15.王立図書館と古代文字
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王城の敷地内にある騎士宿舎の隣に〈王立図書館〉がある。国内最大の図書施設であり、広大な敷地面積を惜しまず使って資料を数千年前のものから所蔵している。
中に入って上を見上げれば、四階建ての向こうに吹き抜けがあり、視界内だけで数万もの本が棚に収納されていそうだ。この中から目当てのものだけを探すとなると何時間掛かることか。
勝手を知っている風のアストラスピスは迷いない足取りで受付にやって来た。誰もいない席を確認する。
「今は奪還作戦に関する調査で出払っているようだな。だが、目当ての本を探すならこの道具を使うといい。インデックスされている書物を検索することができる」
机の真ん中に置いてある長方形をしたディスプレイを触ると文字が出力され、操作が進行する。キーワードを思念にて送ると自動的に検索してくれるシステムらしい。
「こんな便利なものがあるんだ」
田舎暮らしの長いフィニスには、広大な図書館も、検索システムもファーストコンタクトだった。どこを見ても知らないものばかりで内心では感情の渦が巻いていたりもしたが、表に出すことはない。
幽霊女神からは『感情豊かな女の子の方が男にはモテるけど、あなたはやめときなさい。大変なことになるから』と直々に言われているので、あくまでもポーカーフェイスは崩さない。
「見てても仕方ないし、検索しようよ」
ハウシアに促されるように掌をかざして検索ワードを浮かべると、すぐに画面に結果が表示された。望んだ本が四階にあること示されている。
キーワードは〈最終決戦〉――。
「〈最終決戦〉って確か神話の戦争のことだよね? 子どもの頃お姉ちゃんが絵本読んでくれたけど、どうして?」
「神の血統について調べたくて」
「というと、王家の血筋についてか? 恐らくだが、その資料はここにはないと思うぞ。ある意味国の存亡に関わる話だからな、あるのは禁書庫だろう」
女騎士の発言はもっともだが、図書館には大量の情報が眠っている。手掛かりになるものも少なくないはずだ、ととりあえず該当書籍を取りに行くことにした。
四階まで魔法で一っ跳びして到着――するつもりだったハウシアとフィニスはガシッと肩を掴まれる。
「図書館では静かにしなくてはならない。魔法を使うなんてご法度だ」
あいにく利用者はいないが、だからといってルールを破って良い理由にはならない。階段を三階分上り最上階にやって来た。
首を限界まで逸らさないと一番上まで見渡せない本棚が横一〇〇メートルに渡って並んでおり、通路の合間合間に脚立が設置されていた。そうでもしないと届かない高さ、量がある。
順路を進んでいると、少女達の前に本の山が立ち塞がった。
幾つもの本が積まれて通路を塞いでいたのだ。マナーの悪過ぎる行いに騎士道精神轟々の女騎士が憤慨する。
「通路を塞いだままほったらかしにするだと!? 許せんな!」
「ひっ――すみませんっ!」
本の山の向こう側から返事がしたのも束の間、奇跡的なバランスで成り立っていたトランプタワーが崩れるように雪崩れてきた。ざああ、と足元に本の波が押し寄せる。勢い余って手すりの隙間から一冊が零れ落ちた。
何となく目で追うもののいきなりのことで身体は反応しなかった。
だからこそ、本の中から少女が勢いよく飛び出し、それでもって手すりからも落ちた時の衝撃は凄まじかった。執念が垣間見えたからだ。
「――って、見てちゃダメじゃん!」
「フィニスちゃん!?」
追って、フィニスも手すりに乗り上げバンジージャンプでもしているかのように両手を広げて落下する。自由落下だけでは追いつかないので、魔法で空気抵抗を退かしておかっぱの少女と並走――否、並落する。
少女を抱き締めた時には床面はもう目の前に迫っており、頭から突っ込む寸前だったが、《物理循環》で落下エネルギーをすべて吸収してそっと着地した。
