26.神撃
◎
フィニスが〈神〉と相対する数刻前、騎士団の視線の先には〈使徒〉の大軍とそれを指揮する〈亜神〉がいた。
急遽集められた騎士達では物量差で圧し潰されることは明白である。完全に統制された動きで周囲を囲まれた騎士は敵地のど真ん中で孤立した。
だが、数が多いことは織り込み済みだ。当初の作戦通りにことは運んでいた。
あくまで、成功率は度外してだ…………元より、騎士団の攻勢も希望的理想論を元にして行われていることを考えればそれも仕方のないことではあるが。
〈天剣騎士〉とおおよその騎士はじりじりと迫って来る〈使徒〉、〈使徒帝〉の対処を任された。
地平の先まで埋め尽くされた光景を見て〈風の天剣〉ことスピリギナは表情を険しくして呟く。
「これ…………流石に絶望的じゃないですか?」
「そんなことはとっくにわかりきっていたことだろ」
リーダー格の〈炎の天剣〉トマグノスが言い捨てた。
「まず死ぬだろうな、我々は」
「…………遺書の一つでも書いておけば良かったかもしれません」
「受け取る者が生きているとは限らないがな」
王国民は壁の外へ、さらには領地の外へ逃げようとしている。王国唯一の隣国へ雪崩れ込んだとしても、助かる保証はないというのに。
「だが、妄信してやるしかない」
「ですね……おじいちゃんのためにも」
老人騎士〈黒の天剣〉のティプロトは先の戦いで負傷し、王城の一室で寝ている。足止めに徹したトゥリアルトも合わせて、現在〈天剣騎士〉は五人しかいなかった。
スピリギナは抜剣すると「天剣起動!」と叫ぶ。剣身が緑色に発光し、つむじ風が巻き上がる。
「じゃあ、先に行かせてもらいます。急がないと義妹が来そうなので!」
〈使徒〉を腕力で薙ぎ倒しながら女騎士は化物の海に飛び込んだ。「続け!」とトマグノスが指示を飛ばすと他の騎士達も剣を掲げて突っ込んでいた。
◎
〈天剣騎士〉達が押し寄せてくる神々の作り出した生物を押さえる中、司令塔を叩くべく王国の王子プロイアは風亜神に立ち向かう。王国最強騎士でさえ敗北してしまうような敵に勝てる道理はなかった。
団長、副団長等の騎士はそこまでの道の露払いをする。
王子プロイアは目の前の巨体を睨み上げた。そして、腰に巻いた宝剣を引き抜く。
「〈神剣〉の錆びにしてくれる! 今こそ目覚めろ、私に眠る血よ!」
プロイアの全身から魔法的エネルギーが吹き出した。黒剣は反応していないことに気掛かりを抱きつつ、プロイアは風亜神に向けて突撃する。
「はあああああぁぁぁッ!」
地面を蹴って風亜神に肉薄すると〈神剣〉を振りかぶった。
その瞬間、妙な静寂が流れる。
〈亜神〉の目には鈍重に迫る剣が捉えられていた。迎撃対象はすぐさま決まり、視線だけで魔法を行使する。
「目覚めろおおおおおおおおおおッ――がッ……!?」
捻じった身体を巻き戻す寸前で、打ち上げの暴風に直撃した王子の身体は放物線を描いて後方の戦線へ投げ出された。
追撃は王子にではなく、彼の手放した〈神剣〉に向けられる。
暴風のレーザーが黒剣に向かって放たれると遥か彼方に押し出されて空に消えてしまった。
――どうして。
――〈神剣〉は。
――私は〈神〉の血を受け継いだはずなのに。
――世界はこれで終わるのか?
