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フィニスエアル ――少女が明日を生きるためだけの最終決戦――  作者: (仮説)
聖女が過去を知るためだけの女神邂逅
111/170

1.聖女の日常

 


 ◎


 


 聖女殿の前には多くの人が集まっていた。


 そこにいる全ての人が、手を合わせて祈っている。


 平和、長閑な生活、何者にも脅かされない世界――各々、思い思いの願いを込めて聖女に頭を垂れた。


「…………」


 残念ながらこの世界は悲劇が溢れている。これでもかと言うくらいに――これでも足りないのかとばかりに渦巻いている。


 それは人間にどうすることもできない運命というものだ。


 運命に抗うことはできない。私達は流されるままに生涯を終える。


 だけど、逆行する方法はあって――私にしかできないということも自覚していた。だから、私はこの立場を捨てることができないのだ。


 


 窓の隙間から、朝日に刺された海面が眩しく光っている光景が見える。海も空もそんなに綺麗なのにそこに生きる人々は悲劇と戦っている、バランスの悪い世界だと思う。


 美しい世界に、美しい秩序が成り立っていない。


 その時、扉が開いた。


「おはよう、ユニス。今日は良い天気ね」


 鮮やかな赤紫を髪を一つに結わえた少女がやって来て挨拶してきた。いつもの時間とぴったりである。


「そうね、スティア」


 相槌を打って寝間着を脱ぐ。その間にスティアは私の服を準備してくれて、そのまま着替えも手伝ってもらう。身体を締め付けない緩い半袖のワンピースを纏う。


 私は両手を伸ばし、スティアを引き寄せるように掴む。スティアは私を抱きかかえてベッドの脇にある車椅子に腰掛けさせた。後ろに回ると持ち手を押して私の部屋から出る。


 白色の材質で埋め尽くされた廊下を進むと、行き止まりに切り取られた空間があり、壁面には魔法陣が描かれている。スティアはそこに掌を押し当て、エネルギーを流し込むと床がゆっくりと降下し始めた。


 一階層下げた二階に止まり、車椅子が進む。大きな開き戸の先は大広間になっており、私達はいつもそこで食事をしている。横長なテーブルの半ばで止まり、スティアは「ちょっと待っててね」と言って厨房の方に向かった。しばらくするとシェフと共に戻ってきた。


 テーブルに料理が並べられ、スティアは私の対面に座る。両手を組んでから、私達は朝ごはんを食べ始めた。


「……ユニス、少し顔が暗いわ。調子悪いの?」


「そういう訳じゃないけど、思う所があってね」


「最近は物騒だものね。内乱に、盗賊団の台頭、海難事故、流行り病も重なって……」


 一見、わかりにくいがこの国は危機に瀕している。後回しにしていた問題が同時期に飽和した、と言うべき状態だ。


 どこも対応が間に合っておらず、帝国への疑心は日に日に強くなっている。神殿に民が集まるのは当然の帰結だ。


「私にできることなんて小さなことだけね。聖女なんて言われてるけど実際は――」


「そんなことはないわ!」


 スティアは身を乗り出してくる。


「あなたがいるおかげで助かる人は沢山いるのよ。数の大小なんて関係ない、ユニスはユニスにできることだけをしてれば良いの」


「そう、ね。そうよね、私ができることを……すれば――」


 ――でも、私って誰なの?


 気づいた時にはこの街にいて、私のことを知る人は誰もいなかった。


 泉で発見された理由も、記憶がない理由も、両足が動かない理由も、私の言葉の力も何もかも与り知らない。どうして生まれてきたのかすら――。


 


 


 朝食を終えると、すぐに私達は隣接している神殿に向かった。


 人々は救世神に手を組んで救いを求める訳ではない。この世界では神々よりも勇者を、勇者よりも英雄を、この国では英雄よりも聖女を信仰する。


 つまり、私は信仰対象ということになる。


 教会にて車椅子に座りながら民の言葉を聞いて、場合によっては力を行使して助ける。


 決して軽んじられる仕事ではないけど、私にもどうにも理解し難かった。というより、違和感が拭えないという感じだ。


 ――理由はわからない。


 性に合わないだけかもしれないけど。


「孫が病に臥せってしまいました、どうかお助けおぉ……」


 お婆さんが床に額を擦りつけんばかりに頭を垂れる。


「顔を上げてください。お孫さんを連れてこれますか? もしかしたら治すことができるかもしれません」


「おおぉ、聖女様」とお婆さんは狂信染みた瞳を浮かべて涙を流した。


 性よりも体に合わない、っていうのが一番しっくりくる。


 私は私の価値を測りかねていた。


 救いを求める人は尽きることはない。お婆さんが孫を連れてくるために帰った先には行列ができている。神殿官達がさばいているが苦戦している。この光景も毎日のことだった。


 世界に救いが枯渇している――。


 


 ある男が言った。


「聖女様、お助けを……私は一生愛すると誓った妻がいるにも関わらず、先日出会った女性に惹かれてしまいました」


 なんてことを相談しに来るんだ。たまにこういうパターンもある。


 私に何ができると思っている?


