23.ディスミナス・パルセノス
◎1
――〈二代目黄金血統〉ディスミナス・パルセノスとは。
現存する最古の〈黄金血統〉であり、太陽を克服した唯一のヴァンパイアと人間のハーフである。その出自を知る者は最早いないが、彼が世界において例外的な存在であることは間違いない。
数奇な運命を抱えながら数百年を精神を擦り減らすことなく生きてきた不死者の一人――。
初代を超える〈黄金血統〉への適合率と、〈魔法律〉の上を覗き込むほどの魔法の才能を手に、運命に従うまま立ち塞がる障害を悉く殲滅してきた。
そんな長く険しい旅の中でも現在、帝国で巻き起こる戦いは類を見ない規模だった。〈血統者〉として生き残りの〈神〉を狩って来た。ここにいる奴らは神殺しを平然と実行し、成功するような猛者ばかりなのだ。
ディスミナスはマゼンタに瞬く花模様の魔眼にて全天を見回す。映ったのは立ち塞がる二人の男と、鎖に繋がれた〈風神〉と、紫色の塔である。
殲滅されたはずの〈神〉と、自分に届き得る牙を持つ者と、謎の塔から異常事態が起こっていることは察せられた。
そして、一瞬だけ視線を下げる。自分と同じ血の輝きを持った何者かを無感情に見遣った。気を失っているらしいことを確認したところで興味は失せ、すぐに正面を向く。
ギリヌスは丸眼鏡越しに冷ややかな刀身のように美麗な二十代前半程の見た目をした半人半鬼を観た。その出で立ちは風雅で優雅で典雅で閑雅だ。仕草や眉目に付け入る隙がない。
――〈戦羨の神眼〉、視界に入った者を魅了、暴走させる神の魔眼。
瞳に宿る神秘性を看破し、過去の記憶が甦ったことで自然と表情が険しくなる。魔法耐性の高さで効果のほとんどを無効にできるとは言え、見ていて気分の良いものではない。それがむしろギリヌスの敵意を確固たるものにした。
「さて、どうしたものか――」
「――よっしゃああああああああああ!」
様子を窺うギリヌスの横を飛び出たのは筋骨隆々な男――〈破壊卿〉ルーフェン・エルドレッドである。平然と空を蹴り、一息でディスミナスの正面に躍り出た。
片頬を吊り上げ、楽し気に吠える。
「行くぜ、楽しませてくれよ――《夢幻剛拳》ッ!」
魔法律を超越した法則を纏う黒く歪んだ右腕が真っ直ぐ繰り出された。空気さえも捻じ伏せ、落雷のようなけたたましい衝撃音が辺りに刻み付けられる。
大地を半分にも出来得る拳、ディスミナスは無造作に左手で受け止めた。その手の中に魔法陣が展開されている。
「――《物理循環》」
エネルギーを完全に吸収し、拳を受け止めた。
〈はっ――〉と鼻で笑うルーフェン。「世界で〈二〉番なんだ、これくらいはやってもらわなきゃ困る、ってもんだ」
小手調べは終わった、そう言外で言ってその場から引こうと再度空気を蹴ろうとして違和感に気づく。頭で考えたことを身体が実行できなかった。
フィニスと戦ったギリヌスと違い、ルーフェンは《物理循環》知らない。魔法が捉えた対象のエネルギーを簒奪する、ということはあらゆる行動を停止させることができる。
冷ややかな魔眼は〈相手の出方を窺って本気を出さないなど愚の極み〉と言っているようでもあった。
ディスミナスの右腕に新たな魔法陣が生み落とされる。
「《物理炎天》」
「――ッ、ぐああああああああああッ!」
そのまま腹部にかざすこと数秒、ごぼっ――と炎がルーフェンの胴体を貫いた。
左腕を離すと、飛行魔法を維持できなくなったルーフェンが血を撒き散らして市街へと消えていく。
神眼が次に捉えたのは囚われの〈風神〉である。ディスミナスが現れてから本能に従うままに半狂乱になって暴れ、鎖を破壊しては拘束されるというのを繰り返していた。《神威》が無作為に放出され、物理的被害を巻き起こしている。
「先程から喧しい。神の時代は既に終わっている、亡霊はさっさと消え去れ」
ディスミナスは魔法陣に手を突っ込み、直剣を引き抜いた。聖なる十字架の剣――〈十字神剣リオ・キュラウン・レイ〉は暗雲に染まった空を白輝で斬り裂く。
込められた魔法陣を展開し、横薙ぎに大きく振るった。
「――《十字栄光天翔》」
光の斬撃は目にも止まらぬ速度で飛来し、空間ごと〈風神〉を真っ二つにする。〈風神〉に致命傷を受けたことすら気づかせずに消滅へ導いた。
神力で維持していた黒雲は自然の法則に従って少しずつ流れていく。《神威》によって抑えつけられていた人々の心も徐々に解法されるだろう。
一撃――それも片手間の攻撃でルーフェンと〈風神〉を撃破してみせた。
「なっ――そんな馬鹿な……」
ギリヌスは戦慄の余り、息をするのも忘れてしまう。意思のない、それも拘束されている〈風神〉相手ならギリヌスだって一撃で倒せる自信はあった。だが、ルーフェンを同じように倒せるとは冗談でも言えない。
――まさか、ディスミナスにとってはどちらも変わらないのか?