「う、うぅ……」
「大丈夫かな?」
「え……」
状況が飲み込めてない様子だったのでしばらく休憩しようと、立ち上がらせたタイミングでハウシアとアストラスピスが一階まで来る。
「二人とも急に落ちたからびっくりしちゃったよ」
全然びっくりしてなさそうに言う大剣を背負った少女に対して、堅物女騎士のアストラスピスにはこのショートボブの少女に心当たりがあるようだった。
「お前は確か……レネルスといったな」
「知ってるの?」
フィニスは自らの寄りかかる少女を支えながら尋ねると。
「レネルスはこの図書館の司書だ。どこにいるかと思えばあんなところに」
「じゃあ、あの神殿とか〈神獣〉のこと調べているんだよね」
「そうなるな。あの状況を見るに難航しているようだが」
アストラスピスは四階通路にあるであろう山を見上げた。レネルスが鋭意捜索しているところに声をかけたのかもしれない。
だが、その声を聴いた途端に司書の少女は全身を強張らせた。
「すみませんすみません! 道の真ん中で本を読んでてすみませんっ!」
もう一歩踏み込めば土下座でもしてしまいそうな勢いで頭を下げる。
引くくらい必死なので謝罪対象にさりげなく視線を巡らせると。
「すみません! 許してください!」
「お、おい! 頭を上げてくれ、何もしないぞ!?」
完全にいじめっ子といじめられっ子の構図だった。一々の指摘が威圧的になるアストラスピスと、見るからな文学少女の組み合わせは反社会的な印象があった。
フィニス、ハウシア両名ともジト目であせあせしている副団長を見詰める。
「お前らまで私をそんな目で見るのか!」
「いや……やりそうだなぁ、って」
フィニスが正直答えればアストラスピスは反射的に乗り出して来た。
「き、貴様!」
「ほら」
「ぐっ……無意識にッ」
と、まぁお約束の流れの後、改めて話し合おうではないか、というハウシアの意見に従い一階中央にあるテーブルに四人で座る。著しい心象の差があったのでレネルスの隣にフィニスが、正面にハウシアが座り、斜向かいが加害者容疑のかかっているツンツン女騎士アストラスピスだ。事情聴取が開始される。
そして、しばらく――ことの真相を聞いたハウシアが面白おかしく物語を要約した。
「ふむふむ、つまり、アストラちゃんが昔切れ散らかしてその巻き添えを食らったってことね」
「断じて違う、捏造するな! 十分な時間があったにも関わらず資料をまとめていなかったからだ。この私が、王国騎士である私が理不尽を認める訳ないだろう」
頑なまでのポリシーであるが故にこうしたトラブルにも巻き込まれるが、他には代えられない尊い忠誠心とも言える。世界にはこのような人間もいなくてはならない。わざとではないだろうことは、円卓の間での言い分からもわかっているのでハウシアも本気で言ってる訳ではなかった。
「いやぁ……読んだことのない本があって読書に夢中になってしまいまして……」
レネルスはあはは、と告白するとため息一つ吐いて「こういうことだと」とアストラスピスは肩を竦めた。
「融通の利かないところがあるんだ。それがなければ優秀極まりないんだがな……作戦の件の調査を任されたのもその才能のためだ」
「どんなことができるの? レネルスちゃん」
「そ、それは――」
「――一度読んだ本を永久的に記憶し続けられるんだ」
お株を奪うようにざっくりさっくり答えると壁にかけてある時計を確認した。
「そろそろ仕事に戻れ。作戦は明後日だ、どうにか突破口を探すんだ」
「は、はい……」
束の間の休息を打ち切られたことに項垂れつつも、雇われの身であるレネルスは椅子を引いて階段へとぼとぼ歩き始めた。
レネルスが正面に向き直ると硬い口調で言う。
「フィニスエアルといったな、本を探すならとっとと探すんだ」
「うーん……」
フィニスは髪を揺らしながら左右に傾げて思考すると「可愛いんですけど!?」とハウシアが机に突っ伏して悶えて狂いだした。息を乱して全身をくねくねされてにやついているが、視界にも入れない。
