27.覚めぬ悪夢
◎
――僕らの前に立つ青年の顔に見覚えがあった。
傭兵斡旋所で見たことがある。
もしかしたらローズを助けに来たのかもしれない――と、思った。
「クロムさん」
「ローズ?」
袖を引っ張ってくる。
「どうしましたか」
「多分、あの人が城を」
「……え」
つまり――どういうことだ?
この青年が城を破壊した張本人だとしたら、彼が〈訂正機関〉ということになる。もしくはただ操られているだけかもしれない。
目的は第一王女ローズを殺すこと。
ならば、僕が守るまで。そのためにここに来たのだから。
とはいえ、ここまで来るのにエネルギーを使い果たしほとんど余っていなかったりする。どこまでやれるかは未知数。
「下がっていてください」
青年は動き出すことなく、ただじっと僕とローズを見詰めるだけ。
と、思われたが前面を覆っていた布を肩の後ろに回した。腕が露出し、薄い黒鎧に覆われていることがわかる。魔道具だが、それだけじゃない。
「これはスキアドが使っていたものじゃ……」
確か、あの時、唐突に転移してしまったんだ。
回収機構があったから鹵獲することができなかった。〈訂正機関〉の手の者なら持っていてもおかしくない。少なくとも操っている一般人には使わせるとうな代物ではないものだ。
――そういえば、ハインさんから訊いた。
彼女は時間を止める魔道具で誘拐犯を撃退したと言った。使われたことに気づけない最強の魔道具だとも。
バイザーは着けていない。小手と、脛当、グローブ、計六つの装甲。〈真・赤狼紋〉でも捉えられなかったとすれば停止時間は一秒や二秒では済まないはずだ。
「そうだ……ナンバーを」
僕の腕に〈七七八〉とマゼンタの文字が走った。スキアドと戦った時よりも低い。僕の状態に合わせてナンバーも下がっている。魔女が作った正確さ極まる順位か。
男の右腕から胴体にかけて文字が浮かび上がる――〈五四〇〉。
格上。ナンバーに逆らうことはできない。
例外はナンバー同士による共闘のみ。これには期待できない。
〈七つの魔道具〉によって順位が上がっているなら引き剝がせばそれは下がる。勝算はかなり低い。それすらも考慮されたランキングの可能性があるからだ。
一対一において絶対に覆すことができないとしたら――完全過ぎる代物だ。目を背けたくなる現実をこうも突き付けられるとちょっとキツい。正直、これ以上考えたなくない。
「ローズは逃げてください。遥かに格上です……絶対に勝てません」
時間を止めて来るならこれ以上、距離を詰められる訳にはいかない。
「それじゃあクロムさんも逃げないと」
「それができたら良いんですが……」
スキアドとの戦闘が脳裏にちらつく。勝てる気がしなければ、逃げられる気もしない。
敵を捉えながら、意識を沈める。身体の内部でエネルギー燃える感覚を覚えた。紋章のエネルギーに感覚を集中させて、より濃度の高いものを生成する。
時間停止の有効な対抗手段はわからないが。わからないなりに考えた。
エネルギーを尖らせて鎧のように纏うというのはどうだろう。近づけば刺さる、時が止まっていてもそれは変わらない。
落ち着くために一呼吸おいてから〈赤狼紋〉を起動する。
――あ?
