25.混沌より生まれし者
◎3
「――ぐっ、あ……あ、あ……」
〈帝国都市〉で巻き起こる戦闘によって破壊された街、その瓦礫の合間に五体を広げて苦し気に息を吐く少女がいた。全身至る所の骨が砕けたことで身動きが取れず、身動ぎしただけで痛み悶えている。ここまで吹き飛ばされた衝撃で頭をぶつけたのか血液が頬に流れていた。
年端も行かない少女が負って良い怪我の度合いを超えている。
それでも死ななかっただけマシかもしれない。
フィニスは痙攣する片目を意識しながら自分に起きた一連の出来事を思い返す。
「《物理崩壊》を正面から突破された……あんな魔法、知らない……」
特別な眼を持っているからこそわかった。銀髪丸眼鏡の男が使ったのはまるきり概念から違う新たな魔法則だった。
にしてもわからない。どんな原理で魔法陣や魔法的エネルギーを介さず魔法を発動させているのか――。
漠然と次元の違う技術を使われていることまでは理解できた。この感覚はガイザーからも感じたものだ。
「この世界の魔法律じゃどんな魔法でも勝てない……?」
酷い頭痛に眉を潜めながらギリヌス・カルゼル相手にどう立ち回るのが正解だったのか思考する。敗北するのは慣れているが、ここまでボコボコにされた記憶はない。フィニスの胸に眠る戦意が覚醒してしまっていた。
身体が動こうものなら再戦していただろう。
「これ、わざと生かされたんだよね……」
死んでもおかしくない傷だと思われたが、死にそうで死なない程度に威力に調整されていた。あの膨大な破壊エネルギーを完全に制御しているという点でもギリヌスの実力が窺い知れる。
少なくとも今の自分では勝てない、という結論が出た以上は考えることもなくなった。〈ていうか全く動けないし意識が問置いてるんだけど。あー、死ぬかも〉と思った頃、足を引き摺って歩いてくる人影を確認できた。
横になっているため足しか見えないが、とても女性らしい脚線美だ。こんな生足を惜しげもなく披露するのは誰かと痛みに堪えながら顔を上げる。
「あ、ゴッドナイトちゃん……生きてたの?」
「そちらこそ、死に損なったようだな」
変わらずの口の悪さを発揮するのは女帝ゴッドナイトである。彼女もギリヌスによって叩き潰ささたが、歩ける程度には回復したらしい。
「これから死ぬかもしれないけどね。私、回復魔法とか無理だから体質的にさ」
「その割には揚々としているな。死ぬのが怖くないのか?」
「怖いけど、全身痛過ぎてそんなこと考えてる余裕ない」
呼吸するだけで内臓のどこかが痛む。肋骨が外れて肺に刺さっているのかもしれない。
それでも生命活動を続けていられるのは《物理循環》で血液を流しているからだ。少なくとも失血死は免れた。
ゴッドナイトは〈ふん〉と息を吐き、掌をフィニスに向ける。
「《完全治癒》」
「あー……辛うじて痛みが引いたかも」
真珠色の光に包まれ、フィニスの身体から僅かに痛みが引いた。ほんの一時凌ぎ、数分後には再度痛みが現れるだろう。
「体質か」ゴッドナイトはフィニスへの治癒魔法の掛かりにくさを観察する。「口を開けろ」
「え、急に何?」
訊き直しつつも素直に開いた口に入って来たのは血液だった。ゴッドナイトが手首の血管を切って流し込んだのだ。
急に液体が喉奥に入れば咽るのも道理。咳をするだけで死にそうになる今のフィニスには致命傷になり得る蛮行である。
ゴッドナイトは再度治癒魔法を発動した。
「《完全治癒》」
今回は魔法の効果が正しく発動し、対象であるフィニスを苛んでいたこの世の終わりのような激痛が雲散していく。
「え、何で治ってるのこれ……ユニスの仕業じゃないよね? どうやったの?」
腕の感触を確かめながらフィニスはゴッドナイトに問う。
「血を媒介に貴様の体質とやらを支配しただけだ」
何でもないように言うが体外に出た血液を支配する、というのはアドリブでできるようなものではない。フィニスも大概だが、ゴッドナイトも類を見ない天賦の才を有している。
