15.撃退戦
◎
「――少々、予想外の展開だな」
王城へと向かう道中――聖女を殺害したファントス・ディオハミルは立ち止まった。
目の前に立つのは海よりも藍黒色の長髪、軍服のような黒い装束に身を包む少女だ。赤と青の苛烈に吊り上がった瞳でもって彼女は真っ直ぐに反逆者を見詰める。
ファントスは片目を吊り上げて言った。
「まさか、ここで帝国の女帝が出てくるとはな……最終的には殺すつもりだったが、こうなるか。前倒ししても問題はない――ゴッドナイト・ゼイレリア・スコルピオス」
「勝手に言ってくれるな、下郎」
冷徹な声で反論するゴッドナイト。
「こちらからすれば予想通りの結果だ、時代遅れの神官」
「気づいていたのか。いや、ここには予言書があったか。既に滅びたと思っていたが今も現存しているようだな。それならそれも……」
「いつの時代の者かは知らんが、帝国を滅ぼすというのなら容赦は必要ないな。ゴッドナイト・ゼイレリア・スコルピオスの名の下に貴様を断罪する」
「悪しき帝国を作り出した帝国の姫君、聖女共々滅ぼさせてもらう」
ゴッドナイトの手には片刃が赤、もう片刃が青の二色の剣。
ファントスの手には黒く禍々しい呪いの大鎌が握られる。
同時に動き出した。二つの武器が振り上げられ、一気に距離が縮まる。
寸前――間に割って入るように足音が一つ落ちた。突き刺すような重い足取り、しかし、その足は予想以上に細い。
ファントスが目を見開く。
「――今代の聖女? 確かに殺したはず……いや、お前は誰だ?」
「…………」
顔立ちは聖女ユニスと似ている、というか全く同じだ。
しかし、他は何もかもが違う。白いはずの髪は澄んだ青色、纏っているのは身体の半分しか守れていない鎧、背負っている銘のない大剣、何よりその足で歩いていること。
瞳に光は宿っていない。あくまでも動かされているという印象を受ける。
この少女に名を付けるなら――ハウシアとなるだろう。
「貴様は聖女なのか?」
ゴッドナイトは尋ねるも、返事はなかった。
「…………」
「沈黙は敵対行動と見做す」
ゴッドナイトの剣が煌めいた。青色の強かな斬撃が青髪の少女に向かう。
瞬間、金属同士が打ち鳴らされる爆音が巻き起こった。ゴッドナイトの斬撃は地を抉り、背負っていた大剣はファントス目掛けて振り下ろされていた。
「こちらの敵という訳か……返事はしないか。無意識での戦闘だな」
ファントスの大鎌が躍り、無数の斬撃がハウシアを襲う。傷口はすぐに黒ずんで対象を蝕む。
顔色一つ変えず、大剣が振り下ろされる。
傷も呪いも治癒されていた。
「聖女であることは間違いない。即死させる必要があるな」
刃を交えること数回、ファントスは手元で鎌を回転させ始める。一回転する度、刃は紫色に炎上した。
「《死屍者篝紫炎》」
迎え撃つ大剣を刻み、ハウシアの首を刈り取る。
ハウシアは身体を沈めて避けると、ファントスの足下を蹴る。その場で飛び跳ねられて避けられるも、その足を掴んで地面に叩きつけた。その反動で持ちあがった身体を用いて再び叩きつける。飛んで来た斬撃を手を離して避けるまで続けた。
叩きつけるだけでは大きな怪我はしていない模様だが、ファントスの身体は重そうだ。
「《加速》、《抵抗無視》を自身に、私に《重力》、《抵抗強化》を付与しているな」
軽く肩を回すと、深い息を吐いて鎌を構える。本気で〈言霊〉を使われればどうなるかわかったものではない、追い詰めれば追い詰めるほど加減が効かなくなるパターンだと踏んで一撃で決めることにした。
手加減はしない。喩え、都市を滅ぼそうとも。
ハウシアを賢者と同等の脅威だと判断した。
ファントスと闇と死を司る大鎌が禍々しいオーラを発し、空間を揺さぶる。闇色の魔法陣が地面に描かれ怪しく輝いた。
「――《死滅罪悪永遠旅団》」
「させるか――」
飛び出したのはゴッドナイトだった。二色の剣を自らの右手首に押し付け、血を噴出する――その色は眩むような銀色だ。
「――〈白銀血統〉!」
溢れ出した大量の出血より、一面が銀世界に映り替わる。
ゴッドナイトの緑の黒髪も銀に変異した。銀色に染められた世界において赤と青の瞳だけが色を許された。
