10.塔内、魔境につき……
◎2
――〈迷宮塔アルアム〉という角錐の超高度の建築物が突如、帝国に生えて来た。
一体何を目的に、誰が打ち建てたかは不明。言えることはその者が超級の魔術師だということだった。
なので、塔を調査するのは〈円卓賢者〉の中でもトップクラスの実力者でなくてはならない。選ばれたのは百年以上を生きる古の魔術師達だった。
黒い法衣を纏った壮年の男――ファントス・ディオハミルは塔に入ってすぐに《索敵》《感知》の魔法を張り巡らせる。一瞬の内に怪しい光に照らされている塔の内部構造を把握した。
ファントスの後ろに着く二人の男――トーエン、ステンマルクも同時に魔法を発揮している。三人は途方もなく遠い天蓋を見上げた。
「この塔は幾つかの階層に分かれているな。さしづめダンジョン、といったところかのぉ」
「ダンジョンと言うと、あれですか? 化物がわんさか出て来る、っていう?」
ステンマルクはトーエンに訊き直す。
「そんなもの昔、文献で読んだ程度で実際にあるものなんですか? それこそ数百年クラスで」
「実際にあるから実際にあるんじゃろう」
「――無駄話は後にして、進みましょう。時代観を含めても、ここは異質です。油断せずに」
「了解了解」「はい」
光を飲み込む材質不明の真っ黒な壁がどこまで続く。
三人が暗闇の通路を進んで行くと、独りでに動く骨格模型が道を塞いできた。合計三つの骨がカラカラと音を鳴らして迫って来る。
関節の部分に魔法的作用が施されていることから人為的なものであることがわかる。
「死霊術か。現代の魔術師に使えるような代物ではない。だが、この程度なら――」
腕で振り払うだけでスケルトンは肥料と化した。
死霊術という珍しい術を使っているにしても、このレベルなら街を警備する騎士でも、うまく立ち回れば一般人でも対処できる程度。
ここはダンジョンだ――進めば進むほど敵のレベルが上がっていく。
それから十数体のスケルトンを撃破した先に物体を浮遊させる魔法陣が敷かれていた。この上が第二階層になっている。
「二人とも、行きますよ」
ファントス達は魔法陣に乗り、第二階層への飛んだ。
そうして、三人のダンジョン攻略は始まった。二階層に現れたのは意思を持った人食い植物のイータープラント。人肌も貫く鋭い蔦を伸ばし、体内に種子を埋め込もうとする凶悪なモンスターだが一薙ぎでのした。
既に地形は理解しているので三階層に行くまでに時間は掛からなかった。
三階層には肌が緑色の巨大な生物――オークが列をなしていたが、《浄化火炎》を撃ち込んで軒並み蒸発させる。
ダンジョンは階層を増すごとに難易度が上がっていくが、はっきり言ってこの三人には難易度が低過ぎた。彼らはハイペースで塔を駆け上がる。約一時間後には九〇階層にまで到達した。
塔は尖っているので登れば登るほど狭くなるはずだが空間が歪曲しているため広さは一定だった。
空に蠢く影に目を細める。
巨大な、生物として破格な存在を頭上に知覚した。
「――なるほど、今度の敵はドラゴンですか」
「ほぉ、一〇階層を貫いて一部屋にしているようだな。気合の入っていることだ」
「つまりボス、って奴ですね」
あるはずの九つの天井を外してできた広い空間に大きな翼を生やし、悠々と飛行する力強い顎が特徴的な神話時代の生物――ドラゴンが最後の敵として現れた。
頭部には二本の角が生え、手足には鋭い爪が伸びている。その全長は三〇メートルを超えていた。
ごつごつとした黒い肌は魔法的エネルギーに対する耐性を有している。
膂力は勿論、非常に強力な攻撃魔法を放つこともできるという種として人間を遥かに超越した生物だ。神話時代に絶滅した種のはずだが、まさか現代で拝むことができるとは。
「――実物を見るのは初めてですね」
ファントスは心にもない感想を漏らし、空を蠢く黒い影を捉える。
龍が口から吐き出した火炎弾が三人に降り注いだ。危な気なく避ければ、今度は床を舐めるようにブレスが迫り来る。
ただの《結界》では炎熱を防ぎ切ることができない。より強力な結界魔法《天翔結界》で完全にシャットアウトした。真っ白な羽がいっぱいに舞い、ブレスを相殺している。
