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桜子さんの奥様劇場

嫉妬 〜プライド

作者: 秋の桜子

 木曜日は燃えるゴミの日。妻の可奈子が待望の第一子を身ごもっている守は分別されたゴミで膨らんだ、黄色い袋の指名欄にマジックで名前を書きなぐると、手に持ちアパートのドアを開ける。隣の部屋に住む両親のゴミも運ぼうと目をやると。


 ぎゅぅぅと、口を結んだゴミ袋がドンと置かれている。


「クソぉ。俺らが越してきてから毎週毎週……。何処のどいつだぁぁ?名無しは持って帰らないって!広報にも書いてあんじゃんかよぉ」


 あたりをキョロキョロとするが、早朝の車が行き交う以外、人の姿は見当たらない。


「……、しゃぁねぇ」


 ぼやくと、出勤前の貴重な時間を無駄にしたくないと、作業着のポケットに押し込んだマジックで、自分の名前を書きなぐる。そして隣家をピンポーン♪


 ……、……はーい、ガチャン。


「ういっす。おはー。おかん、ゴミ出してきてやるよ」

「おはよー。毎週毎週大丈夫よぉ。お父さん起きてくる前に、ちやっちゃと出してくるから。あんたが来るまではそうしてたもん」


「まぁええやん。ついでついで!何のために隣に引っ越して来たと思ってるんだよ」

「お父さんに手がいる様になってからこっち、でも今は行政サービスがあるから使い倒してなんとかするから、別にいいのにって断ったのに。色々と、可奈子ちゃんにも助けてもらって。ありがたいわね」


 親子の会話。母親は笑いながらそれじゃぁ頼もうかと、部屋の中へと戻り用意をしていた、ゴミ袋をよっこらしょ、よっこらしょと、運んで来た。


「ありがとねー。ん?3つも大丈夫?」

「ああ……これ。うん、ついでついで」


 気軽に引き受けると、母親には知られぬ様に、何も言わずに実家の部屋の前に置かれている、名無しのゴミ袋も毎週木曜日に運ぶ。


 ……、くっそう……このゴミ誰のだよ。嫌がらせだったら、承知しねえ!そうだ!ホムセンで防犯カメラ買ってきて設置すりゃええじゃん!今度の休みにやってやろうじゃないか!


 歩いて数メートルの集積場の金網を開けると、ドサッドサッドサッと放り込み、扉を閉めて部屋へともどった。


 ★


 掃き出しサイズの窓ガラスの向こう側。子どもがいた頃には、かわいいトイプードルが走り回る小さな芝生の庭の片隅に、洒落たタイル張りの物干し場のスペース。洗濯物が晴れれば毎朝、同じ時間に干され、時々にパリッと乾いたシーツが、はためいていた。


 家から外に出るために濡れ縁が置いてあるのだか、とうの昔に朽ち果て、脚が折れガックリと傾いている。芝生の庭は消え去り、今は猫じゃらし、ススキ、チガヤが茫々と群れをなしている。


 煤け褪せた色の婦人物のクロックスサンダルが、埋もれる様にしてでも尚、役目を果たそうとここに来るものを待っているかの様に形を保っていた。


 錆びが来始めた物干し台。今は冬。枯れても背の高い草の群れがタイルも飲み込もうと忍び寄っていた。


 月曜、水曜、金曜日の朝と夕方。妻は朝の決まった時間に2階の子供部屋へと向かう。色褪せたカーテンが引かれている出窓の前に立ち、張り込みの刑事のようにほんの少し、細い指で隙間を開けると、道路の向こう側を探るように凝視する。


 道路を1本挟んだ向こう側、年数が経ったファミリータイプの2階建てのアパートを、じっと目を凝らして眺めている。住まいの真正面の部屋はには、妻が格下に見ていたかつてのママ友の部屋。その隣は空いたと思ったら直ぐに新婚夫婦らしい、新しい住民が越してきた。


