3.失われた記憶
◎
――そんな訳で、私はナノンに車椅子を押してもらって聖女殿を出る。
通るだけで住民が作業の手を止めて挨拶をしてくれるが、邪魔して申し訳気持ちがいっぱいになる。勿論、心情はおくびにも出さずに手を振るのだが。
聖女殿から離れ、帝国都市の中心に広がる貴族街へと進んでいた。
「貴族の方なんですか?」
「違うと思うけど偉い方なのよ……〈円卓〉の関係者だったと思うけど」
「〈円卓〉……〈円卓賢者〉のことですよね?」
「ユニスさんはあんまり知らないかもしれないけど、〈ゼイレリア〉の三大権力ね」
「さわりだけは知ってます」
帝国全権の王族。帝国国家。
最大戦力の賢者。〈円卓賢者〉。
国民意思の聖女。聖女教。
この三つの勢力で〈天帝国ゼイレリア〉は成り立っている。
聖女教――私が最高権力者となっている。不本意ながら。そのおかげで帝国軍の徴兵を免れるのだから何とも言えないけど。
しかし、〈円卓賢者〉の関係者ね。ナノンさんは神官をしながら、賢者とも繋がりがあった。意外だと思った、何となく。
貴族街の一角の館でナノンさんは足を止めた。ここにある邸宅としては少し小さな印象を受ける。
「ネーネリアさん、いますか?」
扉をノックすると、すぐに開いた。
出てきたのは私と同じくらいの年齢の少女だった。凛とした瞳がやけに似合う刃のような乙女、彼女の纏うふわり、としたスカートが風に煽られて揺らめいた。
何より目が向くのは腰に巻かれた剣だ。お嬢様のような服装とは全く似合っていないのに妙に自然だった。
「ネーネリアさんのお客様でしょうか?」
感情の籠っていない声音で尋ねられる。
「連絡をした訳ではありませんが、お話をしたくて。良ければナノンが来ました、とお伝えください」
「確認してまいります」
少女は隙のない動きで奥に消えていく。
視界からいなくなってことで空気が軽くなった。
「何か怖い感じの娘ね。メイドじゃないとなると護衛かしら」
「綺麗でしたね」
「女の子好きな人ではあるけどね。あ、ネーネリアさんを見たら驚くと思うから覚悟しといてね」
「怖いこと言わないで下さい」
「優しい人だから安心してよ」
しばらくすると少女が戻ってきた。扉の脇に背筋を伸ばして立つ。
「ネーネリアさんは広間でお待ちしています」
「ありがとうございます、行きましょうユニス」
「はい」
玄関口を抜けた先、居間は貴族屋敷らしく広々しており、壁面に暖炉や絵画が、天井にシャンデリアが吊るされ、真ん中にはテーブルとソファーが並んでいる。上座とでも言うべき位置にある一人用の椅子に――子供が座っていた。
彼女は分厚い本を読んでいる。幼い子供には似合わない難しそうな内容であることは表紙だけでもわかった。
「お久し振りです、ネーネリアさん」
ナノンさんが軽く会釈すると、その子供は顔を上げる。
「そうね、こうして顔を合わせるのは三年振りかしら」
耳に残る高い声音。
「お変わりないようで安心しました」
「あなたは老けたわね」
「まだ、そんな年齢ではありませんよ」
「……あのナノンさん?」
何となく事情は掴めたが、どうして確かめられずにはいられない。
「えぇ、紹介するわね。彼女が私の命の恩人、ネーネリア・トゥーンさんよ」
「命の恩人なんて大袈裟だけどね。それで、そこの娘は?」
「彼女はユニス・テクノセイラ、当代の聖女です」
「ユニス……へぇ、〈聖女〉が……あなたが例の……」
楽し気に、それでいて試すような視線。
見た目は子供でも、これでは子供として接するという訳にはいかなそうだ。その透き通った瞳からは底知れない何かを感じ取れる。
「まぁ、座りなさい。どうしたのよ急に来て?」
「私から行かないと会ってくれないじゃないですか……今回は純粋に会いたかったって言うのと、もしかしたら、ネーネリアさんならユニスに適切な助言をできるかと思いまして」
