12.世界の脅威と、魔女の指南
◎
場所は変わって市街、商店が並ぶ中央通り。先の朗報によりお祭り気分の人々で活気づいていた。ここぞとばかりに商売上手が声を張り上げ物品を売りさばいている。
彩り豊かな市場をフィニス、リングレラは歩く。
歓喜を聞きながら魔女は周囲を見遣った。
「わぁ、すごい活気ね。祭りでもあるのかしら」
「さっき〈神獣〉を騎士が倒したからだって言ってたよ」
「〈神獣〉ねぇ、じゃあもっとすごいことが起きたらどうなるのかしら」
リングレラは果物屋の前で足を止めると赤い果実を購入した。杖を身体で支えつつ、両手にある二つの内片方をフィニスに差し出す。
「はいどうぞ、甘いもの好きでしょ」
「そうだけど……どうして私が甘いもの大好きなこと知ってるの?」
「私、占いが好きなのよ」
妖艶に微笑むと人々の隙間を縫うように先行し始める。
後ろ姿を追おうと足を動かす直前、肩口の辺りから深刻そうな声色が聞こえた。
『気をつけなさい……彼女、普通じゃないわ……』
「うん、今回は私もそう思う……見た目からして変」
赤い果実を一口噛んでから小走りでリングレラの隣に並ぶ。危害を加えてくる様子はない、人混みの中ならばアクションは起こさないだろう。
魔女は歓声の切れ目、大きな馬車道の手前で左右を確認する。
「フィニスさん、右と左どちらの方に向かった方が良いと思う? 何となく左に行きたくなるらしいけど、逆を行けば安全とかいう理論があるらしいし。悩ましいわ」
「目的地の方向に曲がればいいんじゃ……宿に向かってるんじゃないの?」
「正確にはその近くの〈ギルド〉が目的だわ。地図には載っていなかったものね……王国は黙認しているけどやっぱり騎士制度を推したいみたい、案内すらもないんだから相当業腹なようね」
「そうなの?」
「そうなの。ここ数年で認められた制度だったと思うわ。非公認時代、ギルドを弾圧したのをきっかけに国民が城の前に集まって抗議……みたいなことがあったみたいよ」
ハウシアはギルドは〈国民との距離が近い〉と言っていた。騎士は国を守ることが目的であり、無条件に国民に味方するということじゃない。運動が起こったのはそれだけでは肝心な時に足りなかったからだ。国からしたら渋々、国民の意見を受け入れて制度を作った感じだろうか。
正しい道を行くこと数十分、〈王国都市〉ギルド本部を目の前に。
〈北青都市〉と同じく外壁際に建てられている。公認したとは言っても大っぴらにしたくないようだ。
とはいえ四方都市の五倍はある敷地面積に、三角形を模した近代的高層建築。何もかものスケールが外周都市の数倍はありそうだ。
「ちょっと私も寄って行こうかな」
エルラシアから双子姉妹がここに来る可能性があると聞いていたフィニスは一応、ついでに、
心配はしていないが、ためしに覗いてみた。『二時間前に別れたばかりじゃない……姉馬鹿って奴?』という声は聞こえなかったらしい。
真っ直ぐ受付に向かうとストレートに尋ねた。
「すみません、双子姉妹来ませんでした?」
「はい? えっと……」と赤髪の受付嬢が目を丸くする。いきなりの双子何たらに戸惑っている。決定的な特徴である赤青の双子が来なかったか訊き直すと軽い会釈が返ってきた。
「申し訳ありませんが、来ていた様子はないです」
「そうですか……」
「受付のお嬢さん、今すぐ大量のお金が手に入る仕事なぁい?」
いつの間にフィニスの隣に立っていたリングレラが仕事を受注する。
「しばらく働かなくてもいいくらいの仕事を見繕って欲しいのだけれど」
「ギルドカードを提示お願いします」
「はいはい」
ローブの内側から薄型長方形を取り出し、受付台に滑らす。受け取った赤髪は目を見開きリングレラの顔を凝視し、「〈RANK S〉……」と小さく呟いた。
「ランクSって四人しかいないんだよね。もしかしてすごい人?」
「まぁ、最強の魔法使いですから」と鼻高々にドーンな胸を反らす。「この子と一緒に行くからよろしくね」
「…………はい?」自然に言うものだから一瞬言葉を失った金髪娘。
「ギルドカードの提示をお願いします」
「えー……何でよ……」
「お願いっ、一緒に来てくれたら良いことしてあげるから」
「……それなら――」
流れに逆らうことができず渋々カードを受付嬢に手渡した。断る理由もなかったので特段否定もせずに提案を受け入れたフィニスに突っ込みが入る。
