21.〈黄金血統〉
瞬間、飛び出たのは鮮血ではなく神々しく煌めく黄金なる血液。美と戦の神ウェヌスベルルムの血統を受け継いだ少女フィニスの秘めたる力が今、解放される。
噴出したのは世界にも匹敵する玲瓏なる輝きだった。灰色の圧力を打ち消しながら暖かな光が世界を照らす。
全身に光を宿し、眼を青く染めたフィニスは十字架を一旦足元に突き刺すと、両掌を神殿方向に伸ばした。明確に、全人類への敵意が黄金の少女に集まった――風の亜神は人類淘汰を目的とした攻撃を急遽、標的を変えて〈血統者〉に向けた。神の血を持つ者を優先的に倒さなければならなかった。
緑色の暴風がレーザーのように圧縮されてフィニス目掛けて放射され、射線上にあった何もかもを塵芥に変貌させながら超高速で迫る。
「〈エアル・マジック〉《物理循環》!」
自然界には有り余る驚異的なエネルギーを両手で受け止めると、手の中で暴風をさらに圧縮していく。無理矢理圧縮することによる反動すらも内部に押し込めて球体に変形させる。
そして、少女の両手に収まるほど小さくすると右手で鷲掴みにした。
「《物理衝突》」
暴風は黄金エネルギーに変換され右腕に纏われる。やや腰を低く下して右腕を背後に引き絞って構えた。
「はあああああああああああああぁぁぁ――ッ!」と渾身の右ストレートを空に投げ放つ。
あたかも瞬間移動したかのような挙動で放たれた一撃は、空間を置いてきぼりにして風の亜神の頭部に突き刺さった。遅れてやってきた爆発音が轟くと、世界から緑色の色彩が薄まり元の姿が取り戻される。
拳を解いたフィニスが一息吐いた後、呟く。
「……まだ倒せてないよね」
〈十字偽剣〉を掴むと、斜めに地面を蹴って神殿に飛んだ。血統解放状態で使う魔法の威力は規模も段違いになる。より広範な空間を支配することにより統一したエネルギー総量自体が桁違いに増えているからだ。常識はずれな推進力で本来ならが数分かかるところを数十秒にまで縮めることができた。
重力による落下エネルギーを吸収して静かに着地する。
地面に倒れている騎士達の横を通り抜け、瓦礫の山を登っていく。遺跡の残骸の上に横たわる緑色の塊がある。頭の撃ち抜かれた〈亜神〉だ。周りに〈使徒〉が張り付き護衛のような佇まいで停止していた。
その脇で剣戟の金鳴りが聞こえた。振り向くと一人の騎士が複数の〈使徒帝〉と戦っている姿を見つける。
黄色の雷と化して不規則な動作で敵を切り裂いていた。
「あれは〈天剣騎士〉の一人……」
十字偽剣から《炎熱光線》を放ち大天使を吹き飛ばす。肩で息をしながら青年騎士はフィニスのことに気づいて魔法を解除した。
剣を杖にしながら彼は呟く。
「君は……確か、あの時に城に……それにその光は……」
「これはまぁ色々あってだけど、どうしてあなたは動けるんですか?」
「……今君が纏っている光が差し込んだら動けるようになったんだ。他の人達は全員あの力にやられた」
〈亜神〉との距離が近ければ近いほど圧力も強まるらしく、動作不能どころか意識を維持することすらできないらしい。では何故この〈天剣騎士〉――トゥリアルトだけが動けたかと言えば。
『対神耐性が高いのかもね。〈血統者〉じゃなくてもたまにいるのよね』
「あなたは離れていてください。ここは危険です」
「君は戦うのか? あの規格外の化物と?」
「はい」
「そうか……君は強いんだろうな。大天使を一撃で葬るくらいに。でも、あいつはヤバい! 目覚めさせてはならなかったんだあれだけは!」
「――私しかいないので、理由はそれだけです」
トゥリアルトの肩を掴むとそっと後ろに引いた、それだけで彼の身体はガクンとその場に沈み込む。
「連れていけるだけ人を連れていただけると助かります」
一言告げて、フィニスは敵の本陣へと踏み出した。条件反射的に飛びついてくる〈使徒〉を《物理衝突》のオーラだけで灰燼にしながら風亜神に近づく。
倒れている〈亜神〉のある種の人工的美しさを備えた肢体を〈十字偽剣〉でぶつ切りにしようと試みた瞬間、暴風が巻き起こり全身を包み込んだ。刃は弾かれ、スピンに巻き込まれる形でフィニスの身体は空に投げ飛ばされる。