 しかし、男は本気だ。本気で苦しんでいる。


 本気なだけ質が悪い。真剣に聞かなくてはならないのだから。


「どうしてもあの人のことを忘れることができないのですっ、寝ても覚めてもあの姿を思い出し、仕事もせずに街に出掛ける始末。私はどうすれば良いのでしょうか。私はもう妻を愛することがっ……!」


「……あぁ」


 全く、とんだ魔性の女がいたものだ。


 こういうことに限って魔法を悪用した事件だったりする。最近は魔道具の流通が盛んになってこのような騒ぎも増えている。


 さて、何て答えたものか――いや、誰を救ったものか。


 この男を、男の妻を、それとも魔性の女性を。


 例えば「そんな美しい女性ならきっと伴侶もいるでしょう」というのは通用するか?


 失恋というか玉砕させるのが最善な気もするが、もしも、女性が戯れで頷いた場合、取り返しがつかない。男は弄ばれ、気づいた時に財産も何もかも奪われるという可能性。妻も男も絶望だけしか待っていない。


「…………」


 よく勘違いされるが、私は何でもできる訳じゃない。私の言葉には奇妙な力があるが、原理も源流も知らない。だから、こんな力を積極的に他人に使おうとは思えない。


 もし、人の心さえ操れるのだとしたら――考えるだけで恐ろしい。


「私にできることはありません。ですが、後悔しない選択を。そして――嘘を吐かないこと。どんな選択をするにしろ誰かに憚る人生を送ってはなりません、それだけは忘れずに」


「ありがとうございます、ありがとうございます!」


 彼もやたら頭を下げて帰っていった。


 これもまた一つの悲劇なのだろう。


 好きな人ができてしまう――良いことのはずなのに、苦しんでしまう。自分以外の人も、というのが何よりも悲劇である。


 


 ――祈りという名の人生相談は三時間続いた。


「そろそろ休憩にしましょうか」


 横に立っていたスティアが言った。


「うん、お願い……」


「大丈夫? やっぱりいつもより体調悪いの?」


「そういう訳じゃなくて今日の相談がね……」


 そう、今日私の下に来た男性のほとんどが――。


「恋愛相談だったのよ」


 誰もが誰も今まで好きだった女性とは別の女性を好きになってしまった、と言うのだ。話を聞けばその女性に惹かれた時の展開が皆同じなのだ。


 どうやら、この街にとんでもない女が来てしまったらしい。


「一回くらいしてみたいものね、恋」


「……そうなんだ」


 そんな妖艶な女性と私には縁はなさそうだが、あまり住民の心を乱さないで欲しいものだ。今のところ、悪意がある訳ではないのが唯一の救いである。


 


 昼食を終え、少し休憩して私達は教会に戻って話を聞く。祈りは夕方まで続き、ようやく聖女の仕事は終わる。その後、晩御飯を食べるために大広間へ行った。


 いつものように正面にはスティアが座っている。


「色々な問題が起きてるけど、平和なところは平和ね」


 今日の活動の報告。


 この分だと明日も同じような相談を抱えた人が来そうだった。


「平和なことは何よりだけどさ」


「そうね。そういえば今日も帝国軍の第一師団が来たわよ。内乱鎮圧に協力して欲しいって」


 聖女殿には度々軍の者がやって来る。スティアを始めとした神官達によって聖女殿に入れる人を限っているので、軍関係者が神殿に入ることはない。


「足が動かないのに何をするって言うの?」


「一回、攻撃魔法を使うのが見られたからね。回復魔法も言わずもがなだけど」


 以前、〈海型災害〉により街にまで津波が押し寄せそうになった際、民家が飲み込まれないように水面を完全に凍結させたことがある。視界いっぱいの海が水色に染まって凍えた。自分でも驚くほどの威力。別にあれは攻撃のつもりはなかったが、周りからはそう見えてしまっても仕方ない。特に軍の者からすれば圧倒的な攻撃力に見えたのだろう。


 人間に使えば、その命を容易く刈り取る。だからあの手の魔法を人に向けて使うのは控えることにした。本当は回復魔法だって使いたくはない。


 本当に内乱を止めたいなら、私を送り込めば良い、と軍人が考えるのは至極真っ当なのだろうけど。


「あなたの手は汚させないわ」


 スティアが力強く言う。その拳は強く握られていた。


「うん、ありがとう」


「礼なんて必要ないわよ。私にできることはこれくらいだから、それをしてるだけ」


 聖女だからこそ徴兵を免除されている。


 〈聖女〉――この肩書は想像以上に強い。聖女は王権すらも一部拒否することができる。国からの要請である従軍すら拒否することができてしまうのだ。


「ありがとうね」


「お礼なんていらないわよ」


 そして、夜は更けていく。


 今日は月が綺麗だった。


 

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