17.姿なき暗殺者
◎
「――……!」
不意に脳内が痺れた。
慣れない刺激に私は反射的に目を覚ました。掛け時計を見れば時刻が午後の六時頃だということがわかる。
目覚め方が異常だったので寝起きの朦朧とした意識は弾けていた。
そして、あった無意識がなくなったことに気づいた。
「ここを覆っていた結界が壊れて――」
その時だった。バリン、と強烈な暴風に窓硝子が砕けたのは。
この館には常時二つの結界が張られていた。エリの生成した結界魔法、それを覆うように生成した私の結界魔法。二重の魔法的守りによって安全が確保されていた。
窓硝子が壊れるというのは二つの結界が砕かれたことを意味し、悪意的に壊した者の存在することを示す。
では誰か――考えるまでもなかった。殺し屋だ。私の暗殺は終わっていなかった。ようやく始まったのだ。
物凄い勢いで扉が開かれ、戦闘装束に身を包んだエリが現れる。
「レリミア様、お怪我はありせんか?」
「大丈夫、それより……」
「この屋敷のどこかに〈暗殺者〉が入り込みました」
人相不明、貴族御用達の暗殺者。今まで誰も見たことがない、という触れ込みの殺し屋が首元までやって来たのだ。
「レリミア様は〈不可解な腕〉でお逃げください。既にレネルスには通信しました速やかに身を隠せるよう手配しています」
「待って! フィニスさんは……?」
「まだ帰っていません。彼女とは連絡が取れていません」
「それって」
まずいんじゃない――そう、口に出すこともできなかった。
〈英雄〉とまで呼ばれる彼女がいるから私の身は保証されていた、と言っても過言ではない。実際に何回救われたかわからない。その彼女がいないとなると生存率が著しく下がってしまう。
剣を抜きながらエリは言った。
「既にどこかで交戦している可能性もあります。その際に義眼が壊れた、とか」
「あの子に限ってあると思う?」
「…………」
希望的観測ということはエリもわかっている。もしも、彼女が敵にやられたのなら――最悪のケースだが、私に勝ち目はないだろう。だけど、
「命を諦める理由にはならない」
今は自分のことだけ考えよう。〈暗殺者〉が館に入り込んだ。生き抜くためにはその尋常ではない隠密行動を出し抜く必要がある。
「〈不可解な腕〉はまだ使わない。二人なら、〈暗殺者〉も迎撃できるかもしれないでしょ」
「ですが」
「あなたと議論するつもりはないわ。ほら、行きましょう」
怖いと思っていた。だが、フィニスさんがいなくなって私がやらなくてはならない、と強く感じた。きっと死ぬだろう、それでもタダでは死なない。〈暗殺者〉を差し違えてでも殺し、生きていたらラッキー。
王女としてあり得ない下らない覚悟だ。だが、生きるには十分だった。
館は広い。二人で使うにも、一〇人で使うにもまだ余る。
とにかく廊下が長いという印象だ。その脇に部屋が幾つも並んでいる。要は隠れる場所には困らないという訳だ。
とはいえ、何の対策もしていない訳ではない。
「各々の部屋に探知魔法陣を刻んであります。部屋に入ったのならばすぐに気づけます」
ここに来た当初エリが探知魔法陣を設置したのだ。当時はまさか侵入者が本当に来るなんて思っていなかった。対策はしておくものだ、と学んだ。
「今のところ反応はありません」
「廊下で鉢合わせる可能性もある、か……いや、待ち伏せね」
部屋に刻まれた陣ならともかく、通常の探知魔法を出し抜くくらい〈暗殺者〉はやってのけるだろう。そうでなくては貴族達に重宝されない。暗殺に関するポテンシャルは相当の高さのはずだ。
「ねぇ、ここ焼き払っても良いかしら?」
「……レリミア様の御心のままに」
僅かだが頬をひくつかせたのを私は見逃さなかった。
「なら、お願いね」
「はい」
私は両方の手に赤い魔法陣を形成する。直径一メートル以上の大きさと複雑な幾何学が描かれるのは私の使える炎系上級の魔法だ。
「そこからさらに――《物理循環》」
魔法陣から僅かずつ漏れる炎熱を掌に循環させ、圧縮する。強引な反作用も凄まじく気を抜けばすぐにでも暴発してしまいそうだ。この館ならば爆発で半壊、火事で全壊まで数分といったところか。
「ただエネルギーを込めただけだから名前はないけど仮に《熾烈焼却》としようか」