「そうなの? あんまり期待されても困るけどね。見ての通り、子供だから」
「どの口が言ってるんですか?」
二人とも楽しそうに言葉を交わした。久し振りの再会というのは、そういうものなのかもしれない。私には味わうことのできない感情だ。
「ありがとう、エリ」
「いえ」
私達を迎えた剣の少女――エリとやらがお茶を持って、居間に来る。三人分の紅茶を並べるとそそくさとこの場を後にした。隙のない最効率な動作だった。
「それにしても当代の聖女は才気に溢れてるわね」
「当代? 私が、ですか?」
何気ない一言のつもりだったらしく、私が質問するとやや驚いたような反応を見せた。
「……不思議な力が流れてる。何なのかはわからないけど、凄まじいということ伝わってくる。その才能は聖女に向いてないわね」
「え」
聖女に向いてない――そんなこと初めて言われた。あなたこそが聖女様、とうんざりするほど聞かされたけどその逆はない。
ネーネリアさんは軽く手を振った。
「勘違いしないで。選定条件の問題よ。今までの聖女は治癒魔法の才能が高い者が選ばれてたの、要は助ける力に偏ってた。だけど、あなたの力は治癒も攻撃も、恐らく精神系の魔法にも通じてる。聖女の才能はないけど、どの聖女よりも聖女らしい――そんな感じね」
病を治しながら、海を凍らせたという聖女は今までいなかった……そういうことか。自分が有能なんて言うのは烏滸がましいけど、この力は歴代聖女の中でも飛びぬけているらしい。
彼女の発言に、それとは別に気になった文言がある。
「当代、と言ってましたけど……私は、私が数十年振りに聖女になったって聞いたんですがそれって――あ……」
要は、先代聖女を知っているのだとしたら今何歳なのかと訊きたかったのだが、気を取られて年齢を訊くのは失礼だと気づくのが遅れた。幼女という見た目は恐らく魔法の類で、実年齢は途方もないかもしれない。
「別に隠してる訳じゃないから良いけど――もう四〇〇年になるかしら。私の知る聖女はあなたを含めて八人よ」
四〇〇年で八人……五〇年に一人の割合。生涯を通して聖女の任を全うするのならあり得る数字だ。私もここから五〇年こんなことを続けていくのだろうか。
少なくとも今の精神状態では一年も持ちはしないけど。
「それで? 助言だったかしら? 解決できるかはともかく、とりあえず聞かないことには始まらないわね。ユニスさんだったかしら……どう? 話せる?」
ネーネリアさんが私を見詰める。子供らしからぬ視線だ、見た目に惑わされておかしな気分になる。
「一応、秘密ということなので他言しないようにお願いします」
「わかったわ」
「そうですね。では最初から――」
そして、私は聖なる泉〈テクノセイラ〉で発見されたことから現在に至るまでをできるだけ簡潔に話した。言霊の力と、両足の不随についても考えらえることは言及もした。
良いとこで頷いたり、相槌を打ってくれたので思いの外、話をするのは楽だった。
「なるほどね」と、顎に手を当てるネーネリアさん。
「事情は把握したわ。私もナノンの言った通りだと思うけどね、あなたがどうしたいか決めない限り周りは何もできないと思う」
「そう、ですよね……」
「それより私が気になるのはあなたが空から降ってきた、ってところね」
「……確かにおかしいですけど、それこそ手掛かりもありませんし」
「ここじゃないところにあなたを知っている人がいれば良いのよ」
「いるんですか? 可能性としてはあるでしょうけど、どこから飛んで来たかも……」
「心当たりがあるのよ。こういうトラブルに絶対に関わってる奴がいるのよ」
ネーネリアさんはため息を吐かんばかりの態度で言う。
口振りからしてとんでもないトラブルメーカーらしい。しかし、心底嫌っている風でもない。
「西大陸から来てる子だから、可能性程度にはだけどね。さっきのエリもそっち出身だから何か知ってるかもね」
「あの方は護衛ですか?」