「《銀世法則》――貴様の魔法を禁止する」
「……不可思議な権能だ。だが、この程度ならッ!」
邪悪なる大鎌が振り下ろされた。ファントスの魔法の効果は著しく低下している、しかし、それでは収まりきらない威力が込められている。
「この威力でもお前を殺すことはできる」
「収束する」
掛け声で〈銀世法則〉はファントスに回りに集中する。魔法の濃度が下がる訳ではなく、範囲がただ縮まっただけだ。
「生の痛みと共に死滅を味わえ……!」
「やれ、聖女」
女帝はひらり、と半身になる。
――ゴオオオオオオ、と無機質な音が鳴った。
真っ直ぐに突っ込んできたハウシアの鋼鉄の拳がファントスの顔面に突き刺さった。あらゆる障害物を撃ち抜いて帝国都市の彼方へ吹き飛んだ。
硝子の砕けるような音と共に銀世界が消え、女帝は元の黒髪に戻った。銀色の出血も魔法で治癒したようだ。
「…………」
「…………」
ハウシアは動きを止めた。
身体に靄が走ると、白髪に血濡れの正装という数分前までの聖女の姿に戻る。崩れるように倒れてしまった。
「下半身不随か。それだけではない、記憶と知らない何者か……」
ゴッドナイトはユニスをお姫様のように抱いて一部が焼け落ちた王城へ帰還する。
◎
――焦土と化した街並みに水溜まりが出てきている。水が跳ねることも気にせず、金髪の美少女――フィニスは一歩を踏み込んだ。
トーエンは訝し気にかの乙女を観察する。金髪見覚えのない軍服を纏った少女は何の魔法を使ったのか《断裁煌光臨》を耐え切った。現代の魔法使いとは考えられない実力を有しているのは間違いない。
名乗った称号が問題だった。
「〈英雄〉かよ」
〈英雄〉、〈救世主〉、〈勇者〉――語られる三つの存在は混沌と化した世界を救うとされている。統率者を失った国を統治し、病が流行れば奇跡の力で治療し、巨悪が立ちはだかれば悉く撃ち滅ぼす。
世界を救う使命を持った者に力が授けられる。但し、その三つの中にも格が存在する。〈英雄〉と〈救世主〉は数百年に一人の逸材と言う中、〈勇者〉は複数存在する。そもそもの価値が違い過ぎる。〈勇者〉は踏破できることは当然〈英雄〉にもできる――。
冗談で名乗るには悪趣味が過ぎる。
そう言われておかしくない、というのが一番厄介だ。強さは感じられないにも関わらず、戦意だけはひしひし、と伝わってくる。それが不気味で仕方ない。
「〈聖女〉が現れたと思ったら、〈勇者〉と〈英雄〉が現れるか……向かい風にもほどがあるな。それだけの価値がある、と考えれば多少マシになるが」
「あなたが怪異を放っているの?」
特に気負いもせず質問するフィニス。
「そうだとしたら?」
「この国を破壊するのが目的なのね……あなた達は〈訂正機関〉?」
「?――知らないな」
「それなら良かった。止めるだけで済む」
「……老いぼれだからと言って油断していると痛み目を見るぞ」
トーエンは手を腰に回し、〈炎上剣〉とは別の剣を抜いた。真珠色をした滑らかな曲線を描く意匠が彫られた聖なる剣である。
一振りすれば、リーン――と、鈴の音が鳴った。
「――第八聖剣〈黄炎剣ヴィクトル・ヴィクティム〉、これがあんたが斬られる剣だ」
よく見れば、翼の生えた天女が二人、鍔に抱き着くようにしている。
「そう。ならこっちも――〈騎士帝剣ローズ〉、あなたの何もかもを打ち砕く剣よ」
フィニスが魔法陣から取り出されたのは銀色の片刃剣。吸収したエネルギーを蓄積できる、というのが主な効果だ。
動き出しは同時だった。刃が交錯し、火花が散る。
鍔迫り合いの中、魔法陣が〈騎士帝剣〉を潜った。
「《物理循環》」
「――《暗澹魔導霧散》」
「えっ、魔法が霧散した……!?」
フィニスの魔法陣が崩れた。生じた隙を逃さず、トーエンが聖剣を振り下ろせば少女の身体は不自然なほど飛んだ。自信に魔法を使って反動の向きを一点に集中させたようだ。
「抜け目がねぇな。全く見た目を裏切ってくれる」
「《物理衝突》!」
黄色のオーラがフィニスを包むも、トーエンが掌を向ければ容易く砕けた。
「《暗澹魔導霧散》」
「そうくるなら、こっちも気合入れようか――《物理循環》」