私はその球体を地面に向けて投げるようなモーションを意識して腕を振り上げる。ここで爆発すれば私もタダでは済まないだろう。だが、やる。
腕を振り下ろす瞬間、天井が四角形に切り取られた。頭上から黒ずくめが、〈暗殺者〉が私に目掛けて落ちてきた。
「《術式凍結》」
前もって発動していた《熾烈焼却》を即座に手放し、振り向きざまに風の砲弾を〈暗殺者〉に打ち込む。不意の攻撃に〈暗殺者〉は避けきれず壁まで吹っ飛んだ。エリの追撃が迫るが、黒ずくめの男はナイフで応戦する。
「あんな魔法放てばあなたも私も致死よね、だけど、あなたは私の死体が必要だから」
私の暗殺において条件が一つある――事故死に見えてはならない。例えば、三人の焼死体が発見されたとしてもそれを殺人に見せかけるのは難しいだろう。そもそも痕跡すら残らない公算の方が高い。
「とまぁ、一撃返したけど。さて……」
誰も見たことがない〈暗殺者〉が目の前に現れた。認識阻害のマントを纏っているため風貌はわからないが体格は意外と小さかった。
表立った戦闘もできるようで、エリの剣戟を耐えていた。
「《猛火龍砲》」
私の掌から龍を模した唸る灼熱が〈暗殺者〉に飛来する。
〈暗殺者〉は食い破る勢いの龍をバックステップで避けた。だが、エリが接近し、剣でもって腹部を薙いだ。阻害のマントの効能が失われ、輪郭がはっきりする。
奴は咄嗟に顔を隠し、視覚阻害の魔法を纏った。
一瞬だが、見えた。
「女……?」
呟いた瞬間、〈暗殺者〉のナイフが投擲された。半身になって避ける頃には〈暗殺者〉は破壊された窓の枠に足を乗せていた。
彼女を中心に黒い靄が舞い、視界を覆う。
風を起こして煙霧を霧散させるが、そこには〈暗殺者〉はいなかった。外に逃げたのだろうか。
「顔を見ています、恐らく戻ってきて私達を殺すでしょう」
エリの言う通りで、私達は彼女の人相を一瞬だが見た。
まさかあんな少女が。私よりも若いとは思いもしなかった。
「この国は相当闇が深そうね」
暗殺者養成学校でもあるんじゃなかろうか。
「まだこの館に留まっている可能性が高いです。今からでも――」
「――〈暗殺者〉を何とかしてから」
まだ逃がそうとするので少し強めに言った。
「一人よりも二人が良いのは確実よ。それにここで逃がした時の方がデメリットは多い。ここで決めるしかないわ」
「……わかりました」とエリは渋々了承してくれる。いつも何を言っても逆らわないだろうが今回ばかりは全肯定という訳にはいかないのだろう。
「但し、危険な行動は慎んでください」
「それは時と場合に依るわ」
エリは私の正面に立つと上を指差した。その先では星空が幾つも瞬いている。
「屋根まで繋がってます」
屋根の上からこちらを窺っていたから、部屋に敷いた探知魔法陣にかからなかった。考えてみれば至極当たり前のことだった。勿論、今はもうそこにはいない。
「現在も反応はありません。恐らく、廊下に潜伏しています」
「そう、なら行くしかないわね」
既にこの館を何重もの結界で覆っているので逃げるにも相当の骨が折れるはずだ。
自室を廊下へ出た。探知魔法を巡らせるが反応はない。
偽装されている、と考えるのが自然か。
あくまでも五感で彼女を探すしかない。魔法陣から剣を取り出し、武装して廊下を進んだ。
廊下に潜伏とはいえ、隠れられる所などそうそうない。大時計の裏や柱の影くらいだ。
一歩進もうとした時、床に黒い突起が浮き出た。
それは一気に顔面に目掛けて伸びてくる。
「なッ!?」
反射的に首を反らし、避けた。細い槍がそのまま天井に突き刺さった。
前髪が僅かに切れてはらはら、と床に落ちる。遅れて心臓が加速し、全身に熱味が灯った。
「失礼します」
エリが私を抱きかかえて廊下を掛ける
「《材質融合》に似た魔法でしょう。床……あちらから見た天井を透過させて槍を投げてきたと思われます」
「今、一階にいるということね」
エリは勢い良く階段を飛び越え、軽く着地した。《跳躍》の応用だ。
「結構、アクロバティックね」
「フィニスさんと比べたらそれほどでは」
「影響されつつあるわよ」
そのまま廊下に向かうようなので私は《複合結界》、《猛火龍砲》を発動待機状態まで整える。
黒ずくめの〈暗殺者〉は廊下の真ん中で細身の槍を左右で二本握っていた。正面から受けて立つつもりなのか?