『それなら、じゃないわよ! 普通行かないわよ! この常識知らずっ!』
「そ、そこまで言うことないじゃん……」
母親に怒鳴りつけられたように言い訳気味に返す中、手順は踏まれ、とある依頼が受諾された。
それはフィニスにとって見覚えのある依頼――曰く、〈神獣〉の討伐。
だが今回は〈虫型〉ではなく〈狼型〉だ。
「ここ数日の間に神殿〈メガスファエラ〉を〈神獣〉が守護しているという報告がありました。伴ってその周囲にも以前にも増して狼型神獣が現れるようになりました」
「ふぅん、それの討伐ね」
「はい、ですが、調査隊によるとそこにいる神獣は〈背景同化〉の魔法を使うようで騎士による討伐が難航しています。協力して撃滅するのが依頼内容です」
一通りの説明をした受付嬢はこの都市を中心として収縮した地図を棚から引っ張り出し、指差す。神殿の近郊が戦線位置らしい。
不可解に思ったリングレラは問う。
「神殿までは行かなくてもいいの?」
「それは王国が組んだ討伐隊が近日中に神殿を取り返すようです。今回はそこまで行く必要はありません」
「ふふっ、取り返すねぇ……面白い。依頼、理解したわ。早速行きましょうかフィニスさん」
「宿屋行くつもりがどうしてこんなことに」
「あの〈RANK S〉〈RANK A〉の方なら承知でしょうが、現れるのは通常の神獣とは生態が違います。くれぐれもお気をつけください」
返却されたカードを受け取り、見送りの挨拶を聞いた二人はギルドから出、目的地へと足を運び――はしなかった。フィニスは道すがらリングレラに路地裏に引っ張られ、外壁に押し付けられる。
「一体何のつもり?」
「時間は短縮するに越したことはないのよ」
「それはそうだけど。それならすぐ都市を出てって空でも飛んで向かえばいいんじゃないの?」
「もっと早く着くのよ、魔法ならできる。ほら、見てて……きっとこれからあなたは必要になる力かもしれないから――」
人差し指をフィニスの心臓部にある膨らみにあてがいながら魔女は呟く。
「――《運命転移》」
路地裏の暗い光景は一瞬にしてビリジアンの草原に変わり果てた。
不意に地が揺れたことで現状認識が追いつく。
〈ラーナ高原〉凹凸に富んだ地形に、草花が自由に伸びている豊かな地。神殿は木々の向こう側に隠されているのでここらでは見ることはできないようだが。
「もしかして瞬間移動?」とフィニスが訊く。
「正確には〈行くべき場所に行く魔法〉だけどね。お金に困っていて今日を生きていくのもギリギリの私がやらなくてはいけないことは仕事だったみたい」
「はい? 行くべき場所……?」
「ね、便利でしょ。覚えた方が良いよね」
「そんな一回見たくらいでできる訳が……」
「へぇ、できないんだ?」
挑発するような、馬鹿にするような視線を逸らしてフィニスが周りを見回すと勾配の向こう側から黒い何かが飛び出た。半透明な黒色の突起が並ぶ背中だ。
〈狼型〉の〈神獣〉は咆哮しながら地面に前足を叩きつける。衝撃で兵士が浮かび上がったところを牙で噛み締めた瞬間だった。
こめかみを僅かの憤怒を散らせながらフィニスは一歩丘陵を登って叫んだ。
「――《物理循環》!」
その場で地を踏み締め、遥か延長線上にいる神獣に向けて拳を放った。
空気を捻じ込みながらの拳撃は狼の頬を砕くだけでは飽き足らず、顔面まで吹き飛ばし粒子分解に至らせた。
「大気のエネルギーを吸収しているのね」
「――見ただけで、わかるの?」
瞬時に看破したリングレラに改めて関心の瞳を向けるがそれだけではない。少なからずの疑いも含まれている。
普通の顔をして、常軌を逸した技能を有していることが恐ろしい。それでいて底の見えない実力がある。
幽霊の女神ですら感嘆と脅威の声を出す。
『さっきの転移からしても常識離れの魔法技術だわ。魔法を眼力も、それこそ神話時代級に匹敵するかもしれない。どうしてそんな人間が現代に……』
ウェヌスに懸念や推測が渦巻いた。何か大事なことを忘れて喉に詰まったような表情を浮かべる。この世界においてあれほど強大な力をつける意味はない。それ以外の何らかの理由があると考える。
その間にフィニスは腹に大きな穴を空けた兵士の下に向かった。
「完全に貫通してる。血が出過ぎて……どうすればいい?」
と、無意識にウェヌスに尋ねる。考え事をしていた女神は一拍している内に答えたのはリングレラ。
「時間逆行させましょう」
「いや……そんなことって……」
――できるの?
