20.真の力
◎
「――んっ……今何か頭に直接声が届いたような……」
『どうしたの?』
「いや……何でもないよ。それでどう? 神殿の方で何があったかわかる?」
『この反応の感じ……〈使徒帝〉が現れたわね。正直〈天剣騎士〉? には手に余ると思うわ。複数いた場合は結構危なそうね』
両腕から《炎熱光線》を伸ばし縦横無尽に振り回せば、巨大な鷹は真っ二つに割れて霧散する。地上に視線を飛ばすと地獄のような光景が広がっていた。血の池地獄の真ん中に立ち尽くすのは少女ハウシアであることに気づく途端に安堵の息が漏れる。
「これ何ていう魔法?」
『……〈世界改変魔法〉ね。自分の世界を想像して現実を再構築する魔法。この時代に使える人がいるなんて驚きね。この魔法は適正がないと使うことができないもの』
神話時代でさえも使い手が少なかった魔法をこの衰退した世界で見るとはウェヌスも思っておらず、驚きと興味を隠せなかった様子。
『それにこのイメージ……地獄、いえ、それだけじゃ生温い……一体彼女の中に何が眠っているの?』
無垢な笑顔の内側にある熾烈な心象は女神にして予想することはできなかった。
「とりあえず合流してもいいかな? 神殿の方の話も訊きたいし」
『そうね』
フィニスが下降していると途中で気づいたハウシアが左手をブンブン回して笑顔を向けてきた。炎の草原から岩がせり出すと丁度そこに着地する。
「ハウシア、怪我してない?」
「フィニスちゃんと比べたら全然雑魚雑魚だったよ」
「えっと、これって元に戻せるんだよね?」
「平気平気」
指を鳴らすと地獄の業火は花弁のように散ってしまった。草原には焦げ目一つなく、まるで夢のような泡沫だったように思えた。
「ほらね」
「おー」
戦力について話を巡らせながら二人は防衛部隊のテントがあった場所に戻った。勿論〈神獣〉が跡形もなく踏み潰したので跡地と言うべきか。
そこに残っていたのは半数以下になった兵士のみ。二割はその場から逃走し、半分は獣に殺されてしまった。残った半数も満身創痍の状態であり、大怪我をした者も少なくない。戦闘能力だけを考えるなら一割しかあの襲撃を乗り切ることができなかったことになる。
現在は行動可能な者が救助活動を行っている姿があった。
「ここはもうダメかもね……それで神殿の方はどうだった? さっき大きな音がしていたけど」
「大天使? みたいな奴がいたとか? それはすぐ倒しちゃった気がするけど……」
「そうなの?」
「とはいえ、だけどね。ここに来て個人の戦闘能力の差がはっきりと出てきてるよね。ここもそうだけど、〈神獣〉に立ち向かって生き残る人もいれば、ダメな人もいる。心が持たなくて逃げ出す人もいるくらいだし…………この先に行ける人は限られてるんじゃないかな」
攻勢部隊が神殿に攻撃を仕掛けた際に現れた〈神獣〉を討伐するのは〈天剣騎士〉と共に来た他の騎士達だが、彼らが想定していた以上に獣は強力で抑えきれなかったのだ。その撃ち漏らしを倒すのが後衛部隊だが、それでも抑えることができなかった。
ハウシアとフィニスという個により押し返したという事実。戦力不足と言わざる負えなかった。
「この場合は私達が過剰に強いんだろうけどね」
「はっはっはっ、そうかもね。〈神獣〉の波もとりあえず収まったし、これからどうする? 王国に連絡は行ってると思うからすぐここに援軍が来ると思うけど」
「うーん……成果が欲しいからなぁ。私はちょっと神殿に行ってみようかな」
空中で、それもステルス性能を持った数多の〈神獣〉と戦っていたことを俯瞰的に証明してくれる人がいるとは限らず、成果としてはやや具体性に欠けるとフィニスは思っているので、もっとわかりやすい戦果が欲しかった。
「出番があればだけど」
「じゃあ、ここは私に任せて」
「……………………」
「ん?」
「てっきり一緒に来たがると思ったんだけど……」
出会ってから日は浅いがハウシアのフィニスへの愛情はやや常軌を逸した部分があった。いつも流れで言えば腕を組みながら空を遊泳しよう、と言っていたかもしれない。
ハウシアは至って真面目な顔を浮かべている。
「私が一緒に行ったら成果って奴がわかりにくくなるし、ここに誰かが残らないとだしね」
「ちょっと見直したかも」
「えぇ、そんなに信頼低かったんだ……」
大袈裟に落ち込んで肩を小さくする姿にフィニスは笑いを堪えることができなかった。
「うんっ、じゃあ行ってく――ッ!?」
「――!?」
挨拶を終える寸前、急速に世界に圧力が広がった。
純然たる力の権化とも言えるものがフィニスを、ハウシアを、王国騎士達を――壁の中で日々の営みに精を出している国民にも襲い掛かる。上から押し付けられ誰もがまったく動きが取れないという状況に陥った。
プレッシャーに当てられて灰色になった視界の一か所だけが緑色に塗りたくられている。神殿〈メガスファエラ〉から放たれる極彩色の輝きだった。
『これは《神威》……!? まさか!』
実体のない幽霊にすら存在を強要する何か。
少なくとも人類の味方ではないことは確かだ。この圧力から人間に対する憎悪が響いている。滅ぼす、と耳元で怒鳴られ、醜悪な錯覚に陥る。
「――くっ……! これは〈神〉の力っ……!?」
その身に神の血を宿すフィニスには対神耐性がある。いち早く正気を取り戻すと力の源へと振り向いた。
一歩踏み出そうとした、だが、一歩が出ない。
黒い風に押し戻される感覚ばかりが返ってきた。
緑色の光はさらに増し、直視することもできない輝度に到達する。間違いなくとんでもないことが起こる、誰もが直感できた。
「何で、前に進めないのっ?」
全身で踏ん張っているがやはり押し戻された。
すると、女神ウェヌスがいつになく研ぎ澄まされた真剣な面持ちでフィニスを見詰める。
『――もう……やるしかないわ。あなたが生き残るためにはもう、選択肢は一つしかないっ』
まともに動けるのはフィニスだけ。
力の源を断つ力を持っているのはフィニスだけ。
二つの選択が一つの答えに精錬されていく。
「……そっか」
返事は酷く弱々しかった。
「それしかないなら、仕方ないよね」
『好きに決めなさい。私はあなたに選択肢を与えることしかできないもの…………だから私はどんな選択でフィニスを尊重するわ…………それでも私はあなただけ逃げて欲しい』
「ありがとね、ウェヌス……でも……」
フィニスの右腕に行使された魔法は《亜空掌握》だった。亜空間から取り出したものは先程しまっていた愛用の剣〈十字偽剣リオ・グラント〉だ。
『あそこにいるのは〈亜神〉……〈風亜神ウィリーデ・アーラ〉。正真正銘の〈神〉よ。それでもやるのね?』
「やるわ、それしか生きられないっていうなら命を削ってでもやる」
戦乙女は行く。
十字架を掲げ、彼女は風に抗い進んでいく。
暗闇を照らす希望のように。
決して折れない心を抱きながら。
何も奪わせない、と。
「――《黄金血統》!」
フィニスは右腕に握られた〈十字偽剣〉で左手首を斬り裂いた。