10.女帝ゴッドナイト
◎
――〈天帝会談〉というものがある。
〈天帝国ゼイレリア〉の建国当初から存在する三権の統治者による数年に一度の会談。
帝国国家、〈円卓賢者〉、聖女教の三つの柱により帝国は成り立っている。帝王、賢者、聖女という三人で国の行く末、その方針を決めるのだ。
とはいえ、神話時代のような危機がない現代ではそこまでの重要視されている訳ではない。三つの権力の足並みを揃えるために協力して物事を運ぼう、というのが内情のようだ。
しかし、会談を行わなければならない事態というのはそれだけの大事ということになる。一つの権力ではやりにくいことや、それ以上の障害があるということの証左である。
特に最近はきな臭い。何がと言われれば、よくわからないが大きな事件が立て続けに起こっている。偶然か、それとも、必然か。どちらにしろよく話し合わなければならない。
――さて、私は今、馬車に揺られ王城に向かっている。今宵の〈天帝会談〉の会場は発議者である王様が準備をするようだった。
揺られながら、私はスティアに〈天帝会談〉のことについて訊いていた。参加したことは愚か、一体何をすれば良いのかもわからないのだから仕方ない。
「会談と言われても……聖女教の運営の話とかはできないわよ?」
「それは大丈夫。事務的なところは神官長がやってくれるので」
「お任せ下さい、聖女様。とはいえ出る幕はないでしょう」
現在、馬車に乗っているのは私とスティアとスティアのお父さんの神官長である。聖女がいない時代の会談は名代として神官長が参加するらしく、ここしばらく彼が行っていたのだ。
なら、私がいなくても――と、言ったが当然のように却下されるのだった。
「それなら良いのですが……」
退屈な時間だ。
そう思ってしまうのはユニスなのかハウシアなのかはわからない。
聖女の仕事が忙しくて、あれからフィニスさんと話せていない。もしかして、聖女は王とか賢者と並んで国一番に忙しい職業ではなかろうか。いや、そんなことはないのだろうけど。しっかり休みは頂いている。
「――そういえば、聖女祭の時に王様見たっけ……」
「いなかったわ。前国王はいたけど……今の王はああいうことが嫌いみたいね」
頭が固そう、というのは偏見にしても表にも出てこないとなると怪しい部分ではある。
賢者も見たことはない。いかにも頭が柔らかそうだけど。
神官長が話をしてくれるとしても気が重い。
偉い人に会う、というのはこういうことか。何時間掛かるか、と考えてばかりだった。
着々と近づいている、逃げることはできなかった。下手なことをしてスティアのご機嫌を乱すと大変なことになるというのは誘拐事件の時で理解した。
――案内されたのはかなり高階層の部屋だった。円卓の間だ――。
空間は六角形に切り取られており、天井は遥か遠くにあって吹き抜けて太陽光が降ってくる。
中央に異様に重厚感のある円卓には三つの席があった。聖女、帝王、賢者の席だ。正三角形を為すように等間隔で並んでいる。
「防音設備も凄いわね。魔法だけじゃなく、物理的にも……」
車椅子からは下りた方が良さそうだ。スティアに手伝ってもらって円卓の席に腰を下ろした。
硬い、そして、冷たい。これが地味に辛い。
手持無沙汰に待っていると新たに三人が円卓の間に現れた。
先頭を歩くのは堅苦しそうな軍服のような装束を纏った黒髪の女性――良く見れば私と同じくらいの年齢か。いつも白い服を纏うフィニスさんとは対照的に感じだった。
特徴的なのはその両の瞳である。
右眼が赤、左眼が青というオッドアイは宝石のように透き通っている。
後ろを着いて行くのは二人の男。両者とも騎士服を纏い、腰に剣を提げている。その所作の一つ一つが精錬されているようで美しいとさえ思う。
少女が円卓に腰を下ろした――三つのある内の一つ、帝王の席に。
ということはやはり、彼女が〈ゼイレリア〉の現女帝。前皇帝を失脚させてその座についたという強権女帝――。
「――ゴッドナイト・スコルピオス」
「何だ、私の名を呼んで。当代の聖女」
「……!」
敵愾心と間違えそうになる底冷えな声音。
地獄耳か。
心臓の鳴りが止まない。顔には出さないことを意識して言葉を選んだ。
「……いえ、お目にかかるのは初めてでしたので」
「そうだったか。まぁ、良い。私の名を知っているのなら紹介も不要か」
そう言って、腕を組んだ。
私も名乗った方が良いのか?
