3.都市入場
◎
〈神覇王国インぺリア〉は主に五つの都市でできている。
領土の丁度真ん中に位置する最も広大な面積を誇り、政治の中心であり、流通の中心、国防の中心、王城のある首都〈王国都市〉。
〈王国都市〉から四方位にそれぞれ、一回り小さい都市が存在する。 方角と色を組み合わせたものが正式な識別名となっている。
北の〈北青都市〉。
西の〈西黄都市〉。
東の〈東紫都市〉。
南の〈南赤都市〉。
それぞれが独立した都市として発展しており、それ自体が〈王国都市〉を守る砦となっている。
とりわけ〈北青都市〉は汚染されていない自然の土地を利用した農業が盛んである。四都市の中では最も豊かだと言われている食料に恵まれた地域だ。
また、北端〈カエレウム草原〉の向こう側は切り立った山脈なので外界から侵攻しづらくなっている。戦争から最も縁がない土地といってもいい。
中心都市と比較すれば面積は少ないが、人口密度の観点では〈王国都市〉とほぼ同値を記録している。はっきりと活気あふれた街ということだ。
――フィニス達御一行は飛行をそれなりに地上に降り立った。既に草原地帯を越えて城壁の目前まで迫っている。
「あう」
重力のくびきくびきから解き放れた反動の虚脱感を全身に受ける三人。
どこ吹く風の幽霊神ウェヌスは額にひさしを作りながら都市を囲む左右に見渡しきれない城壁に視線を飛ばす。望楼が出っ張るように接続されており衛兵が常に外を見張っているようだ。のどかな空気にあてられて欠伸なんかしていることからあまり真面目に取り組んでいるようには見えない。
身体(特に肩)をほぐしたフィニスはユウラとシエスの手を取って門まで歩き出す。門には十字架が掲げられており神を信仰していると思われるがそんなことはない。
槍を持って背筋を伸ばす門兵が草原方向からやって来た三人に目を見開いた。
フィニスは何食わぬ顔で門兵の前を通るが双子姉妹は彼ら兵士の視線を気にしながら壁の内側に足を踏み入れた。
『見とれてたわね、あなたに』
「え、私?」
『そりゃそうでしょ』
気づいてないの――という呆れと共に女神はフィニスにジト目を向ける。
光輝のような黄金色の髪、女神の如き非の付け所のない容姿、長身もさることながら胸部につけた爆弾二つが尋常ではない。男を無差別に殺す権能があるとかないとか。白色のスカート軍服では抑えきれない質量を有する彼女の肩への負担も比例するように多大。
そんな風に見られるのは、王国領の外れの田舎村で育った金髪金眼の少女にはあまり実感のない事柄であった。
「そんな綺麗なの? 私って……」
「どうしたのお姉ちゃん」
「う、ううん、何でもないよ。とりあえず〈北青都市〉に着いたけど…………まず宿を探そうか。その後ごはん食べようね」
ピチピチの若い美少女が幼女二人を歩く絵はなかなか目立つものだった。通りかかる人の視線が必ずといっていいほど集まる。
田舎育ちの少女はここまで目立つのは人生初だった。というか人が数百人居住していることにも驚くくらいだ。
「家もちゃんとしてる……うわぁ、パン屋がある」
そんなことを呟くとユウラもシエスも微妙な顔を浮かべた。それくらいどこにでもあるだろ、と言わんばかりだ。あいにくフィニスは気づかず宿探しを続ける。
『騎士に訊いた方が良いんじゃない?』という守護霊の意見で手近にあった駐在所に向かった。
机にかじりついて書類を目に通している騎士の青年の胸には十字架の造形をした徽章がついている。
「あの、すみません騎士さん。宿屋ってどこにありますか?」
「あ、はい」と顔を上げる青年はフィニスの顔を見た瞬間に赤く染まった。「――え、えっと……宿屋、ですか?」
