5.サファイア
◎
「ちょっと、スカート捲らないでよ! 私を誰だと思ってるの!?」
「知らねぇよ! 誰ぇ?」
「こらっ、あんた達待ちなさいよ!」
「捕まえてみろよー!」
「こっちこっち!」
広場で遊び回る子供達がいた。年齢にして一〇歳前後か。
水色髪をした女児に男子数名が悪戯するという一見微笑ましき――若干、カオスな光景が広がっている。子供は残酷である、その行動に手加減があるようには見えない。
吟遊詩人が神話物語を歌を詰まらないと思ったのか、子供達は一緒に広場に来た親とは別れて遊んでいた。子供のテンションは毎日祭みたいなもの、いつものようにはしゃぎ回っている。いや、より一層うんざりするくらいか。
「私が本気を出したらあんた達なんて消し炭よ、わかってるの!?」
「本気出してみろよ!」
「足遅いなぁ! ほらほら!」
好きな女の子に意地悪しちゃう――なんてのはよくある話だ。幼いため、気になる女子に対してどう接すれば良いのかわかっていない。
水色髪が逆立ち、重力に逆らって波打った。心なしか表面にオーラのような陽炎が蠢いている。
「――!」
理不尽な目に遭えば怒るのは当然のこと。相手に悪意はなくとも、受け取り手の側がそう思ってくれるかは別問題。人間関係のトラブルは大体そこの不和が理由になる。そして、気づいた時には遅いのだ。喩え、今更反省しても怒りと言う名の炎は消えない。
そこに子供か、大人かは関係ない。
少女は明確に敵意を露わにする。
「痛い目に遭ってもわうわ。阿呆共」
「あー、悪口言った!」
「いけないんだー! 聖女様に言っちゃおう!」
不和は加速する。ますます図に乗る少年達。
幼い憤怒には聖女なんて知らない、と書いてあった。何も少女も本気でぶちのめそうとしている訳ではない。ただ、実力と言う名の戦闘力を示そうとしただけ。暴力は大抵のことを解決することのできる万能にして、簡潔にして、絶対で最悪な手段である。
――聖女としての仕事を終えたユニスは奇術を見に広場に来ていた。残念ながら一足遅く、見物することは叶わなかったものの、続いて催された吟遊詩人の神話物語を聞いて満足している様子だった。民衆は聖女と共に歌を聞くという状況に動揺を禁じ得なかったが、唯一詩人はどこ吹く風にハープを弾いていた。
「ご清聴、ありがとうございましたぁ~」
どこかトーンのおかしい、気の抜けるような言葉を述べて詩人は会釈する。たぁ~↑である。
拍手が一帯を包み込んだ。聖女ユニスとスティアが拍手をしていると――。
「――聖女様!」と幼い少年の声がした。
車椅子に座ったユニスの高さにも劣る小さな子供。可愛らしい無垢な笑顔を浮かべている。
「ここは私が」
「うぅん、大丈夫よ。どうしたの?」
スティアが身を引き、聖女は作り笑顔を受けべて子供に向き直った。
「聖女様、人に悪口は言っちゃダメですよねー?」
「嘘も吐いちゃダメだよね!」
「――あぁ、すみません! うちの子が!」
生意気にも聖女に話し掛ける姿を見て顔を青くする女性――少年達の親が介入してきてあわや大惨事、という事態になりかけるもスティアが言葉巧みに親御さんを説得して収める。ともかく、ユニスは質問に答える。
「当然悪口は言っちゃダメ、嘘はもっとダメね」
「ほら! 聖女様がこう言ってるじゃん!」
少年の視線の先にいたのは水色髪の少女だった。両腕を組んで少年を、それにユニスを睨んで仁王立ちしていた。天上天下唯我独尊――そんな妙に貫禄のある出で立ち。少なくとも子供には感じ取れないであろう濃密な覇気を纏っている。
ユニスは直感した。
「……魔法使いか」
幼い。しかし、幼いながらに魔法を修めている。大の大人さえも極めることが叶わない極致に彼女は既に至っている。
立ち昇るオーラがそれを証明していた。
「私は嘘なんて吐いてない。そもそも吐く必要がないから」
問答無用に気圧される真っ直ぐに伸びる声。一切淀みのない声はあらゆる虚偽を看破する真実と同義である。毅然とした態度に大人の方が彼女の味方になってしまった。
「あんた達と一緒にしないで」
「うるさいな!」
