10.テラリア
◎
魔法大会まで二週間ほどになったある日――。
私は訓練場にいる。そして、正面には木剣を構えたなよなよしい眼鏡の娘。だいぶ憔悴しているようで肩で息をしていた。
「早く来なさい」
と、声を掛けると恨みがましい返事が返ってきた。
「もう無理ですよ、そろそろ休憩にしませんか?」
「さっき休んだばかりじゃない」
「普通そんな早く回復しないですってっ」
泣きそうなくらいの気迫だったので私は剣を収めた。
鍛えるとはいえ、私の基準で考えてはいけない。人間はすぐには変われないのだから。
その子――テラリアはへたり込んだ。
大丈夫なのだろうか、そんな疑問が胸に沸いた。思い出すのは数週間前、彼女の身の丈を聞いた直後のことだ。
〈あなたのお父さん、道場やっていたのよね。いずれ継ぎたいのよね?〉
〈はい、そうですけど……〉
〈なら魔法大会はうってつけじゃないの〉
〈は、はい?〉
〈魔法大会、剣で勝ち上がるのよ。きっとすぐ剣をやりたい人が来るわ〉
〈ちょ、ちょっと待ってください!?〉
〈魔法大会だからって剣を使っちゃダメなんてルールはないわよね、魔法さえ使えば武器は何でも良いはず〉
〈いや、私出場しませんからっ!〉
〈どうしてよ?〉
〈それは……弱いからですよ。わかってるとは思いますが……〉
〈ふぅん……じゃあ、強くなれば良い訳ね〉
〈はい!? じゃなくてですね、私なんかが……と言いますか……〉
〈鍛えてあげるわ、この私が。明日から放課後はここに来なさい〉
〈ちょ!〉
平民のテラリアは逆らえるはずもなく……半ば強引に特訓を付けることにした。
私はちゃんと、努力で人が成長できることを知りたい。
努力が才能を上回る瞬間をこの目で確かめたいのだ。劣等生の彼女が魔法大会で入賞でもしたらどうだろう。生活は一変するはずだ。そして、見える世界が変わった時にテラリアは一体何を思うのか。
今のところは順調に育っているが目を見張るほどの成長はない。
才能だけで生きていたような私にはどうにももどかしかった。しかし、私自身の成長を考えるのなら向き合わなければならないことなのだろう。
手探りで迷路をしているみたいだった。
ガンッ――という鈍い音が隣からした。振り返ると丁度エリとフィニスさんが鍔迫り合いしている。木剣ではなく、どちらも真剣を使用していた。
エリは全力で傾けようとするがフィニスさんは全く動じることなく、むしろ強引に払った。その隙に腹部に袈裟斬りを狙うが、間一髪で身をよじってエリは回避する。
このように――私がテラリアの特訓をしている合間に、フィニスさんがエリの特訓に付き合っているのだ。
正面からまともに打ち合っても勝てないと判断したのかトリッキーな動きで攻めるようになった。予想外の動きで立ち回るがフィニスさんは軽快に避け、弾き飛ばす。
どちらも魔法は使っていない。だが、私には彼女らのスピードを捉えることができない。
「実力差……」
王女である私に戦闘力は必要ない――だが、力はやはり必要だ。最後に頼れるのは自分自身であることを学んだから。
「すごいですね……次元が違います。幾ら修行しても私にはこんなことはできないです」
テラリアが諦観染みた台詞を口にする。
半分くらいは同感だ。この域に達するために二人が捨てたもの……時間以外の何かがある。その価値をかなぐり捨てなければ同じステージには立てない。
「能力は必要なら、必要な分付くわ。私があなたを殺すくらいの勢いでやれば、あなたは生き残るだけの技量を身に着けるしかなくなるでしょ」
「え……冗談ですよね?」
「半分くらいは」
「あ、あはは……」
テラリアはまず自信をつけることから。強くなるために多少なりの自尊心が必須なのは私も知っている。成功体験を積み上げることが大事になる。
彼女が剣を上手くなる度、きっと心も強くなるはずだ。
「じゃ、休憩終わり。二人はさっきからずっと戦いっぱなしなんだから」
「一緒にしないでくださいよぉ……」
ぎこちない足取りでテラリアは位置に着いた。私も剣を構える。
暗くなってきた頃、鍛錬から切り上げ寮に帰って来ると手紙が一通届いていた。
便箋にはこの国の旗印が描かれている。