「そうです。できれば安いところでお願いします」
「ま、任せてください!」
勢いよく立って宣言したのは良いものの、机に身体がぶつかり書類がバラバラと落ちてしまった。フィニスらの足元にも一枚滑り込んでくる。
「す、すみません! 少々お待ちください、すぐに案内しますので!」
言いながら書類を片っ端から回収する。上下逆さま左右反転しているが作り笑顔でごり押していた。
その際、フィニスの瞳にとある文言が目を引かれた――、曰く〈神獣〉。〈神獣〉がこの頃王国領内で大量発生しているという報告書だ。
紙束を棚に突っ込むと青年は立てかけてあった剣を腰に帯びる。王国に認められた騎士は帯剣が許されているのだがフィニスは当然知らない。
「さぁ、行きましょうか」
最大限身なりを整えた青年ははにかみ笑顔を浮かべる。
道を引き返すように歩くので地元の人には敵わないなとフィニスは肩を竦めた。二歩ほど前を先行する青年がチラッと後ろを振り返りながら尋ねる。
「えっと……つかぬことをお聞きしますがその二人の子供は一体……?」
「道中二人だけじゃ危ないから私が一緒に行くってことになったんですよ」
「そ、そうですよね……は、はは」
何を想像していたのか青年は安心そうに笑みをこぼし、頬の紅潮させた彼は機会とばかりに問い掛ける。
「あの、お名前教えてもらってもいいですか?」
「いいですよ」という特に意識していない返事に呼応して左右の双子は真ん中のお姉さんの手を握る力を強めた。「?」と首を傾げるが気にせず名乗る。
「フィニスエアル・パルセノスといいます。名前が長いのでみんなフィニスと呼びますけどね」
「フィニス、さんですか……わ、私はガンフリットという名前です。性はありません。一応騎士をやっております」
「一応?」
「まだ見習いみたいなものですから、仕事はこうして街に危険がないかを見回るくらいです」
「へぇ、そんなこともするんですね」
「城壁の中は安全そのものですよ。犯罪も四都市の中で一番少ないですから。しかし、最近は外の方が不穏でして。フィニスさんも……君達の名前を聞いていなかったね」
と、双子の姉妹を見詰める。どちらが姉でどちらが妹か。
姉妹は何の準備動作なく空いている方の手を挙げて順番に名乗った。
「ユウラだよ」
「シエスです」
「「みんなはユウとシエって呼びます」」
息ぴったりの挨拶に目をぱちくりさせるガンフリット青年。咳払い一つして気を取り直す。
「ユウちゃん、シエちゃんか。よろしく」
誰がどう見ても好印象を持てる笑顔攻撃が双子に襲い掛かってきた。
純真攻撃は威力が高く、どちらも白いスカートの後ろに隠れてしまうのだった。
特に気を悪くするようなことはなく、ガンフリットは話を再開する。
「外は最近物騒なので気をつけてくださいね」
「〈神獣〉ですか。私達がここに来るときにも見かけました…………ここら辺にも来るんですね」
「だ、大丈夫だったんですか!?」
身を乗り出すように尋ねてくる青年。
だが、それは過剰な反応という訳ではない。
この時代において〈神獣〉は人類の最大の敵と言ってもいい。空を、陸を、海を、そして人類を支配し得る存在。
人類を遥かに超えた力で侵略してくる〈神獣〉に正攻法では敵わない。討伐にはかなりの精度の〈魔法〉が必要となる。基本的には軍隊でもって収束させる案件。
それを只人がどうにかすることはできない、というのが世間一般の共通認識だった。
少なくとも人間同士で戦争をやっていられる余裕はない。
田舎者には知る由もないのだが。
――普通に魔法で倒せましたよ。
臆面なくそう言うであろうと予測し、フィニスに釘を刺す幽霊がいる。
