29.最終決戦の終幕
『あ、あ、ああああぁっ――、フィニス!?』
ウェヌスは放物線を目で追って悲鳴を上げるが手を伸ばそうとも物理干渉は阻まれる。
人間らしい赤い血が血統が切れたことを意味する。
それは途切れかけていた集中が完全に失われたことを示していた。
今のフィニスで言えばすなわち死を意味する。
まともな着地もできずに地面を転がった少女に幽霊女神が駆け寄った。
耳を済ませれば――ヒュー、ヒューという薄い呼吸音がある。肺に穴でも開けられたような死にかけの吐息だった。
『フィニス!』
ただ呼吸だけに集中していたからか聴覚が普段よりも研ぎ澄まされているように感じた。
「ま……だ……」
呟くが、もはや身体を動かすこともできない。
腕を振り抜いた風神はフィニスを見下ろした。
「〈神剣〉を折る程度できんと思ったか? どうやら、それが切り札だったらしいな。ならばもう終わりだ」
焦りの伝わる冷たい声で言い放った風神は暴風の塊を作り出す。
ただ物体を抉って壊すだけのエネルギー。地上にぶつかりさえすればいとも容易くクレーターを作り出すだろう。射出されればフィニスは確殺だ。
フィニスは魔法で身体を浮かした。真っ赤な鮮血は未だ赤い。
「あと……少し、なんだ…………」
全身に力が入らず剣も持ち上げられない状態。
ほんの少し力を込めるだけで血統を再起することができるのだ。
しかし、そのほんの少しが遠い。
――呼吸が辛い。
――視界が歪む。
――身体が痛い。
――でも、あと少しだから。
左腕から滴る血液の動きが止まった。まるで腕が透明化しているかのように血流が再開される。
昔から体内部エネルギーの操作は得意だった。
最低限の行動ができるくらいの体調を整える必要がある。
肉体的限界は度外視。生物的限界だけを求めた。
だが、敵がそんな時間を許すはずがない。
◎
「――まったく世話が焼けるんだから」
遥か遠くの地、紫色の魔女が呟いた。
◎
その瞬間、風神目掛けて空から流星が飛来した。
隕石の魔法。
攻撃を知覚した風神は暴風の結界を張り巡らせる。
過剰に炎熱した岩石群が結界に衝突する。
喩え、宇宙から降り注ぐ隕石とはいえ、風神の結界を突き破るには至らない。
――だが、突き破った。
その感触を肌で味わった風神は驚愕と憤怒を露わにして叫んだ。
「――血統外の対神魔法……!?」
結界を超えた隕石は風神を圧死させんばかりに降り注がれる。
フィニスの攻撃にもついぞ顔を曇らせることがなかった風神が明らか本気で防御態勢に入っていた。下手すれば〈神剣〉の一撃よりも強い。
「ゴォごオオオオオおおおおおォォォ!!!」
風神が雄叫びを上げながら流星に耐えている間にフィニスは残りの〈神剣〉に力を注いだ。
――これが最後のチャンス。
『わかってるわね』
耳元で強張った声が聞こえたが。雰囲気に飲み込まれることなく少女は答えた。
「もう、終わりにしよう。《黄金血統》!」
鮮血が瞬く間に黄金に変化する。
光輝は剣身に集約し、奥義を解放した。
「《因果創生崩滅》」
あまねく光を飲み込む暗黒が宿る。
――流星雨が止んだ。
フィニスは満身創痍の風神を捉える。
それでも〈神〉は立ち塞がった。
「やはり、人類は害悪だッ! 滅びを迎えよッッッ!!!」
幾重にもなる魔法陣を貫いた両腕が叩きつけられる。
地盤ごと抉るであろう大陸破壊の双撃が繰り出された。
人類に捉えられない速度、回避不能だ。
フィニスは右手で剣を構えて、言った。
「――《運命転移》」
〈恒星神剣〉が風神の胸に突き刺さった。
気がついた時には突き刺さっていた。
フィニスがいたはずの地表が粉微塵となって砂と化す中、風神からは純粋な緑色の血液が溢れる。
「…………は……?」
それは魔女直伝の転移の魔法。
但し、使用者は好きなところに飛べるのではなく、使用者が今現在いるべき場所に飛ぶ効果。
つまり〈運命〉がこの選択をしたのだ。
この結果をフィニスは掴み取ったのだ。
「ふざけるのも大概にしろオオオオオおおおおおおおおおオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
全身から暴風を吐き出して風神はフィニスを睨みつけた。直近過ぎて手を出すことはできないようだが権能でもって抗う。手加減などあるはずもない、それだけ切羽詰まっていた。
ありったけの力を剣に込めて突き刺すがいささか力が足りず、空気抵抗に耐えるのがやっとで奥に差し込むことができていなかった。
「本当にっ、あと少しなのにっ!」