「《暗黒呪縛鎖》」
ファントスの外套から飛び出した三本の鎖が龍の尻尾に絡みつき動きを封じる。
巻き付いた対象の視覚を封じる非常に凶悪な呪いが込められていた。龍の魔法耐性を容易く貫き権能を押し付ける。逃れんと荒れ狂う龍を身体強化術を用いて強引に押さえつけた。
「――二人とも、お願いします」
その間に、トーエンとステンマルクが龍の頭上に飛び上がり、踵落としを叩き込んだ。
ゴオオオオオオ――と、巨体が床に激突して轟音が鳴り響いた。
悲鳴を上げる巨大生物の首を鎖を締めあげ、ファントスが手刀を振り下ろす。
黒龍の首が血飛沫を上げながら跳ね、転がった。
紛うことなき、絶命である。
「――現代の魔術師では手も足も出ない敵でしたが、この程度の龍ならば私達の相手にはなりません」
手を振って、付着した血を落とすと彼らは最後の階層移動魔法陣に足を踏み込んだ。一〇階層分の高さなので気持ちゆっくりめに高度が上がっていく。
そして、第百層――。
ガラッと雰囲気が変わった。
天井から吊り下がるシャンデリアには怪しい青緑色の焔が灯っていた。
円形に切り取られた部屋の中央には金属台があり、様々な実験器具が並べられている。現在進行形で実験中のようで蛍光色の強い緑色の液体がごぽごぽ、と音を立てた。
壁にはびっしりと本棚が詰め込まれているのだが、それでも収まらないとばかりに、敷かれたカーペットを覆い尽くす勢いで本が散乱している。
実験室、それもとびきり怪しい研究の匂いがプンプンした。
そして、お茶を飲むためのスペースとして高級そうなソファーが置かれた一角。そこに妙齢の女性が座っていた。
ティーカップを口に付け、淀んだ瞳を浮かべていた。
「まさか本当にここまで来る奴が現れるなんてね。全く面倒臭い。お茶の時間を邪魔しないで欲しいんだけど」
ため息と腹立たしさを隠そうともせず、三人を睨みつける髪の長い女。
随分と前衛的な、肌の露出の多い紫色のドレスを纏った女性。自分の家とばかりに座っているが、この〈迷宮塔アルアム〉の頂上にいる人間が一般人な訳がない。
「あなたがこの塔の製作者ですか?」
都市に塔を打建てるという蛮行を行ったかファントスは訊き、要件を述べる。
「であれば、私達がこの塔を出次第、早急にこの塔を消してください。私有地に建造物を建てることは違法です」
「そんな法律なんて知らないわよ。どうでも良い、私以外全てどうでも良い」
ダウナーに、どうでも良さそうに答えると椅子に座ったままくるりと回る。
「但し、賢者を除いて」
「…………」
所属が看破されたこと自体に問題はない。ファントス達が〈円卓賢者〉に加入したことを隠していた訳ではなかった。
危ういのはこの女性の興味関心が賢者に向けられていることだ。
その結果がこの塔だとすれば、厄介なことになる――否、既になっていた。
「いきなり賢者本人が来るはずないわよね。それなりの斥候を送り込んで来た、ってことだろうけど、上はまだ事の重大さに気づいていないようね」
「……まさか賢者に会うためにこんな塔を?」
そんなことのために、とは思っていても言わなかった。
彼女は宿題をやりたがらない子供のようななげやりさで答える。
「半分は――いえ、九割かしら。こうすれば賢者はいずれ来る、わかりきったことよ。とにかく賢者来れば何でも良い」
「そうですか、塔を消すつもりがないのなら相応の対応をさせてもらいます」
ファントスは右腕を揺らす。どこからともなく半月の鎌が現れ、怪しく瞬いた――呪いの大鎌〈死滅罪鎌ガルグロリア・ガギャギルル〉である。
トーエンは炎を司る聖剣〈炎上剣フレート・ライナー〉を、ステンマルクは天雷の聖剣〈轟雷剣ドラギラ〉を構える。
女性に向けて三人の男が刃物を向けるという状況はあまりにも現実離れしている。
しかし、驚くべきことに、黒龍相手でも素手だった彼らが間断なく警戒しなくてはならない実力を有している。
「分を弁えなさい」
瞬間――四人の身体にマゼンタの文字が高速で駆け巡る。
