27.運命の導くまま
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突如として騎士学院の校庭に落ちてきたのは禍々しさまで感じる流麗無二の黒剣だった。
神殿のあった方向から飛んできたことに予感を抱きつつ、砂埃が晴れたのを確認してからフィニスは少年の肩を借りながら落下物の下まで歩いていく。
数秒の観察で十分だった。
剣に〈神〉の力が宿っていることに気づくには。
「これは……」
愛剣の〈十字偽剣リオ・グラント〉と同種、否――それ以上の力が込められている。
フィニス少年に預けていた体重を戻して柄に手を伸ばした。
『――やめなさいっ!』
寸前、激しい静止の声に震えて手が止まる。
聞きなれた澄み渡るような女性の声だった。虹色のスペクトラムが差し込んだ天衣を纏った美女が空から降って来る。
「ウェヌス……」
『剣を取ってはダメよ』
道を阻むように前に出ると両手を広げる。幽霊なのだから物理的な意味はないが、見ることができるフィニスだけは止まらざる負えない。
『あなたはまだ戦おうとしているのね。その傷で血統を使ったら間違いなく死ぬわ』
「そう、だね……」
少女の両の掌からは鮮血が今も滴り落ちている。このまま突っ立っていても大量出血によるショック死するだろう。
そして、適切な治療を受ければ今なら生きることができる。
だが、それでもフィニスの胸にある覚悟が揺らぐことない。生まれた頃からの付き合いのウェヌスにはその心情がありありと見て取れた。
『あなたが行く意味はあるの? セントラリスは彼なりの覚悟を持って戦場に向かったのよ、あなたの助けはいらないかもしれないわよ』
「ユウラとシエスと約束したもん」
『でも、それであなたが死んだら意味ないでしょう!?』
「絶対に死なないよ」
『それじゃあセントラリスが死ぬ選択をするのよ!』
「それでも…………後悔だけはしたくないから。ここで引いたら私はきっと死にたくなるから」
真っ直ぐに生きるために死ぬなら本望。
その思考は酷く歪んでいる。歪曲している。生きていなければ何も始まらないというのに。
だが、フィニスの出生を考えれば致し方ない。だからこそウェヌスは歯がゆく、哀しいと思う。
――せめて、希望があれば良かった。
――少しでもフィニスの願いが叶えばどれだけ良かったか。
『フィニス…………本当は言うつもりはなかったけど、こうでもしないと止まらなそうだから言うわ』
胸にしまい込んでいた事実を告げる。それがとどめになるとしても止まってくれるなら、とりあえず生きてくれるなら、と。
『今の王家インぺリアには血統の力はないわ』
「!」
『恐らくは影武者の家系なのよ。だから、あなたがいくら功績を上げようとも、国を救おうとも、喩え〈神〉を打倒したとしても、あなたが生きることはできないわ』
〈最終決戦〉にて武勲を得た英雄達の中には自ら国を作った者もいた。だが、平和が続いた後のいつか血を悪用されてはならぬ、といつしか影武者の家系と入れ替わったのだ。完全に成り代わり、代わっている本人さえ知らずに国が存続されることとなった。
プロイア王子に血統の力はない。
セントラリスと邂逅して確定した。
いくら念じようとも〈神剣〉の力を引き出せない訳だ。その上、〈神剣〉がフィニスに引き寄せられたことで確信した。
起源神の血統として伝わっていた彼らがただの人類とわかった。それはフィニスの死がぐんと近づいたことを意味する。
「……じゃあ、起源神の力でこの身体の過去から力を引き上げるってのは?」
『できないわ。だから、あなたは二年の内に死ぬわ』
「…………」
そもそも今の時代まで血統が継承されていたかも怪しい。
セントラリスやフィニスが血統を引き継いでいたこと自体が奇跡だと言ってもいい。フィニスが死ねばパルセノスが滅亡することを考えれば、終わった血統の数も少なくない。
「そっか」
ぽつり、と呟いたフィニスは先程よりも小さく見えた。
行っても死ぬだけ。
生きていたとしても間もなく死ぬ。
だけど、立ち止まれば確実な二年。
