26.いつも隣に
◎
――ファントスは一切の間隙なく巻き起こる大爆発に身を曝していた。
纏った法衣が破ける。肉が弾けて、血が飛び出るのも束の間、傷口は修復される。次の刹那にはまた爆発によって血だらけになる。
痛みを感じたのは久し振りだった。
数百年を生きる中で手に入れた様々のものの一つに、人間を超えた肉体がある。頑強な肉体は勿論、魔法技術の獲得、自動治癒による半不死身の性質。
誰かと敵対することはあったとしても、圧倒的なまでのパワーで圧し潰すことができた。彼を傷つける者はここ二〇〇年以上はいなかったのだ。
――痛みを感じてる時だけは、贖罪している気になる。
みすみす死なせてしまったリリルに対してファントスのできることはない。罰を受けなければならなかった。
だが、足を止めることは許されていない。
一歩ずつ、一歩ずつ彼は足を動かした。最後の約束だけは絶対に守らなければならない――使命感に駆られてゾンビのように歩を進める。
「……っ! 何で止まらないの!」
鋭利な六本の足を生やした車椅子の上から爆撃しているユニスは、着実と近づくファントスを見遣り、焦りを覚えた。
止まらない。爆発の威力を上げても、規模を広げても真っ直ぐに来る。爆撃を撃ち込みながら、後方へ移動するも追いつかれるまで時間の問題だ。
「最大攻撃力が効かない――これを打開する方法はあるの?」
一発攻撃をもらって、〈言霊〉で再現するという荒業の考えられるが、その一発を生き残れる保証はない。ファントスはハウシアとの戦闘があったため殺害を躊躇している、気絶や封印といった迂遠な制圧を行うと推測できるが反撃できなければ殺されるのと変わらない。
そもそも再現できるかもわからない。希望的観測を重ねた方法だ。
「やっぱり攻撃を受けちゃいけない……けど、もうっ!」
目下、ファントスは光を飲み込む漆黒の鎌――呪いの魔鎌〈死滅罪鎌ガルグロリア・ガギャギルル〉をその手に掴み、跳躍を試みている。次の瞬間には肉薄しているはずだ、それまでにユニスの起こせるアクションは一つといったところ。
戦闘経験を積んでいないユニスは咄嗟に行動できなかった。
気づいた時には車椅子を支えていた刃の足の半数が半ばで切断されている。傾いて地面に擦れた衝撃がユニスを襲った。
「うっ……!」
「《死屍者篝紫炎》」
――来た、来たっ、来たっ!
一足飛びで迫ってきたファントスが鎌を振るう。鎌に付与されているのは時計台で一度見たことのある魔法。幾重もの結界を物ともしない地獄の炎を纏った一撃。
二〇枚では足りなかった。ならば、四〇か? これだけで止められるなんてイメージできない。では一〇〇か? 一〇〇〇か? 依然として破られるイメージがこびりつく。
――もしかして……即死の場合は助からない?
――このまま死ぬ?
それは到底受け入れられ――。
「《いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!》」
死の拒絶が魔法と化し、鎌とユニスは同極にでもなったかのように反発した。
だが――。
「――遅い」
いつかと同じようにユニスは左鎖骨から、右脇腹に掛けて斬撃を食らった。
っが、と声にならない息を漏らし反動に従って飛んで行く。ユニスは地面に叩きつけられ、体中から嫌な音がした。
動かないのは下半身だけのはずなのに、上半身まで微動だにしない。苦しい息と、明滅する視界が唯一ユニスを生きていると認識させる。
このままでは死ぬ、と身体が節操なく叫んでいるようで考えも纏まらない。
視界の端に、金色の煌めきを捉えた。それは金髪だった。それが誰のものか見間違えるはずもない。
「あ、あ…………フィ、ニス……さん……」
ぐったりしていた。
ユニスは無理矢理腕を動かしてフィニスの肩を揺する。簡単に揺れた、というか軽い印象を覚えた。それは上半身だけの話だ。
「フィニスさん、フィニスさんっ」
「生きてるよ」
「ああっ」
清々しい晴れ空の下、血だらけの二人は小さな声で言葉を交わす。もしかしたら絶命するまでの残された最期の時間かもしれない。
「出血が酷くて頭回んないだけ。それより、ユニスは? 見るからに大変そうだけど」
どちらも致命傷にはなり得なかったが、死ぬ理由としては十分考えられる重症であることには間違いがない。
ごめんなさい、とユニスは呟いた。
「私が巻き込んだからこんな怪我させちゃって、本当にっ、っ――」
感極まって、涙が頬を伝った。相手の戦力を見誤った愚かしい自分に、大切な人を巻き込んで大きな怪我を負わせたことに、何より死にたくないことに――。
嗚咽を漏らした時、フィニスは指を鳴らした。
