17.七つの大罪
◎2
――〈円卓賢者〉〈迷宮塔アルアム〉の本格的な攻略へ向かったファントス一行からの連絡が途絶えたことで、このダンジョンの危険度を最高ランクである〈S〉まで引き上げた。それは世界で有数の魔術師による侵略行為などに適用される形式だけのランクのはずだった。
まさか本当にこの例外が適用されるなど〈円卓賢者〉を創設したかの幼女も想像だにしなかった。
「国家転覆を超えて、大陸でも転覆させるつもりなのかしら」
桃色の小学生くらいの少女――ネーネリアは黒雲をも突き抜ける高さの塔を見上げる。特殊な魔法で建造されたもので建材に関しても検討がつかなかった。
その小さな背中の後ろに立っている物々しい一行――〈円卓賢者〉その最高戦力の七人だ。ネーネリアが彼らを率いて直接ダンジョンの攻略に臨む。
非戦力であるネーネリアが足手纏いになりながらも同行するのはこの塔の主の顔を見るためだった。これだけの大魔術を行使できる人物でありながら、その名が知られていていない者というのはどうにも怪しい。直接確認しとくべきだと直感的に思ったのだ。
得も言われぬ感覚を胸に抱きながら、ネーネリアは賢者を引き連れて塔へ足を踏み入れた。
「――!」
入口を開いた瞬間、大口を開いた黒龍が迫り来る。喉奥から発せられる内臓まで震わす咆哮を浴び、ネーネリアは咄嗟に避けることができなかった。
ドンッ――と泡でも弾けるような小気味の良い音がして、反射的に閉じていた目を開く。
紫色の薄明りに照らされた見渡すほどの空間。そこに龍はいなかった。
足下は赤い液体がびっしり、とこびりついている。一体誰がどんな魔法を使って龍を爆散させたのか。
そして――広がる光を飲み込む真っ暗な床面に無数の人間が倒れていた。それは興味本位でこの塔に入った一般人であり、調査に赴いた〈円卓賢者〉所属の魔術師でもある。
五体のどこかに欠損があるものがほとんどであり、中には高所から叩きつけられたのか骨が逆側に曲がったものもある。
強烈な悪臭にネーネリアは眉を顰めた。
「見てられないわね……あら? 生きてる人がいる?」
七人の賢者の内の一人――白髪をオールバックに整えた老人が屈んで治癒魔法を使った。生き残りの状態を確認すると、しわがれた声で返答する。
「彼ら――ファントス、トーエン、ステンマルクです」
元聖女教神官の三人は無残な姿で倒れていた。全身ズタズタになっていることから苛烈な戦闘に晒されていたことまでは窺える。
「良かった、生きてたのね。目覚めないの?」
「非常に強力な呪いに侵されているようです。あらかたの治癒魔法を試しましたが解呪できませんでした」
奇妙なエネルギーが全身を侵し、今も命を削っている。
比類なき生命力を持つ三人だからこそ一命を取り留めているが、そう長くはもたないだろう。
呪いを解く方法は、解析して相殺する呪いをぶつけるか、聖なる魔法で打ち消すか、呪いの主を倒すことのみ。
賢者にさえ解呪できない呪いである以上、三つ目の選択肢しか彼らを助ける道はない。
「最初から叩きのめすつもりだったから良いわ。どうやらこの最上階にいるみたいだし。何のつもりか直通で空いているしね」
見上げれば、遠くに天井が見え、大穴が空いている。
元々存在していた九九の階層は失われている。塔の主が自分の意思でダンジョンを壊したようだ。まるで役割を終えた、とでも言うような潔さだった。
――最初から私達を招くことが目的なの? まさかこの塔を建てた時点でここまで考えて?