最悪の思考が脳裏を掠めた。
鷹揚にディスミナスはギリヌスの方へ振り向く。
びくり、と震えそうになる身体を無理矢理押さえつけた。心持ちで負ければ魔眼の餌食になる。
そうなれば誰彼構わず殺し回る殺人鬼になり果ててしまう。
「今更引くこともできません――」
ディスミナスと出会えるチャンスはこれで最後かもしれない。
ならば、命が尽き果てるまで戦うべきだ。逃げて後悔するくらいなら、後悔してでも今行く。
「――戦いを失くすため」
ギリヌスは恐怖に苛まれても褪せなかったひたむきな気持ちを胸に突き進む。
ルーフェンはいつもの癖で手加減をしてしまったばかりに胸を貫かれた。もしも、最初から本気を出していれば話は変わってくる。
両者が〈幻想律〉を使っているなら――絶望的な差は生まれないはず、そういうことにしょう。
「――道を拓け《戦場凱旋》」
戦場に道を切り開き、目的地までの障害物全てを吹き飛ばす。
〈幻想律〉で実現したこの一歩は大陸の重みにも匹敵する。激突した際の衝撃は体感隕石衝突か。
ディスミナスは脅威とも判断せず、僅かも動かない。
「《物理循環》」
ルーフェンにやったように左手を前に突き出す。
真っ直ぐに突っ込んで来るギリヌスの眉は強く結ばれている。《戦場凱旋》は真っ直ぐにしか進むことができず、軌道修正も僅かに角度をずらす程度しか行えない。
しかし、《物理循環》に触れる寸前で直角に曲がる。
「――《戦場闊歩》」
自分に降り掛かる攻撃を逸らす魔法を応用して勢いを殺さずに迂回した。ギリヌスは再度《戦場闊歩》を用い、真横から衝突する。
「《物理循環》」
だがしかし、ヴァンパイアハーフの超越的な感覚感知を出し抜くことは叶わない。立ち塞がって来る魔法陣を再度《戦場闊歩》で回避する。
そこからギリヌスが背後に回り込むよりも早く《物理循環》が展開された。前、右、後ろが封鎖されてしまった。
そして、左へ向かうしかないこともバレてしまう。
だからこそ刺さる――直下からの襲撃。
「まだ終わっちゃいねぇよなああああああああああッ!」
心臓を焼かれたはずのルーフェンが地獄の底から舞い戻り、ディスミナスの足を引っ張った。驚異的な握力に骨が軋む。不死だからといって痛みとは無縁な訳ではない。否が応でも生理反応してしまう。
故に、ディスミナスの体勢が僅かに崩れた。
「そこだッ――!」
魔法陣の隙間を掻い潜り、ギリヌスは美青年の頬に渾身の蹴りを叩き込む。足先の感覚からクリティカルヒットの手応えが返って来た。
追撃を加えようとするルーフェンの首根っこを掴んで一旦距離を取る。
「――……」
ディスミナスは口の端から流れる血を拭った。吸血鬼の不死性により傷口は瞬く間に塞がる。
確かに傷を負わせることができた。
差はある。実力差もある。だが、二人いれば打破できるという可能性が色づいてくる。
不愉快そうな細い瞳をギリヌス達に向けるとディスミナスは魔法陣を展開した。先程も使った物体が収納された亜空間から取り出されたのは盾だった。
ただの盾ではない。神の盾である。表面に美しき女体のレリーフが彫られた桃真珠のロングシールド。その銘を〈羨望神盾ミロ・ジラス〉――という。
神剣に神盾――それはまるで神話時代の神々の力で神々に反逆する英雄の姿だった。もし、彼が〈黄金血統〉を発動したなら文字通り神殺しの再来である。