『魔法のことは言わないでよ。使えること自体は珍しくもないけど、〈神獣〉を倒せるとなると面倒事に巻き込まれるかもしれないわ』
瞬きで返事をしたフィニスは嘘を隠すときに使う最上級作り笑顔でもって答えた。心なしかキラキラの光が溢れている。
「頑張って逃げてきましたので、この通り無傷ですよ」
「えっ」という声が左手、ユウラから漏れた気がしたが笑顔で誤魔化す。実際は〈狼型〉を一刀両断で殺戮した訳だが現在の〈神覇王国〉でもそれができるものは数えるほどしかいない。英雄に祭り上げられるなんて可能性もあるくらいだ。
作戦は成功、言及されることなくガンフリットの顔を限界まで真っ赤にさせた。
「そ、それなら良かったですねっ」
「はい、良かったです」
案内されたのは正面入り口付近が含まれる地域、第一区の〈北東一番〉という名の宿屋だった。〈北青都市〉有数の宿屋だけあって横にも縦にも長い人気宿泊施設となっている。
外観にも気を遣っているようで大理石のような珍しい岩石も取り込んでいた。
「ありがとうございます、ガンフリットさん」
「い、いえこちらこそ! さ、さようならっ」
ぶんぶんと頭を下げる青年は踵を返すとダッシュで駐在所の方まで走って行った。舞った土煙が消えてなくなる頃に三人は宿屋の木製の扉を開く。
「はい、いらっしゃい!」
はきはきとした大きなの声が聞こえてきた。ニコニコ笑顔のあたかもぼったくりを仕掛けてきそうなおばさんが受付台に立っていた。
一目でわかるように料金表が木の板に書かれており、新規の客にもわかりやすくなっている。
「えぇと、三人で一部屋だから……私いくら持ってるっけ……」
「一部屋、銀貨二枚だよ」
おばさんは快く教えてくれたが、フィニスの脳裏の財布の中には銀色の硬貨はなかった。大変情けないことにお姉さんには子供にたかるしか選択肢がない。
「ユウラちゃん、シエスちゃん……」
「お姉ちゃん……」「お姉さん……」
申し訳なさそうに名を呼ばれ、状況は確定、受付のおばさまは察したように呟いた。
「あー……もしかして無一文ってやつ? もう何年もここで働いてるけどあんたらで二人目だわ」
『……前にもいたんだ』
他人事のように女神がぼやいた。幽霊には宿もお金も必要ないのだ。
受付に微妙な空気が流れたが、思案げにフィニスは口を開く。
「受付さん、手っ取り早くお金を稼ぐ方法はありませんか?」
「手っ取り早く? その変わった身なり、旅人でしょう? ちゃんとした身分がなければすぐに働き口を探すってのは無理だと思うわ」
「やっぱりそうですよね」
「〈ギルド〉でなら何とかなるかもしれないけど…………あんた可愛らしいお嬢様じゃないの。あそこは強くなくちゃ入れないからねぇ…………」
「強く? 例えばどれくらい?」
「戦闘向きの中級魔法を使えれば入れるって聞いたことあるけど」
「そうですか、ありがとうございます。お金手に入れたらまた来ますね」
「まさか〈ギルド〉に行くつもり? やめた方が良いと思うけど。ま、止めても無駄だろうし、頑張んな」
ひらひら手を振るおばさんに見送られ宿屋から出ていく。
可能性が浮上したとはいえ、始めた都市に来た彼女らには〈ギルド〉とやらの実態はわからない。考えてもわかるものではないので聞き込み調査を敢行する。
「私、訊いてくるー!」
「わ、私も行きますっ」
「あ、ちょっと……」
双子姉妹も何かしたくて堪らなかったのだろう。あっという間に人混みの中に消えていった。
『行っちゃったわね。まあ、危ないところじゃないらしいし、いいんじゃない? 子供の方が警戒しないと思うし』
「そうかもね」
返事して、フィニスも街を行く人達に声をかけ始める。