9.フィニスの暗躍
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放課後、護衛の任務も飽きてきた少女、フィニスは学園の門を潜って中央通りへ出た。
学園生徒が敷地から出るには外出届を記入して提出しなければならない。危うく出し忘れて脱走扱いされるところだったが、天啓によって事なきを得た。
制服姿で彼女は大通りを行く。出店の並んだ活気ある街中である。
〈撃魔王国フレイザー〉の建国記念日が近いようで、いたる所に祭りのちらしが貼らてれいた。また、その日に合わせて学園でも魔法の大会が開かれるようだ。
そんな中でも無条件でフィニスは目立ってしまう。
右眼のモノクルを撫でながら呟いた。
「やっぱ強まってるかぁ……」
――〈魅了の魔眼〉……。
モノクルには魔眼の力を減衰させる魔法術式が組み込まれているが、最早魅了を打ち消せないほど強大になりつつある。時間を経るごとに強まっていた。学園に来てからは同性にも多大な影響を与え、よもや押し倒されるところまで行ったこともあった。
「これも再調整しないとかな」
フィニスはできるだけ人に目を合わせないようにして歩いた。無用なトラブルを避けるためだ。
不意に、代わり映えのないナンパ文句が耳に入る。
「おっと、そこの絶世美女さん? 一緒にお茶しないか?」
人混みが晴れてきた頃合い、フィニスが顔を上げると男が二人正面に立っていた。
対照的な二人である。
片方の頭は逆立っていかにも遊び人という風貌の男。
もう片方は、白色の外套を纏う眼鏡を掛けた小綺麗な男。
見た目を裏切ることなく性格的にも彼らは対照的だった。
「そこの貴族もお忍びで来るっていうお洒落なカフェでお話しないか?」
「止めてください。学園の生徒ですよ、目を付けられたらどうするつもりですか」
「マジか」
「マジです」
愉快な二人組だった。
「運命の出会いかと思ったんだが……残念だ」
「は、はぁ」
魔眼の力も相まって強引に誘う人が多い中、身を引いたこの男は相当の精神力であることは察せられる。
「縁が合ったらまた会おう、絶世の美女さん。今度は私服姿で会いたいもんだ」
「連れが失礼をしました」
眼鏡の方が軽く会釈し、二人は横をフィニスの抜けて人混みの中に埋もれていった。
茫然と立ち止まるフィニスは呟いた。この状況になれば誰だって思う普通のこと。
「何だったんだ」
不幸なことによくわからん人に話し掛けられることもよくある。
中央通りを外れてしばらく、貴族街の入り口付近に王国の用意した来客用の館がある。目的の人物はそこに居住していた。
門を守っている兵士に書類を見せると、彼は門を開けてフィニスを通す。どうもー、と言って館の扉をノックした。鐘の高い音が鳴ることにより中に来訪が知らされた。
向こう側からパタパタ、と小走りする音。
「あ、いらっしゃいませ、フィニスさん」
「久し振り、レネルス」
フィニスと共に〈フレイザー〉に送られた〈絡繰師〉レネルスが歓迎した。
以前は眼鏡を掛けていかにも本が好きそうな陰気な見た目だったが、〈フレイザー〉に来て一転、驚きの変貌を見せた。スカートなんて履くような女の子ではなかったのに。看板娘風、町娘風だ。
悪戯っぽく笑ったフィニス。
「恋しちゃった?」
「な、何を言ってるんですか! そんな訳ないですよ!」
返ってきたからかい甲斐のある答え。これだから止められない。真偽はともかくとして――少なくとも百合ではないことを祈りたい。
ともかく乙女乙女した服装とは関係なしに、彼女は業師である。
「早速、調整しましょうか」
「うん、お願い」
魔法陣から剣を取り出し、レネルスに預けた。
テーブルを鍛冶台のように使う。剣を鞘から抜いて寝かした。
「多分ね、もう少し容量が大きくないと壊れちゃうんだよ」
「これでもですか……できるだけ頑張りますけど、期待しないでくださいよ」
「すっごい期待してるね」
「…………」
げんなりとした表情を浮かべるがフィニスはどこ吹く風だった。
「……まぁ、剣は後で直しときます。他には問題はありますか?」
「義手は今のところ大丈夫かな。モノクルの方はそろそろ力が抑えられなくなってきたかも」
「え! 多分あれ以上は無理ですよ……あなたの眼どうなってるんですか」
「それは私も知りたい」
はぁ、とレネルスはため息を吐いた。
――簡単に言ってくれる、と思っても彼女に伝わらないんだろうなぁ。
そんな気持ちのため息である。
「おーい、レネルスちゃん?」
「いや、何でもないですよ。厄介者だな、とか思ってないですから」
レネルスは〈フレイザー〉に来るまでの二人旅を思い出した。怖気の走る旅路は昨日のことのように焼き付いていた。
「――ではなくて、呼び出したのはこんなことをするためじゃないんですよ!」
「というと?」
「この国のギルドってわかります?」
「うーん、知らないね」
そもそもあることすら気づかなかった。
フィニスの答えがわかっていたようにレネルスはすらすらと説明する。
「所謂、裏稼業の元締めみたいなものです。主な依頼内容は盗賊とか暗殺なんです。金さえあれば何でもするようです」
「うっわ、物騒だね。インペリアとは違うんだ」