「ようやくギアが入った、と言ったところですか。それはこちらもですが」
「おうおうおう――! 良いじゃねぇか、それでこそ気合いが入るってもんだよなぁ」
挑戦者達は微塵も怯まず堂々と空へ歩を刻んだ。〈幻想律〉の前には大地の法則も空も法則も等しい。
動き出しは同時だった。ディスミナスを挟み込むように飛び出した二人は同時に攻撃を繰り出す。
「《戦場凱旋》」
ただ突き進むだけの進撃魔法はあらゆる障害を穿つ砲弾と化す。《物理循環》 を纏った〈十字神剣〉と拮抗し、エネルギーの燐光を散らせた。
「《断界無限拳》――!」
その死角を突くようにルーフェンの凶拳が振るわれる。それは目の前に飛び込んで来た〈羨望神盾〉を滅多打ちにした。それでも盾はびくともしない。
先程の蹴りもあり、ディスミナスの注意力は自然とギリヌスへと向いていた。ルーフェンが小細工をするようなタイプではない、と看破したのもその一因だろう。
戦闘狂は片頬を吊り上げる。
ディスミナスの評価は間違っていない。実際、彼は喧嘩だけで成り上がった脳筋そのもの。望んで基点の効く魔法を覚える気もなかった。だが、その小細工をたまたま手に入れて使わない理由もない。
「《空間魔導Ⅳ:転界》」
空間が歪む――。
拳撃が盾という物理を飛び越えて直接ディスミナスの顔面へと向かった。
チリッ――と、ディスミナスの頬を掠め、鮮血が僅かに舞う。直撃ではなかった。
「あァ!? ――初見なのにギリギリで避けやがったな!」
間一髪で回避されたにも関わらずルーフェンは高らかに笑った。
「目ん玉どこに付いてるんだよ、おいッ!」
侮蔑とも取れる称賛を送りながら《空間魔導Ⅳ:転界》を混ぜ込んだ攻撃を繰り出す。回避難易度の上昇はディスミナスを確実に追い詰めていく。ギリヌスの攻撃も合わせて戦闘を優勢に進めていた。
拮抗が崩れる瞬間は思いの外早くやって来る。
《戦場凱旋》を纏ったギリヌスが〈十字神剣〉を打ち払ったのだ。誰も空に舞う剣の行方など追わなかった。そこが瀬戸際であり、またとないチャンスだと悟った。
息を合わせて放たれた渾身の攻撃に挟まれる寸前、ディスミナスは小さく舌打ちをする。
「先に片方潰すか」
冷たく言い放ったのとほぼ同時、左右の攻撃にワンアクション割り込んだ。
ルーフェンの胴に盾を突き込み、そのまま打ち出して吹き飛ばした。急反転してギリヌスの上に飛び跳ね、頭部を鷲掴みにして地面に叩きつける。
「――な、え……?」
一連の動作がまるで時が止まったかのような刹那に行われたためギリヌスは自分が攻撃されたことにすぐには気づけなかった。
気づけば空に浮いて掌を地面に向けるディスミナス――その背には真っ赤な羽根が生えていた。
彼が発動した魔法は〈幻想律〉の《物理循環》だ。隕石を思わせる圧倒的な破壊が衝撃波として帝国の大地に降り注ぐ。
「こんなの冗談じゃ――」
ギリヌスは圧殺される前にその場から起き上がり、飛び跳ねる。直撃は避けたものの余波に打ちのめされ、襤褸雑巾のように弾き飛ばされた。
揺れる金髪を煩わしそうに抑え、砂煙に消えた男から視線を外すと、丁度戻って来たルーフェン。腹部を抑えていたが間もなく治癒したのか、手を下ろす。
ルーフェンの治癒能力は〈幻想律〉とも〈魔法律〉とも分類できない。