情報量が大きさに意識が着いていけなかった。
〈訂正機関〉の男は視界内にいない。炎と瓦礫ばかりが見えた。
足の感覚がない。浮いている感じがする。
背中に鈍い痛いがある。軽傷ではあるが全力で走るとなると少々堪えそうだ。
小指程の細さの槍が左肩を貫き、壁面に磔にされていた。肉を抉り、骨を穿っている。耐え難い痛みが走った。
「あっ、があああああッッッ……!」
そこまでの情報を得、ようやく僕がどんな目に遭ったのか正確に推測することができた。
紋章を発揮する寸前に時間を止められ、槍を撃ち出された。気づいた時には壁にまで吹っ飛ばされていた、という訳だ。
殺されていない。僕は。
「ローズ!」
ここからじゃ見えない。廊下の一番奥まで吹っ飛ばされたからだ。
肩に刺さっている槍はいやらしく先端から後端まで鏃と返しがついていた。持つ部分はない。あくまでも弾丸として使うものらしい。
引き抜こうとすれば腕が千切れるだろう。そこまですれば治療もできない。
足を壁に引っ掛けて体勢を整える。右手に紋章エネルギーを集中して槍を握る。ただ握る。握って、握って――握りつぶす。
返しが掌に刺さったものの、半ばで断つことができた。
足を力を込めれば、頭から瓦礫の山に突っ込んでいく。
肩の中に残っていた楔により鋭い痛苦が押し寄せた。腕は持ち上がらなかった。
傷口を押さえて廊下を突き進んだ。
胸を貫かれたローズが倒れていた。
僕の肩に刺さっていたものと同じ槍が体の中心に突き立っている。どこにあったんだと思うくらいに留めなく血液が溢れていた。
「…………」
心臓を貫いて、墓標のように。
抱き締めようにも槍は抜けない。
視界が明滅する。皮膚は炎にあてられて真っ赤に赤熱しているというのに、内部は凍えるほど寒い。
人間はいずれ死ぬ。思いの外簡単に死んでしまう。
他愛もない事故に巻き込まれて命を落としてしまうし、災害に巻き込まれれば抗うこともできない。だが、仕方ないでは済まされない。
そうさせないために僕はここに来たのだから。
「はああ、はあッ、はあっ」
息が乱れる。呼吸ができない。苦しい。だが、乱れ続ける。
何のためにここにいたんだ。ローズの代わりに死ぬためにフィニスさんに任されたんだろう、僕は。どうしてこんなことになった。
「弱いからか……」
涙も出ない。
焦燥が早鐘のように響くのだ。弱い僕を責めるように。
弱ければ守りたいものも守れない。ならば、強くなれば良い。だけど、敵はこちらの都合を待ってくれない。気づいた時にはもう終わっているのだ、何もかも。
完璧にはできない、だけど、してはいけない失敗もある。
一生に一回、出会えるか出会えないかの大切に想える人だった。人生なんてかなぐり捨てて仕えたいとさえ思えた。奇跡のような時間だった。
世界は理不尽だ。
人間は醜悪だ。
夢から覚めた気分だ。続くのは悪夢か。
ローズの頬に触れてみた。酷く冷たかった。
凍えて死にたくなった。
その時、ローズの眼が開いた。
「ロー――」
眼前に黒き槍が迫る。その奥には砲身を携えた黒ずくめの男がいた。
僕は脳天を撃ち抜か――。
◎
ハインさんと共に、新人職員の調査のために傭兵登録した時。
誘拐犯、殺人犯の掃討作戦に参加する際に行った時。
ネーネリアさんの名を知ったあの依頼を受注した時。
思い出せるだけでも、あの男はいつもいた。横にある休憩所から観察していたのだ。
確か、A級冒険者のアルメル。
数年掛けた計画――〈訂正機関〉のあの男は傭兵斡旋所に所属して傭兵として地位を獲得していた。その裏で公国落としの計画を進めていたのだ。
僕がいた時には常にいた。その実、フィニスさんも一緒にいた。
きっとフィニスさんが職員になってからずっと観察していたのだろう、奴は――傭兵アルメルこと〈訂正機関〉のボスは。
――頬に生暖かさを感じ。
触覚がある。僕は生きているのか。まだ、生きていたのか。
「ぐッ……! があああああああッ!」
目を開くと激痛が走った。
尋常ではない痛みだ。肩を貫かれた傷などそれに比べたら子供騙しというくらいに。思わず涙があふれてしまった。
いや、片方しか開けない。涙が雪崩れるのも右側だけ。
瞼の奥は眼球が飛び出してすかすかになってような感覚だった。
あの槍が穿ったのは脳天ではなく、左眼だった訳か。無意識に紋章の力で攻撃を防いだのだろう。意識的だったら間に合っていない。