すなわち国からの手紙。
中を確認する。文書の内容は〈魔法大会〉の来賓参加のことだった。
「強制参加ってことね……エリ、どう思う?」
勅命――この国においてはこれより強い権限はない。
これはまずい展開だ。エリも同じ事を考えているみたいだった。
「魔法大会当日が暗殺決行日、と考えるべきです」
「逃げ道はないって訳……」
留学生として滞在させてもらっている以上、逆らうことができない。
私は魔法大会の会場に行くのは確定した。私は対策し、奴らは対策した私を対策する。
「ようやく始まるのね」
「レリミア様は必ずお守りします」
彼女らしくもない、力強い言葉で言った。
「えぇ、お願い。私は絶対に生き残って帰るから……」
大丈夫。
そう言い聞かせて、私は窓の向こうに視線を巡らす。今は頼りになる仲間がいる、だから――。
風が吹きすさび、窓枠がカタカタ、と揺れた。
◎
建国祭が近づき、中央通りだけでなく国全体は活気に包まれていた。早くも酒盛りを行う者もいれば、商売時とばかりにせっせと働く者もいる。子供達は小さな国旗を振って人波の間を走っていた。
隣国の〈インぺリア〉ではそうはいかない。優しくも危険な国だったあちらには祭りをしていられる余裕はなかった。
そして、建国祭の演目の一つが魔法大会である。王国全土から選抜された魔法使いの生徒達がその技を披露し、戦う催しだ。
国単位の祭典ということで生徒の気合いも違う。魔法師団、貴族、王族等の重要人物が見物するため、名を上げるにはうってつけのイベント。ここで好成績を修めれば、将来的に軍にスカウトされるなんてこともあり得るらしい。
そういう訳で目下、学園でも参加者選抜が行われているところである。
参加希望者の中でトーナメント戦を行い、上位者四名が〈王立ハーミタル魔法学園〉の代表として魔法大会に参加することが許される。
王女であり〈十連星〉の称号を持つ私は二重の意味で参加できないが来賓として携わる予定だ。護衛のエリも同様。では、フィニスさんはどうなのかと問われれば普通に参加しない。希望しなければトーナメントにも名前は載らない。
「それにあなたが参加すると優勝が確定してしまうじゃない」
「そうかな? 意外と強い人もいるかもしれないし」
なんて、フィニスさんは呑気なことを言う。それだけはあり得ない。
「テラリアは選抜を勝ち抜けるのかしら」
「あの小さい女の子のことだよね? 剣技ならともかく魔法はあれじゃない?」
「そうなのよね……あれなのよ」
お世辞にも強いとは言えない。剣技と平行して魔法を教えているものの、上達するのは剣技ばかりである。隣で見ているフィニスさんでさえ、そう言うくらいに才能がない。
「剣技でカバーするにも限度があるし」
「時間もないし、効果を期待するなら対魔剣術に特化させた方が良いわよね……」
「エリの得意な奴ね」
事実として魔法使いに剣で勝つのは難しい。至近距離ならともかく、実戦となると使い勝手や手数の多さから魔法の方が有利な状況は多い。闘技場という区切られた空間でもとてもじゃないが剣が有利とは言えない。魔法使いに剣で勝つにはそれだけの力量がいる。
魔法を使われる前に接近し、一撃でもって敵を沈める。ただそれだけの動作をどれだけ洗練できるかによって決まる。
「エリに訊けばいいんじゃない?」
「それはそうだけど……暗殺のことで手一杯だと思うからあまり迷惑は掛けたくないのよね」
フィニスさんはともかく、エリは護衛としての活動を休むことなく行っている。現在も暗殺の情報を得るためにそこら中を走り回っていることだろう。
そんな彼女の時間を奪うのは気が引ける。自らの命に関わることだ我儘も言っていられない。
「一日くらい大丈夫だと思うけどね。一度くらい頼んでみたら?」
そうは言うものの。私が頼めば頷いてはくれるだろうが、エリにも、私にも関係ない少女のためにそこまでするのはどなのだろう。
私だけ盛り上がっても仕方ない。
「……とりあえずテラリアに訊いてから決めるわ」
「そっか、それも大事だね」
「じゃあ、そろそろ行きましょう。午後の授業が始まるわ」
庭園を後にして校舎へ向かって歩き出す。