下手すれば嫌味を言われそうだけど。初対面だし一応。
「当代の聖女を務めさせて頂いております、ユニス・テクノセイラと申します。以後お見知りおきを」
「気が向いたら覚えておこう、聖女」
「…………」
嫌味じゃない分、むしろ鼻につく感じだ。落ち着け、私。スティアも落ち着け、表情が怒りに染まり掛けている。今にも飛び出さんばかりに。
しかし、意外なことに助け船が入った。
「もう少し、興味を持ったらでどうですかゴッドナイト様」
言ったのは彼女の後ろに立つ騎士の右側の方である。髪を掻き揚げた爽やかそうな好青年だった。私は彼を見たことがある。
「何故だ?」
「色々あるんですから仲良くしておいた方が良いかと愚考致します」
「仲良く? 何を言っているかわからないがこの私に友達ごっこに興じろ、と言いたいのか?」
「知り合いごっこくらいなら興じた方が良いかと」
女帝の一睨みでこの空間の重みが一〇倍くらいになった。もう一人の騎士は冷や汗を流して床の一点を見詰めていた。下手に身じろぎすることも躊躇われる瞬間が幾秒も続く。
「どちらも同じことよ。群れる必要はない。何故なら、私は特別だからだ――全てにおいてな」
「そうですか」彼はあっさり身を引くのだった。その後、申し訳なさそうな顔を向けてきたので私は大丈夫、と目で伝える。
同じ空間にいたくない。、帰りたいという衝動。まだ始まってすらいないのにこれか。
早く終わって欲しい。
「――って、え?」
聖女と女帝の席ともう一つの賢者の席は埋まっていた。
漆黒のマントを装着した老紳士が腰掛けている。いつの間にか――。
驚き冷め止まぬ中、入口から話し声が聞こえてくる。聞き覚えのある、特徴的な可愛らしい声だった。
「今のどんな魔法なの?」
「精神を先行させてその座標に分子分解した肉体を引き寄せる、っていう……あら、目立っちゃったじゃない」
「私のせい? あ、ユニスだ。よろしく」
気軽に手を振って来たのは誰であろうフィニスさんだった。
「どうしてフィニスさんが? ネーネリアさんも?」
フィニスさんだけではなく、見た目幼女のネーネリアさんまでいる。奇天烈な組み合わせなのはともかく、どうして〈天帝会談〉の会場にいるかは不可解だ。
「賢者さんの付き添いなんだよね、私達」
そういえば、ナノンさんがいつかにネーネリアさんが賢者に縁があると言っていたはずだ。いやいや、そうだとしても付き添いに選ばれるほど重用されているとは考えもしなかった。
その縁の縁があってフィニスさんもこの会談に参加することになった。
「完全に予想外です」
「まぁ、気楽にやろうよ」
「フィニスさんらしいですね――はっ!?」
背後からどす黒いオーラが。スティアが身体を震えさせている、一体何をするつもりなんだろう。
挨拶もそこそこに二人は賢者の後ろに立った。三人に各二人ずつ、合計九人。
円卓の間の扉は独りでに閉じると、鎖によって完全に封鎖されるのだった。
「では、開始しようか〈天帝会談〉を」
口火を切ったのは女帝ゴットナイト。
「私は忙しい、とっとと本題に入らせてもらう。先日、西の海を監視していた兵士から〈海型災害〉が接近しているとの情報を得た。このペースなら三日後には沖に着くだろう」
「三日後……」
もっと早く教えて欲しかった。
これでは準備するにも時間が足りな過ぎる。
「――が、それは兵を搔き集めればどうとでもなる。〈海型災害〉には目立った戦闘能力はない、数時間もあれば鎮圧できるはずだ。問題は、それと同時に起こる怪異の襲来だ」
ゴッドナイト様は続けて――。
「〈予言書ネスタ〉に依れば全く同じタイミングで〈ゼイレリア〉に化物が放たれる。だが、兵は〈海型災害〉に回しているため対応できない。この場合、帝国都市は落とされる」
「!」
そんな危機をあっさりと口にして見せた。
私以外は顔色一つ変えずに話を聞いている。私だけがこんな反応したんだ、恥ずかし過ぎる。
「故に、〈賢者〉と〈聖女〉に要請する。帝国都市を破滅せんとする怪異を撃退せよ」
当然のように命令される。
しかし、テーブルに座っているのは王権も一部反故にできる立場の人間。それが二人である。
私としては吝かではない――というか、そういうことなら仕方ないと思った。〈海型災害〉も決して油断できる相手ではない、兵を半分にするという選択は危険だ。ならば、他の者が都市を守るのは当たり前のこと。
賢者は微動だにせず、どこか遠いようで近い場所に視線を預けていた。
神官長に目配せすると、頷きが返ってくる。これは私が好きに決めて良いというサインである。
「わかりました、帝国都市は私が守ります」
「当然だ。さて〈賢者〉、答えを訊こうか」