――右眼で捉えた先にいたのはローズだった。
僕は彼女の膝に頭を乗せて、寝ている。いつかにやった覚えのある膝枕というものだ。
「どうして、死んでいたはず……」
頬に胸部から漏れ出た血液が頬に落ちた。心臓が抉り出されたようになり、ねじ曲がった肋骨が露出している。視覚が、嗅覚が、触覚が、嫌悪感と嘔吐感と得も言われない不快感を内側から呼び起こした。
最愛の人に抱く感情ではない。それだけの惨状だった。
「こんなの人間の死に方じゃない……」
――ああ、だけど、これは君が自らやったことだろ。
僕の左肩の傷は完治していた。紋章を使えば治癒力を活性化することもできるが、時間は掛かる。法則を捻じ曲げる不自然な挙動は魔法以外にはない。
ローズは自分の傷を顧みず、僕を治してくれた。左眼も、ただ放って置いたら出血死もするだろうが、傷口は塞がっていた。
命を賭して――死ぬよりも辛さと、痛みに苛まれながら、僕を救ってくれた。
命を救われてしまった。
「ローズから貰ったものを僕が捨てられる訳がない……死ねないじゃないか」
ローズのいないこの世界で生きる価値はないはずなのに、生きねばならない。これ以上生きたくないのに、無駄にすることだけは許されない。
僕にそこまでする価値はないというのに。
「終われ……終われ、何もかも終わってくれ……こんな理不尽な世界、消えてくれ」
誰か僕を殺してくれ。
このまま城にいればいつか倒壊して圧死する。ローズと一緒に、同じところで死ねる。
――何が間違っていたんだろう。
王城に来るのに遅れたからか、弱かったからか、それとも、故郷から出ようとしてしまったからか。最初から間違っていたんじゃないのか。
「…………」
故郷を出た時のことを思い出した。
幼馴染に見送られて、フィニスさんと共に公国へ歩き出したあの日。
世界を知りたいと思って旅立ったのだ。知って、知って、辿り着いたのがここだった。
行く先はない。もうない。
右眼を閉じようとしたその時、足音が一つ聞こえてきた。
「――あぁ、そういうことかよ」
男は赤い髪をしていた。筋肉質でありながらも、身軽さを感じさせる慣れてる動きだった。
どこから入って来たんだろう。入口も最早ないようなものなのに。
彼は僕を見下ろす。
「立てよ」
と。
「いいから立てよ。ここは墓標にはならねぇよ」
と。
「埋葬くらいしてやれよ」
「…………埋葬」
「こんな薄汚いとこが最期であって良いはずがなねぇだろ。だから立て」
男は僕の右腕を掴んで無理矢理に起き上がらせた。
何もかもわかった風な達観した瞳を浮かべている。彼は僕に何一つ強制しなかった。
「運んでやれよ。俺が運んでも良いが、そうでもねぇだろ」
傷は治っているから両腕とも使える。丁重に抱いて持ち上げる。綺麗な水色の髪が肩から落ちた。
僕は彼に着いて行った。何も考えたくなかった。
間違っていない、とも思う。あんな死にかけたような場所が最期なんて虚し過ぎる。
中庭の一角――穴の開いた銅像の横を通り抜け、焼け焦げた草原で立ち止まった。
人が横になれるくらいの穴を掘り、そこにローズを寝かせる。
「埋めてやれよ。中途半端に終わらせるな」
「はい……」
平らに均したところに男が半ばで折れた剣を刺した。全然墓標には見えない。
跪いたまま動けなかった。完全に終わってしまったことを噛み締める。
焦げた木々向こう側から光が射した。
「夜明け……」
結構長い時間寝ていたようだ。
全てが過去になっていく。僕だけが置いてかれていく。
「お前も来いよ」と赤髪の男は太陽を睨みつけて言った。「俺は〈訂正機関〉ナンバーツー、プロトバリノ」
「訂正……機関……」
「世界を怨み、憎むのなら共に来い。だが、もしも、〈訂正機関〉を滅ぼそうと言うなら、お前が打ち砕けば良い」
何を言っているのかわからない。
世界とか〈訂正機関〉とか、もう沢山だ。僕に許容することのできない規模だ。
僕は〈英雄〉ではないのだから――あの人にはなれなかった。
「無視かよ。ったくよ……放っておけねぇじゃねぇか」
肩に担がれ、連れていかれる時に日射しが顔に迫った。
墓標を最後に、右眼を閉じる。
同時に何もかもから目を背けた。
――……革命でも、戦争でも、反乱でもない何かが終わりを告げる。宣誓を守ることはできなかった。
「――ごめん」