フィニスは起き上がり、調子を整えるように腕や背筋を伸ばした。
「それであれは何?」
〈帝国都市〉頭上にて三つの光がぶつかり合って瞬いている。その中の一人がギリヌスであることはわかっていた。もう一人の男――ルーフェンの方もネーネリアの館で顔は見たことがある。
ただ、それ以上に――ギリヌスとルーフェンに挟まれる、という地獄のようなところに存在する金髪の青年から目が離せない。
鏡でも覗いたような不思議な妙な気分を抱きながら、その美しさに眼を奪われていた。
「〈二代目黄金血統〉」
曇りも褪せりもない、純粋濃度の〈黄金血統〉に魅せられる――。
三つの光の中の一つが突如、帝国の大地に落ちた。追走するように凄まじいエネルギーの塊が降って来る。衝撃波は帝国の大地を削り取った。
そして――まるで運命かのように、目の前に転がって来たのはギリヌス・カルゼルだった。
傷を負っているギリヌスは先程のフィニスのように苦悶の息を吐く。ギリヌスの眼中にフィニス達は映っていない、意識は上に向いていた。
フィニスとゴッドナイトは反射的に息を止め、身動きが取れずにいる。自分を見ていなくても記憶が足を竦ませた。そんな二人は肩をポン、と叩かれてお手本のように縦に震えた。
「――そう気を張らずに」
「……何だ、ユーラシアか」
「貴様も生きていたか」
大怪我の後でもお姉様の変わらずの反応にユーラシアは笑みを浮かべる。
「顔面潰されて脳味噌が飛び出るかと思いましたが、回復魔法が間に合いました」
「この分だと皆わざと生かされたのかもね。彼が言う分には平和主義者らしいし」
「平和主義者? 笑わせてくれる」
そう言うゴッドナイトの口角は微塵も上がっていない。自分の庭を無断で荒らす侵入者への怒りが優に勝る。
こうして言葉を交わしていてもギリヌスは気づかない。ただひたすらに空で戦闘を繰り広げる二人を注視していた。
――チャンスなんじゃないのか?
そんな邪念が渦巻く。
「――」
「――」
「あ、待って――」
ゴッドナイトとフィニスは無言で〈神剣〉を抜いた。止めようとユーラシアが手を伸ばしたが遅かった。
――《戦禍滅亡神劣魔界》。
――《天帝神殺従隷属界》。
同時に放たれた〈神剣〉の奥義は座り込んだギリヌスの背中に振り下ろされる。〈帝国都市〉を千回は滅ぼせるであろう一撃を被害度外視で放ったのはそれだけ警戒しているからだった。
剣は纏めて自動展開された六角形の結界に防がれる。
そこでようやくギリヌスは二人に気づき、ため息を吐いた。
「話は君達が立ち入れる次元じゃないんですよ。静かにしててくれませんか」
「あなたを止めた後ならッ!」「貴様を叩きのめした後ならなッ!」
「全く――」
同時に発せられた否定の言葉に銀髪の男は首を振る。
「――神々の血は本当に嘆かわしい。良い加減理解してください、その程度では我々の領域に届かないと」
ギリヌスが煩わしそうに一瞥すれば、守るための結界がエネルギーを放出して反撃する。放射された濃密なエネルギー波にフィニスとゴッドナイトは為すすべなく飲み込まれた。
街路を破壊すること数百メートル、ようやく勢いが止まる。
ユーラシアはほんの真横を通り過ぎた破壊の嵐に冷や汗を流した。幸い、ユーラシアまで狙うつもりはないようでギリヌスはすぐに空を見上げる。
聖女の〈言霊〉による街の再生が開始される中、ユーラシアは駆けた。噴水のある広場に五体を投げ打って倒れる二人を見て安堵の息を吐く。
「良かった、二人共生きてました……」
「勝手に殺さないで欲しいけど、半分くらいそうかも。全然動けない」
「両腕・肋骨の粉砕骨折といったところか……」
こんな時でもフィニスは緩く、ゴッドナイトは冷めていた。