「無駄だと言っている――《暗澹魔導霧散》」
魔法が砕けた。しかし、魔法陣は残っていた。重なっていたのだ。
「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」「《物理循環》」
「おいおい、何回使うつもりだよ」
流石のトーエンも呆れていた。
幾重もの《物理循環》がフィニスの剣を覆い尽くした。一体どれほどのエネルギーが米らえているか。エネルギーが刃に収束しており、静かなのが不気味だった。
「《物理炎天》」
フィニスが差し向けた〈騎士帝剣〉から眩い熱線が放たれる。避ける間もなく、光の奔流にトーエンは飲み込まれた。何千度を超える熱線が都市を突っ切る。
たっぷり、時間を置いてから魔法を解除した。
煙を吹いた剣を空振りする。
「エネルギーを収束して放出しただけだから無効化はできないはずなんだけど」
「だけ、じゃねぇよ……」
あっさり――実にあっさりと老人は身体を起こした。
貫いた家屋から出てくるトーエンの身体には無数の火傷が残っている。あの光を直撃して、この程度で済んでいることに戦慄せざる負えない。
「〈黄炎剣〉を抜いてなければ消し炭になっていた……確かに〈英雄〉だな、あんたは」
「疑ってたの? まぁ、疑われるよね」
「いやいや……敵は賢者と聖女だけだと思っていたんだがな」
トーエンは内心で毒づく。〈勇者〉だけでなく、〈英雄〉まで来た。成功率が低くはなかったはずの帝国落としが、唐突に現れた〈英雄〉によって閉ざされかけている。どころか、自分の命を守るのも難しいとなれば諦観も仕方ない。
〈英雄〉とはそれだけ凄まじい肩書である。〈勇者〉とは比べ物にならない、どころか同じ土台で語られて良いものではない。
「こりゃあ……勝てんわな」
トーエンはそう結論付けた。実際のところはやってみなければわからない。だが、どうしても勝利のイメージが掴めなかった。その時点で戦闘を回避することが最善だと選択した。そうすることが正しいと長年の勘が言っている。
「……本気?」
「あんた負けたことあんのか?」
「死に掛けたことは幾らでもあるけどね」
まさにそれが答えだった。死んだことはないということは、人生に勝利したということだ。人生に勝利すれば、何に負けてもどうにでもなる。特に戦に関しては彼女は絶対だ、と確信もしていた。
トーエンは笑った。本物の〈英雄〉とはこういうものなのか――と。
彼女には絶対に勝てない――少なくとも自分は。
故に、王城へと向かうのは諦めた。今回は。
「この勝負、儂の負けだ。今は勝利を譲る。だが、次はどうなるかな――」
「逃がすと思った?」
フィニスはその場に屈んで地面に掌を押し付けた。周辺の気温がぐっ、と下がる――温度が奪われていた。絶対零度を操る魔法を繰り出す。
「《暗窟影潜》」
「《物理凍結》」
「《暗澹魔導霧散》――もう会いたくないが、相まみえるのだろう。次は本気の殺し合いだ、精々束の間の平穏を享受しておけ」
「待って!」
沸き上がった黒い壁がトーエンを覆い隠すと影に沈み込んだ。影は、影を経由して家屋の下に沈み込んでしまった。火種も瓦礫も腐るほどあった、もう追うことはできないだろう。
「…………」
トーエンの思惑を打破することはできた。
だが、手放しで喜べる状況ではない。この街の惨状を見たらどう考えても失敗だと思う。
焦土と化した帝国都市――人的被害は限りなく少ない。代わりを街が担ってくれたと考えれば救われる話だが、市民には生活がある。住居がなければ、食料がなければ、仕事がなければ、金がなければ結局死ぬ。
救われたのは現在の命であり、すぐ先の未来は暗いまま。
待っているのは混沌だ。国と市民の戦い、そんな余裕もないはずなのに。
フィニスはそんな予測を立てて、僅かに眉を寄せるのだった。トーエンはまた戦う、と言っていた。帝国が正常を取り戻す前に再び襲撃が起こる。
「想像以上に強かった。あのお爺さんよりも強い人がいるとは考えたくないなぁ。もうこの国ダメなんじゃないかな……」
気絶したサクティーを抱えて、フィニスは時計台に戻る。拭えない嫌な予感にあてられて、魔法を使って駆け抜けた。