――私が負けたから。〈神〉の血を使えなかったから。
飛び込んできた騎士団長に抱き留められ、揉みくちゃにされながらプロイアは失意に暮れる。彼には王家に連なる者としての自信が崩れ去る音が聞こえていた。選ばれし者という自惚れが、肩にのし掛かる期待が、目の前を真っ暗にする。
一番の迎撃対象を消し飛ばしたこと〈亜神〉の中で優先度は人類種に移行した。騎士団を纏めて消し飛ばす螺旋状に収束した旋風が放射された。
圧倒的な暴力、見上げるほどの塊に誰もが茫然とする。どうしようもない、と直観してしまうからだ。
「――まったく、介入するしかないじゃないか」
翡翠色の閃光が暴風を上から叩き潰した。鉄砲を暴発したような鈍い爆発音は地面に響く。
深緑を思わせる玲瓏なオーラを見た瞬間に風亜神は叫んだ。
「ガアァ……コノ〈血統者〉ガァッ!」
威嚇の《神威》が真っ直ぐに突き刺さるが翡翠色の血統の男はどこ吹く風で相対する。
「ここまで喋る個体は初めてだな…………まぁ良い、寄り道している時間はない」
白色の〈神剣〉を抜くと緑の魔法陣が剣に貫かれる。
撃ち込まれる風の砲弾を〈断絶〉の属性が付与された剣でさばくと、風亜神に斬撃を見舞った。
「コノ〈血統者〉ガァァァァァ――ッ!」
「同じことしか言わないか……」
烈風の射出を避けながら男――セントラリスはため息を吐いた。
期待した自分が馬鹿だった、と言わんばかりの落胆の感情を込めて斬撃魔法を練る。
「《断絶烈剣》」
剣の射程外の間合いだった。
しかし、風亜神の身体は真っ二つになり光の塵となって消え去る。《神威》が解除され騎士達の弛緩した息が少しずつ漏れ始めた。
セントラリスが腰に剣を収めると、騎士の一人が彼に声を掛ける。騎士団長だ。
「あなたは…………いや、その力は…………」
触れ難い光を纏うセントラリスに何と声をかければ良いかわからず上手く言葉を紡げなかった。神の力ならではの触れ難い、恐れ多い輝きだったからだ。
「今更…………騎士団は下がらせた方が良い。無駄に死ぬだけだ」
少なくともセントラリスから離れれば敵に襲われることはない。今時点で騎士団に〈使徒〉が襲い掛かってきているのは〈血統者〉がいるからだ。
「ここからが本当の戦争だ」
「……本当の?」
「――正真正銘の〈神〉だ」
風神がどこにいるかはわからない。しかし、近くにいることはわかる。
セントラリスは少し前に波を一瞬だけ感じていた。直後、王国の外壁が一部崩れた訳だがそこまでは気づいていないが。
しかし、彼には一つの懸念がある。フィニスの動向だ。彼はできるだけ早くこの件に蹴りをつける必要があった。
――血が切れるのも時間の問題か……。
時間制限を気にしつつ、移動を開始しようとした。
その寸前、ゴオオオオオッ――という轟音と共に砂埃が押し寄せる。
「ああああああああああ!」という悲鳴が騎士連中から上がるが地響きの中に掻き消された。中には岩石も交じっており、頭部を強打して倒れた騎士が多数現れる。
煙霧が晴れた向こうから煌々と存在が少しずつ見えてきた。
刺すような輝煌にあてられて誰もが言葉を失う。畏れ、崇拝する絶対なる存在、常に祈りの対象となる目を逸らしたくなるそれは間違いようがない。
慈愛らしき瞳を開けて〈神〉――風神は人間を見下ろした。
「あ…………ぁ…………」
とある騎士から感動のあまり出た嗚咽。
――本当に〈神〉は人類の敵にだったのか?
