19.訂正作戦開始
◎
――中央都市には〈幽鬼の館〉という古ぼけた建物がある。生活感のない館には誰も住んでないと思われるが、そこには四人の男女が存在していた。
明かりの点いていないシャンデリアの下、横に長いソファーを陣取るのは赤髪を携えるがたいの良い男だった。プロトバリノは足を組んで退屈そうに窓の外を見て。
その横、一人掛けの椅子に座っているのはフレームの薄い眼鏡を掛けた長身の男。ゾステロは手には書物を持っており、詰まらなさそうに頁を捲っていた。
対面には、眼鏡で前髪をかき上げた吊目の女性がもう一人おり、壁際に立つ女性をちらちら、と見ている。フォルネオは警戒心を露わにし、座りながら臨戦態勢に入っていた。
それぞれ〈訂正機関〉のナンバーワン、ナンバーツー、ナンバーファイブの名を与えられている。数字は組織における強さではなく、所属した順番でしかない。ナンバースリーのプシロは呆気なく殺されている。
護衛のように扉の横に立つ少女には数字は与えられていない。命令されるままに任務をこなすだけの人形だ。白色の外套は無機質を助長しているようだった。
三人の囲むテーブルの上には地球儀のような雑貨が置かれていた。半透明の球体が台座によって支えられている。当然、雑貨などではなく魔道具だ。
現在、行われているのは〈セレンメルク〉滅亡作戦である。
極めて少人数の作戦。万年人数不足ではあるものの、その分、機密は守りやすく足並みは揃えやすい。
「さて、始めましょうか」
口火を切るのはゾステロだった。本を閉じて、水晶の魔道具に語り掛ける。
「計画は順調。まずは経過報告を……偽造した魔道具の流通は完璧です、魔法師団にも使用者がいることは確認済みです」
〈そうか〉と水晶から声が出た。
何を隠そう、彼こそが〈訂正機関〉のトップである。
ナンバーゼロを関する男――フィトンは尋ねる。
〈王城に地図は手に入ったか?〉
「予定通りに、魔法師団の一人を傀儡にして入手させました。囮の線はないでしょう」
「それで、俺達はどうするんだ?」
割って入ったのは筋肉質の男、プロトバリノである。〈訂正機関〉きっての格闘担当だ。
「メインはボスがやるとして、俺らは待機かよ」
〈――地図を見て城の裏口を抑えておけ。恐らく貴族がそこを通って逃げる〉
「対して強くなさそうだ、詰まらねぇ」
プロトバリノは投げやりにテーブルに足を乗せる。
「忘れたのですか? あなたのその刻印を刻んだのが誰か?」
その態度にため息を吐きながら、ゾステロが指摘するとプロトバリノは舌打ちをした。
思い出されるのは〈撃魔王国フレイザー〉での辛酸である。標的である王女に返り討ちにされた挙句、仲間を一人失い、自らも行動を制限されることとなった。
彼は「もう油断はしねぇよ。負けそうになったら逃げる」とだけ言いそっぽを向く。
〈フォルネオ、お前は学園を襲撃し、生徒全員を殺戮しろ。第五決戦装備を許可する〉
「了解。装備があるなら余裕だわ。フィニスと戦えないのは残念だけど。どうせ負けるか」
フォルネオは過剰にフィニスを意識していた。彼女も〈フレイザー〉の一件にて彼女に倒された過去がある。それも相当手加減された上で。
〈あいつの行動は予測できない。学園に出る可能性もある、用心しておけ〉
「用心ってのはね逃げる算段ってことでしょ」
ボスの忠告にため息を吐いたフォルネオがこれ見よがしに足を組んだ。黒いタイツを履いた長い脚がテーブルに乗りそうになっていた。
「それで、その女は何に使うつもりなの? 戦力が必要って訳でもないでしょ」
〈…………〉
ボスに対しても口調は変わらない。常に黒ずくめで素顔を見ていない彼女からすれば、破滅願望を抱えた意味不明な人物であり尊敬には値しない。癖のあるメンバーを従えているということで一応、立ててはいるが、懐疑的ではあった。
「申し訳ありませんがこれはおいそれと話せることではないんですよ」
答えたのはゾステロだ。
「どういうことよ? 私達にも言えないって?」
「はい、彼女はこの作戦における核であり切り札ですから。知っている人は少ないに越したことはありません」
