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フィニスエアル ――少女が明日を生きるためだけの最終決戦――  作者: (仮説)
聖女が過去を知るためだけの女神邂逅
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20.ファントスと聖女

 


 ◎


 


 ――〈天帝国ゼイレリア〉の首都に当たる帝国都市に聖女殿は堂々鎮座している。


 


 聖女殿本殿の内部の一切は灰色と白色に包まれており、微塵の喧噪を許さぬ強制的なまでの静謐が覆っている。王城のような煌びやかさはない。慈悲と節制を主とする聖女教には飾り立てられた見た目は必要なかった。


 中央の祭壇の左右に瓶を持った二人の女性が彫られており、中央の女性――聖女は両掌に水を貯めている。柱に魔道具のランプが掛けられ、静かさも相まって怪しい雰囲気だ。


「――……」


 その中央――一五〇年振りに現れた聖女にファントスは頭垂れていた。その後ろには彼よりも階級の低い神官達が膝をついている。紛うことなき崇拝だ。


 その光景を唯一正確に観測できる場に立つのが、教えにおける絶対存在、聖女リリル・ソレイユーであった。


 リリルは表情を曇らせながら彼らを見下ろしている。


 憐れんではいる訳ではない。彼女には自身がどうして崇められるのかわからなかった。展開に着いて行けず困惑の表情を浮かべる。


 数か月前まで貧乏な農家の一人娘だったはずが、突然やってきた呪い師に宣告にされることで一変した。田舎から帝国都市に連れて来られて、聖女服を着せられた。そのまま、まともな説明もされずに聖女様と崇められることになった。


 ――何がなんだがわからない。


 それがリリルの偽らざる本心だった。そんな彼女の事情を鑑みることなく状況は出来上がる。


 だが、それ以上に彼女の心を蝕むのはリリルを連れて行くということで聖女教が払った報酬を両親が喜んで受け取ったことである。冷遇されていることはわかっていた。貧乏な生活だ、世帯の人数が少ない方が家系に良いのは自明である。それは貧しかったからに他ならない。


 それでもどこかで愛してくれていると期待していた。


 止めてくれると思っていた。


 だけど、父も母も大金に目が眩んだ。貧乏だったからだろう、仕方のないことだ。だが、浮き彫りにもなる。リリルこの金のために育てていた――そんな風に感じてしまった。そう確信してしまってはもう終わりだった。


 精神的ストレスを考慮すれば、聖女就任など比較的どうでも良いことである。


 ――何て言おう?


 聖女の身のこなしなど知る由もないリリルには一言を発する勇気がなかった。冷え切った親子生活と同じように感情だけ押し殺し、ずっと彼らを見下ろす。


 何分経っただろう。


 立つことにも飽きたリリルは自棄になって声を出した。


「も、もう良いですから……」


 ゆっくりと顔を上げる神官達の視線に耐えられず顔を背ける。


 ファントスはようやく彼女の顔を見た。


 不機嫌そうな横顔、とても聖女には見えない。整った顔立ちをしているものの、聖女の正装を纏うには幼過ぎた。


 そう、幼い子供だった。


 彼は直観に従い、聖女降誕の儀式を早々に切り上げるとリリルとの会話に試みる。あらゆる希望を失ったような瞳で壁を見詰める聖女に問い掛けた。


「あなたは何を見ていますか?」


「……壁ですけど」


「そうですか。今日は良い天気なので散歩日和ですよ」


「監視されながらリラックスできる人がいますか……」


 小さく呟き、リリルは神殿を後にした。


 この声音だけで聖女にはなりたくなかったのだろう、と察することができる。


 ファントスも彼女を聖女として招聘するのに何の障害もなかったとは思っていなかった。だが、態度から強引な手段を使ったのではないかと考え、彼は神殿騎士団の下へと赴き、 リリルを連れて来た時の話を聞いた。


 両親は喜んで娘を差し出し、神殿は喜んで受け取った。


 そこにリリルの意思はない。リリルの以外の幸せは確約されている。


 これは慈悲と節制を重んじる聖女教の教えには反さない。自らの犠牲で、他人を幸せにできるなら時として身を捧げることも必要とされている。自己犠牲こそ高潔で最上とされていた。