「《猛火龍砲》」右手から龍の砲撃を繰り出す。
廊下いっぱいに広がる暴力的炎熱に〈暗殺者〉は飲み込まれた。焼け焦げた一角には何も残っていなかった。逃げ道はないはずなのに。
灰すらも残っていない。そこまでの熱量は溜まっていなかったのに。故に生きている。
不意に、風が頬を撫でた瞬間、細い衝撃にこめかみが揺れた。《複合結界》に何かが衝突したのが原因だった。
エリが瞬時にバックステップする、その腕の中で私は考える。
「《複合結界》は二つのバリアが重なるのに第二層が攻撃された……一層は壊れてもなかったのに……」
「先程の槍の攻撃同様、物体を透過させたのでしょう。防いだことを考えると一つのものしか透過できないのでしょう」
「そして、身体は透明化と――……」
《猛火龍砲》を透明化して避け、槍で私の脳を狙ったといったところか。
常軌逸したフィジカルと、探知魔法を無効化する魔法、加えて透明化。なるほど、暗殺者としては最高だ。
「感知できない透明人間を探す方法とかあるのかしら」
正確には迷彩なんだろうが。透明だったならば光が網膜まで通過して目が見えなくなる。そんな間抜けな話はない。
「足音、匂いを追えばどうにかなるかと」
「そんなことできるの?」
「いいえ」
「ダメじゃないの」
「ですから――」
その次に続く言葉は容易に推測することができた。エリが提案したことは意外性のない単純なことである。
「……その術式を私が考えれば良いのね」
「はい。相手が透明なのはわかっていれば対応は簡単です、あなたならば」
私を抱いたままエリは移動を開始した。《複合結界》で攻撃を防げるが相手も対応策を考えているはずだ、いつ刺されるかわかったものではない。
改めて中央エントランスに移動する。
「《方位光線》」
エリの前に現れた光の球体から眩しいまでの光が放射状に伸び、部屋を照らした。放射されている光線が途切れればそこに〈暗殺者〉がいると判断できる。即興にしては効果的かもしれない。
私は精神の内側で術式を構築する。術式の難易度は低い、数分で作ることができそうだ。
壁から黒槍が飛び出すも、エリはステップを踏んで回避する。槍の飛んで来た壁の向こう側に〈暗殺者〉がいることを頭に留めておく。
エリは《霊下氷結》で氷の塊を壁を砕くように地面から隆起させた。
光はさらに散って檻のようになる。その時、一瞬だが光が遮られた。
同時に私は術式を完成させた。
「《通信》で術式を送るから」
エリならば一瞬で起動することができる。
「《気温可視》」
緑色に発光した瞳で周囲を見回した。透明人間を見ることができる。しかし、映るのは予想外の光景。エリが叫んだ。
「人の反応が三つ!?」
「なっ! 対応していたの!?」
「前方と左から来ます、右は動いていません」
「下ろして頂戴」
流石に抱きかかえたままという訳にはいかない。
戦闘では私は役に立てない、ということは重々承知している。だから考える。考えろ。
「…………」
私が〈暗殺者〉なら――。
彼女は透明ということが看破された前提で、気温から己の姿を捉えられる可能性を考えていた。ここまで用意周到で完璧な策を私は知らない。間違いなく最高の〈暗殺者〉だ。
常に一手、二手先を行っている。魔法の技量に任せて防御していられるのも時間の問題。
そういう相手に最も効くのはなんだ?
