16.都合の良い話ほど詰まらないものはない
◎
――戦後処理が残っていた。
「――起きろ、当代の聖女。まだ終わっていない」
容赦のない冷たい声が私の休息を途切れさせた。女帝の冷たい手に手首を掴まれ、徐々に意識を現実に戻される。
天井の模様には覚えがあった。帝国の王城だ。ちゃんと見た訳じゃなかったけど、絢爛な装飾を見れば嫌でも思い出してしまう。
「あれ……どうして?」
「とにかく行くぞ」
「え、ちょっ!」
女帝は私を抱きかかえてつかつかと歩いて行ってしまう。
車椅子がない以上、こうやって移動しなくてはならないけど、こうも優雅に。フィニスさんもだったけどどうしてこうカッコ良い感じなの?
階段を駆け上がり、私は聖女祭の時に挨拶をしたバルコニーに連れてこられた。だが、何故か天井が崩れている。
「一体何が……?」
「いつまで寝ぼけている、敵の攻撃だ。奴らの目的の一つは王城へ攻撃だった」
「あ――」
――思い出してきた。そうだ、時計台で私は鎌を持った男に殺されたはず。
首があるか確かめる。
「…………」
ある、確認しなくてもわかっている。じゃあ、私はどうやって生き残った――?
同じように刺されたスティアーナは一体――。
「こちらは急いでいる」
「っ!」
鋭い眼光に反射的に身体が固まった。
女帝の声音が変わったということではない。ただ、その瞳に力が込められただけだった。
金縁の赤い魔眼、青い魔眼。どんな権能が込められているかは不明だが、人の精神を威圧するタイプかもしれない。
「見ろ、この光景を」
彼女はバルコニーの際に立った。途端に熱気が押し寄せてくる。
帝国都市の半分が燃えていた、そう表現するしかない。
爆発で吹き飛ばされて崩壊した建物達、今もなお炎上を続ける市街。残っているのは美術館と言った魔法的防御が為された特殊な施設だけだ。
市民が皆、避難していることが唯一の救いか。街を囲うように現れた怪異も撃退されている。戦闘は完全に終了している。
「何とか敵は撃退したが、次いつ襲撃されるかわかったものではない。〈海型災害〉の撃退に成功したものの、軍への被害は大きい。手をこまねいている時間は残されていない」
女帝は私を抱きながら遠くに視線を飛ばしている。
その手には包帯が巻かれていた。
戦地に赴いたのか? 女帝が自ら?
「何が何でも協力してもらうぞ、当代の聖女。差し当たってこの火事を何とかしろ」
「はい、わかりました」
訊きたいことも、言いたいことも沢山あった。
この光景を前にしたら、そんな疑問は霧散する。私にしかできないことが――私にしか救うことができないというなら迷う道理はない。
私にはできる、たった一言で。
「《全て元に戻れ》」
蝋燭のような無数の小さな光が滅びた文明の産物に纏わる。私の意思に呼応して、起こった事象が逆再生するように瓦礫が浮き上がった
改めて訳がわからない力だと思う。
切断面がぴったりとくっ付いて、焦げたはずのものは不可逆に色彩を取り戻した。何もかもがなかったことになる。
何もかも――この度の襲撃なんて、なかったかのように。
街は孤独なる昼過ぎを取り戻した。範囲内にあった全ては戦闘開始前の状態と全く同じになっている。
「――終わりました」
「貴様」
完全に睨まれてた。振り返らなくてもわかる。
言った通りにしたのにどうしてこんな怖い声を出すのか。
「貴様は何者だ? 当代の聖女。聖女が持ち得る力を逸脱している――いいや、逸脱し過ぎている。一体何なんだ?」
「何なんだ、と言われましても……記憶喪失なもので――」
私は振り向いた。
女帝のいつもの怖い顔の向こう側に誰か立っていた……ような気がした。
「何だ?」
「い、いえ……」
淡く長い青髪が視界の端に映った――それはフィニスさんが言っていたハウシアの特徴と一致している。
今日、初めてハウシアを――もう一人の自分を明確に知覚した。
彼女は、目覚めている。私に前に現れるくらい、はっきりと。残された時間は想像以上に少ないのかもしれない。