27.強さの冒涜
◎
「〈白龍紋〉」
フィニスの右手の甲に龍の紋章が躍った。川の流れのように清涼なエネルギーが渦巻き、彼女を包み込んだ。フィニスの中に眠る血の一端が目覚める。膨大なエネルギーは本来では使えない精度と規模の魔法を実現させる。
ゆっくりと息を吐き、《物理循環》を展開した。煌めく煙を残しながら、フィニスは宿敵へ近づいていく。
「長らく待たせたね」
「あのまま倒れてても良かったんだぜ? 極力殺生はしたくないからな……で、それが本気って奴か?」
「本気でやるよ。本当の戦争だと思って――」
フィニスの両目に埋まった〈支配の魅了眼〉が目の前のトーエンとステンマルクを支配しようと荒れ狂う。
戦争――これは戦争だ。勝敗によっては国が滅びるのだ、戦争と言わず何と呼ぶ。
――戦乱、騒乱、戦、戦争。
己の内との対話。フィニスは狂わんとする力を右手に押し込んでいく。
開始の合図はなかった。瞬きから瞳を開いた瞬間には前の二人はいなかった。フィニスは瞬間的に右方に回り込み、飛び込んで来たトーエンに右掌を向ける。
「第二段階解放――行け、白龍」
「んん!?」
「――ゴォァアアアアアアああああああああああああああああああああアアアアアァ!!!」
トーエンの目の前に塞がったのは大きな口を開いた龍だった。龍は老人に噛みつくと、その身体を長大にしながら空を突き抜けていく。
振り向き様に蹴りを放ち、ステンマルクの拳打を逸らす。息を吐く間もなく、異常なほどに曲がる手刀で追撃が入った。
フィニスは首を捻じって回避し、魔法陣を展開。その中に手を突っ込み、引き抜いたのは剣だ。虹色に煌めく白金剣の一閃が走る。
「…………」
ステンマルクは速やかに剣の間合いから出ていた。彼は、その白金の剣を見詰める。
次の行動の理由は、ただの好奇心だった。
「その剣は何なのだろうか?」
お喋りが好きなタイプではない。ただ気になって、もしかしたらフィニスが応えてくれるんじゃないかと思って尋ねた。
「〈戦騎神剣アリスティ・エース〉――戦乱神の権能で作られた剣……これがどうしたの?」
「〈神剣〉……訊いただけ」
それだけ呟くと、好奇心を振り払って、半影と化した身体にて構える。脱力したような奇妙な体勢だった。影の力を最大限発揮するには物理的な距離が地面に近しい方が都合が良いのだ。
青年の下半身が影に沈むと、滑るようにフィニスに迫る。
「《戦刃》」
刃が無数に瞬き、地面に幾つものの亀裂が駆け巡る。
ステンマルクは影に完全に潜り込むことで斬撃の隙間を抜けた。懐に潜り込み、フィニスの影を踏み抜く。
「《影支配》」
フィニスの動きが止まる。浸透するように皮膚表面から、血管、血液と停止していく。完全に停止するまで一〇秒足らずだ。
背後に回ったステンマルクを瞳孔を移動させて片目分だけ〈支配の魅了眼〉で捉える。眼力で一歩だけ後退させた。
「ぐっ、と――」
「――ッ!」とフィニスは一息に〈神剣〉を振り回し、距離を取らせる。「今のはちょっと焦ったよ」
「その魔眼も……さっきよりも強くなっている。〈英雄〉か――全く、こちらが悪者みたいだ」
「あはは」と少女は突然笑い出した。「全く、悪気がないじゃん、あはは」
「ここで笑うのか……あなたの方が〈英雄〉に相応しいとは思えないが?」
「そう? ありがとう。そんなものになったつもりはないからね」
「…………」
おかしい――と素直に思う。
笑う状況ではない。彼女は妙に高揚しているようでもあった。
不気味だ。よくわからないことに対しての恐れ――根源的恐怖だった。
「尚更、どうにかしなくてはならないな」
曖昧だった決断が固まったことにより、ステンマルクの魔法が精錬される。全身から影が噴き出し、煙に巻かれて瞳が赤く光る。
今にも〈神剣〉が振るわれる寸前――。
「おらよおおおおおおおおおお――!」
空から降って来る咆哮。トーエンが大龍の顔面を掴みながら落下していた。巨体を振り回してフィニスを圧し潰さんと突っ込んで来る。
少女は動じることなく右手を固く握り、掲げた。紋章が一層の輝きを見せる。
「第三段階解放」
白龍は光の塊と化し、フィニスを照らす。降り注ぐ光は白輝の鎧へ変換されて少女の柔肌を隙間なく覆い尽くす。
女性らしいシルエットは消え失せ、龍と甲冑が組み合わせった頑強な塊がそこにいた。背中の下の方から鏃の連なった尾が生え地面のすれすれで左右に揺れている。〈神剣〉に加え、龍でできた剣――〈龍剣〉とでも呼べる大剣を左手に握っていた。
今は名もなき鎧だが、いずれ〈白龍鎧〉と名付けられる。
「グ、ガアアアアア!」
龍人の咆哮が大気を激震させる。
衝撃波という形をとって二人に襲い掛かった。暴風程度で動じる彼らではないが、込められた戦乱の意思に飲み込まれることになる。
破壊衝動の塊――嫌でも警戒さぜる負えない。
フィニスが飛び出した反動で地面が粉々に砕ける。鎧の足は鉤爪になっており、岩盤さえも強かに切り刻むだろう。双剣をステンマルクの両肩に振り下ろす。
