23.おもわぬ再会
◎
「――ん、ぁ……ここは……」
目覚めると、そこは見覚えのない場所だった。朧げな視界と妙に薄暗い天井が眠気を誘ってくるが、フィニスは首を振って上体を起こす。
古びた木造建築の家屋の一室である。
ここまでの過程を遡るが、記憶に混濁が見られるようで靄がかって見通すことは難しそうだった。
『フィニス!』
「……ウェヌス」
『本当にっ、心配かけさせてっ!』
抱き着いてきても触れることはできなかったが、不可視でも温度は感じ取れた。もう一人の母親のように過ごしてきた女神が泣きじゃくるなど初めてだったこともあり、申し訳ない気持ちが立つ。
記憶があるのは〈亜神〉と戦うために血統を解放したところまで――。
死にかけたんだろうことはわかる。全身の至るところに撒かれた包帯を見れば想像を絶する傷があったであろうことは予想が着いた。
「ここはどこなの? 誰が私をここに連れてきたの?」
『それは――』
ベッドの両脇に子供が眠っている。
看病で疲れたのかぐっすりと息を漏らしているようだが、見覚えのある光景が記憶を掠めた。
右手側に赤髪、左側に青髪。まるで、というか全く左右対称の少女だ。
「え、え、な何でっ!?」
『興奮理由もわかるけど落ち着きなさい、フィニス』
「う、うん」
胸に手をあてて深呼吸すると、瞬間的に駆け巡った血液が収まる。
「どうしてユウラとシエスが……ここに?」
『それは――っと、私が説明するより彼に任せた方が良さそうね』
「彼?」
幽霊に首を傾げたタイミングで部屋の扉が開いた。
現れたのは筋肉の引き締まった壮年の男だ。
「…………?」
初対面のはずなのに妙な既視感を覚えた。出で立ちが、雰囲気が普通じゃない、と。
男は双子の姉妹が寝ていることに気を遣って静かに言った。
「ようやく起きたか……」
「えと、あなたが私を?」
「あぁ、そうだ。私はセントラリス・カルキノスという」
『やっぱりそういうことね』
名前を聞いて合点がいった、という風にウェヌスは納得するがフィニスが知る由もなく。
壮年の男――セントラリスは続けて言う。
「……君の名前を教えて欲しい」
「私はフィニスエアル・パルセノスです」
「〈パルセノス〉か……じゃあ、君もなんだな……」
「……私が、どうしたんですか?」
口振りがやたらと重かったので尋ね返す声も強張る。
不運を嘆くように、もしくは憐みもあったかもしれない。セントラリスは苦悶に似た表情を浮かべた。
「君は私と同じく英雄の血族、〈血統者〉なのだろう?」
「あなたも……」
お互いに、お互いが普通ではないことを感じながら言葉を咀嚼する。
「だから私を助けてくれたんですか?」
「それは偶然だ、それにしてはでき過ぎの偶然だがな。私は元より一人で神殿に現れる〈神〉を倒すつもりだった……私以外の血統など考えもしなかった。ましてやそれが娘の命を救った者だとは……」
「む、娘って……まさかこの子達の……?」
「ユウラ、シエスを救ってくれてありがとう」
若干否定して欲しい、という思いがないでもなかったが、感謝されればこそばゆいことだ。
「……だから道中あんなに〈神獣〉が出てきたんだ……」
田舎から王国に来るまでにとんでもない数の獣が襲ってきたが、それは〈血統者〉が三人もいたから。フィニス、ユウラ。シエス、単純計算で通常の三倍のエンカウント率である。
「でも良かった。ちゃんとお父さんに会えたんだね」
膝元で安らかに寝息を立てる少女の頭を撫でると微笑んだ気がした。
「君をここに運んだ時からずっと看病してくれたよ、随分とお世話になったようだ」
「とんでもない」
――頑張ったんだね、と内心で呟き、顔を上げる。
「〈亜神〉ってどうなりましたか? 記憶が飛んで覚えてないんですが」
「私が倒したよ」
「そっか良かった」
「しかし、残念ながら、もっと厄介なことになっている。本物の〈神〉が目覚めてしまった」
「〈神〉……正直よくわからないんですけど、どれくらい強いんですか?」
フィニスなら〈使徒帝〉ならば血統の力を使わなくとも戦うことはできる。〈亜神〉戦では血統の許容量に耐えきれず倒れたが、戦闘力だけを言えば優に超えていると言っても良いだろう。
では、その上位生物はどうなのか。
「〈亜神〉とは画する強さであろうことは予測できるが、如何せん底が見えない。だが、一撃で国を滅ぼすことができると考えた方が良いだろうな」
「国って、広過ぎやしませんか……」
「加えて、無尽蔵に〈亜神〉を召喚する力も持っている。今も神殿を陣取りながら戦力を作り出している」
「それって……ヤバくないですか? だって〈亜神〉を倒せる人って――」
――〈血統者〉しかいませんよね?