 翼の折れた天使に触れるべからず――。


 聖女に手助けは必要なかった。


「ただ、死にそうな顔をしていたから」


 常に死相を浮かべ、風に吹かれて倒れた勢いで絶命しそうな危うさを感じさせた。本来、神官長でさえ聖女を助けるなど烏滸がましいが――彼は良心に従い、行動した。


 何かと気に掛けながら生活すること約一年、ようやくリリルはファントスに心を開き始めた。困っていたら助け、壁を見ていたら散歩に誘い、床を見ていたらお茶に誘い、歩き回っていたら本を薦め――何でもないお節介が実ったのはだいぶ先のこと。


 それで十分――。


 リリルは日々、自分らしさを取り戻していった。両親のことは時間が解決した、聖女の仕事は慣れてきた、眠っていた己の才能ともしっかり向き合い期待に応えるようと努力した。


「――確かにあなたは聖女に相応しかった」


 この言葉を言うのに抵抗はない。感受性豊かな、慈愛に溢れた少女――それを聖女と呼ぶのだから。それが抑圧されていた本来だった。


 


 ――聖女リリルの存在は帝国全土に轟き、国民達に平穏をもたらした。


 彼女は特別な技能を持っていた訳ではなかった。聖女の条件の一つの治癒魔法はともかく、才気が煥発でもなければ、人を魅了する美貌も有してもいない。これと言って特徴はなく、人の中に紛れれば見つけるのは至難だろう。


 普通だった。


 何の変哲もない普通の少女だった。


 だから、国民は彼女を慕った。少し前まで同じような生活をしていたから、わかってくれると思われたから。前時代の聖女とは少し違った立場だろう。


 普通だからこそ特別――だった。聖女に向いてるとは言えないからこそ、誰よりも聖女なのだ。


 この頃から、ファントスの頭を悩ませる問題が発生した。


「神官長」


「何でしょうか、聖女様」


「二人きりの時はリリルって呼んで……?」


「…………」


 いつしかリリルから好意を寄せられていた。


 神官長として聖女の付き人をすることが多く、長い時間を共に過ごした。お互いを理解し合えるくらいの時間を共有した。


 ならば、相応の理由はあるのだろう。


 そういえば、女性は年上の男を好きになりやすいという話も聞いたことがある。頼り甲斐という意味ではファントスは貫禄があり過ぎた。


 当然受け入れることはできなかった。聖女は誰の者にもなってはならない――聖女は助けを求める者の味方なのだから、特定の誰かに肩入れすることは許されていない。


 というか、ファントスはリリルの倍近くを生きている。恋愛対象に見るのはそう簡単なことではない。とはいえ、無碍にすることもできず首を振ることもできなかった。


 リリルもそのことは重々理解しており、大事になることはなかったものの気まずい関係は続いていた。


 