内心で呟いたことすら承知ばかりに怪しげな魔女は人差し指を唇にあてて、片目を閉じる。
「あなたの魔法適正からしたら難しいかもしれないわね。扱う属性が特殊過ぎる。だから私がやるわ。そんなことできるの、なんて言わせないわよ」
杖を一振りすると魔法の副産物である輝煌が溢れ、兵士の身体の時が巻き戻る。飛び出た血が腹に吸い込まれ、傷が継ぎ塞がった。
数秒の出来事だったが、その比類なき実力が垣間見えた一瞬。
「戻したのは傷だけよ。記憶は戻っていないわ、すごいでしょ?」
「そんな局地的なことができるなんて……すごい」
「まぁ、私天才みたいだからね」
言っている間にもリングレラは立ち上がり、少し離れた場所で神獣との戦闘を繰り広げる兵団を見詰めた。
「じゃあ、次は……魔眼を見せようかな!」
真っ青な瞳は真っ赤に染まり、幾何学模様の紋章が刻まれた。尻尾を振って兵士を弾き飛ばしている獣を捉える。
「〈自壊の魔眼〉――!」
視界に捕らえられた神獣の内側から、光線エネルギーが膨張して割れた亀裂から外界へ流れ出していく。瞬く間に黄色の色彩が失われた神獣は起動停止し、こと切れて草原でへたれて眠る。
末、遺骸は地に溶け込むように灰色の砂になった。
「さぁさぁ、潰して行きましょうよ」
言いながらわざとフィニスに深紅の魔眼を向ける。
フィニスが驚いて一センチくらい縦に飛ぶのを見ると小さく肩を揺らした。
「ビビらせないで死んじゃうかと思った……」
「そんなヘマするのは三流魔法使いだわ。私は超一流魔術師ですからそんな初歩的なミスはしません」
次々と視線に撃ち抜かれた〈神獣〉が動きを止めていく。それは透明であっても同じ、視界に入れば自壊が発動する。眠るように生命が消え続けた。追ってフィニスも人差し指と親指を垂直になるように立てて魔法を使う。
「《物理循環》の銃弾」
ばきゅんばきゅん、という気安い発射音で飛び出した細い光線が貫いた神獣の皮膚はボロボロに風化した。三発も撃てば手足をもぎ取られ、さらに三発加えれば一匹撃滅される。
リングレラがさらりと訊いてきた。
「フィニスさんは〈神獣〉ってどんな存在か知ってる?」
「……神が人類を殺戮するために生み出した生命体でしょ」
女神の英才教育の賜物ですらっと答えることができた。
「そうね、合ってるわ。じゃあ〈神話大戦〉のことは知ってる?」
「確か約一〇〇〇年前に起こった神々と人類の戦争だよね、最終決戦のことでしょ。お母さんとか……からよく聞いたわ。人間が勝ったから今この世界には〈神〉がいなくて、今〈神獣〉がいるのはその討伐できなかった余り」
本当は守護霊女神からだが。
「よく知ってるわね。その時、神は人間の理屈で説明できる生物の一種と認定されたことも知ってる? 人類が少数の味方の神々の力を使って倒したから。いえ、倒せたからそいうことになったことも」
「……倒せた?」
「あんまり強くなかったんだね〈神〉って、少なくとも人類に何とかできるくらいには」
「〈神〉の力があったからじゃないの? それこそ人の身に余るって奴で……」
「その余った力が神々を倒しちゃったんだよねぇ、不思議なことに」
楽しそうに笑った青紫の魔女は草原を優雅に歩く。進む道を阻むものは問答無用で滅した。
『…………』
「ウェヌス?」
『正解は神々の油断と、人類を枠組みを超えた生物がいたことよ』
「超生物ね……それが私のご先祖で?」
『えぇ――吸血鬼限界種〈ソルス・ヴァンパイア〉のね』
二人の魔法使いは騎士達を救出しながら戦闘を繰り返し、討伐数およそ一〇〇を超えた辺りで獣の姿はなくなった。
鎧を半壊させたとある騎士は草原に座り込みながら二人の女性の後ろ姿を見る。
「もう……騎士なんか、やってられるかよっ……」
兜を地面に叩きつけて大の字に寝転がると、同じく死にかけた同僚も手足を広げて空を見ていた。爆音が響くなか静かに言葉を交わす。
「また死ねなかったな……」
「そうだな」
「もうすぐ神殿奪還作戦が始まる。俺達も行かなくちゃいけねぇよな……今死んだ方が良かったのか……」
「俺達にできることなんて何もないんだろうさ……〈天剣騎士〉に、そこにいる奴らのような強い奴さえいればどうにかなるんだ。でも、行って死ななくちゃならないんだよな」