「そこでフィニスさんの暗殺依頼が出されています」
「…………」
常に飄々とした態度の彼女も流石に沈黙した。
敵勢力は、王女の暗殺の障害であるフィニスを暗殺することにしたのだ。自分が狙われる、という意識は想像以上に心に来るものがあった。
数刹那後、フィニスは呟く。
「そっか」
「……あんまり驚かないんですね。それだけ強かったら何とも思いませんか?」
「何かね……殺すとか殺されるとか案外平和じゃないんだな、って」
「〈インぺリア〉と比べたらそうかもしれませんね。あの国は〈神獣〉という人類共通の敵がいましたから、否応なく協力しなければならなかったんです」
内輪揉めしている余裕すらなければ、争いがなくなるのは道理。一致団結しなければ勝てない相手が目の前にいることで足並みが揃っていた。
それも数か月前まで。大戦争の結果、〈神獣〉を狩り尽くされた今国内は混乱の最中である。
「レリミアだけじゃなく、私もねぇ……警戒を削ごうとしてるのか」
「どうしますか? レリミア王女ならともかくあなたに王国側からの支援はないと思いますよ」
「勿論、返り討ちにする」
「戦闘力を考えれば可能でしょうけど、暗殺のプロですよ。こういうことを言うのは失礼かもしれませんが、フィニスさんはどうにも余裕過ぎます。いつか痛い目に遭いますよ」
「言うね」
事実なので反論することはできない、そもそもする気もなかった。
これはフィニスの悪癖である。強過ぎるが故に、本気を出すことができず死線に鈍感になったのだ。
但し、彼女の場合は戦闘ごとに身体を酷使するので余裕であることに越したことはない。
「……見ていて危なっかしですよ。怪我しても同じこと言いそうです」
「うーん、心配かけちゃったか……ごめんなさい」
「い、いえ、気をつけてくだされば良いんですけど」
「ううん、ありがとうね」
レリミアは頬に若干の熱味を感じた。
――こういう時は素直だから嫌いになれないんですよ……。
怒るに怒れない、これもまたフィニスに魅力なのだ。すっかり魅了されていた。
冷めやらぬ内、「作戦を思いついた」とフィニスは声を上げた。
「もうですか?」
「早速、行ってくるよ」
「え、どこにですか!? 説明してください! あの!?」
当然説明はなかった。
やたらジメジメした路地裏の先にギルドはある。路傍には家のない白い髭の爺さんが座り込んでいたり、怪しい男女が至近距離で会話していたりと、〈あー、路地裏っぽい〉という感想しか出ない感じだ。
制服姿の少女が通るには暗過ぎるそこは、表の街とは似ても似つかない。同じ都市とは思えない落ちぶれだった。
バーを装ってはいるが、立地と立ち込める雰囲気で確信した。
「明らかに胡散臭いなぁ……」
躊躇しながらもフィニスは鉄の扉を押し開いた。すぐにある階段を下ると薄暗い電灯が見えてくる。
中では、いかにもな裏の住人が酒を煽っていた。意外にも活気があり、フィニスという部外者が入ると僅かに静まり返りこそこそ、と声を立てた。
総じて下卑た視線である。
今にでもけしかけてくるかもしれない。
その前に、カウンターの向こうに座っている細い男に声を掛けた。
「すみません」
「…………」
男は視線だけ寄越し、睨みつける。学園生徒程度の少年少女ならばビビッて逃げ出すところだが、修羅の道を行く彼女には効果はない。
「餓鬼が来る所じゃねぇよ、帰れ」
目を逸らすと敵意を隠そうともせずに細い男は言った。その台詞と共にバーの客であるムキムキな悪人顔がフィニスに近づこうとする。
「困ります。訊きたいことがあるんです」
「知らん」
「私を暗殺しろ、って依頼が出てるはずなんですよ」
途端、男から刺々しい気が放たれた。依頼の真偽はともかく、ギルドの依頼の情報が漏れている事実は到底看過できない事態である。特に、暗殺対象を名乗る本人となると例外中の例外。
敵意も悪意も受け流し、フィニスは席に着く。
「誰が依頼しましたか?」
「知らん。知ってたとしても言う訳ないだろ。いいからさっさと帰れ、無理矢理にでも追い払ってもいいんだぞ」
フィニスは冷たい目でもって店内の男達を見遣った。直感でも、直観でも極悪人としか思えない。
「誰が依頼しましたか?」
再び、問い掛ける。
「いいから帰れってんだよッ」
言って、手元に置いてあるナイフを少女の首にあてた。
意図も容易く敵意は殺意にまで昇華される。人を殺すのに力はいらないとばかりに。
そもそも学園の少女がギルドにいることがおかしい。当然の対応と言える。
「そういう訳にもいきません。だから――依頼します」
「何だと?」
「私を暗殺しようとしている者の特定。依頼主は多分、仲介しているから、その大本の正体を知れれば良い」
そして、魔法陣の中から革袋を取り出しカウンターに無造作に置いた。硬貨同士が掠れる振り向きたくなる音がする。
「お金はこれだけある。もしも阻止までできたらこの倍を払うから」
喩え、貴族が相手でもここまでの金銭を提供するのは難しい。
それだけの大金を叩いた。奴らがお金で動くのならこれで十分。逆に買収するつもりで吹っ掛ける。
「そういう訳でよろしく。しばらくしたらまたここに来るから」
一瞬でこの場を支配した少女は、答えを聞きもせずバーから出ていく。