22.ファントスと物語の終わり
◎
――ファントスの手の中でリリルは死んだ。
市庁舎は意外な程呆気なく制圧された。
ファントスの魔法の技術も勿論、トーエンも奇襲が来るとわかっていれば対応することができた。殿を任せられた下っ端のステンマルクも十分に使命を果たし、聖女を守り抜いた。潜んでいた三人と、雇われた浮浪者を捕まめ、人質も全員無事に解放することができた。
犠牲は一切出していない――作戦成功と言っても差し支えはない。
拘束した刺客達をステンマルクに任せ、聖女とファントス、トーエンは市庁舎を後にすれば周囲に野次馬ができていることに気づいた。作戦成功は《通信》で伝えられているので一足早く喜び勇んでいるといったところか。
「何とか切り抜けましたがこのような事件は再び起こり得ます。これからその対策を考えなければなりません」
「真面目だね、神官長は。とりあえず誰の犠牲もなく解決できたことを喜ばないと」
「そうだぜ。毎日毎日皺の寄った顔をしているストレスで死ぬぜ」
真面目であることを二人の指摘されあまり面白くなかったものの、いささか気を張り過ぎていた感じもしたので緊張の糸を解くことにした。
両手を広げて大きく息を吸い、肩を思い切り下げて息を吐く。どわああああ、と日頃の疲れが纏めて出てきた。
「たまにはこういうのも良いですね」
「……普通、そこまで溜まるもんじゃないけど」
「そうですか」
「いつも思ってますが休憩は取ってください。一日三時間くらいしか寝てませんよね」
喧噪に紛れる二人の会話を近くから――野次馬の中から見ているものがいた。全身をローブで包んだ男は懐からある魔道具――金色の銃を取り出し、標的を定める。
その銃口を聖女に向け――すぐに隣の神官長に向けた。
引き金に手を掛けると、内部で魔法陣が爆ぜる。ファントスへ、魔法の弾丸が音もなく飛来する。
貫いたのは聖女の胸だった。咄嗟に気づいたリリルがファントスを押し退け、庇ったのだ。予備動作さえ、見えなく、さらには人混みに紛れていたはずにも関わらず彼女は動いた。
音もなく撃ち抜かれたリリルは勢いに任せてファントスの腕の中に納まる。神官服が少女から飛び出た血液によって染まった。
「シッ――!」
逸早く異変に気づいたトーエンは人混みから逃げようとするローブ姿の男を捉え、魔法で生み出した金属を投げつけた。射線に入った人間の目の前で斜め四五度上がり、そこから降下して逃げる男の背中に突き刺さる。血を吐いて倒れる男を見てようやく人々は事態に気づくのだった。
「聖女様っ、聖女様!」
「っ、ぐっ――」
リリルが喋ろうと口を開ければ溢れ出すように吐血する。ファントスの頬に赤黒い血液が付着した。
「喋らないでください! 今すぐ治療します! ――《完全回復》」
黄色の魔法陣が傷口に重なり、グロテスクな亀裂は塞がっていく――かに思えた。傷口は塞がっていない。
「どうして……どうして魔法が発動しない? いや発動はしている……これでは!」
「しんかッ――はァッ……」
「聖女様、傷がっ! 何か抑えるものが……!」
「待、って――」
腕を掴まれ、ファントスは行動を中断した。今も血は流れ続けている。彼女の穢れなき瞳は力強くファントスを捉えていた。
言いたい事があるのだろう、と判断して《通信》を使用する。
〈ありがとう、もう……喋れないから〉
〈申し訳ありません。何故か傷が塞がりません、こんなこと今まで一度も……〉
〈見なくてもわかる、もう無理そう。血が出過ぎてるもん〉
瑞々しかった肌色はすっかり温かみを失っている。
五感もほとんど機能していないはずだ。意識に語り掛けることで辛うじてコミュニケーションを成立しているに過ぎない。
既に命という聖杯は尽きている。
〈どうして私を庇ったんですか?〉
〈言わなくてもわかるでしょう? それとも言葉にして欲しいの?〉
〈……こんなことになるなら……〉
〈それ以上は言わないで。私だってあなたが傷つくところは見たくないのに……〉
〈ですが、私は――あなたを守るために……〉
〈あなたを守りたかった。守ることができたから――〉
「――そういうことではないのですっ!」
ファントスの叫びは喧噪に掻き消された。トーエンの攻撃で倒れたノリ、聖女を撃った犯人として人々に蹴り殺されている。怒号が飛び交い、市庁舎前は血みどろのと化した。
冷たく震えたリリルの手がファントスの頬に添えられる。
〈ごめんなさい。あなたがこういう反応することはわかっていたのに〉
〈……私は……〉
ファントスは自分の命が聖女ほどの価値があるとは思えなかった。だが、そんなことを言っても意味がないことも理解している。こんな言葉はリリルは望んでいない。
故に、掛ける言葉が見つからなかった。
〈もう、時間がないみたい。これから大変だと思うけど、頑張って世界を平和にしてね〉
〈あなたのいない世界なんて……〉
〈私は満足してる。だから、後はあなたの問題〉
達観したような台詞をファントスへ残した。
愛おしそうに彼の頬を撫でれば、血が滲んで
〈長い間、本当にありがとうございました。あなたのお陰で最後まで幸せに生きることができました〉
「……どうしてあなたはこうも優しいのですか」
〈あなたがいなければそんな私にもならなかったよ。ファントスさん、あなたのお陰です。あなたが何と言おうと私はそう思ってるの。あなたにも否定はさせない〉
最期の最後でも力強くリリルは言葉を紡ぐ。
ファントスの頬から手が離れた。その手を掴もうとして、すり抜ける。
――ファントスの手の中でリリルは死んだ。
◎
「――彼の、ファントスの居場所がわかった……」
本を閉じた。多分、こういうことなんだろう――。
ファントスの場所を探そうとしても知ることはできなかった。
しかし、会いたいと思った時には知ることができた。
受け継いでしまったのだから、彼はこうするしかなかったのだ。
――あの後、ファントスは聖女をみすみす殺されたことの責任を取って神官長の座を降りた。リリルのいない世界はもはや意味なかったため、受け入れた。聖女教から離れて間もなくあの事件の黒幕を見つけることができた。勇者教司教の男がファントスの殺害を画策していたのだ。
同じく立場を辞したトーエンとステンマルクと共に勇者教を襲撃、司教を殺害に成功した。これにより三人は聖女と勇者教司教を殺害した大罪人として中央大陸に名を轟かせることになる。
そこから先は日記には書かれていないが、逃亡して今も生き続けていた。日記は復讐を遂げたことで必要もなくなったと言ったところか。聖女教と勇者教共に力を失って小競り合いの火種はなくなったため一時の平和が訪れたとか。その時に帝国都市と賢者が実権を取り戻し、現在のような情勢となる。
ただ――争いはなくならない。いつまでも、これからも。
「行こう――私が終わらせてあげないと」
聖女から始まった物語。終わらせるのは聖女であるべきだ。