〈風神〉は聖女を、ギリヌスは帝国国家を、ならば塔は賢者を打倒するためのもの。〈円卓賢者〉を倒せる想定で敵は動いている。それだけ強力な者がこの塔を生み出しているのだ。
「ランキングは高いのかもしれないけどそれだけじゃ私の円卓を覆すことはできないわ」
腕を組んだ幼女の身体が宙を浮く。
賢者達も《飛行》にて天井に空いた穴を潜った。
輪を抜けた先には書斎と研究室が合わさったような部屋に繋がったいる。魔道具開発も専門としてネーネリアとしては垂涎物の施設である。
どうして最上階にこんなものが? ――という疑問よりも先にもたげたのは。
「これは以前に私が好んで使っていた形式……?」
数百年前、ネーネリアが全盛期の頃に所有していた研究室に酷似していたのだ。ネーネリアの使い易さだけを追求しているため、他の誰にも上手く使うことができない代物だというのに。
偶然で再現できるような単純さではない。積み上げられた書物も、机に乱雑に並べられた金属片も、視界の両端に映る位置のフラスコも。
「正確には私の弟子も使っていたけど……まさか……」
中央奥、背凭れの高い椅子の端からから長い足と髪が覗ける。スリットの入ったドレスから溢れ出る健康的な脚線は優雅に重なっていた。
椅子がくるり、と回れば腕置きに肘を立て、手を頬に当てている女性の姿が露わになった。
その女はにたり、と笑って立ち上がる。
対して、ネーネリアは戦慄に震えていた。
「あ、あり得ない……どうしてあなたが……」
「――久し振りね、師匠。ずっとずっと会いたかったわ!」
「どうしてあなたが生きているのよっ! ツィアーナ!」
師匠と弟子の感動の再会なんてものはない。
再会などあるはずがない。
ネーネリアは半狂乱に叫んだ。脳裏にこびりつく消えてくれない記憶が鮮やかになっていく。
「あなたはあの時! 確かに私が殺したはずなのに!?」
まさに幽霊でも見たかのような血の気の失せた表情。
死人が甦るなどあり得ない。魔法という法則を書き換えることのできる神秘の力を以てしても死者を甦らせることはできない。
否――。
否否否――何度でも言おう、例外は存在する、と。
かつての師匠が戦慄に喘ぐ姿が余程愉しかったのかツィアーナは両手を広げて饒舌になる。
「えぇ、確かに私はあなたに胸を貫かれて殺されたわ! そして死んだはずだった……だけど、私は甦った! 魔女が私を甦らせた!」
「魔女が……!?」
「一体何の因果かしらね、私は命を貰って、あなたは力を奪われた。そんな私達が再会するなんてね。全く笑える話だわ、そうは思わない? ねぇ、ネーネリア」
楽し気に笑っていたが、言葉の端々から情動が滲み出ていた。
ツィアーナはネーネリアに一度殺された。甦ったからと言ってその怨みが消えるはずもない。
「私はずっと探してた。だけど、幾ら探してもあなたの痕跡がなかった。だから、魔女に殺されたのだと思っていたけど、実際は力を奪われてしぶとく生きていた。それを知った時、私の人生は再び動き出したのよ!」
文節を跨ぐ度、ツィアーナはヒートアップしていく。
数百年燻っていた怒りが、憤りが、怨嗟が形になって析出する。
「ずっとこの時を待っていたわ! ネーネリア、あなたをこの手で殺す日をッ! ――私はこのために今の今まで生きてきた!」
「……目的は私だったのね……」
静かに息を吐くと、ネーネリアは右腕を上げた。
〈円卓賢者〉への指令――。
「ツィアーナ・プテリスを殺しなさい!」
「良いわ、付き合ってあげる。弟弟子が惨殺されるところをよく見せてあげる――」
音もなく並び立つ七人の賢者と、ツィアーナの身体にマゼンタの文字列が駆け巡った。魔女によるランキングシステムが起動する。
――〈七〉〈飛翔神煌〉〈悪辣賢者〉〈秩序円環〉――ツィアーナ・プテリス。
世界最高の一角は殺意に滲んだ瞳を開いた。
「あの時の私と思ったら大間違いよ。ネーネリア、あなたが辿り着けなかった魔導の極致に私は至っている。絶望までの時間を数えてなさい、今のあなたにできることはそれくらいでしょ?」
ツィアーナを中心として半透明の幾何学物体が円軌道を描いた。真球、正四面体、正六面体、正十二面体、正十二面体、正二十面体、円柱、角柱――様々な立体が幻想的に煌めく。
ネーネリアは何もできない自分に苛立ちながら、アルバムを久し振りに捲ったような懐古心が芽生させた。
