセラスに無数の光弾が降り注ぐ。
噴火を思わせる煙霧を伴う爆発が巻き起こった。
――
首筋から金色の血液が流れる。
血の匂いに引き寄せられたサメが如く、〈神獣〉がフィニスに押し寄せる。数えきれないほどの獣が地上に飛び出た。種類によって色の違う〈神獣〉がこうも揃うとある意味絶景だった。地獄絵図という意味でだが。
「〈神獣〉どころか〈使徒〉まで出張って来るかぁ」
空を突っ切るのは〈鷲型神獣〉だけでなく、三対の白い翼を生やした女体も。
本命はそれではない。
血液に加えて〈白龍紋〉も起動する。右手の甲を空に掲げた。
耳を澄ますと、こちらに向かってくる〈神獣〉と三人の〈エクス・クレルト〉の戦士達の戦闘が始まったことがわかる。そのまま意識を傾け、高速で接近する生物に注目する。
フィニスを影が覆った――瞬間、〈神剣〉を頭上に振り被った。
白金の剣はキイィィィィィィィン――と〈人型災害〉から繰り出された黒の刃を半ばで斬り落とす。
「――終わりにしようか、災害!」
巨体に宣言し、返す剣で《物理循環》を纏った刃を振り下ろす。
「グギァアアアアア――!」
暗黒の拳が剣身の側面、目掛けて速度の乗ったストレートが突き刺さる。
白金の斬撃が煌めく。
寸前で〈人型災害〉身を引いた。〈神剣〉の一撃は薄皮一枚を斬り裂き、靄を霧散するに留まる。
「……エネルギーを吸収された瞬間に避けたか。これは第二形態だな」
殺意を撒き散らすのは同じだが、紙一重を逃さない人間的な動きだった。前回、森林で追い詰めた後になった状態だ。
どこかの拳法の構えを取った〈人型災害〉は油断なくフィニスを見据える。先程のような好機はもうないだろう。
――だけど、攻撃が通る……。
果てしない防御力を感じた前回だったが、フィニスには確実な手応えがあった。
当たれば真っ二つ、と。
「《戦刃》!」
刃が剣呑な赤色に瞬き、剣閃を描く。一呼吸の内に〈人型災害〉の全身を幾千回斬り刻む。しかし、瞬時に治癒して飛び込んできた。
半身になって空気を削らんばかりの拳を避け、胸部に〈神剣〉を突き刺す。
「行けッ、〈白龍紋〉!」
「グアアアアアアアアアアアアアア――!」
頭部から顎にかけてに亀裂が走った。治癒速度が遅い。
怯んでいる隙に刺さったままの剣を持ち上げ、迫ってきた〈神獣〉に向けて放り投げた。砲弾のように〈神獣〉を撃ち抜いた。
「ふっ~」と息を吐く。頬に一滴、汗が流れた。
攻めているとは言っても、気を抜いて相手はできない。だからこそ、全身全霊で相手をする。
「早々に決めさせてもらうよ。〈白龍紋〉第二段階の力……!」
フィニスに流れるエネルギーの本流が右手に集約する。白色のオーラが柱のように噴き上がり、紋章が狂わんばかりに暴れ出す。龍は前腕にまで伸びてきた。
「吹っ飛べ――……」
その瞬間、世界が塗り替えられる。
「え?」
掌を向けたと同時に世界は反転したのだ。
地平線から暗闇が昇り、空の彩りを覆い尽くした。無窮の空を星が煌めき、黄色の三日月が世界を照らす。
フィニスの視界に映ったのは桃色の花弁を持つ樹木の並木道だった。突風が吹きすさぶと花弁はカーペットのように石畳を覆う。
その先にいるのはあらゆる光輝を飲み込まんとする災害。
「なるほど……」フィニスは紋章を減衰させた。「まさか結界のカードを使ってくるとは、完全に予想外だ!」
声色は低い、ただし、口元には笑みが張り付いていた。
「こうでなくちゃ面白くない!」
右眼が桃色に染まった。一〇枚の花弁が瞳に浮かんだ。
キ゚ッ、と睨みつける。不可解なエネルギーに押し出された〈人型災害〉がロケットのように飛んで行く。
「〈支配の魔眼〉……さぁ、第二ラウンドを始めようか」
◎
三対の翼を生やした女体は次々と〈鷲型神獣〉を撃ち落とした。それは空を飛ぶことのできない僕が利用できる地面が失われることを意味している。
青白い光の球が鷲の背面に着弾すると同時に僕は幾度目かの跳躍を試みた。一〇回も続けていれば空気抵抗の具合もわかってくる。爆風に煽られても安定して着地することができる。
その間に攻撃もしたが下手な威力だと触れただけ打ち消された。