「何というか、こんな状況でも変わりませんねお二人共……でも、あんな無茶はもうしないで下さい。彼に挑もうなんて無謀以外の何でもありません、それがわからない二人ではないでしょう?」
神々の力を使ってもギリヌスとっては〈以下〉の概念の範疇に収まる。三人が同時に血統や〈神剣〉の奥義を放っても結界一つでのされるのが落ち。
世界二〇代の強さでも傍観することしかできない。帝国の未来は真に力持つ者に委ねられることとなる。
「――絶対許さん。我が帝国を侵す無礼者共が」
何本骨を折られようとも、女帝ゴッドナイトの本能の火は燃え滾る。帝国の未来を誰かに委ねることなどできるはずない。自らの力で操り、支配することが存在意義と言っても良い。
保有エネルギーもほとんど底を尽いているがあらん限りの治癒魔法を体内循環させて傷を治す。
ユーラシアはフィニスの横で膝を折り、手刀で血管を斬る。
「ゴッドナイト様がこうしてましたよね。多分ですけど、私もできるかもしれません」
「頂きます」
二回目なので遠慮なくごくり、と飲み込んだ。
すかさずフィニスに治癒魔法を掛ければ、淡い光が傷口に付着する。
「《完全治癒》」
「あー、来てる来てる。この感じ、治癒魔法最高過ぎぃ……」
恍惚の吐息を漏らし、フィニスは上体を起こした。血を失ったことによる身体の怠さはともかく、一見は完全復活を遂げる。
支配ではなく、性質と肉体の繋がりを断絶することで治癒することに成功した。
「ありがとうね、ユーラシア」
「それが私の生き甲斐ですから。好きです、お姉様」
「知ってるよ、何度も聞いた」
「何度でも言いたいんです」
欲望のままユーラシアはフィニスの胸に飛び込んで大きく息を吸った。
顔を包み込むふくよかな感触に愉悦と幸福が湧き出る。いつまでもこうしていたいところだったが、頭をポンポンと叩かれた。そろそろ離れろ、という合図だ。無視すると、引き剥がされはしないがまるで何もいないかのように引き摺られることもある。
フィニスは起き上がったゴッドナイトに問い掛ける。
「実は勝てるかもしれない方法を思いついたんだ。それにはゴッドナイトちゃんの力が必要なんだけど、手伝ってくれる?」
「……それが実行するだけの価値があるなら考えてやらんこともない」
「じゃあ、問題ないね。我ながらスマートかつブレインな作戦を思いついたからね」
「貴様の調子づいた台詞に根拠がないことは既に学んだ。どうせ碌なものじゃないだろう」
ふっふっふっ、と意味有りげに笑ってフィニスは高らかに言う。
「――ゴッドナイトちゃんの魔法で合体すれば良いんだよ……!」
それはフィニス王城での戦闘で見たゴッドナイトの固有魔法性質〈魔導合一〉のこと――。
ドヤ顔で言ってのけたフィニスに返って来た反応は実に淡白なものだった。
フィニス全肯定ボットであるユーラシアも目を瞑って唸る。
当の女帝本人も力なく首を横に振るばかりだ。
「予想通り話にならんな」
「何でー!?」
「……貴様に一度見せたはずだ。あれは魔法陣を三つ融合することで新たなる魔法陣を生成するものだ」
「うん、知ってるよ」
「魔法陣を、だ。人体を対象にはできない――説明するまでもわかることだろう」
「ん?」
フィニスは不思議そうに首を傾げる。自分の考えを全く間違っているとは思っていない顔である。勿論、根拠は存在する。
「魔法陣なら良い、ってことは私達が魔法陣になれば良い、ってことでしょ?」
「…………」
人が魔法陣になることはできない――そんな当たり前のことまで説明する程お人好しでもなければ、フィニスに期待してもいなかった。
「私の《物理循環》はエネルギーを操れるから、人を魔法陣にできると思う。そうすればできるんだよね?」
フィニスは片眼を閉じ、挑戦的にゴッドナイトに問う。こう言えば、挑発すれば乗って来ることは既に学んでいた。
作戦成功、ゴッドナイトの眉間に皺が寄っている。