集中力が掻き乱されている相手にどんな手を打つのか。
ダミーを作り出せる。それを利用するなら――。
「《術式解凍》」
先程部屋で凍結した《熾烈焼却》を発動待機する。ここで発動して館を破壊するつもりはない。
煮え滾る熱に両手が深紅に染まる。
私が手を向けたのは背後。破壊ではなく、半壊。
ゴオオオオオ――と火炎が放射されエントランスから入口にかけてが眩いほどの光に包まれる。全てを焼き尽くし、構造物がドロドロに溶け、滴った。
「……正面の三つはダミー。隠れるなら背後しかない」
温度操作でダミーを作れるなら、反応がないように見せかけることもできるはずだ。
二体が近づいて来たが、それは囮で残りのもう一人も後方の囮。囮の囮だ。
予想通り、正面の三体の反応は消えた。炎に煽られて〈暗殺者〉が焼け死んだのだろう、と思う。思いながらも思い切れない。
「――そして、この攻撃は予見できたから避けられていると仮定する。私だったら攻撃するなら今しかない、と思う」
有り余るリソースを集約して全身に強化魔法を巡らせ、振り向いた。
視界に映るのは溶岩流と、その前にいるはずの透明な何かは捉えられない。だから、私は魔法を使う。
そして、腕を振り回した。ゴン――、と。
確かに、人を殴った感触。女性特有の柔らかさはなく、鍛えられた肉体をただ力任せに撃ち抜いただけだった。
「《慢心天覧》」
交錯は一瞬だった――私の拳が透明人間の腹に刺さったのと同時に、鋭利な刃物が頬を掠った。私の眼ははっきりと〈暗殺者〉を捉えている。驚きに見開かれる瞳までしっかりと観測している。
「《慢心天覧》の魔法は本来、微粒子レベルのものを目視するための〈代償魔法〉だったけど、ここまで近ければ透明化の術式すら見えたわ」
気絶したことにより透明化の術式が解除され、暗い服に包まれた少女が崩れるように倒れた。
首筋が痺れ、震えた息が漏れる。パチパチ、と館が燃え広がる中、私はその場で停止して思考を回した。
――〈暗殺者〉を撃退したのか?
「倒したのよね……」
「……レリミア様」
エリは強張った口調で私を呼んだ。
「転移を」
「どうして?」
無言のまま彼女は燃え尽きた入口を指を差した。館の周囲張り直した三重の《遮断結界》は半透明、その奥にあるものをよく見える。〈暗殺者〉ほどではないが全身黒いファッションに包まれた人影が見えた。
「行ってください。私では守り切れるかわかりません」
「二人で倒せば良いでしょう!?」
「……私は以前、彼に殺されかけました。先程のようにはいかないでしょう」
つまりあれが〈人斬り〉ということだ。フィニスさんはこの男を気絶させた後、すぐにエリを抱えてやって来た。どうなったかと気になっていたが、まさかここで現れるか。
「〈暗殺者〉も、彼も学園の結界を超えられる訳がありません」
「何が言いたいの?」
「もう一人います。内通者が〈暗殺者〉と〈人斬り〉の手引きをしました。二対二、ということです。ですからお願いします、お逃げください。ここはもう安全ではありません」
「エリ……」
「大丈夫です」
安心感の欠片もない緊迫感溢れる言い方だったけれど、私の命のために言ってくれてるのだ。無下にすることはできなかった。
ここまで言うということは、もしくは死ぬつもりだろう。
会うことは今が最後かもしれない。そう思ったら、衝動的に彼女を抱き締めてしまった。
こんなことをするのは初めてだ。エリの驚きも最も。
「レリミア様?」
「子供の頃からずっと守ってくれてありがとう」
いつも伝え忘れてしまっていた。だけど、最後になるなら。これだけは忘れてはならないから、何があっても伝えなければならないから。
「勿体ないお言葉」
「勿体なくない……」
少しでもこの気持ちが伝われば良いな、と思った。
私は〈不可解な腕〉を装備し、刻まれている魔法陣にエネルギーを流し込んだ。発揮された魔法《亜空貫通》は《亜空座標》で設定した座標と空間を繋げることができるというもの。
座標はレネルスのいる館に設定されている。
「転移と同時に結界解除されるから」
「はい。あなたは生き残ってください」
「私だけじゃダメよ。だから――」
言い切る前に術式が起動し、炎上した館は白い光に飲み込まれた。
空間が接続され、転移が完了されると暗い空間が待っていた。貴族街にある来客用の館。座標はエントランスに繋がっているはずだが、どうしてか電気が付いていなかった。寝ているなんて呑気な話があるだろうか。
月光だけが部屋を照らしている、視界が慣れてくる。一歩踏み出したところで足元が濡れていることに気づいた。
粘着性のあるぬめっ、とした感触が足裏に残る。
そこではレネルスが血を流して倒れていた。