逡巡している様子はないものの、返事には詰まっていた。
私が言うのも何だが、即決できることではない。ゴッドナイト様の言う化物がどれくらいの強さなのかわからない以上、迂闊な選択は許されないのだ。
「――……」
「――なら、私が行くよ。良いよね?」
沈黙を破ったのは金髪金眼の美少女、フィニスさんである。
よくもこんなタイミングでそんな華やかな声を出せたものだ。訊かれたネーネリアさんが「まぁ、良いんじゃない」と言って、大きく肩を竦めた。
「という訳で私が行くことになったからよろしく」
こともあろうに女帝に向かって、気軽に話し掛けた。
誰もが、女帝でさえ驚きを禁じ得ない蛮行である。
「先程から姦しい。貴様、何のつもりでここに来た? 弁えを知らないと見える」
ゴッドナイト様の声も一層刺々しい。
対してフィニスさんは――。
「一応、言っといた方が良いかなー、って」
「凄っ」
最早、感激を覚える無礼さ。
全く気にしてなさそうだった。スティアのこともある、人からの悪意に慣れているのかもしれない。それにしてもかの女帝の視線を受けてこうも平然としているのはおかしい。
唐突にゴットナイト様が眉を顰める。
「貴様――、義眼か?」
「確かに左眼は義眼だけど」
「右眼のモノクルは魔法の効果を減衰させるのか?」
「そこまでわかるんだ……凄いね」
「煩わしい」
言い捨てると、フィニスさんから視線を外すのだった。
「至急だった故、〈天帝会談〉を設けさせてもらった。こちらの要件は以上だ、詳しい情報は追って伝える」
そう、締め括られた。〈海型災害〉と帝国都市に現れる怪異――この二つの事件を解決するのが私達の急務ということになる。まさかフィニスさんと一緒になるとは思わなかったけど。
というか、フィニスさんとネーネリアさんの繋がりが気になって仕方ない。
「他に要件のある者はいるか?」
「では、こちらから一つ」
一応、気掛かりなことがあったので報告するだけしておくことにした。聖女誘拐事件に連なる話。
「先日、路地裏を歩いていたところを呪いの武器で傷つけられたという事件が起きました。強力な呪いです、治療院でも解呪することができません」
既に盗賊の首領であるジルブラスから話は聞いている。その男の風体は暗がりで見えなかったということだが、特徴的な武器を持っていたようだ。
「大きな黒い鎌を持った男らしいです」
「そんな話は聞いていない。報告があって然るべきではないか?」
やはり、そこを突いてくる。
「事情がありました。ともかく、警戒の程をお願いします」
「…………」「…………」
女帝も賢者も沈黙で応えた。
私も要件は済ました、賢者が動くことはなく、〈天帝会談〉は二〇分もしない内に終了したのだった。
――鎖で閉じられた円卓の間が開かれると、女帝ゴットナイトは騎士二人を連れて部屋を後にした。追うように賢者とネーネリアさんが出ていく中、フィニスさんが立ち止まって話し掛けて来た。
「それにしても驚きました。ネーネリアさんだけでなく、フィニスさんまで来るなんて」
「ハウシアに会いたくて」
「!?」
鋭い視線を携えてスティアが言う。
「彼女の名前はユニスよ、何回言えばわかるのよ!」
「ごめんごめん、顔が同じだからついね」
「あなたの言っている人とは別人なの、どうしてこれがわからないの!?」
相変わらずの仲の悪さ、板挟みでお腹が痛くなりそうだ。
フィニスさんが飄々と受け流し、スティアがさらに怒るというのが大体な流れである。だが、それは三人の場合。今は神官長がいる。
「そもそもあんな事件があったのによく堂々と顔を出せたわね!」
「スティアーナ」
「お父様――いえ、神官長」
「落ち着きなさい。如何なる理由があろうと声を荒らげることは愚かな者がすることです。どんな相手であろうと慈愛を持って接する、それが聖女様の教えです」
「申し訳ありません」
ピリッ、とした空気。
親子の会話に割って入るのは憚られた。が、フィニスさんは違う。
「あ、お気になさらず私は気にしてませんので」
「ご慈悲感謝します」
神官長は優雅に礼をする。
私の印象としては、彼は真面目が過ぎる。敬虔な人ではあるものの、スティアに対して冷たいと思ってしまう。神官としての立場があるため、そう簡単なものではないかもしれないけど周りはやきもきしてしまう。
「じゃあ、またね。次は怪異? とかの時だね」
「えぇ。さようなら、フィニスさん」
もっと話してたい――可愛いんだもん。
はぁあああああ……心の中でため息を吐いて、〈言霊〉で身体を持ち上げる。車椅子に乗り換えて、スティアに押してもらって円卓の間を出た。神官長が出ると同時に扉は閉ざされるのだった。