そんな疑問まで浮かんでくる。
風神の手に風の塊が集まった。象ったのは奇妙な形をした緑色の剣の刃は枝状に伸びている。
その行動の意味は考えずともわかる。人を斬るためだ。特にセントラリスのような〈血統者〉を。
「《断絶烈剣》!」
気づいた時には剣は振るわれ、横薙ぎが〈神剣〉と激突した。五倍の大きさがある〈神〉の腕力を受け止められずセントラリスは弾丸のように弾き飛ばされた。
ぐはッ、と血液の塊を吐いて転がる。
起き上がる足取りは重い。深緑の血液が赤く点滅した。
「血を流し過ぎたっ……」
血を失えば力を、二つの意味で停止を意味する。
意志力を振り絞って剣を構えた。数瞬までいたはずの風神がそこにはいない。
「――あれから何年が経ったのだろうか……私が眠っている間に人類は大きく変わったのだな」
身体を覆う黒い影から諭すような声音が聞こえた。
セントラリスは思わず震え、息を飲んだが振り返らずに耳を傾ける。殺意がないことは十分感じ取れたからだ。
「人類が想像以上に増えていた。しかし、魔法技術は格段に衰えている……」
規格が合わずにノイズの混じったような声からは僅かだが感情のようなものが漏れ出ている。
「弱過ぎた。私だけでは危険かと思えたが、これなら楽にできるのではないか?」
「…………させると思うか?」
「あの時代でも神々に比類する〈血統者〉は数えるほどしかいなかった…………お前はその器ではない、敗北する道理は存在し得ない」
「それはどうかな、そう言って負けたんだろう?」
安い挑発に乗ることはない――そう思われた。
だから、本人すらも予想外な展開。
ただそれだけで人を殺しかねない殺意が降り注ぐと、身を翻して〈神剣〉を横に構える。
「《真・円環剣刃斬》!」
とにかく飛んでくる攻撃を斬り裂くことだけを考えて剣を振った。
伸ばされた巨大な掌に斬撃は放たれたが、微動だにせずにセントラリスの身体を握る。
「な、そんなッ!?」
「いつの時代も…………」
「ぐぅッ……!」
風神の手の中で握り潰されて骨が軋み、耐え難い激痛が走る。
「……人間というものは愚かだ。幾星霜を超えようと学ぶことなく〈神〉にあだなすとは……! 絶滅しろ人間――!」
天に掲げた腕を思い切り振り下げて、セントラリスを騎士団目掛けて投げつける。砲弾はとある騎士の上半身を吹き飛ばしてもなお止まらず、岩石地帯に突っ込んでようやく停止した。
電池が切れたように深緑色の光は失われ、全身血濡れの男だけが岩の中に倒れる。
それでも〈神剣〉を手放さなかったのは強靭な意志があったからだ。しかし、彼には届かなかった。
「〈血統者〉がいなければもはや障害はない。私一人で人類を滅ぼすのみだ」
騎士団に対処できるレベルはとっくに超えている。
今更、誰が何をしようと無駄。見ればわかった。見なくてもわかる。何もできないのだから、何もできない。
蟻が何をしようと象に勝てない。ただそれだけの話。
風神の右腕に旋風が巻き付いた。圧倒的濃度の魔法が幾重にも重ねって練られている。
「《風の神撃》」
純粋なる魔法の暴力が空拳から飛び出す寸前、風神の頭が不自然に傾いた。首を六〇度傾けた体勢で動きは止まる。衝撃で発動途中だった魔法も解除された。
その光景、端的に脳天に大剣が突き刺さっている状態だ。
勿論、剣の所有者も引っ掛かっている。
ロケットのように飛んで来て、舞った藍髪が垂れた。ハウシアだ。
「なんかいると思ったら、ヤバそうな奴だね……」
ハウシアの重い声にも僅かの余裕が滲み出ていた。剣に力を込めて捻入れるとその肢体が炎上する。脳を内側から焼き焦がすつもりで超高温は放つ。
「《火炎桜》」
振り落ちる真っ赤な花弁が風神の頭上に触れると連鎖的爆発を起こした。
「ありゃりゃ……もしかして次元が違う強いって感じ……?」
白煙の向こうの微動だにしない姿に対して呆れ半分の言葉を漏らす。ハウシアは剣を抜こうとするがしっかり固定されておりびくともしない。
すぐさま手を離し、ハウシアは〈神〉の頭を踏み台にして飛び立つ。
「――いっ、やばッ!?」
反射的に後ろ向きの跳躍をした。
が、それは的になったようなものだ。避けることができなくなった。