『フィニス……!』
必殺を押し込むだけの余力が残っておらず、徐々に血統の黄金が薄れていた。
死が見えていた。
絶命が聞こえていた。
あと少しだけ、ほんの少しだけ。
あと一人が、少女のようなか弱い力背中を押すだけで勝利は掴める。
「ウェヌス」
フィニスは呟いた。
そのか弱い少女の名前を。
「最後に力を貸して……?」
荒れ狂う暴風の中で問い掛けた。
『無理よ、私は幽霊だからっ』
「大丈夫だよ」悔しそうに歯噛む女神に笑いかける。「だから――手を伸ばして」
◎
――今から大体一〇年前くらいのこと。
私は約一週間ほど誘拐されたことがある。
あれはまだウェヌスが母親に取り憑いていた頃だったと思う。
私はよく家の近くの森に木の実を採りに行っていた。家には何もなかったので暇潰しとして気ままに、赤い果実を求めて散策していたのだ。
何のことはない日常の出来事である。
しかし、その日は違かった。
大樹のほとりに横倒しになっている大木に腰掛ける者がいるではないか。
マントで身体を覆い隠し、顔までも布で覆った旅人らしき服装の男。石像の如くまったく身動きの取らずに座っていた。
見た目以外の情報はまったく得られないというのは異常なことだ。
とはいえ子供だった私は、家族以外の人との接触自体が初めてだった私は、無邪気に無警戒に彼に近づいた。
「きみだあれ?」
そんな質問をしたと思う。生意気な子供だ。
彼は敬意が微塵もない質問に驚くほど素直に答えた。
「――渡来人」と。
同時に手を伸ばしてきて、私の頭に優しく乗せる。不思議な感覚だった。
次の瞬間、魔法でも使ったのか意識を刈り取られた。
目覚めた時、私は見覚えのない泉の前に倒れていた。
耳元で流れる水の心地よい音に飛び起きる。
起き上がって見ると、隣には同じように倒れる子供が他に二人いた。同じような年の少年と少女だ。
そして、渡来人と名乗る誰かが私達を見下ろしていた。
彼は私を含めた三人の子供を見回すとそれぞれに声をかけるのだ。
少女に向かって「あまねく否定を」と。
少年に向かって「絶対の平等を」と。
最後に、私に向かって「常に愛を」と。
その言葉がどんな意味だったのかはわからない。
しかし、『愛』を託されたことは直感した。他の二人には『否定』を、『平等』を。
その瞬間から私の胸には『愛』が生まれることとなる。
目的は終えたとばかりに渡来人は消えた。
それから一週間、私達はどこかもわからない場所を巡ってそこが空中に浮かぶ島だということを知る。だが次の日、起きてみれば近場の森林にいた。
そんな不可思議な体験。
両親に心配をかけてしまったことから、その日以来私にはウェヌスが取り憑くこととなる訳だがそれはまた別の話だ。
――『愛』とは繋がる力だ。
――無償なる、純粋なる愛はどんな隔たりも越える絶対不変の真実。
――善も悪も、有も無も、すべてを覆い尽くす。
◎
愛の前では人類と神、人類と幽霊にも隔たりはない。
ウェヌスの手が、フィニスの背中と剣の柄に添えられると黄金の燐光が舞った。
「もう眠りなさい、〈風神ヴェンタス・アーラ〉」
黄金に染まった刃が風神の胸を貫く。
この時だけはウェヌスに実体があった。声を発すれば聞こえ、物に手を伸ばせば触ることができる。
風神は台風の如く苛烈な怨嗟をあげた。
「裏切り者がッ! 裏切り者がッ! この裏切り者があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! どうして我々の道を阻むッ!?」
鋭い声が風の刃となって降りかかるが煌めきに変換される。
「ウガぁあああああ――どうしてッ、どうしてなんだッ! ウェヌス・ベルルム!?」
怒りだけではない、心なしか必死な哀らしさを感じ得た。
それも『愛』が為す力か。
神話大戦の遥か前から戦美神と風神には交流があった。
あらゆる〈神〉が共生していた優しい時代。
最終的には、神々さえも魅せた女神は人類側についた。
その理由は誰にも、神々にもわからない。だから憤怒するしかない、それしか感情を発露する方法を知らなかった。
「どうしてか、よくわからなかったけど……今なら言える」
ウェヌスは思い返すように言う。
「私は可能性を信じたかったんだ。人間は愚かだけど、悪いことばかりじゃない、って」
「愚かなのはお前だあああああッ!」
「そう――」
心底詰まらなそうに答えるとぐっと力を込めた。
「終わりにしましょう、フィニス」
「――うん」
黄金の光が暗雲を斬り裂いた。
戦争は終わった――。