 出た……。


 妻はジリジリと嫉妬と羨望で胸が焼け付く。それは気がついた日から徐々に、妻の思考を蝕んでいる。部屋の扉が開かれ、顔見知りの夫婦の姿。ママ友だった女は、流行りのダウンを着込み、いつもの鞄を肩から下げ、毛糸の帽子を被り杖をついて歩く旦那を、甲斐甲斐しく支えている。ドアの外に置かれたパイプ椅子に防寒着を着込んだ旦那を、支えつつ座らせる、かつてのママ友の姿。


 出た……。


 隣の部屋の扉がパッと開く。目を皿のように開く妻。男物のダウンを着込んだエプロン姿、腹の膨れた若い女がふたりに近づく。笑顔で挨拶を交わす空気が、手に取るように判る妻。若い女はこのあと、ママ友が持つ荷物を受け取り手にしていたひざ掛けを渡すのが、寒い朝のお決まり。


 来た……。


 近くの福祉施設の車がやってくる。運転席が開いてヘルパーさんが忙しげに下りる。車の影になり向こう側は見えないのだが、しばらくするとママ友と若い女が手を振り車を見送る。夕方は戻ってきた旦那が加わり、3人で手を振り見送る。それが週に3日。


 ……。あっちがどうしてああなのよ。あっちは親を助けるとかで、わざわざ新婚夫婦なのにお隣に越してきた息子って何?マザコン何じゃないの?しかも父親と同じような作業着で仕事に出てるじゃない。揃いも揃って底辺じゃない。私の夫は……エリートでこうして庭付き一軒家で。私は専業主婦で息子も賢くて、一流大学に進学をして、一流企業に入ったのよ。エリートなのよ!おまけに上司に認められて、上司の娘と結婚をして……私は勝ち組。昔から勝ち組なのよ!なのに……。


 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


 切り裂く様な呼び出しベルの音。それはエリートの夫が寝室から鳴らす音。色褪せたカーテンをイラつきながら、元の通りに閉じる。


 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


 息子が出ていったままに置いている。プリントも何もかも。裕福な時で時間で、ピタリと止まったままのような部屋から出る妻。ただ……、壁に立てかけてある長方形の鏡だけは……捨てたいとこの部屋に入る毎に思う彼女。そこに映る自分が、ママ友よりも惨めな身なりだということに、嫌でも気がついてしまうから。


 昔、お気に入りの高級ブティックで買い漁った衣類の数々。プチプラ専門の、ママ友にマウントを取りまくった、ブラウス、スカート、セーター、カーディガン……。でもそれはもう、デザインはすっかり昔のもの。そして中にはクリーニングしか洗濯が出来ない素材もあり、出せなくなった妻は適当にそれ洗濯機で回してしまった為に、縮んだり伸びたり色褪せしたり……。


 どことなくチグハグな……。惨めな身なりが気になる。それなりに小綺麗な格好をしている様に見える、かつて見下していた彼女が気になる。きっとどこかで見かけて、自分を嘲笑っているに違いないと思う妻。


 目を逸らし、生地と縫製は良いものなのよ。プチプラなんて目じゃないわ。と言い聞かせながら、ホコリ舞う階段を息を白く吐きながらトントンと下りる。コートかダウンを着たらマシかもと、思うものの……。プライドがチクリと、邪魔をする。部屋の中で暖を取るために、着込む事ががどうしても嫌、もし。誰がが来たときにそんな姿を見られたらと思うと、恥ずかしくて我慢をするしかなかった。


 ……、寒い……。夏の暑さも困るけど。ねぇ、あっちはどうして?あんなに幸せそうに見えるの?車椅子で戻ってきたのよ、一緒だったのよ、それに夫の方が早く退院したのよ。


 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


 妻の夫は定年直後、病に倒れ右半身と言語障害が残った。今は1階の客間を片付け、夫のお気に入りブランドのベッドと、それとはわからないデザインのポータブルトイレを購入をして寝室にし、自宅で療養をしている。


 偶然なのか。時を近くしてママ友の旦那も同じ病に倒れ、同じ後遺症を抱え、目の前のアパートに戻ってきた。そのことを知ると、それから、暮らし向きが気になり。しょうがなくなり。カーテンの隙間から覗き見をしている妻。


