4.代償魔法
◎
気づいた時には私はベッドで横になっていた。
学生寮――〈フレイザー〉が王女である私のために用意した謂わば別館の一室である。
上体を起こして時刻を確認する。カーテンをスライドして日の角度を計算した。
「午後の六時くらいか……」
ベッドから下り、掛かっている制服を持って寝室を出ると扉のすぐにエリが立っていた。
「エリ、私はどうしてここに? 訓練場からの記憶がないんだけど」
「フィニスエアルが護衛であることは覚えていますか?」
「そこまでは覚えている」
「では、彼女が……王家の血統に神々の血が流れていないことを公然のものにしたことは」
「あ…………」
そうだ。
フィニスさんが言ったその台詞を聞いて私は――思わず手を出してしまったんだ。
記憶は朧気だが、真っ赤になった視界だけは鮮明に覚えている。
「フィニスさんは大丈夫?」
「はい。彼女は一階のエントランスにいます」
「それは良かった」
怪我をしていないのなら一安心だ。魔法の暴発でもしてたら流石にタダでは済まない。いや、彼女ならばそれでも何とかしまうかもしれない。その実力があることを知ったばかりだ。
部屋を出て、階段を下ると中央エントランスが広がっている。一級の調度品、芸術品が所狭しに置かれていた。隣国の王女への対応だからとはいえ、機能性を重視する〈インぺリア〉の風習とは対極だ。
フィニスさんは金色の刺繍の為された四人掛けのソファーに座っていた。
紅茶を嗜んでいるようだ。丁度コップに口を付けたところ。
「御機嫌よう、フィニスさん」
「落ち着いたみたいね、レリミア」
優雅に微笑む彼女はやはり綺麗で見惚れてしまう。私が対面のソファーに腰を下ろすと、エリはお茶の準備に台所へ向かった。
訓練場のことがあり気まずいが、無駄に時間を掛ける方が無意味なので一息吸って切り出す。
「さっきのことなんだけど……ごめんなさい。動揺してただけだから」
「気にしなくていいよ。人間だから失敗もするよ」
本気で言っている目。片方モノクルだが。
器が大きい。欠けているものがないみたいに。
見た目も愛想も実力も、全てを持って生まれ落ちた唯一無二の存在。そんな風に思う。
だが、それは不自然というもの。初めて合う種類の人間だ、普通ではない何かは必ずあるのだろう。
「どうしてあなたはそんなに強いの?」
フィニスさんの核が一体何なのか。それが丸ごと答え。
戦力的な強さも、精神的な強さも。
漠然とした質問にも彼女は真剣に考えてくれた。
「強い、ね。私は自分を強いなんて思ってないけどね」
「あんな……――」刻まれているエリとの剣戟のシーンが思い浮かぶ。尋常じゃない腕だった、客観的に見て強くない訳がない。「――あんな力を持ってるのに?」
「うん。あ、そういうことか」
フィニスさんは不意に頷いた。
「私は世界にはもっと恐ろしい者が存在することを知ってるから」
すると彼女は左手に着けていたロンググローブを外した。
露わになったのは全面銀色の義手だった。グローブを外すまで気づかなかった。
「これは私が弱かったから課せられたものだよ。これで済んで良い方だった、運が良かっただけなんだよね。あれは死んでもおかしくなかったから」
肌色が半分くらいの位置で終わり、続きは銀色でできている。
腕がない。腕がない。腕がない――考えてみたら恐ろしい。それが英雄になるための代償と言うのなら重過ぎるし、誰もなりたいとは思わないだろう。
「それに、幾ら強くてもそれは弱くないことにはならないから」
「弱くない……」
エリがお茶を持ってきた。ティーカップに橙色の液体が注ぎ込まれる。湯気が立ち上り、匂いが広がった。
私には彼女の言っていることがあまりわからなかったけれど、見ている世界が違うのだと思った。私はフィニスさんのようにはなれないのだから。きっと一生わからない。
だから話は止めだ。別の大事なことを話す、
「……フィニスさんもいることだし、あの話をしましょうか」
「あの話って?」
「私が暗殺される、って話」
「あ。あぁ……そうだよね」
完全に忘れていた顔をしていた。
英雄とは思えない所業。英雄なんてもてはやされても彼女は年頃の女の子、そういうことなんだろう。どんなに凄くても暗殺も護衛も少女には重過ぎる事柄であることは変わりない。それは私達全員に言えることだけど。
「放課後、校長先生から聞いたわ。この国の貴族派が〈インぺリア〉を侵略しようとしていて戦争の火種として私の命を狙ってるって。それは知ってるわよね」
「はい」
「確かにあの状況じゃ戦争になったらすぐに終わるね」
「エリ、フィニスさん。本国から何か聞いてない? ……というか、あなた達は既に知っていたのでしょう?」
確信というほどではなくとも、可能性として視野に入っていたのは事実。フィニスさんが護衛だということがわかれば辿り着く結論だ。
答えるのはエリだった。
「はい、一か月前から本国から指示を受けていました」
「今のところは大きな動きはないの?」
「王族派の協力者からは暗殺者が雇われたことだけ。情報が入り次第報告することになっていますが、今のところはありません」
「フィニスさん、本国から何かある?」
「手紙を預かってたけど、王様からかな? 今は持ってないんだよね。取りに行こうか?」
「明日でいいわ」
戦の英雄である彼女を派遣してくるということからも、暗殺者の戦力が窺い知れる。後手に回てしまえば押し切られるだろう。
先手を取ること、それが一番大事だ。そのためにも情報が欲しい。