「頑張ってよ。とにかく頑張ってよ……あなたと一緒にやりたいと思ったことが沢山ある。諦めないで、ね?」
慰めの言葉も、ユニスの自信を取り戻すことは叶わない。
「でも、私にはどうしようもなくて……私が私のままじゃどうにもできないんです。やっぱり私のこの身体をちゃんと使うことができていないから……やっぱりハウシアじゃなきゃいけなかったんだ」
気づいた時には彼女はユニスだった。
だが、身体は自分のものではないようだった。知らず知らずに動く身体も、微かに甦る記憶も確かにユニスのものではなかった。
「早く彼女に返さなくちゃならなかったんだ……」
ユニスという存在は繋ぎでしかなった――休んでいるハウシアが目覚めるまでの。抗うことなど許されなかったのかもしれないとさえ思う。
フィニスに言った通りの人格なら、きっと正しいことを為すのだから。
「フィニスさんも、その方が良いと思っているんでしょう……?」
こんなことを言うつもりはなかったが、フィニスは今までに一度も彼女を〈ユニス〉と呼んでいなかった。それが何よりの証左である。
「……ああ、ハウシアって呼んでたことに対して特に意味はなかったんだけどね、ついついね……」
フィニスはゆっくりと起き上がって、言う。
「ハウシアは良い娘だよ。あなたがいるとしても身体を寄越せ、なんて絶対に言わない。困った時には必ず助けてくれる。そうやって私のことも救ってくれた……ほら――」
痛みに顔を歪ませながら、ユニスの手を掴んだ。
「ユニス、私の記憶を見て?」
フィニスがユニスと呼ぶのは初めてだった。
「大丈夫、ハウシアを信じて。きっと一緒に戦ってくれるから」
「あ――」
瞬間、流れ込んできたのはフィニスの辿って来た世界の記憶だった。生まれた頃から、この場所に来るまでの光景が情報の塊となって一挙に詰め込まれる。
――廃れた村には両親と、絶世の美女しかいなかった。両親の遺体に火を投げていた。旅に出る途中に双子の少女と仲良くなっていた。〈神獣〉を一撃でのしていた。そして、〈神覇王国〉の首都にてハウシアと出会う。
フィニスとハウシアは出会ってほんの数日の関係だった。ハウシアの強引な距離の詰め方、フィニスの常識知らずの相乗効果で異様に仲良くなっていただけでお互いのことを知っているかと言われればそんなことは全くなかった。
だが、ハウシアは強敵に対して、文字通りの死ぬ気でもってぶつかりフィニスの勝利の手助けをした。どうして命を懸けてまでフィニスを手助けしたのか? それはハウシアがハウシアだったからに他ならない。
――困った人がいたら放って置けない優しくて、いつも楽しそうな女の子だから。
ハウシアを理解すると同時に胸にくすぶっていた何もかもが氷解した。
時計台で殺された時にハウシアが目覚めたのは特別だったのだ。ユニスに残されていた僅かの記憶がハウシアを形作ってユニスの命を救った。最後の力だった――ユニスの中のハウシアはあれで完全に消失した。跡形もなく、痕跡だけを残して終わったのだ。
「私は認められなかっただけだった……ハウシアがいなくなることを……彼女を胸の中で繋ぎ止めていたのは私だった」
いるかのように、錯角させていたのは自分自身。任せられる人がいれば、いざという時に逃げられるという浅ましい魂胆だ。
逃げ場はもうない、ここは最終地点だ。ファントスとの世界を掛けた最終決戦の地である。
強大な相手に立ち向かわなければならない。
だけど、背中を押してくれる人がいる。フィニスから僅かに流れ込んできた記憶により、ユニスの中にハウシアの形作られた。誰よりも頼れる仲間だ。
「――自分の足で立ち向かえ……だから《一緒に……》、《一緒に戦おう、ハウシア》」
ユニスの身体が水色の燐光に包まれると、胴体に負った傷が修復されていく。斬り裂かれた服まで逆再生されている。
そして、立ち上がった。自らの足で大地に立った。
数秒前までと眼の色が違う。どころか、髪色まで変わっている。頭部の全体が真っ青に染まる、ただ前髪の右だけは白さを残していた。聖女服の上からは半端に身体を守る鎧が装着され、その背には大剣が背負われている。
ユニスは振り向くと、フィニスに手を伸ばした。引き上げると同時にフィニスの肉体の傷が治った。
「……凄、治ってる……」
失われた血液までのが元に戻っていた。もはや治癒ではない、時間逆行とも違う。事象がなかったことにされたような現象だった。
「今なら何でもできる気がします。もう、何も怖くないです」
「ユニス」
「はい?」
フィニスは口を開くも、何度か首を傾げて、言った。
「いや何でもない。行こうか、凱旋に」
視線の先にはお互いの戦うべき相手だけが映っている――。