16.女神の憂鬱
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昨日と引き続き、王城から最も近いところにある宿屋に泊まることになった。飛び込みということもあって今晩はハウシアと相部屋である。
一階のレストランで晩御飯を食した後、銭湯に誘われた。
宿の大浴場の女子更衣室でフィニスとハウシアは並んで脱衣する。白色のスカート軍服をあっさり脱ぎ捨てて綺麗に畳む。下着もあっさりポイっとした。
生まれたままの姿のフィニスをハウシアはガン見した。男なら即逮捕の、女だとしても即逮捕されそうな血走った瞳で生ける全身彫像を凝視する。
「そんな見ないでよ」
年頃の乙女ほどの羞恥心はないフィニスも、三〇センチ以下に距離を詰められたら熱くなるものがあるらしい。ハウシアの反応はいささか大袈裟ではあるが、同じく身体を洗いに来た者達もついつい目が追っていた。
フィニスは美の境地たる肢体を惜しげもなく曝す。
美と戦の神の血統による恩恵である。誰もが美しいと思う価値観が容姿の土台になっている。
大きく目を見開いているハウシアは隣でシャワーを浴びながら呟く。
「私も相当だって言われるけど……フィニスちゃんのそれは……」
途中から無言になったのでフィニスが振り向くと、両手を開いて突っ込んでくるところだった。猪突猛進なタックルだったので訳なくさらりと回避し、湯船に浸かる。壁面に頭をぶつけて痛そうにさするハウシアも追随して肩までお湯に沈んだ。
「私も相当浮くって言われるけど……フィニスちゃんのは……中に浮き輪でも入ってるの?」
「自分ので確かめればいいじゃない。針とか刺してみて」
「怖いこと言うねぇ。リラックスしてるのかな? ふぅ……いい気持ちー」
顔のふやけたハウシアがフィニスの肩に頭を乗せると気持ち良さそうに息を漏らした。
それでもやはり見てしまう双丘。
「何でそんな胸が大きいんだろうね」
「真剣な顔して何言ってんの。ちょっと抱き着かないでっ」
「ちょっとだけだからちょっとだけ、ね! ちょっと揉みしだくだけだから!」
「うわっ――う、ぷっ」
二つのお山を登ろうとハウシアが暴れたため、フィニスは手元を滑らせ全身湯船に飲み込まれた。水面から這い出て息を吐くと、黄金色の髪をかき分ける。
そして、女湯に「おお、おお! や、やわっこーい!?」という叫び声が轟いた。
二人部屋にあるベッドはクイーンサイズだった。
だが、ハウシアはまるで一人用ベッドに二人並んで寝るかのようにフィニスに密着している。やわっこいもの通しが触れ合って妙な気分だった。
「ハウシア、近い」
「私のこと枕にしていいからさ、私もフィニスちゃんを枕にするから」
「枕なら普通にあるじゃない」
「枕より柔らかいんだもん」
双子姉妹よりも手が掛かる、と思いながらもハウシアを抱く。
暖かく、柔らかい感触が掌に伝わる。心臓の鼓動までもはっきり聞こえる距離で、二人は感応した。
「ハウシアはどうして作戦に参加したの? 〈RANK S〉でも来なかった人もいるし――」
紫色の魔女が脳裏を横切っていく。
「――〈北青都市〉にいても良かったんじゃないの?」
以前、彼女はフィニスに話した。孤児院に生まれ、その街の人に助けられたと嬉しそうに言っていた。王国の危機も大事ではあるが、ハウシアなら〈北青都市〉に残ると思ったのだ。
「別に大した理由はないけどね」
胸に埋めていた顔を上げて、金髪を撫でながらハウシアは言う。
「お姉ちゃんに頼られることなんて初めてだったの。頼ることはあっても逆はなかったからさ、力になりたかったんだよ……家族だし」
「偉いね、ハウシアは」
「ありがとうね……フィニスちゃんの方が……」という声は語尾に近づくにつれ掠れていった。やがて寝息が聞こえてくる。
『両親のこと考えてた?』
儚げな声が降ってきた。
「ううん、両親以外のこと考えてた。どんな関係なんだろうと思ってさ」
『そう、ゆっくり考えなさいな。こればっかりは私が決めていいことじゃないしね』