ディスミナスにはまだその絡繰りはわからなかった。それでも殺し尽くせない、とは考えていない。
粗暴な男は肩や首を回しながら、怪訝な顔をする。
「何だよその姿……昔あった天大陸に背中に翼を生やした亜人がいた、と聞いたことはあるが――赤い羽根って話は聞いたことがない」
意外な知識を披露しながらも穿つように金髪の青年を観察する。どうやら背中から直接翼が生えている訳ではないようだ。背後に浮いている輪から蝙蝠の翼が生えているらしい。
「答え合わせはしてくれないのか?」
「どうせ忘れる」
「ま、良いか。どうせわかる――《星刻魔導Ⅲ:過去》 」
ルーフェンの周囲に瞬く煌めく星砂が舞い、吸い出された情報が脳に刻み込まれていた。膨大な情報を一度に受け取れば意識混濁しそうなものだが、彼は微動だにせず全てを理解する。
へぇ――という嘆息が漏れた。
「吸血鬼限界種〈ソルス・ヴァンパイア〉――唯一の弱点だった太陽を克服したことで名実共に最強のヴァンパイアになった訳か」
「それがわかったとて、何が変わる?」
「お前が本気を出してないことがわかった。戦う理由があれば良いんだよッ!」
ルーフェンは腰を低め、右拳を左手で覆った。
――《転身魔導Ⅰ:拳撃》。
右腕から燃え上がるようにエネルギーが噴き出す。拳のよる攻撃の威力を爆発的に上昇させるだけの馬鹿らしい魔法。馬鹿らしい程に強化された拳撃は風圧だけで大陸を削り取るだろう。
それでもディスミナスを屠り切ることは叶わない、と確信していた。
そもそも直撃を当てることが難しい。余波を食らわせたところでガードされるのは目に見えている。
「――全力で行くぜ! 暴れろ、魔女の魔導書――〈亡骸空無〉ッ!」
かの魔女が開発したあらゆる魔法を記したとされている書物をルーフェンはその身に取り込んでいる。把握し切れない程の量の魔法の中から最適な答えを探す。
「ッ、おらあああああああああああああああああああああああああァァ――!」
ルーフェンは標的をディスミナスに絞り、右腕を思い切り中空に振り下ろした。アウトプットしたのは《異界魔導Ⅱ:重複》と《空間魔導Ⅳ:転界》だった。
可能性という名の威力を重ねる魔法と距離を無視する魔法。
拳は突如としてディスミナスの顔の前に出現した。
ほぼ零距離――瞬間の判断で全てが決まる、そんな絶妙な間隙を生み出せたのも世界〈二〉番目の実力者だからだろう。
「――《物理循環》」
「それはもう見てんだっつうのッ!」
砕け散る自らの魔法に目を見開くディスミナス。吸収しようとしたエネルギーが霧散し、僅かに環境へ影響を与えた。発生したのは僅かの遅延――〇が幾つ付くかわからないほど小さな時間。手元に降って来た〈十字神剣〉を掴んで首筋に押し当てるだけの時間だった。
零れ落ちた黄金の輝煌が世界の色を新たに染め直す。
ディスミナス・パルセノスの代名詞――。
「――〈黄金血統〉」
花のように美しかった桃色の瞳は深海の底を思わせる青色に移ろう。
金色のベールを纏った指先を軽く左から右に横に振る。ルーフェンの拳撃は煙でも切ったように散っていく。
黄金の権化であり、戦の権化であり、美の権化が堂々降臨する。
「相変わらず気分が悪い、この力は――」
苛立たし気に吐き捨てると、透き通った宝石のような瞳でルーフェンを睨みつける。
「こうなったからには簡単に死ねると思うな、下郎」