出し惜しみはできない。
「《赤赫狼王》」
銀色のオーラが全身を包み、身体能力が飛躍的に向上する。
天使は攻撃こそ尋常じゃないが、動きは〈神獣〉と同じように単調。動きを読むのは簡単、防御力を超えれば倒せない相手ではない。
のっぺらぼうの女体が青い光弾を放つと同時に、巨大な鷲の背面を走り抜ける。その先端で跳躍して三本の刃を銀色に染める。
交錯は刹那――確かな手応えと共に、天使は粒子となって崩れ去った。
「とはいえ」
飛んだ先に〈鷲型神獣〉はいないので法則に従って自由落下する。
下方に渦巻いている〈虫型神獣〉の群体に飛び込んで、威力を殺す。
「うおおおおおッ!」
両腕に銀色のエネルギーを収束させて着地に瞬間に振り下ろす。落下の力とスピリッツの力がぶつかり合うことで爆発が巻き起こった。
僕は凹んだ大地を踏み締めて、草原に降り立った。
身体強化スキルの《赤赫狼王》が解除される、しばらくは使用できない。
フィニスさんは大丈夫として、セラスとクラドはどうか。〈神獣〉が押し寄せて見通せない場所がある。そこにいるはずだ。
狼人の脚力を活かし、平原を駆け抜けた。
「《赤狼血喰式》!」
壁のように存在している〈神獣〉を狩りながら中心部へと進む。威力と射程は獣を裂く毎に強化され、一〇〇を超えてからは抵抗なく切断していった。
先の光景は――セラスが右手を三対の翼を持った女体に突き刺しているシーンだった。
こんなに焦らなくても良かったかもしれない――そう思わせる現実が広がっていた。クラドも善戦し、次々と〈神獣〉を屠る。合流して押し迫る獣を粉砕した。
合流すると戦況はこちら側に傾いてくる。
不意に、遠くから聞こえていた重々しい音が止んだ――。
「フィニスさん……」
「彼女が負けることはないでしょう。きっと小細工をしたんです」
「それなら良いけど」
――
〈人型災害〉の展開した魔道具によって展開した結界〈月下夜桜〉の効果は舞った花弁に潜ることで、別に座標に存在する花弁から出ることができるという転移スキルだ。
〈神剣〉を構えるフィニスの前に桜が舞い散った。
埋め尽くされる視界を斬り裂いた先に〈人型災害〉の巨体はない。
エネルギー操作を応用して全方位を探索するも、花弁が無作為に舞うだけで災害の姿形は捉えられなかった。
「そういう効果か……」
指先ほどの桃色の欠片がフィニスの足元に落ちた。
見えていた石畳が完全に埋まった――瞬間、黒い腕が細い足を掴んだ。
「んあっ!?」気づいた時には状態は浮いており、地面に叩きつけられるように投擲された。一回バウンドして安全に着地する。
顔を上げた先に〈人型災害〉はいなかった。代わりに桜の花弁が大量に落ちる。
「桜に潜るってことか……――!」
突風が吹き荒れ、石畳の左右を挟むように並んだ桜が揺さぶられた。煽られた枝が次々と桃色を投下する。桜の雨が降り注ぐ。
――防御するしかないか。
フィニスが全身に《物理循環》を強固に纏って身構える。
花弁のその先を見据えた。黒い影は見えなかったが、光が見える。この結界に存在し得る光源は三日月のみ。
それが光線であることに気づいたのは真っ先に迫って来た時だった。生じ得る音や熱までの吸収していたために気づくのは遅れた。
そうでなくとも災害が魔法のようなものを使うのは意外だった。
「くッ、〈支配の魔眼〉!」
魔法と魔眼で圧縮砲弾を打ち消す。徐々に失速した光線は明滅し、粒子になって消えていく。視界に入った花弁も纏めて消し飛んだ。
その直後、背後に影が躍った――桜の木々に紛れた〈人型災害〉がフィニスの首元に嚙みついたのだ。
鋭い歯が白い肌に突き立つものの、侵攻は表面で止まる。
「私の血管には常に《物理循環》が働いてる。加えて防御もしている。少しだけど血統を使ってるから絶好調だし、ここまで来たらどんな攻撃も効かない」
フィニスは振り払って、顔面を掴むと石造りの地面に叩きつけた。その際、先程吸収したエネルギーをぶち込むのも忘れない。
〈支配の魔眼〉の阻害に加えて、首に〈神剣〉を突き立てることで拘束し、右腕を振り上げる。