「明日からは彼女――〈傾国〉と共に行動することとなります。どうかかご理解を」
コードネームというものか。
名称に関しては文字通り、という感じだ。
「そういえばそんな名前も付けられてたなぁ……ちなみにエリの名前は?」
「〈剣士〉」
「見たまんまだね」
情報交換だけで進展も見られないと思ったのでこの話を終え、別の話題に移り変わる。〈インぺリア〉の現在の状況についてフィニスさんから聞いた。〈天剣騎士〉のお爺さんが引退したり、世代交代して騎士団長が変わったりと内側でも大きな変化が起きているようだ。国の復興も無事に進んでおり、人々の顔も明るいようだ。なればこそ。
「そっか、それなら戦争なんて起こしちゃダメね」
「うん。レリミアのことは私が守るから」
「っ、は、はい……」
そんな綺麗な顔で真っ直ぐ見られたら頷くしかないじゃないか。
◎
暗殺されよう、という時も私達は授業を受けている。
王立ハーミタル学園の敷地の外周には高度な結界魔法が仕掛けられており、正面入口以外の侵入を断固として拒んでいる。喩え、星雲級の宮廷専属の魔法使いでも破壊することはできないだろう。
当然、暗殺者と言えどもだ。しかし、〈英雄〉と呼ばれるような比類なき人物までも屈服されられるかは怪しいところだ。
ともかくその英雄が隣にいれば大丈夫だろう、という判断の末私は学校に通っているのだ。急いていても仕方ない。
さて、今日の授業は〈代償魔法〉について。
上級魔法、合体魔法、魔法作成まで収めた私には特別選抜クラスの授業と言えど聞き流すほどだが、この単元だけは違う。これは魔法に特化した〈フレイザー〉でしか習わない魔法技術だからだ。
文字通り代償を条件に魔法に特定の作用を起こす術である。
これが実に興味深い。
教壇に立った教師が魔法で黒板に文字を描いた。
「〈代償魔法〉の最たる例は所有権です。魔道具に所有権という代償を与えることでより強力にすることができます。代々家系に伝わる魔道具は血を媒介として所有権を与えたものです」
そう、例えば〈神剣〉。私の実家に、数千の歴史のある宝剣が封印されていた。その剣はインぺリアの血統にしか使えないという伝説が残っていた。
「魔法として使う場合、特定の性質を糧に他の特性を助長します」
火・土の混合属性上級魔法《火炎徹甲弾》を黒板に描いて、そこに代償を加える。
「拡散効果の減少、射程範囲を三分の一にすることで威力を一・三倍にしました。代償魔法の難しいところは代償に見合った結果が出るとは限らないところです。どんな効果が出るのかも実地で調べるしかありません。細かく設定すればするほどより強力に作用します」
一・三倍を少ないとは思わないが、確かに、代償と比べたら小さな数値と言わざる負えない。
代償魔法の効果は使用者の実力と、魔法の相性により大きく左右されるらしい。応用が利くという点では優秀だが、即興で使える便利技ではない。長い時間を掛けて成立させるものだ。
つまり、地道に頑張るタイプの魔法。凡人が、天才に追いつける唯一にして絶対の技である。
「うん、そうだよねぇ……」
いつもは微妙そうな反応のフィニスさんも今日ばかりは満足そうに頷いている。
「何かわからないとことかあるの?」
「あるよ」
「教えてあげるわ」
そう言うとフィニスさんは満面の笑みを浮かべて「本当!?」と寄って来る。
「ほ、本当だけど……?」
「じゃあさ……あれ……教えてよ」
「あれ?」
「コンサートホールのある場所教えてよ」
授業には全く関係のない話だった。それに脈絡も不明だ。
フィニスさん、もしやあなた不真面目な生徒ね?
「折角〈フレイザー〉に来たから国内最大規模のコンサートホールって奴を見て見たくてさ」
「全く呑気な人、あなたって」
普通の少女だ。
けれど、彼女には笑顔が似合っている。この笑顔のためにできることがあるなら何かしたい、と心の奥底が熱くなるのを感じる。これってやっぱり恋……みたいなものだろうか? 限りなく近いものであることは認めなくてはならないだろう。
観光客が一目見たくなる気持ちもわかるが、フィニスさんは音楽を聴きに行きたいのだろうか。
「見るだけ? それとも楽団の演奏を聴きたいの?」
「勿論、聴くよ」
「あ、そう……あそこはね、一般人が立ち入れないとこなのよ。貴族とかしか利用できないの」
「え、えー! 入れないの!?」
「残念ながら」
フィニスさんは大袈裟と言うくらいがっくり肩を落とした。
「そんなに見たいの?」
「そりゃ、人生に一回くらいは見ておかないと後悔するから」
一〇代の内からそんなことまで言うことはないと思うけど、暗殺される身としては反論できない。
だが、いい機会かもしれない。
「貴族は貴族でも〈フレイザー〉のとまでは言ってないわ。例えば、隣国の貴族……それも王様の娘とかだったら……」
聞いた途端、彼女の表情が花開くように華やいだ。
幸せだ。キラキラな瞳に吸い寄せられる。義眼と言われても信じられないくらいに輝いていた。
「連れてってくれるの?」
「フィニスさんさえ良ければ」
「もうっ、レリミア好きっ!」
がば、っと抱き着かれた。あ、当たってる。口に出すのは憚られるがすごい、とにかくすごい柔らかかった。
とは、言ったものの勝手に決めていいことではない。
「エリ、次の休みにコンサートに行ってもいいかしら?」
フィニスさんには悪いがエリが断るつもりなら諦めてもらう外ない、と思っていたがエリの返答は意外なことに肯定的なものだった。
「たまには息抜きも必要でしょう」