上下反転した状態でも〈亜神〉から目を離さず、魔法を行使する。《炎熱光線》とは比べ物にならない輝きが〈十字偽剣〉に集まった。素早く狙いを定めると、対神殲滅光魔法《心象収束光波》を放射する。
膨大な情報量が剣身から溢れ出し、〈亜神〉の召喚した暴風の壁に突き刺さり拮抗による爆発を起こした。
〈十字偽剣〉を握るフィニスの右腕が震えている。
許容量を超える魔法威力についていけていないためだ。両手でしっかり柄を掴み、さらに魔法込めれば徐々に暴風は薙がれて薄まっていく。
間もなく、暴風を散らし、緑色の姿が見えた。
「――いッ……がふっ、ごはッ……!」
〈亜神〉を守る風の壁は散らした瞬間、柔らかな唇の隙間から赤黒い液体が流れた。同時にフィニスは地面に落下する。
何かを知らせるように、黄金なる血液は赤く明滅していた。辛うじて捻りだした魔法で落下エネルギーを相殺したが、うつ伏せの状態から立ち上がろうとも上手く力が入らない。
「あ、と、少しなのにっ……」
左手に力を込めることで黄金の流血を助長すると、一瞬だが魔法を行使できた。ハウシアが使っていた《飛行》の魔法を模倣して使用する。《飛行》は《物理循環》よりも単純な魔法である、空を飛ぶことにフィーチャーすれば効率は良い。身体を無理矢理叩き起こすと〈亜神〉に突っ込むように背中を押すが――。
「――ああぁッッ……がッ――」
逆流だけじゃ留まらず、吹き出すように吐血した。ドラマでもここまで大袈裟に出血しないだろう、という風に口から鮮血をまき散らす。その先はもう、死以外に何もない、そんな惨状だった。
『フィニス、またあの砲撃が来るから逃げて!』
「……うん、わかっ――」返事をし終える直前で振り返るのを止めた。「この射線を避けると王国に真正面からぶつかる……」
『あなたその身体でまた魔法を使ったら死ぬわよ!』
〈亜神〉の放つ技を相殺するには血統の力は必須。これ以上使ったら身体がどうなるか、少なくとも今後の生活が不自由になることは間違いない。敵の強さを鑑みれば手加減をしていられる余裕はなく、そのまま力尽きることだってあり得る。
「でもこのままじゃ皆死んじゃうから」
『だからってあなたが死んでしまったら意味ないでしょう!?』
「――だから、死なないよ」
緑の瞬きと共に暴風の一閃が放たれた。地面を抉りながら音を置き去りにしてフィニスへ、そして人口密集地である王国へ進撃を始める。先程とは違い距離が近いので一呼吸する暇もない。
エネルギー変換魔法を両腕に纏って自ら風の塊に突っ込んだ。激突すると黄金の燐光が舞った。
無垢にして、絶対の一撃に拒絶されたフィニスの身体は横合いに弾かれ、空を舞う。
そこが限界だった。落下に対応することができず頭から隆起した岩石にぶつかり、グロテスクな衝撃が走ると、襤褸人形のように禿げた草原に転がる。地面との隙間からドロリとした液体が滲み出た。
『……フィニスっ――!!!』
ウェヌスが必死に駆け寄り身体を起こそうとするが、幽霊が物に触れることはできない。女神の手は何もかもを透かしてしまう。
背後からゴオオオオオ――と爆発染みた大音声が響いた。地震のような揺れが届いてくる。
王国の外壁に穴が開いた音であることは自明のことだった。
「……あ……ぅ……」
『フィニスっ、しっかりしてよっ!』
涙を浮かべながら寄り添おうとする女神に痛々しい笑みを向ける。
「そんな顔、しないで……? それより、今の……砲撃は……?」
『えぇ、あなたのおかげで軌道が逸れたから大丈夫よ。それよりもあなたがっ……』
フィニスのタックルは暴風の下方を狙ったもので、弾き返されながら到達位置をやや上方に角度修正するための行動だった。だが、想像以上に負荷が大きく城壁を超える高さにまで修正することができなかった。
「あれ……視界がどんどん、暗く……」
『気をしっかり持ちなさい! こんなところで死ぬなんて許さないわよっ!』
「…………」
大粒の涙を流す女神と、曇天を見上げながら少女は思う。
――これから世界はどうなるんだろう。私がした行動はこれで正しかったのかな?
