24.人型災害
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外壁を背に目を閉じて意識を深く沈めていたフィニスは眉を歪ませた。
「風向きが変わった……?」
呟くと、地面が縦に揺れる。倒れないよう壁を抑えながら音源の方向を見詰めた。
喧しくサイレンが鳴り響く中、フィニスは沈黙を貫く。漂う独特な雰囲気に既視感を覚えていた。慣れ親しんだひりつく空気。
「来る」
血液を漏らし骨格を再生成して立ち上がると同時に黒の塊が目の前に落下した。瓦礫から飛び散った礫が足元まで転がってきた。
「は? 何これ……この反応、何?」
「――グアアァ、シャアアアアア!!!」
〈人型災害〉の共鳴のしたような鳴き声はフィニスに向けられる。どこかから飛来して来た黒い靄を纏う獣は初めから彼女を標的にしていた。
不定形の黒煙を見詰めていると、不意に天啓が降ってくる。
「まさかこれ〈神獣〉なの……?」
人類殲滅を目的として数千年前に召喚された神々の使徒。〈神獣〉は地上に存在する生物を基にした姿形をしている。だとしたら、どんな生物をモデルにしているのか。輪郭が見えず、二足歩行ということしかわからない。
威圧の咆哮を叫ぶと、〈人型災害〉は彼女に襲い掛かる。
「《物理衝突》!」
黄色の粒子を纏った右腕を水平に振った。驚異的な敏捷性を見せた獣には当たらず空振り。
だが、その余波で〈人型災害〉が常時纏う黒煙が強引に吹き飛ばされた。
露わになったのは全身が真性の黒に染まった人間である。顔の凹凸が確認できず、辛うじてある人間らしさと言ったら目があるくらいだ。殺意を固めたような真っ赤な瞳だけ。
「あ」
獣の全身から靄が吹き出し、全身を包んで元の状態に戻ってしまった。
〈人型災害〉の頭部を中心に球体が生成される。球体を飲み込むと、獣の口から黒き光線が放たれた。
「《物理循環》!」
魔法を纏いフィニスは右手を突き出した。掌を起点としてエネルギーの向きを変換し、上下左右に分解していく。偏向レーザーに撃ち抜かれた建造物は否応なく倒壊した。
ピクリ、とフィニスの眉が歪んだ。
「こいつッ、普通の〈神獣〉より強い……!?」
左手も添えてより強固にエネルギー変換を行うがフィニスの可能許容量を超えようとしていた。攻撃を受け切れなければ激震地の半径一〇〇メートルは問答無用に撃ち抜かれる。
街が破壊されていることを懸念し、その上でフィニスは覚悟を決める。《物理衝突》の黄色のオーラを両手に纏い、義手にて黒い光線を相殺して無理矢理突き進んだ。
左腕が焼き切れる寸前、吸収してきたエネルギーを解放・収束した右フックを獣の脇腹に叩き込む。一撃に留まらず幾度も両腕を突き出した。
「はあああああッ!」
「グぐぉオオオオオオオオオォォォッオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ――!」
耳を潰さんばかりのけたたましい悲鳴を上げて〈人型災害〉は遥か彼方に吹き飛ぶ。ただし、胴体を粉微塵にしても戦意も殺意も削れていない。
意味不明な生態だけあり、何を仕掛けてくるかわからないが、少なくともこの程度で諦めるような奴ではないことは自明だった。
「相手が〈神獣〉ならもうやるしかない……!」
全身を黄色のオーラで包んだ。地面を蹴って、〈人型災害〉の下まで飛んで行く。
激突ざまに殴打を叩き込む。
だが、凄まじい腕力で弾かれた。すかさず両手は掴まれ、ヘッドバットをもろに食らってしまう。
「――がっ………………ッ!」
意識が飛んだが、超人的な復帰を見せ、黒の〈神獣〉の追撃に対応する。
月光に照らされた空、幾重にも拳のやり取りを行った。
ボキッ、バゴッ、ブチッ――聞いているだけで痛い音が人体から漏れる。それはどちらも攻撃を避けていないだめだ。どちらの攻撃が先に尽きるかの勝負だった。
「――ッ、ぐぁあッ……!」
フィニスの腹部に漆黒の拳がめり込むと、さながら人間ロケットの如く地面に落ちていった。
大量の吐血。だが、フィニスは三日月のように笑んでいた。
落下エネルギーを推進エネルギーに全変換し、再び〈人型災害〉に頭から突っ込んだ。
「あはははははははハハハハハはハハハハハはっ、ハハハハハははは!」
まるで戦に魅入られたような狂った笑み。
口元から零れる赤色、それが実に煽情的かつ破滅的だった。
花弁の浮かぶ右眼にて〈人型災害〉の魔法を上から抑え込む。
激突したまま、腹部を抉って空っぽの内臓に手を突っ込みゼロ距離で魔法を発動する。
「消えてなくなれええええぇぇええッ!!!」
対神魔法〈エアル・マジック〉――《心象収束光波》。溜め込んだエネルギーを光線にして解き放つ対神特化の殲滅魔法。
黄金なる光線が黒き獣を貫き、悠久の空まで真っ直ぐ伸びる。
光の柱は暗夜を照らし、一時は青空まで見せた。爆音に叩き起こされた人々は空を見上げて思う――まるで、神が降臨したようだと。
それは、不思議なことに無音の爆発だったという。
――王女暗殺を巡る争いは終焉を迎えた。