「全然わかんないよ。こういうのを友達っていうのかな……家族、友達、それとも姉妹かな……」
的外れなのかもしれない、だが、フィニスエアルには本当に理解できない。
最低限のコミュニケーション能力を女神から養われたが故に表面上は上手くやることができていた。それはあくまでも知識として知っていただけ。家族と幽霊女神以外と関わってこなかった彼女は〈何となくわからない〉のだ。
「私には時間がないのに、知りたいことばかり増えていく……」
『――ごめんなさい、フィニス』
「謝らなくていいよ。ウェヌスせいじゃないから。ちゃんとわかってる」
『でも、こうなることがわかっていたら……』
淡々と夜は耽っていく。ウェヌスは横たわるフィニスを覆って抱こうとするが、やはり触れることはできず物理的に伝わることは何一つなかった。
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戦と美の女神ウェヌス・ベルルム・ウェール。
数千年前の人類と神々の決戦において、人類側の味方をした数少ない神の一柱。
彼女が血の力を与えたのはヴァンパイアの限界種である〈ソルス・ヴァンパイア〉の少年だった。非人間を選んだのは彼女の権能である〈美〉と〈戦〉に耐えられる条件があったからだ。
人間を魅了し操り――。
法外な魔法威力と怪力を誇る――。
ウェヌスが地上に堕ちた時に、美しさと強さを併せ持った生物が彼のような者しかいなかった。太陽を克服した地上で生きることのできる吸血鬼だけだった。
権能を二つ持つ例外的な力を制御することができたのは、彼と女神の相性が良かったからだ――その力を用い、彼は先陣を切るように神々を屠った。その戦いぶりからいつしか〈神滅の覇者〉と呼ばれるようになった。
終戦においても、彼の存在が大きく戦局を動かした。それほどまでの力を有していた。
戦乱の時代の終幕後、彼は人間の女性と結ばれた。
その間に生まれた子どもは人間と吸血鬼両者の性質を持ったヴァンパイアハーフだった。それから千年、世代が交代するにつれ〈ソルス・ヴァンパイア〉としての血は薄まっていくこととなる。
フィニスの母親の代になると、吸血鬼としての性質はほとんど失われ、辛うじて残っていたのは尋常ではない魔法容量と容姿の美しさだけだった。
では、神の血はどうなったか?
――薄まることはなかった。
吸血鬼の限界種でなければ女神ウェヌスの血に耐えることはできない。ただの人間だった場合、身体の内側から溢れる力を抑え切れず、全身の骨格を捻曲げるほどの反発がかかり、流れる血の圧力に出血を余儀なくされる。
〈美〉の権能は辛うじて耐えることができた。だが、〈戦〉の権能に耐える身体ではなかった。
故に、フィニスの両親は約三〇年で身体の限界を迎え、死んでしまった。
フィニスの場合はもっと加速している。現在年齢一六歳の彼女の余命は二年あるかないかだった。
いつからか血統を宿主として守護霊のようなことをしていたウェヌスは苦悩した。自分と同じ血を流す子どものような存在が満足に生を謳歌できないことに。
血はフィニスの代で潰える――。
その瞬間、ウェヌスは孤独というものを知った。
誰にも知られず生きるなど、死んでいるのと一緒だ。
だから、考えて答えを出した。
『起源神の権能を使えば、血の底に眠っている吸血鬼の力を引き出せるかもしれない』
フィニスエアルの生き残る唯一の方法は原点回帰だった。始まりの司る力を用いて過去の力を現代まで引っ張ってくるという作戦。
美と戦の神は潰えようとしているが、起源の血統は未だ存続している。最終決戦以降は王家として国を治めているという話が舞い降りたのだ。その知らせが彼女らの旅の始まりだった。
神の恩恵か、フィニスは奇跡の上に立っている。
一足飛びで王家の間近までやって来た。ここから先、神殿奪還作戦はまさに正念場。フィニスに引くという選択肢はない。
知りたいことがたくさんある。
彼女はただそれだけのために戦わなければならなかった。