「よしっ、手伝おうかな」
「何?」
立ち上がると今にも階段に一歩足を乗せようとするレネルスをお姫様抱っこし、地面を蹴ると三階層以上の高度を上げて着地した。
「私も一緒にやっていいかな。〈神獣〉のこと知りたいからさ」
「ど、どうぞ……あ、あの……ありがとうございます。色々と……」
胸に埋めた顔を赤くしながら小さく言うときゅっと袖を掴んだ。
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「ここに書いてあるはずなのに読めないばかりに……」
この台詞を聞くのも何度目か。
そして、同じような本が積まれるのも幾度目か。
王立図書館の司書レネルスは神殿奪還作戦遂行の足掛かりとなるような情報を図書館から探し出す任務が与えられていた。彼女は一度読んだ本を覚えられる、という性質を持っている。時間はかかるが正確に思い出すことができるという代物だが、ともかく一番相応しいということで任されていた。
図書館には一〇〇〇〇〇〇〇〇――一億の書物が眠っており全てを記憶しているレネルスしか二日後に迫る作戦に間に合わせることができない、と騎士団長が推薦したという経緯がある。
現在彼女は本を読み漁っていた。
完全に思い出せるなら机に座ってても良いのにだ。
だから、レネルスは本を探してる訳はなかった。
フィニスがそのことに気づいたのは手伝いを始めてから実に二時間後のことである。
「……もしかして翻訳しようとしてるの?」
「はい。私が唯一読んでいないのが、数千年前――つまり、〈神獣〉のいた時代に書かれた書物だけなんです。読めなかった理由が不明な言語が出てくるからで、だから解読を試みていますが……」
好奇心でどんなものか確かめたくなったのでその中の一冊を手に取ったフィニス。パラパラと捲るが、しかし、理解できない言語が並んでおり落書きのようにしか見えなかった。
――数千年前経過したって言語がここまで変わるものかな?
どことなく違和を感じつつも、言語解読はできないので積み直すつもりだった。
その前に、幽霊女神ウェヌスが正面に躍り出て言う。
『私、読めるわよ、その言語』
「本当?」
『どうして嘘吐くのよ』
幾星霜を生きてきたであろう神が不満気に頬を膨らませる。
女神が数千年前の言語を読めるというのはもっともだった。当時の戦争に大々的に関わった女神の一柱である彼女が人間の味方をしていた。人類の言葉に博識なのも頷ける。
「これは?」
『……神話戦争参加者の自伝みたいなものね。ここら辺を守っていた起源神の血統についても書かれているけど、大したものじゃないわ』
関係なさそうだったので隣に置いて次の本を見せると。
「この見るからに古い本は……」
『〈対神魔法〉って書かれているわね』
「レネルス! これ昔の魔法について書かれてるよ」
「わかるんですか!? な、なんと書いてあるんですか?」
『これは一般の研究者の手記をまとめてものみたいね。えっと……対神魔法は高度かつ、人類とは相性の悪い魔法体系である。当初はその特異性から神々の血を与えられた英雄にしか使うことができなかった。しかし、才気煥発なる魔法使いが現れるとあえて劣化させるという工程を挟むことで、一般兵、国民でさえ扱える制限的〈対神魔法〉を作り出したのだ。それにより人類は飛躍的に強化され、〈神獣〉からの脅威を退けることができた。我々はオリジナルの〈イデアル・マジック〉から、〈デュアル・マジック〉と名付けた……』
フィニスは幽霊女神の言ったことを訳も分からず聞いてから、レネルスに伝える。言葉にしてようやく内容が入ってきて反応できた。
「〈デュアル・マジック〉ってハウシアとかが使ってた奴……?」
「というかこの国の人が使う魔法です。ということは〈劣化版対神魔法〉が数千年継承されてきたんですね……」