人間は神には敵わない。
神に祈っても何も叶わない。
神話時代、口を揃えてそう言われていた。神は敵、民は英雄に祈るしかなかった。
祈りを一身に受けた英雄は決死の覚悟で立ち向かった。時には折れ、永劫に失われたが、次に続く者が乗り越え、遂には人類の勝利を掴み取る。
その精神は今も、昔も変わらない。
仄かに聞こえたのは砂利を踏み締める音だった――。
双剣を持った男が張り巡らされる《神威》をものともせずに風の源に近づく。それぞれの刃を肩口に添えると、彼は厳かに振り抜いた。
「《翡翠血統》」
羽根のように吹き出したのは深緑の血液だった。黄金が失われ這い出てきた灰色が緑光に塗り替えられる。
男は赤の眼光を宿し、双剣が緑色に輝いた。
『まさか〈血統者〉!?』とウェヌスが目を見開く。
双剣を重ねると光が混ざり合いより一層の光輝を放った。双剣は一体化し、白色の長剣に変貌を遂げる。
女神ウェヌスにはその神剣の銘に心当たりがあった。
『〈インテゲル・センティーレ〉――これは最終決戦にも使われた本物の神器。まだこの世界に存在していたなんて……』
翡翠の〈血統者〉は本来の姿を取り戻した神剣を握り、驚異的な速度で地面を駆け出した。
新たな標的を見つけた風亜神は敵意を剥き出しに、暴風の砲撃を撃ち出す。
「ふッ、《断絶烈剣》――!」
衝突の寸前でブレーキをかけ、ぐっと剣を構えると莫大な魔法力が剣身に収束した。
力強い大振りにより全ての砲弾は真っ二つになり、爆発ならぬ大爆風を巻き起こす。雲の高さにまで匹敵する砂埃が一帯を包み込んだ。
視覚以外にも驚異的な感覚器官を有する〈亜神〉は真っ直ぐに突っ切る男を認識している。
「全ての人類ヲ抹殺スル……」
極上の殺意と敵意が織り交ぜられた〈亜神〉の女性らしき声が響いた。
「滅びヨ人類――《風来》」
亜神の背後に巨大な竜巻の塊が無数に浮かび上がる。高速で回転する風は円を描いて渦巻いた。ドリルのように先鋭すると接近する男目掛けて突き刺す。
煙霧から飛び出した壮年は空に飛びあがり自ら破壊の風に向かっていった。
「〈イデアル・マジック〉――」
エメラルドグリーンの魔法陣が剣身に練られる。それは世界でも数人しか使えない最上級対神刀剣系魔法だ。
赤眼で《風来》、〈風亜神ウィリーデ・アーラ〉を見据えた。
「――《真・円環剣刃斬》」
剣閃の残像が円を描く――恐るべき速度を秘めた回転斬りは魔法ごと〈亜神〉を真っ二つに斬り裂いた。どころか、斬撃は消えることはなく三〇〇〇里の彼方の暗雲すら割ってみせる。
切断から数刻置いてから、〈亜神〉は身体が二つにされたことに気がつき、そして――。
「……ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァアアアアァァァ――!!!」
最後の力を振り絞り、風亜神は大地に轟く叫び声をあげた。
血統を有する〈血統者〉の男は額を歪ませながら〈亜神〉の動向を見守った。間近で、慎重に状況把握したことで一つの答えが出る。
――この叫び、まるで誰かに知らせているみたいだ。
遠くでも届くように断末魔をあげている、ようにも見えた。確証がない。だが、その直感に薄ら寒さを覚え、〈亜神〉を最後を看取る前に退却することを選択する。
同時に深緑の血液が赤い明滅を始めた。
無数の瓦礫を飛び越えた先に倒れている全身を真っ赤に染めた少女を抱えると速やかに此度の戦場を後にする。その際、男は一瞬光輝に包まれた美女の像を見た。瞬きをすれば消えてしまう幻のようだった。