図星を突かれた一人の少年が水色の少女を両手で押そうとする。二人はほとんど同体格である、一方的に押されれば押された方が倒れる。尻餅をつく程度だが痛みを負うことに違いない。
寸前に少女の前に光が瞬いた――。
瞬間に、ユニスは叫んだ。
「《止まって》!」
「あうっ」と少年の動きが止まった。
「…………」
少女の憮然な瞳は聖女を捉える。余計な真似をしてくれた――と目で言っていた。間もなく、ため息を吐いて魔法陣を消した。
「人に当たるのもダメよ……特に女の子にはね。恥を忍んでも優しくしないといけないの」
少年に言い含めつつ、ユニスは少女を見詰める。どんな魔法の魔法陣だったかは確認できなかったが、止めるべきだと判断した。
確かに嘘は吐いていないのだろう。魔法使いからすれば人を消し炭にするのは確かに容易なのだから。
「――嘘は吐いてない。でも、悪口は言っちゃダメだからね」
「陰口よりマシでしょ……」
「どっちもダメなことだよ」
「ふん」と不機嫌そうに息を吐いた。「子供扱いしないでよ。そんなことはわかってるんだから」
「そっか、なら良いよ。次から気をつけてくれれば」
「……考えとく」
そう踵を返し掛けたところで、質問を投げ掛ける。
「私はユニス。君の名前教えてくれないかな?」
「……ユニス……ふぅん」
どこかで見た反応をした後――少女は半身だった体勢から向き直って堂々と言った。
「サファイア、人は私をそう呼ぶわ」
「サファイアちゃん」
名前を呼んで微笑み掛けるとサファイアは仄かに顔を赤くして今度こそ踵を返した。
――腰に剣を巻いた氷のような女はやや訝し気に尋ねる。
「一体広場で何をしていたのですか?」
「暇潰しよ、暇潰し。不愉快な気分にしかならなかったけどね!」
「……その態度で接するのを控えてみては?」
「できたらやってるわよ」
「……ですか」
「――そういえば、変な奴に会ったわ。車椅子に乗った白髪の女ね」
「それは聖女様です。一応、ここらで一番偉い人です」
「らしいわね。変な人だったわ」
◎
――聖女祭、二日目が幕を開ける。
午前の五時にして街道からは人の声が聞こえてきた。自室の窓から街を覗けば、早朝から活気づいた街並みを見ることができる。という私も何だか落ち着かず、いつもよりも早く起きてしまった。
「とはいえ、スティアが来てくれないと動けないんだけど……」
私の下半身は全く動かない。私の知る記憶の中では、僅かたりとも微動だにしていない。
しかし、一年ほど筋肉を動かしていないにも関わらず劣化しない下半身には怖いものがある。一体どんな原理が、魔法則が働いて状態が維持されているかはわからない。
同様の原理か、傷ついた身体が勝手に治ってしまう。いつでも行動を起こせるように恒常的に魔法が働いているのかもしれない。
「でも、足は動かない」
〈言霊〉を使っても――。
考えに耽っていると扉がノックされた。木の扉越しに「開けるわ」とスティアの声が聞こえてくる。キィ――と扉が押し開かれた。
「おはよう、ユニス」
「今日もありがとうね」
「いきなり何よ?」
薄く微笑みながらてきぱきと準備をこなすスティア。いつものように寝間着から着替え、車椅子に乗せてもらって大広間へと向かった。朝ごはんを食べ、そのまま今日の予定を確認する。
聖女祭の二日目は孤児院を回ることになっている。
この国の孤児院は全て聖女教によって管理されているので聖女がいる時代には毎年視察することになっていた。帝国都市周辺にある都市の孤児院、総計七つに向かう。午前から午後を掛けるものの、ほとんどが移動時間だ。
「挨拶の時とかに使う一芸とか覚えた方が良いの?」
「そんなことしなくて良いわよ。聖女らしくしてれば」
「もっとユーモアがあった方が良い気がするけど、子供達を相手にするなら」
スティアの思う聖女像は、どうやら存在するだけで畏怖してしまうような慈愛に満ちた絶対者らしい。私に押し付けようとしている訳ではないが、やきもきしていることは態度でわかる。
ともかく孤児院視察だ。
――まずは一番近くにある帝国都市の孤児院に訪れた。
薄い黄色に塗られた建物が〈コ〉の字に建てられている。孤児院というネガティブなイメージとは裏腹に、そこは小綺麗なところだった。聖女教の管理が行き届いているということになるのだろう。それとも私が来るから念入りに綺麗にしただけか――。