「……結界を立体にして衛星みたいにするのは昔から変わってないみたいね」
巻き込まれないよう後方に下がって、〈円卓賢者〉と〈飛翔神煌〉を傍観する。ツィアーナの言う通り、力を奪われたネーネリアにできることはない。
時代は違えど弟子を見届けるのが師の義務だ。
決して目を逸らず、七つの赤い紋様の入ったローブを見詰める。
「行きなさい〈七つの大罪〉」
――この場合の〈七つの大罪〉とは、人の罪悪を示した〈暴食〉〈色欲〉〈強欲〉〈憤怒〉〈怠惰〉〈嫉妬〉〈傲慢〉というたまに耳にする七つの悪徳のことではない。
ネーネリアが名付けた七つの大罪には違う意味が込められている。彼女自身の嫌悪が大きく反映された、他にない悪徳。
賢者の一人、年相応の白髪をオールバックにした男は先端にクリアブラックの真球が埋め込まれた杖をツィアーナに向けた。燦爛とした光が指向性を持つ。
「《輝煌閃光》」
「《反魔結界》」
眩しさに目を細めながら衛星の一つの正六面体を正面に引き寄せる。色白の箱の頂点が大きく拡張され、ツィアーナは正六面体の中に入った。
結界に触れた光線は、無秩序に拡散して研究室を焼き焦がす。高温に晒された試験管やフラスコの幾つかが爆散した。
「《輝煌閃光》」
「何回撃っても無駄よ。その魔法じゃ結界には傷一つつけることはできないわ」
再度放たれた光線も結界にぶつかった瞬間、拡散して床や天井を赤熱させる。
ツィアーナは不愉快を隠そうともしない低い声を出す。
「円卓賢者だとかなんとか知らないけど様子見してられるような余裕があるの?」
「――人と人との対立の全ては思慮の不足によって起こる」
「は?」
〈円卓賢者〉第一席〈無想像〉ムインは虚ろな瞳を敵に向けた。
「想像力の欠如――思考すれば理解できることを放棄して自我のままに振る舞うこと。これを罪と言わずに何を罪と言う」
「説教?」
「いいや、独り言だ。そして、私の魔法だ――《無想像》」
魔法は発動したが目に見えて変化はなかった。
《反魔結界》には呪いや精神魔法とも反駁するのだが、反応がないことを確認してから薄ら笑う。
「何も起きないじゃない」
「すぐにわかる」
「ッ、生意気な奴ね……」
情動のまま回って来た正八面体を掴むと、ムインに投げつけようと始球式に出た素人のような投球ポーズを取る寸前に――滑った。
反射された《輝煌閃光》の爆発で舞い上がった紙が重なっていたらしく、力を入れた瞬間に滑ってツィアーナの身体は後ろに倒れたのだ。
このタイミングだとお茶目で片付けることはできない。
そして、不運にも背中側には試験管の残骸である鋭利なガラス片が落ちている。
まさかそんなことがあるのか、ツィアーナは呆気ない事故死を迎えてしまった――ということはなく、倒れる前に《飛行》で動きを止めた。
その視界の端、駆け抜けて来るムインの杖に眩い光が宿る。
「全ての因果は繋がっている。これが貴様の想像を怠った罪だ」
ゼロ距離で放たれる《輝煌閃光》が結界の反射と拮抗した。
先に限界が来た結界に穴が空き、閃光がツィアーナに向かう。惜しくも、周囲の衛星が光を反射されて攻撃が届くことはなかった。
ツィアーナは上体を起こすと、ムインを睨みつける。
「……今、何かしたわね?」
遠くから一連の出来事を整理するなら、ただツィアーナが足を滑らせて隙を作ったようにしか見えない。そこに《輝煌閃光》を撃ち込んだだけのこと。
しかし、得も言われぬ違和感が背筋をなぞる。
ここでムインが口にしていたことが思い出される――想像力不足。
「想像力――考えれば避けることのできる悲劇……それを呼び起こす……?」
「そうだ、私の魔法は可能性の低い二次災害の因果を引き寄せることができる。想定できる最悪の未来が貴様を待ち受けると思え」
要は、とにかく運が悪くなるのだ。
飛び散った紙に足を取られ、倒れた先に凶器が転がるだけ。だが、脅威を不運だけと判断してしまった時に敗北は確定する。
目下の災厄を退けている間に何もされないという想像力のなさを痛感せよ――それが〈無想像〉の大罪なのだから。
そして――大罪はまだ六つ残っている。
第二席〈無秩序〉エルアール。
第三席〈無抵抗〉ジスタ。
第四席〈無責任〉フォント。
第五席〈無配慮〉ハイト。
第六席〈無謙虚〉レプト。
第七席〈無自覚〉ノウン。
ツィアーナは〈無想像〉の罪を背負った。
そして、七つの大罪の全てを背負った時、罪人は――。
「――罪人よ、審判の時だ」