『でも記述ほど軽々〈神獣〉を倒せてるようには見えないわ。多分、数千年の間にさらに劣化したんだと思う』
争いのない時代がしばらく続いたことで戦闘用の魔法を覚える必要がなくなった。現在の国民も最低限の魔法は使えるが、攻勢魔法に関しては騎士養成学校に行かなければ学べないことになっている。今や〈劣化版対神魔法〉は、〈劣化版対神魔法〉の劣化版なのだ。
「普通の魔法よりは効くのかもしれないけど、当時ほどの恩恵はほぼないかもね」
「フィニスさん……どうして失伝された言語を?」
レネルスの興味は内容ではなく事実の方だった。本好きで、あらゆる書物を読みたいという知識欲がある彼女は〈神獣〉なんかよりもフィニスが不明な文字を解読したことに驚きと、嫉妬のような感情を抱いた。
真剣な眼差しで問われたので思わず言い訳を飲み込んでしまった。知り合いが使ってた、という誤魔化すことができるか微妙なものなのでそれはそれで良かったかもしれないが、一から考えなければならず早くも三〇秒が経過してしまう。
「ちょ、ちょっとだけ読めるの……本当にちょこっとだけね?」
「そうなんですか……」若干トーンが下げての返事だった。「じゃあ、これは読めますか?」
レネルスが取り出したのは時代錯誤な書物の中でも、一際煌びやかな表紙の本。厚さとしては一センチにもみたいないが他にはない重厚感がある。
フィニスは読む振りをして間近にいる女神に見せる。
『ふむふむ……これは〈神獣〉の特性についてね。これは指揮系統に属していた者が書いたものかしら』
「実際の戦術とかが載ってるかもね」
『……あぁ、大したことは載ってないわ』
ウェヌスは先程は打って変わってあっさりと本から身体を離して中空に浮遊する。常々見ているかのように飽き飽きとした口調だった。さらさら興味はないようだ。
『〈神獣〉が積極的に〈血統者〉、神器を優先的に攻撃することを戦略に組み込んだ話よ』
「ふぅん……血統に〈神獣〉が惹きつけられることしか書いてないよ」
ウェヌスからその血統のことを耳にたこができるほど聞いていたので報告の声もテンションが下がっていた。そんなことはとっくに聞いていたとばかりに。
「大したこと書いてなさそう」
「大したことですよ!」
レネルスはフィニスの手から本をもぎ取った。自分では読めないというのに嬉々として落書きにしか見えない文字列を見詰めた。世紀の大発見に立ち会ったかのように目を輝かせているが、進展したかといえばそうではない。
該当者はフィニスエアルと、王家の血統のみだからだ。英雄と呼ばれる〈血統者〉がいたからこそ成しえた作戦であり、血の失われた時代にできない。
「それって効果距離とかわかるんですか!?」
「……平均的に二〇〇メートルくらいが反応領域だって」
「二〇〇! これはすごい情報ですよ! プロイア様は戦う王子ですからきっと上手く戦術に組み込んでくれるはずです」
「それならいいけど……」
続けて解読不明だった数十冊の本を確認したが一般大衆向けの小説や料理本などまったく関係ないものばかりだった。有益だったものは〈神獣図鑑〉なる神の遣わした獣の性質をまとめた蔵書である。
種類だけでも、虫型、狼型、鷲型、竜型、人型とあり、攻撃パターンまでも載っていたのでこれが図書館にある一番有用な情報なのかもしれない。
切り上げた頃には太陽は地平線を過ぎ、窓の先は暗闇に包まれていた。ふらふらのレネルスの背中を支えながら一階に下り正面玄関に向かう際、何気なくテーブルに視線を巡らすと、蛇のようなポニーテールがピクリと動く。
「まだいたんだ、ハウシア」
『あなたを待っていたんでしょ』
「あ、そういうことね」
肩を揺らして起こすと、大きく伸びをし、欠伸を噛み殺しながら訊いてくる。
「もう終わったの?」
「まぁね。あんまり収穫はなかったけど」
「よしっ、帰ろうか」
レネルスは司書らしく最後の戸締りをしてからゆっくりと頭を下げた。
「お疲れさまでした。どうかご武運を――」