 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


 言葉が出にくい夫は妻を呼ぶためにベルを押す。穏やかさにを切り裂く様な響きは、妻の神経をザリザリと逆なで。


 ……、どれくらい通ったかしら、来てもらったかしら……。リハビリしたくない、若造にうるさく言われたくない。明日からもういかん!バカにするな!そうスマホにラインを送ってきて。通所リハビリも訪問リハビリも何もかも全て拒否して……。


 地道な努力からそっぽを向いた、エリートコースを歩んで来た夫。説得をしてもらおうと、就職をしてからほぼ、実家に戻ることのない息子に相談をした妻だが返事は。


 ――、お父さんの好きにしたらいいんじゃないかな。お父さんは昔から自分で何でも管理もできるしね。リハだって自分のペースでやるだろ。こっちは僕も嫁も忙しくてね。今度、嫁が大きなプロジェクト担当になってさ、勿論、僕も抜擢されたんだ。しばらく海外住まいになるから。年金もあるだろ、専業主婦なんだしさ、今は宅配もあるし、お母さんひとりで大丈夫だよね。それが仕事だろ。当然じゃんか。あてにしないで。


 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!



「はい。起きるんですか?」


 入りたくない部屋のドアを開けると、不機嫌そうな夫の顔。


「ン!」

「トイレですか?起き上がります?」


 妻の提案に眉間にシワを寄せて否定の夫。ここ最近、電気代が上がり、寝室の空調の温度を下げざる得ないのが悪影響を与えているのか、夫は筋肉の痛みを感じているらしく、起き上がる事に抵抗を示す。


 ……、石油ストーブを置きたいのに……。この人、灯油の匂いが昔っから嫌いだから。どこもここも暖房を入れずに辛坊しているのに。


 妻のそれにそっぽを向く夫。ため息をつきながら妻は夫に、起き上がる様に強めに言うと、介助を始める。介護を目的としたベッドではないのと、柵を嫌い設置を許さない夫なので、起き上がる時にも掴む場がなく、妻が不慣れな手を貸しようやく起き上がる事が出来るのが、今の状態なのだが……、


「イタイ!アアア!イタイ!イタイ!」

「きゃっ!」


 自由に動かせる左手を振り回す夫。弾かれ、尻もちをつく妻。


「……、………。デた」


 床に転がった妻が立ち上がると、紙パンツの中で尿を終えた夫が変えるように指で指す。


 病院の退院指導で習った、パンツ交換の手順に沿いビリビリと不織布を破る妻。尿とりパッドを装着してくれたら……。それの交換でいいのに。パンツ高いのに……。1枚の値段が頭の中で弾いてしまう。


 スッキリした夫はスマホを開き時を見たあと、テレビのリモコンに手を伸ばす。国営放送でやっている体操の番組を見るのが決まりだからだ。退院をした頃、リハビリが順調に進んでいた頃は、通所が休みの日にはベッドに腰掛け運動をしていたのだか、今は布団の中から見るのが決まりになりつつある。


「お茶を持ってきますね」


 使用済みの紙パンツを持ち、臭いがこもる部屋から出る妻。ここ最近、思い悩む事が現実になるんじゃないかと、気が気でない。時折、担当のケアマネジャーが訪れるのだが、困ったことがないかと聞かれても有るとは言えず……。夫のわがままを通した頃より、担当さんとも疎遠になりつつある。


 ……、このまま、動けなくなるんじゃ……ううん。寒いからよ。暖かくなればマシになるわ。退院したときみたいに杖をついてぼつぼつと歩いて。そういやあの旦那、せっせと通うせいか、まだ危ういけど、普通に歩ける様になってきたじゃない。い、いいえ、エリートの夫よりも回復が良いだなんてありえない。暖かくなったら見てなさいよ。きっと夫はスタスタ歩くんだから……、今は充電期間中なの。きっと……、そういやケアマネジャーさんから連絡するように、留守電貰っているけれど。他人が家に入るのは嫌だわ。


 キッチンでむき出しに置いてあるゴミ袋に、使用済みを押し込みぎゅぅぅと口を結び、返しの連絡はやめようと決めた妻。少し気持ちが落ち着き、手を冷たい水で洗い、やり残していた家事に取り掛かる。乾いた洗濯物をバスケットに入れ、空いた場所に濡れたものを干していく。