「……何だろうね。私もよくわからないんだわ」
何か思い返しているのか、目のピントが遠くへ行っていた。
束の間、すぐに視線は戻ってくる。
「まぁ、助言らしいことを言うなら世の中には失った記憶を引き出す魔道具というものがある、ということくらいかしら」
「はぁ」
「元々は魔法による記憶混濁を無効にするために作られたものだけど、あなたにも適用されると思う。泉に落ちた衝撃だから、また別の衝撃で呼び起こされる可能性もあるけどそれはおすすめしないわ」
「私もやりませんよそれは」
それはつまり後遺症だ、脳に多大な影響を与えているということ。これ以上、傷を負って手遅れになっては意味がない。
だけど――魔道具や魔法で何とかする、というのは私も考えていた。
「私の魔法でも記憶は戻っていません」
「へぇ……言霊というものが何なのかはあまり知らないけど相当な事象改変も実現するんでしょう?」
「大抵のことはどうにかなります」
「ベタなところで言うなら、あなた自身が拒んでるからかもね」
「拒む……」
何か引っ掛かりを覚える。
「迷ったままだったから、思い出せなかった……?」
言霊は、口にする言葉にイメージを明確に乗せなければ発動しない。そうでもなければ日常生活の中で常に魔法を使うことになる。ならば――心のどこかで拒否していたとしたら、発動しない可能性は大いにある。
あくまでも、記憶喪失という仮定をしたらの話だけど。
「思い出せないなら、いっそのこと断片ごと忘れるのもありだと思うわ。過去のことは忘れて今の自分で生きて行けば良いのよ」
「それもそうですね……何となく大切なことな気がしているだけで意味はありませんし」
「そこら辺はゆっくり考えれば良いわ。聖女の仕事なんて大したことじゃないんだから。何十年いなくても何とかなったのよ、一年くらい休養したって誰も文句は言わないんじゃない?」
随分なもの言いだが、納得できないこともない暴論だった。
災いに溢れた世界とは言え、私がいる前から人々は己の力だけ乗り越えて、折り合いをつけてきたのも事実。聖女が必要になるのは聖女がいる世界だけだ。いなければ誰かが代わりにやる、というのは当然の営みだろう。
目の前にいるから頼りたくなるだけ――特に多くのことができる私の場合は、本来の聖女以上の仕事まで舞い込んでくる。
――すっかり冷めてしまったお茶を啜る。
ネーネリアさんとナノンさんは館の脇にある庭に行ったため、広間には私しかいない。積もる話もあるはずだ、と私は遠慮させてもらったのだ。
十分助言は頂いた。後は私の想いをどう優先するかに委ねられている。このままでは以後とにも支障が出るので早々に決断しなければならない。
そうだ。
「聖女祭の終わりまでに決めよう」
記憶を取り戻すか、忘れるか――。
ネーネリアさんに言われたようにもっと気楽に考えても良いのかもしれない。そんなこと言われても簡単にはできないけど、過去にしろ未来にしろ私の問題だから。文句を言われても自分だけ。
「…………ん?」
背後から爪先でも突き刺したかのような鋭い足音がする。
エリと呼ばれる少女が私を正面とするようにソファーに腰掛けた。凛々しく吊り上がった瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。はっきり言って怖い。敵意も害意もないけど、雰囲気が剣呑過ぎた。気のせいだろうけど、沈黙を強要させられる。
「――ネーネリアさんに仲良くすれば、と言われましたので仲良くなりに来ました」
「…………」
「何か?」
「いえ……わかりました」
ネーネリアさんの意図はわからないけど、こうもストレートに受け取って来るとは思ってないだろう。
私は咳払い一つして「名前は伺いましたが、改めて自己紹介させて頂きます」と言う。彼女がエリということは聞いているが、あちらは私を知らないはずだ。