だが、生活がある以上今更逃げることはできない。その結論に至ったのは今回で三二回目であった。堂々巡りもいいところだ。
騎士はため息と暗い感情を押し込め起き上がると討伐を終えた二人の女性の下に向かう。
「ご協力感謝します……」
「いえいえ」と魔女は微笑んだ。
軽く言葉を交わした後、フィニスとリングレラは草原を後にする。《運命転移》によりギルドの前に転移した。丁度近くにいた者は目を丸くして登場を驚いた。一方その頃騎士達も度肝を抜かしているのだ。
「ちょ、見られていいの?」
「逆に訊くけど、ダメなの?」
「そう言われたら……そっか大丈夫か」
『大丈夫じゃないから。干渉しちゃったらどうなるのよ…………その現状認識は致命的に間違ってるわ。ここまでとは、改めて教育が必要ね…………』
不穏なことを言っている幽霊に怖気を感じつつ、はギルドに報告しに行った。
中央都市ギルドの受付嬢――胸の徽章に描かれている名前――レナリアは二人の早すぎる帰還に空いた口が塞がらないようだ。パクパクさせるばかりで息がまったく出ていない。
「レナリアちゃん?」
「……依、頼……完了……ですか?」
「ですよ」
反応を面白がってリングレラは口元に手をあてていた。
意地の悪さが隠しきれていない。
「にしてもかなりたくさんいたよね。多分報告されてた数の三倍はいたんじゃないかな?」
「てことは一〇〇匹……!?」
「それくらいはいるだろうと思ったけどね。この分だと神殿奪還作戦は期待できなさそうだね」
「そんな他人事みたいに……失敗したらこの都市も危ないんですよ」
あくまでも魔女は不気味に微笑むのだった。
依頼料が支払われるとリングレラは金貨半分の入った革袋をフィニスに押し付ける。前回の神獣討伐依頼の二倍の量が入っていた。
「こんなにいらないよ」
「大いに越したことはないでしょ。肝心な時にないってのが一番ダメ、色々面倒なんだから……それに道を教えてくれたお礼でもあるし」
「私も仕事したから当たり前の報酬だけどね……」
「それっぽく言ってみたっ」
お茶目に笑いながらギルドを後にする。
すぐ隣には宿がある。フィニスはここに滞在する予定だが、リングレラは違うようだ。
「じゃあね、フィニスちゃん」
「うん、リングレラ」
「――あなたに暗きを照らす黄金なる王道があらんことを」
最後に言い残して魔女は行くべき場所へと転移して消えていった。
余韻に浸ってフィニスはしばらく立ち尽くす。
『嵐のようってのはまさにこのことね……』
「うん、凄く疲れた。今日はもう休もう……」
眠そうに目を擦りながら近くの宿屋の扉を開いた。
すれ違うようにギルドに現れたのは騎士団副団長ことアストラスピスだ。フィニスエアルなる人物がギルドメンバーに所属しているということで自ら足を運んでいた。
入るとすぐに、受付嬢に行方を聞いて目を見開く。
「ほんの数分前までここにいただと!?」
爆発するが如き反応を見せてレナリアを驚かせた。
「本当だろうな!?」
「は、はい、神獣討伐の依頼を受けていました」
「な、何だとっ!」
「お、落ち着いてください……」
「はい、南方に現れた変種の狼型神獣を〈一人で〉殲滅したとのことです。詳しい報告はまだ来ていませんが」
下っ端騎士の報告聞いたアストラスピスは拳を握った。
どこにいるかもわからないフィニスエアルを意識しながら、数日後に行われる作戦を思った。
神殿奪還作戦――。
翌日には〈天剣騎士〉も交えた会合が行われる。
王国ができあがって以来最も大きな作戦であることは間違いない。故に前もってできるだけの不確定要素は摘み取る必要がある。確実に成功させるために。
外へ出るとアストラスピスは静かに壁に囲まれた空を見上げるのだった。
◎
それと同時、曇天模様の中でもはっちゃける変わった者がいた。
大剣を背負った少女は街に踏み込んだ。
「待っててねフィニスちゃん、すぐ行くから!」
一歩を踏み出そうとした。
だが、門兵に肩を掴まれ止められる。
「ちょっと君、飛行禁止区域から来なかった?」
「え? いや、違いますよ? 何で腕掴んむんですか!? ちょっと――」