4.模擬戦VSティラ
◎
翌朝の目覚めはそれなりに最悪だった。
「…………」
スピリッツ同士の戦闘の衝撃で村の目覚めた人に見つかり、すぐに事情の説明をする羽目になった。ご叱りの上、当然、罰を受けるはずだったがフィニスさんの口添えもあり、免除された。それはエリオプスさんもだったが、やはり彼は不満気だった。
その怒りの矛先はフィニスさんではなく、僕に向いているようでならない。
最終的に解放されたのが午前の三時。その後、泥のように眠るつもりだったが、早朝にティラによって叩き起こされ寝不足のまま起床したのが現在。
「朝ごはん作って!」
「……後、一〇分待って……」
「待てない待てない待てない!」
子供のように駄々をこねてくる。はぐらかしてると面倒になるパターンだ。鉛のように重い身体は、昨晩の戦闘の痛みもあり途轍もなく不自由だった。あの殴りが内臓に来てる。
いつも以上に適当な料理を準備してテーブルに並べて朝ごはんを食す。
ティラはメニューは気にしないタイプなので食えれば何でも良い。実に扱い易い性格をしている。
「あれ? クロムなんか寝不足じゃない?」
「ちょっとね」
「まさか一人でエッチなことを……」
「…………………………………………」
最悪の受け取り方をされてしまった。思わずテーブルに突っ伏す。
不本意過ぎる誤解とはいえ、昨日は自分の不甲斐なさを実感する残念なことばかりだったのであまり説明したくない。
「違う! ちょっと小競り合いをさ」
「そういえば内臓に来てそうな顔しているね」
「そう、内臓に来てるんだよ」
「へぇ、内臓に来てるんだ」
馬鹿みたいな会話になってしまったが、簡単に誤魔化せた。
冗談はともかく、昨日の日頃の訓練をサボっていた結果が如実に表れたものだった。あそこまで訛っていたことも、エリオプスさんが力をつけていたことにも気づけなかった。
いざと言う時に誰も守れない力に何の意味がある。
僕は弱い。故に強くならなければならない。彼女を――フィニスさんを助けられるくらいには。
「訓練場って空いてるかな?」
「ん? もしかして訓練するの?」
「まぁ……」
「やった。じゃあ私と戦おうよ!」
「いや、それはまだいいかな……」
「するったらするのー」
裏では戦闘狂と呼ばれる彼女らしい発言だが、丁寧に却下させてもらう。
今の僕では確実に勝てない。ティラは何だかんだエリオプスさんとどっこいどっこいの強さと見てる。土台の戦闘力に圧倒的な差がある。
長年放置してきた基礎固めから始めなければならない。
「クロムもようやくやる気になってくれたんだね、嬉しい」
「僕がやる気を出すだけで喜んでくれる人がいて良かったよ」
毎朝飲んでいる暖かいお茶を喉に通し、今日の特訓をどうするか思案する。
◎
訓練場とは言うものの、訓練場とは名ばかりの広い草原のことである。
理由は単純。スピリッツでの戦闘は大規模になりがちで、建物で囲んでいると衝撃だけで壊れてしまうからだ。訓練広場というが真に正しい名称だろう。
狭い村の敷地の三分の一を有する限りない平原の真ん中で身体を伸ばしている者がいた。
フィニスさんだ。
いつもの軍服ような服ではなく、ティラが着ているような〈エクス・クレルト〉に伝わる由緒正しい衣服を纏っていた。戦闘を想定した動きやすい作りになっている。変わらずロンググローブは着けているので妙に見慣れない印象だった。
「あ、あの女!」
彼女の姿を見た瞬間、ティアは駆け出していた。声を掛ける間もなく殴り掛かる。
ティラの左腕は黄色に輝いていた。スピリットの波動が腕を覆って身体能力がブーストされている。伸びをしているフィニスの後頭部に拳が吸い込まれた。
本気で殺す気か?
「とうっ」
フィニスさんの左腕が曲がり、背後からの拳を見もせずに受け止めた。
心配することもなかったか。
「おはよう、ティラちゃん」
「むぅ、いいから離せっ!」
「人のことをいきなり殴っちゃいけないんだよ」
「うるさいっ! あんたに言われる筋合いはない!」
一方的な険悪ムードを撒き散らし、訓練場はまさに戦場に様変わりする。
「ティラ、フィニスさんは敵じゃないから戦う必要はなくて」
「クロムは黙ってて!」
「はい……」
僕が何を言っても無駄か。今にもスピリッツ化しそうな勢いだ。
標的を変えてフィニスさんに言う。
「喧嘩っ早い奴ですが大目に見てくれませんか? 悪気はないんです。少し血の気が多いだけで純粋なだけなんです」
「大丈夫だよ。強くなるのが好きな女の子もいるよね」
妙に説得力があった。もしかして彼女も……言われてみればそれほど満更でもないようにも見える。
「――〈黄虎紋〉!」
紋章が解放され、ティラが光に包まれる。肉体が黄色の骨格で再構成され、二回りも身体が大きくなる。武器と一体となった黒き鎧が身体を覆い、捕食者の瞳が赤く瞬いた。
超感覚に優れた戦闘特化のスピリッツ。
「グゥワアアアアアァァァ!」
全身が痺れる威圧的な叫びが轟いた。
黄虎の咆哮には恐怖を煽る特性があり、敵の身体を竦ませる。〈神獣〉も、スピリッツも同じように効果を受ける。まさに戦闘のための技能だ。
猛虎は腕の側面に取り付けられている黒い爪を展開し、フィニスさんに飛び込む。
「《義肢鋼鉄》」とフィニスさんは唱え、両手を広げて歓迎した。「掛かってきなさいな、虎娘ちゃん」
斬撃を左腕で受け止めると、余波の衝撃で背後の地面が抉れた。ロンググローブも弾け飛び銀色の左腕が露わになる。