魔女による一対一の戦闘能力の順位と称号を表示する全世界の人間に適用される魔法だ。
ファントスの胴体に名前と〈五三〉という数字、〈宣誓神官〉という文字が躍った。トーエンやステンマルクにも各々の名前と〈七九〉〈永老賢人〉、〈八六〉〈無色〉という文字が走る。
常に退屈そうだった女の瞳が僅かに見開かれる。
「へぇ、〈五三〉〈七九〉〈八六〉……ここまで行間飛ばしで来れるのも当然か。ありがたいわ、ハンドレッド以上が出たとなると次はもう賢者が来る他ない。思ったよりも早く目的を達せそうね」
そうして、女性は組んでいた長い足を戻して、立ち上がる。
首元から脇腹に掛けて赤紫色の文字列が羅列された。
――〈七〉〈飛翔神煌〉ツィアーナ・プテリス。
ツィアーナが指を鳴らせば、周囲に無数の幾何学物体が浮かび上がる。立方体から円柱、塔と同じ角錐、直方体を捻じったような立面。奇妙な魔法・不可思議なエネルギーで構成された物体が衛星のように飛び回った。
世界第七位の実力者の魔法――。
ファントス達の警戒心は更に強まり、呼吸も自然と深くなる。
二桁上位とは殴り合った経験はあるが、一桁と相対するのは初めてのことでどれほどの実力を有しているのか窺い知れない。
少なくとも底を見通せない程度の実力差があることは間違いなかった。
だが、あくまでも順位は一対一による戦闘力。一対三という状況を見れば勝算はある。格上の聖女と戦った時も、総がかりであれば十分撃破できてしまう。
「――」
ファントスはギリ、と右足を滑らせるように距離を詰めた。
同時にトーエンとステンマルクが左右に分かれて跳躍し、ツィアーナを囲うような位置取りをする。同時攻撃すれば、なんて甘い考えではない。フィニスとの戦闘で全方位防御など腐るほど見て来た。もっと上位なら当然対策も対応もしている。
白と黒の奔流が元神官達を包み込む。
「《秩序混沌双臨》 」
「《混沌影臨》」
「《秩序光臨》」
切り札を使わないままノックアウトされるのが一番最悪な展開、最初から全開で行く。身体の構造が作り替えられ、人間であった時の制約から解き放たれた。その上で各種強化魔法を用いることで人外の領域に足を踏み込むことができた。
ファントスは音を置き去りにした大鎌の一閃を振り下ろす。
肩を狙った一撃はツィアーナの周囲を浮遊していた物体が受け止めた。丸ごと斬り裂こうと力を込めるが、掌にも収まる程度の立方体は微動だにしない。
ツィアーナは陰険に笑う。
「《超重結界》」
立方体を起点に半径三メートル程のドーム状の結界が形成される。
光さえ歪める超重力が範囲内の全てに襲い掛かった。抵抗虚しく跪くファントスを見下ろして嘲笑する。
「言っておくけど一桁台は他とは次元が違うから――抗い難い、度し難い圧倒的な格の差が存在するのよ」
「――ふッ!」「――はッ!」
隙だらけの背後から聖剣を振りかぶるトーエンとステンマルク。轟雷と火炎の斬撃が剥き出しの背面に鋭利に刻み込まれる、なんてことはない。
ツィアーナは両方の指を鳴らした。
瞬間、トーエンの身体は浮遊感と共に自由が失われ、ステンマルクは大病でも患ったかのような強烈な虚脱感に膝を折った。
「《水没結界》・《減衰結界》」
これもまた、ツィアーナの周りに浮いていた幾何学物体を起点として発動している。
膨大な魔法的エネルギーで為される多種多様な結界術こそが世界第七位ツィアーナ・プテリスの強さ――。
賢者に対して嫌悪感を抱く稀代の魔術師の魔法。
圧力という檻から逃れようとももがくも、ファントスは指一つ動かせなかった。水に覆い尽くされた球に閉じ込められ、絶息に抗うトーエン。眩暈・吐き気・酩酊感に侵されたステンマルクはまともな思考を紡ぐこともできない。
展開された三つの結界はツィアーナの自由に動かせる。
「じゃあ、そのままくたばってよ」
心無い言葉と共に、腕を振り下ろす。
結界は地面を貫き、苦悶に苦しむ三人は一〇〇階から龍の死体が転がる九〇階まで叩き落とされた。凄まじい落下音が鳴り響く。その後、何の音も鳴らなかった。何の音も――。