暗黒の波動で腕を包み込みながら、ステンマルクは受け止める。トーエンは背後からフィニスを狙うも凶悪な尻尾が荒れ狂い、老人を叩きつけた。
三本爪を振り上げ、ステンマルクのがら空きの腹部を蹴りつける。鋼鉄を相手にしたような反動が返ってくるも、懲りずに蹴り続けた。
「ぐッ、うあああああ――ッ!」
ステンマルクは剣を弾き返し、〈白龍鎧〉の中央に掌打を撃ち込む。爆発のような衝撃で身体が浮き上がった。
尻尾が縦に地面に突き刺さり、仰け反った体勢は瞬く間に立て直すと、〈神剣〉を振り下ろす。
「驚異的な速さと力だ。だが、技術は伴っていない。これならば先程の方が強かったくらいだ」
斬撃は真っ直ぐ進んで山脈の頂上まで及んだ。空振りにしては盛大過ぎる影響である。
懐に潜り込んだステンマルクの影を纏った掌打が〈白龍鎧〉を打ち砕いた。為すすべなく真上に飛んだ鎧には無数の亀裂が刻まれている。次の攻撃は持つまい。
ステンマルクは両掌をフィニスに向け、巨大な魔法陣を形成した。時を経るごとに幾何学は複雑な模様を描き、規模を増していく。
「僕の使うことのできる最大の魔法……!」
影が砲口と化し、混沌の消滅を司るあらゆるが一点に収束する。
膨大なエネルギーを上からも感じ、フィニスは視線を巡らせる。
トーエンは下方に向けて巨大な魔法陣を展開している。闇属性のステンマルクに対して、かの老人は光属性の賢者級魔法だ。
「本気本気と言っていたが、本気の本気だ!」
秩序と消滅を司る聖なるエネルギーが光の魔法陣に集まる。
撃ち上げられた直後だ、相反する魔法に上下を挟まれて回避する暇はなかった。
二人の神官の最上の魔法は同時に解放される。光と闇が世界を彩った。
「《混沌壊燼悪暗夜砲》」
「《秩序崩滅聖輝煌砲》」
フィニスは二つの消滅という名の奔流に飲み込まれた。
光と闇――相反する二つの属性は触れ合えばたちまち相殺し、〇になる。ならば、全く逆の性質を持っているかと言えばそんなことはない。共有して持つ性質もある。
それが〈消滅〉である。〈消滅〉だけは相殺されることなく同調し、累乗的に増幅される。故に、爆心地で中心地であるフィニスへ掛かる衝撃は尋常ではないものになる。
〈白龍鎧〉は塵と化した。
遮るものがなくなり、フィニスに消滅の波が襲い掛かる。二色の光線はあっと言う間に彼女を飲み込み、消滅させた。救いなど一切ない、残酷な結果だけがそこに存在することが許される。
「――――――――――……………」
はぁ、はぁ――と、二人の男は息を切らした。
幾ら彼らが半不死とは言っても、自分が使える最高最強の魔法を手加減なく放ったのだ。蓄積する疲労は相当なものだ。
大陸に放てば大地を抉って星の形を好きに変えることだってできる。
そんな魔法を二つ同時に放った。にも関わらず周囲にこれといった影響が出なかったのは偏にトーエン、ステンマルクの魔法技術の高さからだ。全ての消滅をフィニスにぶつけることができた。
できた――はずだった。
彼らの視界には魔法陣が浮かんでいた。その魔法はこの戦いで幾度も見たエネルギー操作魔法《物理循環》で間違いない。
「そんな馬鹿な……」
トーエンが言ったのか、ステンマルクが言ったのかはわからない。ただ驚愕の息が漏れた。
煙の向こうに人が立っている。シルエットだけでその者が誰だかわかってしまう。
「どうして……」
トーエンは呆然と呟いた。
「どうして、あんたは生きている……儂は《物理循環》を二〇は砕いた……これ以上増えることはないはずなのに……」
空を見上げて立ち尽くすステンマルクも同じようなことを言う。
「《物理循環》は三〇以上砕いたはずだ……」
「十数と言ったのは嘘だったのか!?」
「ん?」今気づいたという風にフィニスは答える。「十数? そんなこと言ったっけ?」
一瞬、理解できなかった。
とぼけている、訳ではない。
少しして悪びれることなく、仄かに笑む。
「間違えた間違えた。十数じゃなくて数十だった」
「…………は、は…………」
トーエンはもう苦笑いも浮かべられなかった。
勝算がただの勘違いによって狂わされたのだ。全てを出し尽くした結果がこれならば、肩を落としても仕方ない。
フィニスは首を傾げ、唸る。
「あれ、また間違えた。いつの間にか一〇〇個以上使えるようになってたみたい」
ステンマルクは崩れ落ちそうな身体を支え、フィニスを――金色の夜叉を見詰める。その笑顔が狂気に見えて仕方なかった。
「今回は本当に危なかったよ」
「…………」
「…………」
「お返しするよ、丸ごと」
指を鳴らし、魔法が起動した。《物理循環》から放たれたのは吸収した二色の消滅光線だった。
闇に飲み込まれたトーエン。
光に飲み込まれたステンマルク。
もはや、彼らに防御魔法を展開する体力は残っていない。晒されるまま消滅を待つだけだ。
一仕事終え、フィニスは眼を瞑って顔を上げた。
「これにて落着、と言いたいところだけどあっちはもう少し掛かるかな……」
瞳に映るのは青い空。
その向こうからはこの世の終わりかと思える轟音が響いてくる。