 内輪の問題とは別に、対外の問題を解決するのも仕事は神官の役割である。


 ファントスと他二人の男は馬車に揺られていた――。


 ファントスの父の同僚――トーエン・ディーエゴ。


 聖女を招聘した時期に入った新人神官――ステンマルス・ベルテン。


 三人の目的地は〈行政都市〉にある神殿。視察ではない、早急に向かわなければならない事由が生じた。


「――それでどういうことになっているんだ?」


 白い顎髭を弄りながらファントスに尋ねた。


 ファントスは彼へと視線を巡らせると肩を竦める。


「既に報告はしてはずですが?」


「確認だよ、一応な。慎重になるに越したことはないだろ」


「……そうですね。ステンマルク、君も聞きなさい」


「わかりました」


 ファントスは報告された出来事について語り出す――事の発端は一週間前のこと、舞台は行政都市の聖女殿。


 日付が変わるか変わらないかの真夜中に神殿に何者かによって放火されたという。外壁の向こうから火炎瓶が投げ込まれ取り分け古い神官の寮が燃やされた。


 水属性魔法を使える者がいたため比較的短時間で収束したものの、逃げ遅れた神官や見習いの人数は一〇人おり、彼らは一酸化炭素中毒で亡くなった。


「証拠はなさそうに見えますが、足取りは掴めているようです」


「随分と優秀な奴がいるじゃないか。で、誰だったんだ?」


「勇者教だと思われます。正確には勇者教が仕向けた浮浪者ですが」


「あぁ、やっぱりか」


 トーエンは詰まらなそうに息を吐いた。


「聖女が来てからこちらの勢力は尋常じゃないスピードで拡大している、それを危惧をした、ってところだろうな。にしてもやり方がお粗末だ」


「バレても白を切るつもりでしょう。証拠がない以上、我々が何を言っても無駄です」


「とはいえ、このままって見ている訳じゃないだろ?」


「…………」


 守りを固めるのは当然として、こちらから攻勢に出るかは迷うところだった。今にも聖女教の影響は広がっており、勇者教を圧殺するのも時間の問題だ。


 だからこそ、何をしでかすかわかったものではない。何が何でもこちらを失脚させようと画策してくるだろう。


「どうするのでしょうか?」


 訊いたのはステンマルクだった。


「牽制は必要かと思いますが」


「まぁ、こちらも力を見せとかないと図に乗るよな」


「……あまり強引な手段は取りたくありません――が、綺麗事を言っていられるタイミングではないのかもしれませんね。トーエン神官、お願いしても良いでしょうか?」


「いいだろう、儂が適当にかき回そう」


 実に楽しそうに、もしくは邪悪に微笑んだ。これはこれで神官には不適な人物である。


 


 行政都市の聖女殿――真っ黒に煤けた寮を前にファントスとステンマルクは手を組んだ。魂に救済があらんことを――と。


 寮の調査は既に済んでいる。火炎瓶が街で容易に手に入れることができることも、誰が投げ込んだかも既に判明している。


 彼らがここに来た目的は守りを固めるためである。結界を施し、外敵からの攻撃を防ぐ。


 神殿の奥にある小さな部屋に《結界》を刻み込み、誰でも使える魔道具として機能させる。これを行うのがファントスである。


 神官としての突出した才能を有するファントスだが、他の才能も比類ないものであった。特に魔法は彼の得意分野である。賢者の魔法師団と遜色ない実力を有していた。


 トーエンは必要かもわからない補佐、ステンマルクは見学である。


「見事なもんだな。これなら今日中に四つは回れるんじゃないか?」


「いえ、予定通り二つです」


「きっちりしてんな……それとも聖女様のお世話をしたいってか?」


 くっくっくっ、とトーエンは堪えたように笑う。


 ファントスには答えることができない。


 リリルは変わった、以前のような危うさはなくなり気丈に生きている。にも関わらず、不安に襲われるのは何故なのか。


 襲撃という形で事件は起こった。聖女が直接狙われる可能性は高い。できるだけ一緒にいた方が良い――そういうことにした。


 


 ――ファントスの尽力により、中央四つの都市の神殿全てに結界を張ることができた。帝国都市の聖女殿はより一層強力な魔法的防御が為され、火炎瓶を投げ入れるどころか、隙間から覗き込むこともできないほど徹底されている。これにより、勇者教の攻撃は一切が無に帰した。


 聖女殿には一時の平穏が戻ってきた。


「最近忙しそうだったからゆっくり話すのも久し振りね」


「……そうですね。お互い都合が合いませんでしたね」


 気まずい時間は変わらず続いた。


 リリルの髪が伸びていたことに気づく。


 だいぶ成長したな――と、思ったところで少し考えが変わる。リリルの気持ちを受け入れることはできないが、もう子供扱いできない、と感じでいた。


 それもあくまで娘に対する父親のような心理である。


 だから、気まぐれなのだ。


「――リリル、さん」


「え」


 いつかに名前で呼べ、と言われたことがあったが呼ぶのは初めてだった。


 ほんの戯れに、彼女を認めるという意味でファントスは名を呼んだ。唐突過ぎて顔を真っ赤にしたリリルを見て少し呵責を覚えたものの、さして後悔はしていなかった。


 

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