「貴様の言う通り……人体を魔法陣に変換できるとしよう。だとしても、この私が〈魔導合一〉を使うとすれば、合計四人が必要になる。この状況でもう一人を見繕うことができるとでも?」
それもフィニスやユーラシアという〈血統者〉にも負けない個性を持ったもう一人を今から探し出すのはほぼ不可能だろう。
「ゴッドナイトちゃんが魔法陣になりながら使う想定だったんだけど」
「魔法陣になった人間を生きている、と定義できるのか? 意識があるのか? そもそも魔法陣を合一した後に意識は元に戻れるのか?」
悪いことをしたかのように詰問され、フィニスはたじろぎ視線を彷徨わせた。そこら辺の考慮を全く考えていなかった、とは口が裂けても言える空気ではない。ただ、空気ではなくとも言ってしまうのがフィニスだった。
――フィニスが平然と〈確かにね〉と発言する寸前にユーラシアが控えめに挙手する。
「もしかしたらお力になれるかもしれません。私が肉体と意識を断絶すれば――意識だけで魔法が使える、と仮定すればお姉様の策略を実行することができます」
ユーラシアには〈断絶神〉の血が流れている。その権能は因果や概念さえ、断絶の射程に入れる。
手順としては――ユーラシアが三人の肉体と意識を断絶、フィニスが肉体を魔法陣へと変換、意識だけの状態でゴッドナイトが〈魔導合一〉。三つの魔法陣と化した〈血統者〉が合一し、意識も引っ張られるように合一。その後、魔法陣から肉体を作り出す。
三人共が試したことない手順を踏む必要がある。あまりにも安全性を欠いていた。国を統べる者の立場から、ゴッドナイトには到底容認できないものだった。
「確証が一切ない策略だな。こんな賭けにこの私が乗るとでも?」
「こうすれば勝てるかもよ」
「――……」
ゴッドナイトは言葉を失した。何気ない一言に打たれた。後ろ髪を引かれるどころではない衝動が渦巻いた。
何をしても届かなかったあの化物に本当に勝てるなら――。
この吐き出しようのない怒りと屈辱を今すぐ払える、というのなら――。
フィニスは無言の肯定と受け取った。
「じゃあ、早速やろっか」
「わかりました、お姉様」
三人の〈血統者〉は横に並び、己に課せられた役割を全うする。
ユーラシアはそれぞれの胸に手刀を振り下ろすことで肉体と意識を〈断絶〉した。その時点では精神と肉体が分かれている実感はなかった。
次いでフィニスがユーラシアとゴッドナイトの胸を貫きながら発動した《物理循環》により、肉体を構成するエネルギーが魔法的エネルギーと化す。その後に自分にも適用して各々、金・銀・翠と血統と体質を表す色の魔法陣になる。
意識だけの状態でゴッドナイトが〈魔導合一〉を発動し、三つの魔法陣が重なり合った。身体に引き擦られるようにして三人の意識も吸い込まれ、新たな魔法陣が産み落とされる。
不気味に蠢く真っ黒な幾何学模様の中で三つの精神が混ざり合い、産声を上げた。《物理循環》が発動し、魔法陣は人の形をとる。
「――」
誕生したのは闇色の長髪を携えた妙齢の女性だった。
髪と同じ色のガーリーなドレスを纏った少女の瞳には果てのない芒星が遠くまで続いている。深奥にあるものは一体何か――。
また、その殺意に満ち満ちた剣呑な美貌はどこか〈魔女〉を思わせた。
ふっ、と口角を上げると両手を広げて天を仰いだ。
「嗚呼――ここはなんて良い空気が流れてるのかしら」
淀んだ空、暗い景色、異様に高濃度な魔法的エネルギーの中で心の底から彼女は言う。
「ここなら私に相応しい終焉が描けそうね」
混ざり合った精神は誰にも似ていない人格と化した。
破滅を望み、絶望の上でタップダンスを踊り狂う最悪の権化。
しかし、己が誕生した理由は確固として胸の中に残っている。
「でも、その前に終わりを見せてあげなくちゃいけない人がいるのよね」
その少女――ヴァリアル・ディザイラムは優雅にドレスを翻し、ダンスでも踊っているかのような軽いステップで仇敵の下へ歩む。