目の前にある足が竦むような選択肢が心を凍らす。永遠に止まってしまう冷たく透明な結晶に包まれた。
だが、心から滾るのはどこまでも熱い闘志。停滞していた時間が動き出す。
一歩踏み出すと、迷いなく〈神剣〉を掴んだ。幽霊女神ウェヌスの腹部を貫いて。剣はすり抜ける。
「血が言うんだよ…………〈逃げずに戦え〉って、〈理不尽を許すな〉って叫ぶんだよ!」
『それは――!』
「抗おうともこの血が戦場に導くの…………戦いたい、死力を尽くしてこの血を流したいとさえ思ってる……!」
『フィニスっ……』
「誰かを守りたいなんて後付けだよ。私はずっと…………あの戦場を見てからそればっかり考えていて――きっとこれが紛れもない私の本心だから」
剣を地面から抜くと黒剣の腹に白線が刻まれた。〈血統者〉が所有することで本来の力が目覚めたのだ。フィニスの脳内に真銘が浮かび上がった。
――〈恒星神剣アトゥルム・ステルラ〉――
「アトゥルム・ステルラ」
名前を呼ぶと黒剣の剣身から完全吸収色の黒のオーラが飛び出す。〈十字偽剣〉を使った時とは比較にならないエネルギーが手元で渦巻いた。
血の脈動が疼いて傷口を開く。
「あ、あの……」
少年が展開に着いていけないという風に声をかけた。それか独り言するヤバい奴だと思ったのかは定かではないが。
「まさか戦いに行くんですか?」
「うん、そうだよ」
慈愛ある微笑みで言うものだから男子学生は次に何を言うのか忘れてしまった。
「学院生徒はまだ避難していないみたいけど、君も早く逃げてね」
「ぼ、僕も――」
フィニスは無言のまま首を横に振った。視線を少年からウェヌスに向ける。
「私は〈神〉を倒しに行くよ」
『なんで……なんでそんなことするのよっ……』
「!」
女神の頬に煌めく雫が流れ落ちる。
姉とか母のようだったウェヌスが泣く姿など生まれて始めてだった。
「……ごめんなさい」
『謝るくらいならっ、行かないでよっ……』
幽霊女神ウェヌスを見ることができるのは血の繋がりがあるフィニスだけ。フィニスが死んでしまえばウェヌスは終わりのない孤独に苛まれることになる。何故ならば幽霊は死なないから。
生きていて、ただ無意味に生きるだけの孤独だけしか待っていない。
彼女は数百年かけて幾人の死を看取ってきた。その終わりがやってくるのだ。それでも自分は終わらないのに。
決意を翻さないフィニスに言えることはただ一つだけ。
「私は死なないから…………戦いが終わっても長く生きられる方法を探して寂しくならないようにするからさ…………」
『何でそんな希望を持たせることを言うのよ』
フィニスが涙を止めようと手を伸ばすが感触なく雫はすり抜ける。
触れることができればどれだけ良かったことか。ままならないことに言葉でしか伝わらない。
伝染したかのようにフィニスの目頭まで熱くなった。
狂おしいほど愛おしく想う。
――愛――
「嗚呼、私はそれでも行くよ。だから着いてきてよ」
その言葉にどれほどの重みがあるのかわかっているからこそ、言い難かった。心からの言葉だからこそ逃げ道がない。
『うんっ』
ウェヌスが頷くこともわかっていた。
ゆっくりと目を伏せて王国を囲う大きな壁を見上げる。足元に魔法陣を描くと身体にかかるエネルギー統合して数百メートルを軽々と跳躍した。全身に吹き込む冷たい風を推進力に変換して空を駆ける。
ぎちぎち、と節々が軋むが痛みに声一つあげずにその先にあるであろう崩落した神殿を見遣る。
『…………言っておくわ。あなたの先祖、初代の〈血統者〉が強かったのは吸血鬼だったからよ。無限とも言ってもいいくらいの血液を垂れ流すことができたから互角以上に渡り合うことができた。あなたはそうではない、それだけは覚えておいて』
「わかった……」
『そうでなくても血の濃さに耐えられないんだから』
重々承知である、それが原因で寿命が短くなっているのだから。それでも今はその事実を改めて問い直さなければならない。
そして、その末の答えを出さなくてはならない。
――私の戦う意味を。血の声じゃなく、私の声で……!
流星の如き光の塊は暗雲を貫いて〈使徒〉の蠢く戦線領域に突入した。