最後まで言わなくとも伝わる。
対神耐性を持つ〈天剣騎士〉に一人であるトゥリアルトが〈使徒帝〉と交戦していたが、それでもやっとだった。王国騎士に期待することはできない。
そして、フィニスは実質戦闘不能な〈血統者〉だ。
『あなたには無理よ。次使ったら間違いなく終わりよ』
セントラリスは持ってきた剣をフィニスに手渡してきた。
「この十字架の剣――どうやら疑似神器みたいだが、先の戦闘で壊れたらしい」
〈血統者〉が血統解放をする時には神器で傷をつけて血を外界に出さなければならない。十字偽剣が効力を失ったということはフィニスが血統解放する手段を失ったということでもある。ある意味ではその方が良かったのかもしれない。
「……後は私に任せろ。君はここで休んでいればいい」
「でも、一人じゃとても……」
「そうだな、だが、流れる血がそうさせるのだ」
これ以上何も言うことなく、彼は部屋を出て行ってしまう。
引き留めることができなかった。
流れる血がそうさせる――その言葉に射抜かれて口を閉ざしてしまったのだ。
茫然とするフィニスにウェヌスは声をかけた。
『彼がそういう選択をしたというだけだわ、あなたが気に病むことはないのよ』
「そうだけどね……」
――でも、私は戦いたいと、戦場に戻りたいと思っている。自分でも驚くほどの強固な意思で決めている。
それが彼女の意思なのか、血統のせいなのかはわからない。
舞い戻ってしまうのだろう、と朧げな確信があった。
「別に血統の力がなくたって戦えるしね」
『あなた……! こんな傷まで負ったのにまだ!?』
「ここでどうにかしないとどこに逃げたって同じでしょ。それに無茶のしようもないでしょ、剣もこの通りだから」
艶やかな色合いは失われ、色褪せたアルミニウムのような陳腐さしか残っていない。とても教会に安置されていた宝具には見えなかった。
亜空間に魔法で収納し、上体を下ろして仰向けになる。
「今何時かな?」
『あれから一二時間、午後の一一時。明け方には戦力を整え終わって〈風神ヴェンタス・アーラ〉が動き出すでしょうね』
フィニスが家屋をすり抜けた先の月を想像しながら自分に流れる血の意味を考えていると、女神が改まった口調で言う。
『一つ言っておくことがあるわ……本当はもっと早く言っておかなければならなかったんでしょうけど、ここまでの無茶をするとは思わなかったから』
「何?」
『あなたには回復魔法の適正がないと以前言ったことは覚えてる?』
「うん。吸血鬼の末裔だから魔法での治癒の相性が悪いって奴でしょ」
『その特性があなたにも継承されているのね。そこで問題なのが、誰かがあなたを治癒しようとしても相性が悪いってことなの。効果が薄くなったり、効率が悪かったり。つまり回復は徹頭徹尾期待しない方が良いってことね』
吸血鬼には元より治癒能力があり、魔法での治癒は完全に不必要な力である。吸血鬼としての血が薄まるにつれこの特性も失われていくはずだったが、≪黄金血統≫と共に今の時代まで継承されてしまった。
「……この傷も本来なら治っているの?」
両手だけではなく、頭から爪先まで包帯が巻かれている。治癒魔法が使われた後とは思えない傷の多さだ。
『その傷は負荷に耐えきれなかったことが原因の自壊だけどね。体内があなたの領域だったから今回は一命を取り留めることができたけど、外部から破壊された場合は甦生も補填も不可能。正真正銘の死を迎えるわ……』
「それじゃあ都合良すぎるもんね……次は気をつけるよ」
『本当にわかってるのかしら……反抗期なの?』