院長さんと挨拶をし、車椅子を押されながら施設を回っていく。子供達の眠るベッド、食堂、広場、湯あみ場と一通り見学させてもらった。
子供達とも直接言葉を交わし、ここが彼ら彼女らにとってどういうものかを訊いた。最後に、談話室にて院長と孤児院の現状について話すことになっている。
「聖女教会の支援もあって孤児院の運営には問題はありません。聖女様が来てから教会は力を取り戻しています……私としてはとてもありがたいです」
「それは良かったです」
「えぇ、これも全てあなたのお陰です」
「とんでもない」
何もしていないのは事実であり、偉そうにする訳にもいかずいえいえ、と手を振るばかり。多少なりとも罪悪感も感じる。
苦笑いを浮かべていると窓の向こう――この方向だと、広場から高飛車な声が聞こえてくる。
女の子の声、元気いっぱいに遊んでいるみたいだ。何となく見遣る。水色の髪を携えた少女がエプロンドレス姿で走り回っていた。
「最近、よく来て子供達と遊んでくれるんです」
院長が同じように窓を覗きながら言った。
あの子供は昨日出会った底の知れない少女――サファイアに間違いなかった。こんなところにも出没するとは。公園で遊んでいると思ったら、次は孤児院。
「よく来るんですか?」
「えぇ、いつの間にか紛れていました。今のところ楽しそうにしているので特に口出しするつもりはありません」
「…………」
変わった子供であることは間違いなさそうだ。
◎
誰も気づいていない。
――院長も、ユニスも、子供達も。
サファイアは一人で孤児院に来た訳ではない。
入口の直近の木々の影に一九〇センチを超える長身痩躯の、漆黒の外套を纏った老人が立ち尽くしている。
ただし、その存在感は限りなく無に近い。それこそ、木々と一体化でもしてしまったかのように気配が酷薄。腰に携えた剣からも剣呑さは感じられない。生きていて、死んでいるような男だった。
名前はガイザーと言う。
ガイザーはただ、ジッとサファイアを見詰めている。
あの少女は実は孫だった――なんてことはない。護衛であり、保護者である。任務を全うするために一切目を離さずに見ていた。
「――……」
用事を終えて孤児院から帰るユニスとスティアーナが気づくこともない。
ただ、男はそこに存在し続ける。
◎
――聖女祭、二日目の裏。街の喧噪から離れた薄暗い路地にて二人の男が相対している。
否、相対していた。過去形である。
片方は悠然と立つのに対し、もう一人は地に伏して呻いていた。
「ぐあぁッ……!」
「あの時代にはお前のような者はいなかった」
爪先が男の鳩尾に突き刺さると、さらに苦痛の叫びが路地に響いた。
蹴りには憎悪と怒りが籠っている。容赦のない重い一撃が断続的に突き込まれた。
「お前のような害悪は街どころか国に、いいや、大陸にもいなかった!」
「ぁぁ……」
靴底で捻じり潰すように腹部を圧迫されれば、溜め込んだ空気と共に赤黒い血液が口から漏れ出た。嬲るように押し込んでいるだけ意識を失うこともできずに激痛を味わう羽目になる。
「もう我慢ならない。この国は狂った……それも彼女じゃなかったからだ。彼女はお前のような存在を許さない世界を創った。誰もが幸福に溢れた、運命という名の災禍に囚われることのない平等な世界を、な。だが、お前のような人間がこの世界を破壊したんだ……許されないことだ」
「俺……は、知ら――」
「――お前は悪だ、誰が何と言おうと」
光すらも飲み込む半月の影が躍る。デスサイズ――と呼ぶべき刃渡り一メートル半はある長大な鎌がどこからともなく現れた。
「――〈死滅罪鎌ガルグロリア・ガギャギルル〉」
大鎌が振り下ろされる。
――寸前、路地に声が通った。
「団長ー? どこにいるんすかー?」
気の抜けた声だ。死線漂う鎌が止まる。
「興が冷めた……」
そう呟かれた時には、悍ましき鎌は影に沈んでいた。
誰かに見られる可能性があったからではない。文字通り、気が削がれたから。それだけの理由だった。それでけの理由で男は生き残った。
足下に転がる者に殺意の睨みを浴びせて、その場を後にするのだった。