16.暗殺開始条件
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とある屋敷にて男二人の密談が為されていた。
フレームの薄い眼鏡を掛けた長身の男と、赤髪の筋肉質の男。
学園教師ハーティアを連れて学園から去った彼はスパイ活動を辞め、本来の役割を果たすため動いていた。
今やフォールと偽名は捨て、ゾステロとして行動している。
ゾステロは優雅にソファーに腰掛け、対面に座る人物に言った。
「物語において一番詰まらないのは目に見えた結果です。最強が当たり前のように最強していてもただ冗長なだけ……盛り上がりの欠ける面白味のない話。だから、彼女にはここで退場してもらいます。ここから先、〈英雄〉の出番はない」
「正真正銘の化物だぞ。できるのか?」
返事したのは髪の赤い男の頭のトゲトゲは見ているだけで痛そうな鋭さだった。髪色と似た緋色のタンクトップを纏った細いマッチョが言う。
「さっき歴戦の殺し屋が全員失敗したとか言わなかったか? 〈人斬り〉だとか」
「彼女を知っている者は皆化物化物と言いますが、彼女はあくまでも人間ですよ。だから、殺せる。それに弱点がないってこともないですし」
「ほう、何が弱点なんだ?」
「簡単なことです――」
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学園の定休日、昼間にまで護衛する必要がなく時間を持て余したフィニスは近所の喫茶店に通い詰めていた。絶品のチーズケーキを求め、足繫く――とは言っても、週に一度程度甘味を求めて来店する。
外の席に座って紅茶を啜りながら、ケーキが届くのを待つ。
「ふふふーん」
最近は周辺地域で話題になっている。喫茶店で美少女が見れる、と野次馬が集まっていた。とはいえ、直接的に何かしよう、という輩はいない。学園生徒という噂がまことしやかに囁かれており、ちょっかいを出す者は少なかった。
人混みを気にしない、というのはフィニスの悪癖だった。これ見よがしに目立つことに違和感を抱いておらず、当の彼女は自分が注目されていると自覚すらしていない。
注文の品が届き、少女は美味しそうにケーキを食べた。広がる甘味に頬を綻ばせ、次の一口を求めてフォークを突き刺す。
「――う……あれぇっ……?」
二口目を伸ばしかけてフォークが手からこぼれた。だけでなく、両腕が机に吸い寄せられるようだった。
襲ってきたのは睡魔。
不自然。そして、魔法的権能ではない。
意識が途切れる前に顔を上げればどこからか男達が現れ、フィニスを囲み始める。次に店内に視線を飛ばす。店員が俯きがちに彼女を見詰めていた。
――ケーキに睡眠薬が。
それ以上の思考は許されず、フィニスの意識は深層に没入していった。
いかにも不審者な風な男達は机に突っ伏した少女を攫う。布に包んで肩に担ぐと瞬く間に大通りを後にした。
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「――どんな殺し屋にも彼女を殺すことはできません。物理攻撃、魔法攻撃……どれをとっても攻撃が通らず、彼女の右眼〈魅了の魔眼〉は精神攻撃までも実現します。正面から行けばまず負けます」
と、言ったところで赤い髪が逆立った男が反論した。
「だからそれいくらいヤバい奴なんだろ? だからアイツだってすぐに捕まったんじゃないのか?」
彼が言っているのは〈偽装教師〉その一である偽名をハーティアという同志の女のことだった。学園を囲う結界に小細工をしたところ、フィニスに捕まった。そこからも相当の探知能力を有していることが窺える。
彼は眼鏡についた埃を拭きながら答えた。
「そうですね」
「それじゃあ、意味ねぇじゃねぇか。結局勝てないことには変わりねぇ」
「殴って止める必要はありませんよ。殴らなければいいだけです……例えば、食べ物に毒を入れたり」
「毒?」
「学園内部では実現できませんが、最近彼女はよく喫茶店に通っているみたいですね」
「……そこに毒を仕込むのか。なんだよ、そんな簡単に解決すんのかよ」
「えぇ、いとも容易くね。では、私達は私達の仕事を行いましょう」
「ようやくこの仕事ともおさらばだ」
二人は立ち上がり、部屋を後にする。薄暗かった部屋はもう真っ暗になり、館は時が止まったような沈黙に包まれた。
彼らはまるで闇夜で蠢く悪意と謀略の源。王女暗殺の目的が国家侵略で収まるはずもない。
世界の狂乱と崩壊を掲げる者共は自らをこう呼んだ。
「〈訂正機関〉の名の下に、この世界に滅びを」
――暗殺開始条件:フィニスエアルの捕縛。