「私はユニス・テクノセイラです、宜しくお願いします」
「ユニス……ユニスさん、ですか」
「ユニスで良いですよ。そんなに年も変わらないでしょうし」
私の名前を聞いた時の反応がネーネリアさんと同じで何か含みがありそうだった。比較的珍しい名前なので一概には言えないけど。
「わかりました、ユニス。では――私はリグニエリと言います。皆、エリと呼んでいます」
「よろしくお願いします、エリ」
今まで会ったことのないタイプだけにどう接すれば良いのかわからない。
悪い娘ではないと思うけど。
仲良くする、と言っても何をすれば良いのだろうか。ずっと神殿に籠っていただけあって友人は数人しかいない。雑談なんてもっての外だ。
不意に顔を上げると、エリが眉を寄せていた。
「ユニス……どこかで会ったことがありませんか?」
「あなたと、私がですか?」
「えぇ」
「ないと思いますけど」
「……そうですね、その綺麗な白髪を忘れられる訳がありませんね」
「エリも綺麗な髪だと思うけど」
「…………」
表情筋は微動だにしなかった。どころか無反応、怒ってるの? 喜んでるの? 怖いんですけど。
「すみません、気のせいだったようです」
エリはたおやかに頭を下げた。お茶を運んできてくれた時にも思ったが、一つ一つの動作の切れがある。慣れていると言っても良い。謝り慣れてるなんて失礼だが、お辞儀一つとっても優雅であった。
「いえ、大丈夫ですから頭をあげてください」
「ご配慮感謝します」
何だか息が詰まる会話だ。同年代の女子同士とはこういうものだろうか――。
私達どちらも普通じゃない、ということに気づくまで五秒も掛からなかった。
気まずさを感じていたのは私だけではなかった、エリが心情を吐露する。
「仲良くとはどういうものなのでしょうか」
「それを私に訊かれても。別に無理して仲良くなる必要もないと思うけど……また会うことができたら思い出話でもすれば良いんじゃない?」
「――ふふっ」
エリはふふっ、と笑った。
とても可愛い年相応な笑み。
「すみません……知り合いが言いそうなことだったのでつい」
「そんな人がいるんですね、いつか会ってみたいです」
「それはやめた方が……――何でもありません」
「凄い気になるところで止めないでよ」
「この街にいればいつか会うと思いますので……あなたのような美しい人に目がないのでお気をつけて。トラブルに巻き込まれたなければ決して心を許さないように、嫌な予感ばかりが的中するので」
ますます怖いことを言ってくる。しかし、真剣な表情だけに軽く受け止めることはできない。
その者はトラブル耐えない色男ということか? 考え得る最悪な男性の特徴だ。そんな人が目の前に現れるとしたら一目散に逃げる。逃げる前に頭を砕いてから逃げるに決まっている。
そもそも車椅子の女なんて狙わないと思うけど。
とんだハーレム野郎がいたものだ。
あれ? 最近そんなトラブルが起きていたような気が――。
「――ネーネリアさんが戻ってきますね」
「え、あぁ、うん。わかった」
「では、お迎えに向かいますで、失礼します」
「えぇ、お話してくれてありがとう」
一切の無駄のない動作でもってエリは居間を後にした。
最初から最後まで鉄の塊ででてきるみたいだった、中身も外見も。
尖った硝子のような性格に見えたけど、相応に可愛らしいところもある。何というか、言葉にするのは難しいが……そう、もっと知りたいと思った。
あの二人は普通じゃない。その普通じゃなさが興味を引いた。私以上に特別な人がいるかもしれないから。そうすれば記憶を失ったという事実も少しはマシだと思える。
「我ながら鬱屈としてる……相当参っているのかぁ。それも祭までだから」
――聖女祭までまっしぐらに進もう。そうしたら終わらせる。
――しかし、この決断は徒労に終わることとなる。決断を容易に覆す出会いというものは確かに存在し、世界の見え方を一変させてしまうのだ。