「あなた……その腕……!?」
「皆同じような反応するけど、すこぶる快適だから心配しなくて良いよ」
「ふん、手加減はしないから!」
あの態勢からティラはフィニスさんを殴りつけた。
今度は振り上げた右足がガードする。ガギン、と金属音が響いた。
「足も鉄!? このびっくり人間!」
「まぁね」
二人は互いの手の内を探り合い、一旦距離を取った。
「スピリッツってものがどういうものなのかわかったよ。これなら確かに〈神獣〉も倒せるね」
「随分と余裕そうね、私はまだ本気出してないわ」
「私も出してないから大丈夫」
「ムカつく奴」
「一応、不本意だけど〈英雄〉だし」
両者ともまだまだ余力があるなら先は長そうだ。
見ているのもためになりそうだが、特訓のために来たんだ。僕がやらなくてどうする。
上着を畳んで端に置いてから、息を整えていく。意識を紋章に集中することでより高度な操作ができるようになる。エリオプスさんと戦った時も、意識しなければ集中することができなかった。まずは無意識での精神統一の勘を取り戻すことからだ。
左手の紋章の力を局地的ではなく、全身で知覚して纏う。体術の範囲で紋章を拡張する。
――子供の頃はこの技能で神童とか呼ばれてたな……。
だからよくティラと戦っていたし、勝っていた。でもいつからか気力がなくなって、神童ではなくなった。あえて理由を見つけるならコル爺さんと話していたからだろう。
――戦い続ける以外の道を知ってしまったから。
「こんなこと考えても仕方ないけど……」
爆音が耳に届いた。
フィニスさんの左眼から光線が出ていた。
は? ――と思いながら対面を見遣るとティラが高出力の光線を腹部で受け止めていたが、スピリッツ体が砕けかけている。
「い、いや……ティラ……」
死ぬんじゃないのか、これ?
数秒後、光線は止んだ。崩れかけながらもティラは耐えきった。装甲版も剥がれ、骨格も抉れているが立っている。
「ッ、今度は私の番だ……!」
「悪いけど、その光線――」
「がああああああああああ!」
黄虎の全身に電撃が纏わりつき、肉体を焼いている。
「――スタン付きだからずっと私のターンなんだよね。という訳で必殺の魔眼!」
花弁の浮かぶ右眼が黄虎を捉えると、最後の一押しとなったのかティラのスピリッツ化が砕けるように解除された。
満身創痍のティラが片膝をつき、項垂れる。
「負けた……私が負けた……」
「私は強い方だからあんまり気にしないで……ね?」
「負けた、私が……何もできなかった……紋章すら使わせることもできなかった……」
「あ、あの?」
フィニスさんが話し掛けるも、ティラには聞こえてないようだ。
僕は彼女を手招きし、小声で言う。
「ティラは自分が強いと思っててショックを受けてます。しばらく放っておいた方が良いですよ」
「クロムが言うなら、そうしようかな」
そう言って、フィニスさんは両手を空に伸ばした。胸が上下に揺れる。この村でも大きい人はいるが、フィニスさんほどの者はいない。外の世界にはそんなレベルなのだろうか。
と、フィニスさんが僕のことをジッと見た。
「クロム君」
「はい」
「…………」
「……えっと、何でしょう?」
「別に」
疑惑の視線だった。
「ごめんなさい」
反射的に謝ってしまった。
「いいけどね」
「はぁ……」
いいけどね、って感じの言い方ではない。申し訳なさがどんどん募っていく感じだ。
口振りはともかく、態度は平静そのものなので気にしないようにしよう。
そうだ。ティラがいきなり襲い掛かったから訊きそびれた質問があった。
「そういえば、よく村長達が訓練を許しましたね。〈白龍紋〉を使わせる可能性があったら却下しそうなものですが……それとも無理矢理ですか?」
「無理矢理なんてそんなことしないよ!」
「いえ、そうでしたか。すみません」
「最初は渋ってたけどなんか納得してくれたから」
「納得ですか……そんなこともあるんですね」
「腕切ったらどうなるんだろう、って言っただけなんだけどな」
「そりゃ、そうですよ」
コル爺さんから聞いた話だが、以前〈白龍紋〉に選ばれた女性がその運命を呪って腕を切ったことがあった。そして、それから数十年、〈白龍紋〉は現れなかったのだ。
〈白龍紋〉の力は〈人型災害〉を退けるために必要不可欠な力だ。消失を警戒するのももっともだろう。
おぞましい話だ。特にフィニスさんの場合。
「左腕義手なんですよね? 両足も……」
「右手も義手になったら本格的に人造人間だよね。空飛べるしびっくり人間ってのも否定できないよ」
「あんまり気にしてないんですね」
「世の中にはもっと不幸なこともあるから。私はこれでも幸運なんだよ」
「…………僕は外のことなんて知らないから、尊敬します」
「クロムも外に出れば良いじゃん」
――外に出る……コル爺さんと同じように?
外は怖い。彼女の言う通り不幸が跋扈している。常識知らずの僕が生き残っていけるのかもわからない。誰にも頼ることができないのだ。
「無理ですよ……――僕らは〈人型災害〉や〈神獣〉から狙われる存在ですから」
「倒せば良いでしょ」
「簡単に言いますけど……奴らは見境なく襲ってきます。〈人型災害〉となれば被害は甚大です」
「そうだね、わかるよ」
「わかるよって……」
「だって私もそうだから――私にもあなた達と同じ血が流れているんだよね」
信じられない台詞。
だが、少なくとも彼女の瞳を見れば嘘ではないことは確信できた。