 日当たりの良い、広めのリビンダイニンクは、おしゃれなインテリアがそのままになってはいるが、かつての面影はない。洗濯物が干され床にはホコリが舞う、乱雑な室内、カビた臭い、閉め切られた掃き出し窓の向こう側には枯れ草が背高のっぽに群れを成す庭。


 妻は介護に追われる内に手強い雑草が蔓延ると、藪蚊の住まいとなり、庭に出ることが億劫になったのは、夏が過ぎ残暑厳しい頃。当然、向かう事も無くなり……いつしか濡れ縁は腐って壊れた。


 ………ここが一番、日当たりが良いんだもの。乾燥機使えばお金がかかるし、夫が戻ってからこっち、外に干すこともやめたし……。だって恥ずかしいじゃない、夫の洗濯物といえばスエットとか、パジャマとか。そんなのばっかり。誰かに見られたら……。ゴミもそうよ!こんな大人の汚れたオシメが入っているなんて分かったら、恥ずかしくて暮らしていけやしない。わたしはね、そういう女なの!


 プライドが囁く。夫がシャワーを浴びる以外、部屋の外に出なくなった頃よりキッチンから出るゴミ以外、夫関係のゴミは家の中に溜め込んでいる妻。リハビリに通い、共にダイニングテーブルで食事を取っていた頃は、夜中にこっそりと出していた妻。ある他愛のない事がきっかけで、出せなくなった妻。



 ―――、「こんばんは~」


 ヒッと。ゴミ出しの最中に、声が小さく上がった。ご近所さんか、誰かはわからないが夜中のゴミ出しの最中に、挨拶をされたのだ。それ以降。知られたらのプライドが頭をもたげ、主に夫の両親が泊まっていた和室に溜め込んでいる。流石に臭いが気になり、消臭剤を幾つも置き、襖戸を使うたびに目張りを剥がして張り替えている。洒落た襖戸はボロボロ、琉球畳にはカビか蝕んでいるのだか、妻の心配は。


 そこがいっぱいになったらどうしようと、ヒヤヒヤ。そしてあることを思いついた。


 ……、そうだわ。同じだもの。試しに……。


 妻は眠れぬと騒いでいた夫がようやく寝静まり、街も寝静まり、新聞配達が働き出す前……。どこもここも、明けの鳥もようやく寝ぼけた頭で羽を拡げるようかと巣で思う時刻。


 ひっそりと家を出る。

 ひっそりと道を渡る。

 ひっそりとそれを置く。

 ひっそりと道を渡る。

 ひっそりと家に戻った。


 ギィィ。バタン。静かにドアを閉めて……、早馬のような心臓の鼓動、冷や汗、誰かに見られたかしら。大丈夫。プライドがささやく。


「あそこの家のゴミにすりゃあいいのよ、これで少しずつ出していけるわね」


 かつて見下していたママ友の、玄関ドアの側に置いた妻。


 ……、あの家ならこんなゴミでも、恥ずかしくない暮らし向きなんだからいいのよ。似たような旦那が居るじゃない。あ、あっちは……、ちゃんと歩ける様になってるけど。でも杖、杖ついているし。わ、私エリートの夫を持つ、高級な暮らしが似合う妻なのよ!こんなゴミ。相応しくないの!見られたら恥なの!


 その日以来。


 彼女はひとつ手にすると。


 目の前の道路を渡ってゴミを出している。


 こんなゴミはエリートの我が家にふさわしくないと、彼女のプライドがそう動けと……妻を操っているように、善悪の境目がゆうらりゆらりと。


 終。




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― 新着の感想 ―
[一言] とてもリアルに描かれていて凄いです! 介護大変ですよねぇ ><。 誰かが悪いとは言えない現実があると思います (´・ω・`)
[一言] う、うわぁ……( ;´Д`) 体面を保てているつもりでも、にじみでているゴミ屋敷のはじまり感。 怖い……。行政からの話とか聞かなさそう……。
[一言] なんとも…… プライドが高いと、介護はよけいつらいでしょうね。 他人の家の前にゴミを置くなんてそっちのほうがプライド傷つかないのかな? とも思いますけど…… なんか奥様の孤独と苦労も感じられ…
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