「〈白龍紋〉! 目覚めろッ!」
立ち昇った光に全身が包まれ、人間の肉体が再構成される。光輝の柱から飛び出たのは全長五〇メートルにも達する白色の龍だった。透き通るような鱗の並ぶ壮麗な龍こそがフィニスの再構成された姿。
〈白龍紋〉に封じられていた力とは神話生物である龍そのものになるものだった。
「ギャアアアアアアア――ッ!」
暴れる〈人型災害〉を口の中に含んで、尖った歯を合わせれば、耳を塞ぎたくなる酷い音が鳴った。襤褸雑巾の様そうを呈す災害を咥えたまま三日月に向かって龍は飛来する。
――《白龍砲》。
爆発的エネルギーを有す光線をゼロ距離で放つ。龍を模す金色の咆哮は結界の境界までずっと伸びていき、結界世界を崩壊まで追い込んだ。世界の亀裂は瞬く間に広がり、桜が塵となって消失すると、視界は元の高原に戻った。
同時に紋章を解除したフィニスは〈神剣〉を掴みながら立ち尽くす。
「……逃げられた。まさか――ここまでの知能を有してるとは……いや、当たり前なんだけどさ」
強い者から逃げるという本能――生物として当たり前に持っている性質だが災害が持っているとなると色づきは変わる。討伐が厄介になる。あちらからはもうフィニスに近づくことはない。
「逃がさないけどね」
地面を蹴った少女は痕跡を辿るように空を突っ切る。
――
この戦乱一の規模の爆発が起き、黄金の光が辺り一帯に撒き散らされた。
辛うじて開いた瞳に映ったのは、浄化されるように消える幾重もの〈神獣〉の姿だった。
そして、僕の身体は暖かさに包まれる。
不思議な気持ちだ。どうやら紋章が共鳴を起こして活性化しているようだ。多分、というかほぼ確実に〈白龍紋〉の真なる力だろう。
「使いこなせたんだ……」
太陽にも勝らん光輝が止むと、いつも通りの平和な高原があった。
セラスやクラドも同じように辺りを見回している。〈神獣〉が一つ残らず消えるなんて現実味のない事象だ。普通は信じられない。
だけど……――空を見上げると、金色の少女がこちらに向かって手を振っていた。
僕らは紋章を解除して落下地点に集まった。
「お疲れ」
気軽に言うフィニスさんに怪我はないようだ。
「はい、何とか」
「〈人型災害〉を倒したんですね?」とセラスが尋ねる。
「うん」とフィニスさんは自信満々に頷き、「逃げられた」と答えた。
「はあああああぁ!?」
セラスはフィニスさんに掴みかかろうとしたものの、不意にバランスを崩してしまったので受け止めた。
「大丈夫?」
「え、ええ……それよりも〈人型災害〉です」
「〈白龍紋〉をぶつけたんだけど、逃がしちゃってね。正直、呆れているというか驚いてるよ」
状況も状況だけに困った風にフィニスさんは言った。
「あの光を真正面から受けて、逃走できるなんて……まさに化物ですね」
「でも、無傷って訳じゃないはずだから次で倒せると思う。問題はどこに逃げたかがわからないこと。今までの〈人型災害〉とは違う動きだから予想できないんだよね」
それは僕らとしてもまずい。ここで逃げられると臨岸公国に〈エクス・クレルト〉が滅ぼされる可能性がある。
「〈人型災害〉は恐怖して逃げたんですか?」
僕の質問に対し、目を丸くしたがすぐに答えてくれた。
「違うと思う。人か獣かで言えば、獣に寄ってるから」
この場合、獣と言うのは〈神獣〉のこと。
しかし、〈神獣〉に寄っていると言うのならその本懐を果たすのも当然の行動か?
「村を狙ってるんじゃ?」
「え、まさか……」
どうしてか、フィニスさんは驚きを見せる。
「どういうことですか?」
「……村には〈人型災害〉に特化した結界があるはずだから……」
「そんなものあったか?」呟いたのは今まで沈黙していたクラドだった。「村長、そんなこと言ってたか?」
「知らなかったんだろうね。できたのは何百年前だよ……〈人型災害〉自身もそれを知ってるから直接攻撃をしなかったはずなんだけど……」
「タガが外れたとか?」
簡潔に、セラスが訊くと。
「ありかなしかで言えばあり、かな」
「村が滅ぼされるのが最悪なケースなので、とりあえず向かいましょうか」
そう提案し、僕らは草原を駆ける。