ハウシアは蝿叩きの蝿のように待つだけの虫となり果てる。殺人的なエネルギーを纏う掌打が少女の柔らかな身体が不自然に折れ曲がった。ボギッ、という痛々しい破裂音と共に遥か頭上に振り払われる。
錐揉み回転する人影は数秒の内に視界から消えてしまった。
「〈血統者〉以外にもたまにいる…………稀に耐性が高い者が…………」
頭部に刺さった大剣を抜くと適当に放り出し、騎士達に視線を向ける。セントラリス、ハウシアを退けてようやくだが、張り合いで言えば吹いては消える蝋燭だ。それこそ指を鳴らせば鎌鼬が騎士団を根こそぎに切り刻んでしまうことだろう。
だがその前に突如、砂嵐のような耳障りな音が風神に届いた。視線を巡らすと死にかけながら足を引きずる男がいる。
先程叩きのめされたセントラリスだ。
「――息の根を止めたと思ったが、一〇〇〇年で鈍ったか」
「…………私が死んでも、お前だけは……っ……」
「死にかけの人間が何をするつもりだ?」
「断ち斬るだけだ――《翡翠血統》ッ!」
全身に広がる傷口から溢れ出る血液が瞬時に緑色に変貌する。
本来ならば血統は神器によって傷つけて出血しなければならないが、〈神〉による攻撃は同等の効果があるようだ。
また、出血の多さに比例して力を引き出すことができる性質がある。
「…………ぐっ」
吹き出す血液の量が多く、足に力が入らない様子だった。あくまでも人間が生きるための最低限度の血液量を残存させなくてはならない。
〈血統者〉として生きてきたセントラリスには血液量から何となく死期を悟ることができた。
「一撃で決めるしかない……」
決死の覚悟を宿して硬く剣を掴むと、バッと風神を見上げる。
――息が詰まった。
数センチも空けない直近で食い入るように風神が見開いている。烈風を纏わせた大きな掌が繰り出された。
剣を水平に倒して受け止めようと腕を上げようとするが、腕の方が急動に耐えられず地面にめり込んだ。すぐさま意識だけで八重の魔法障壁を展開するが風の刃に段階的に粉砕されていく。
肩を大きく落として立ち尽くすセントラリスに鉄拳が迫る。
「――って、勝手に私のこと忘れるなああああああああああキック!」
どんなルートを通ったかは不明だが、数刻前に空に消えたはずのハウシアが突如頭上から急降下キックする。セントラリスに伸びようとしていた手を弾くと回転しながら着地した。
「あれ!? 刺しておいた剣がなくなってる!?」
雰囲気など無視して愛用の剣を捨てられたことにショックを受けている。怪我は治っているようだ。
「すごく高かったのに……!」
「人間、何故生きている?」
風神は意外なほど純粋に満ちた疑問を零す。
「蜘蛛の巣に引っ掛かったんだよね」
「……〈血統者〉、お前の仕業だな」
ハウシアの着弾地点に血液の糸で作られたネットを設置しておいたのだ。
セントラリスは剣を杖のようにして上体を起こしているところだった。
「ギリギリだが血の結界が間に合ったようだ」
「緑に光ってる人、どうもありがとう」
「礼を言うくらいならそのまま逃げて欲しかったがな」
「冗談、最初から最後まで逃げる気なんてさらさらないけど? この神様ってのが全部の元凶なんでしょ。ならぶっ倒すだけ!」
あれほどの実力を見せつけられてもなお挑む気力がることには脱帽だが、非現実的な言い分である。
だが、〈血統者〉以外で〈神〉にここまで食らいついたのもまた事実。
――もしかしたら、突破口になり得るか……? 隙さえ作れれば……。
儚い希望ではある。それでも賭けるしかなかった。
それでもって、少しだけ前向きになれたから。
「気は進まないが、共闘と行こう。一矢報いることができるかもしれない」
セントラリスは出血を伴いながらも〈神剣〉を構えた。
「それもいいね」とハウシアが両手を打ち鳴らす。乾ききった音を聞いて、広げると炎でできた大剣が間隙から生まれた。
「そういうことでやっつけるから」
「いつの時代も人類は変わらないな。聞いていて、見ていて、感じていて――無駄に抗おうとする。存在から記憶まで全てが不愉快だ…………身の程を知れ、人間!」
とにかく理由もわからず不安になる黒い風が吹き抜けた。
搔き集められた騎士団と〈使徒〉、〈使徒帝〉の戦いをバックに頂上決戦が行われようとしている。だが、まだ一人のキャラクターが足りていない。
――運命は確定した。