「そいつが?」
白い外套の下には胸当てを始めとした防具で覆われている。腰には闇をも斬り裂く白輝の剣が瞬いていた。
相当な猛者であることは察せられるが、切り札とは思えない。制限されているとは言え、プロトバリノの方が使える、とさえ思う。
「〈フレイザー〉の時のような失敗はもうしたくないですから。万全の対策を期して実行します」
いつもは感情の籠っていない言葉ばかりだが、今のは力強さを感じさせた。
気に食わなかったものの、〈訂正機関〉のブレインである男の判断には従うことにした。ボスよりもボスらしいとさえ思っていた。
フォルネオは今のところは聞かないであげる、という態度を取る。
「なら良いけど」
「えぇ、配慮感謝します。報告は以上、いつでも作戦実行可能です」
〈――決行日は三日後だ〉
唐突な宣言だった。それを聞いた部下達は当然驚く。作戦を進めつつももう少し先かと思っていた。詳しい内容はボスしか知らないからだ。
「それは随分、急な話ですね……」
〈作戦が一部知られた可能性がある。完了次第開始するべきだ〉
「まさか……一体何者が?」
〈フィニスエアル・パルセノスだ〉
「どうしても逃げられないようですね、彼女からは」
ゾステロだけではない。〈訂正機関〉全体で彼女を敵として認めざる負えない。都合の悪いことに厄介な時に、厄介なことをしてくる。戦闘力的に葬ることはできず、今や毒殺も魔道具によって防がれる。
動かすことのない駒が中央に鎮座している状態。それが四方にも八方にも動き回るのだ、こんな面倒な敵はいない。
「了解しました。三日後、決行ということで」
水晶の魔道具は静かに停止した。途端に館の空気が軽くなる。
まず、プロトバリノが〈はあああああ〉とわざとらしい息を吐いた。
「結局何者よ」とフォルネオは二人んじ問い掛ける。「魔道具を複製できるくらいだから凄い奴なんでしょうけど……素顔も、目的もわからないし」
「目的は世界の破壊ですよ。言うまでもなくね」
「どうしてかはあんたらも知らないの? 五年近く所属してるのに?」
「えぇ、前から全身黒ずくめの黒仮面でした。通信の魔道具ができてからは直接も会ってませんし」
「よくそんな奴信じられたわね」
どんな経緯からは知らない。それなりの状況があったのだろう。だからと言って、得体も知れない男に着いて行こうとは思えないはずだ。
「信用はできませんよ」と、呆気なく言うのだった。「ただ……世界を破壊しようという意志だけは本物だった。だから着いて行っただけです」
「あ、そう。プロトバリノ、あんたも? ゾステロと同時期だったわよね?」
「まぁ、なぁ……」
視線を寄越すこともなかったが、何やら思い出している様子だ。
彼が〈訂正機関〉に所属した経緯はなかなかハードなもの。少なくとも思い出したいような事件ではなかった。とはいえ、折り合いはつけられるくらいには回復していた。
それでも世界は破壊されるべきだと考えているが――。
「そうだな。当時は人生終わったと思ってたからな……今は戦いという新しい趣味に目覚めたから楽しいが」
「気持ち悪い趣味ね」
「他人の趣味を悪く言うなよ。それだったらお前の〈偉ぶってる奴を監禁して嬲って泣き喚かせるのが好き〉ってのはどうなんだ?」
「は? 戦いよりマシでしょ!」
「いや流石にそれはねぇだろ!」
意味のない議論に耳を傾けることなくゾステロは本を開いた。文字のない真っ白な書物である。
――しかし、ボスがどうして世界を破壊しようとするか考えたこともなかったな。
ゾステロは白紙を見詰めながら〈訂正機関〉の長の姿を思い浮かべる。天才的な魔道具技師であり、正体不明のテロリスト。一体いつから生きているのかさえ不明だ。
「まぁ、いいでしょう。世界が壊れさえすれば何でも……その景色を見れれば」
破滅願望を抱える割には、明るい顔つきをしていた。いつからか世界の破壊こそが彼の人生における最大目標となっていた。
目標を持った者の人生は輝かしい。故に、ゾステロは死ぬ時まで純粋に破壊を望み続けるだろう。
「さて、行きましょうか。〈訂正機関〉の名の下に、この世界に滅びを――」