19. ファントス
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――ファントス・ディオハミル。
今からおよそ三百年と少し前に生まれた神殿に仕える家系に生まれた長男である。子供の頃から敬虔に聖女信仰をした生粋の神官だ。親の仕事を継いで神殿官を務め、若くして神官長を受け継ぐほどだった。
人々は誰もが彼を高潔だと言った。人に優しく、自分に厳しく。聖女教徒の鑑と言っても差し支えなかった。彼もそれに応えるように誠実であろうとした。
年齢にして三〇に差し掛かろうという頃、転機が訪れる。
数十年振りに聖女が現れたのだ。当時からすればおよそ一五〇年振りという待望の降誕だった。
ファントスは一切の淀みなく感激した。
まさか自分が聖女に仕える日が来ようとは――。
かくして、ファントスは聖女の下で仕える日々が始まる。
私の三代前の聖女に当たる彼女の名はリリル・ソレイユーという。
――神殿図書館。
聖女神殿の一角には、長い歴史ある神殿よりも一層古い建物がある。そこが図書館。図書館と言ってもあるのは聖女教の経典や、神官達が残した日記などが主で歴史的価値はあまりない。ただ古い情報を今も残されているだけ。私はそのただ古い情報を求めている。
神官のお姉さんのナノンさんの協力を得て図書館に立ち入った――否、座り入った。
ろくに管理されておらず、陰湿な空気が詰まっている。この分だと本の方も劣化して虫に加えれたりしているだろう。
「それに思ったよりも多い……」
数百年の歴史を考えれば当たり前だけど。
家屋三棟分の面積に両面の本棚が等間隔に並んでいる。数万はあるだろう。
背後からナノンさんが尋ねてくる。
「この中からお望みのものを探すの? 半日以上掛かりそうだわ」
「いえ、目星はついています」
「ここに来るのは初めてなのよね? そう言ってたわ」
「力を使いましたから……奥から二番目の棚の左です」
予想通りというか、思った通りにそこに目的の本が置いてあった。両掌ほどの大きさのこれは日記だ。表紙にファントス・ディオハミルと記されている。
彼に関するものでここに残っているのはこれだけしかない。
捲って見れば、文字は薄れて消えかかっていた。読むこと自体ができない。ならば、読めるようにすれば良い。
「《直れ》」という一言で書物は数百年巻き戻る。新品同様の見た目に変わった。消えかかっていたはずが、色鮮やかに文字は甦る。
「知ってはいたけど、凄い力だわ」
「こんな使い方できるなんて最近まで気づいてすらいませんでしたけどね」
人を治せるなら、物を直せても不思議なことはない。秩序に反しているが、それは魔法も同じ。魔法で再現することもできるはずだ、聞いたことないだけで。
乱用はできない。
「これ借りても良いですか?」
「えぇ、帳簿に書いてさえいれば問題ないわ。私が書いておくわ、何て言う名前?」
「日記としか書いてませんね……著者はファントス・ディオハミルです」
ナノンさんはさらさら、とペンを走らせた。
日記を自室に持ち帰って読み進める。全部で一〇〇頁程、一から読み込むとなると一昼夜を使いそうだ。
知るだけの価値はある。ファントスの人となりを知ることでさらに、共鳴できる。そうすれば〈言霊〉で引き出せる情報も増えると思う。できることは何でもやる。