第9話 焚火の傍ら
月が変わり、寒さはより一段と厳しくなっていたが、第四師団の行軍は順調の一言であった。
国を出発した彼らは聖王国の北に位置する山脈へ向け、往路を進んでいった。
まばらな林道を進み、秋晴れの空が広がる平原へとたどり着き、やがて深い森が口を開ける山道へと入っていく。
医療衛士として任命されたヴォルは、おおむね自由な時を過ごす事となった。
出発したころは緊張や不安からくる体調不良に陥った兵士を何人か診たが、若い兵士たちはすぐ環境に慣れ、彼の仕事はなくなり暇を持て余した。
それはどの分隊でも変わらず、ヴォルの友人たちはたびたび彼の元を訪ねてきた。
「徴兵の報せを受けたときはそれなりに覚悟していたんだが、拍子抜けだと思わないか?」
「うーん、そうかなぁ。僕は足が痛くてこれ以上歩きたくないよ。うちの隊長、自分だけ馬に乗っているくせにうるさいんだ」
「バカ、そんなことはどうでもいいだろ。俺はよぉ、もっと殺伐とした進軍になると思っていたんだ。でもこれじゃ、荷物を背負って散歩しているようなもんじゃないか。こんなので国のために戦ったと言えるかよ」
「それはそうだけど……でも、僕たちが戦う前に戦争が終われば、それはそれで楽じゃないかな。このまま敵兵に会わずに帰れないかな?」
「おいおい、何もせずに勝っても、俺の名誉にならないだろっ」
ラップとカルロは、焚火で暖をとりながら、配られた葡萄酒に口をつける。
酒を好まないヴォルは自らの取り分を二人に与え、火の熱で湯を温めてお茶を入れた。
「武勇伝の一つも作らないとわざわざ重い鎧を着て歩いた意味がない。最前線では俺たちと同じ歳で、敵を何人も殺したやつもいるみたいなんだぜ。負けてられないだろう?」
「それは僕も聞いたよ。現場じゃ英雄扱いだって人が話していたから。でもさ、つい最近、そいつが敵に殺されたって噂も流れていたじゃないか。やっぱり僕は、生きて帰れればそれでいいよ」
「おいおい、そんなんじゃ、平民あがりの兵士になめられるぜ」
身を守るよう背中を丸めるカルロを見て、ラップは口元を歪ませながら杯を煽った。
「やつら、この戦争で出世しようとどいつもこいつも目が血走っていやがる。剣はへたくそなくせにな。でも、勝つことへ貪欲で、根性のあるところは好きだぜ」
「僕は嫌いだよ。汚い言葉を使うし、なんたって野蛮だし。模擬試合で一回だけ勝っただけなのに、僕のことを格下だって言って、嘲笑うんだもの」
「そりゃ、負けたんだから仕方ないだろ。試合じゃないんだ、終わった気でいたのが悪い。大けがする前に止めてやっただろ」
ヴォルは二人の会話を黙って聞き流していたが、目が覚めたように顔を上げた。
「カルロ、今の話は本当か。そんな訓練が行われたと私は聞いていない」
「それは……」
ばつの悪い顔でカルロはうつむき押し黙る。そこへ割って入るように、ラップがヴォルの視界を遮った。
「まてまて、べつに模擬試合って言っても、正式なもんじゃねぇよ。ちょっとした遊び、ストレス発散のための軽い喧嘩みたいなもんだ」
「軍人なのだから、私闘は懲罰の対象になるとわかっているのか?」
「だから、俺たちがやったのはそんな大ごとじゃないんだって。たしかにカルロのやつはぶちのめされたが、本人も納得のうえで参加したんだ。そう、有志をつのって自主的に訓練をしただけなんだからさ」
てきとうな言葉を羅列するラップを無視し、ヴォルは身を固くして動かないカルロへ視線を投げた。
「……べつに、ラップの言った通りだよ」
「野卑な兵士たちの腕試しに、自ら参加したと?」
「そのとおりさ。僕だって剣はそれなりに振ってきたんだ。力試ししたっていいじゃないか」
彼はそう言って顔をそむける。
その姿を見て、ヴォルは内心でため息をついた。兵士同士の諍いは、どんな理由があっても罰せられるものであった。まがりなりにも隊長格であるヴォルには、兵の健康状態を害するような問題があれば、それに対処し懲罰を与える義務があった。
しかし、この件に対してヴォルは対処する手立てがなかった。これ以上問い詰めてもカルロが口を開くことはない。幼馴染がそういう性格だと彼は十分に知っていた。
「取り立てて問題がないならば、私からは何も言いはしない。他の兵士と手合わせし、練度を上げるのは好ましいことだ」
「だろっ、ヴォルもそう思うよなぁ」
「だがここから先、大怪我をするような事態が起こるならば、医療衛士長としては黙ってはいられない。私たちの部隊はおそらく、このまま北方の山中へ陣取ることになる。場合によっては厳しい冬を乗り越えなくてはならないからだ」
慈悲も容赦のかけらもない自然の脅威。ヴォルは険しい声音で警告した。
「もし、今後の行軍に支障がでるならば、私は自らの権限をもって愚かな野心家どもに処罰を与える。カルロ、それにラップ、たとえ友人である君たちであったとしても、軍人として容赦はない。私がそういう性分だと理解しているはずだ」
名を呼ばれた二人は、ただ短く首肯してみせた。ラップは少し不満げな、カルロは聞き分けのいい生徒みたいに素直な態度であった。
「……わかっているよ、ヴォル」
「戦場にでても、お前はくそ真面目でお堅いんだなっ。けど、たしかにこれ以上は鍛えても意味はなさそうだ。北なら野蛮人連中が相手で確定ってことだろ?」
「帝国が無理にでも山を越えてこなければ、あるいはそうだろう」
可能性としてヴォルはそう言葉にした。
「さすがに、僕でもそれはないと思う。馬だって走らなそうだし」
「ああ、そもそも国境から離れすぎている」
「だろうよ。なんでも知っているヴォル様の予言だったとしても、それはありえねぇよ。けっ、つまらねぇの」
杯に残った酒の残りを煽ると、ラップは炎に向かってげっぷをし、汚い平民言葉を使ってみせた。それを見たカルロは嫌そうな顔で注意したが、どこか明るい調子のよさが戻っていた。
ヴォルはふと、そんな二人を見て懐かしい思いに駆られた。
それは秋の川辺で釣りをしていた時、キャロルを含めた四人で話していたときのように、寒さに侵された指先がほんのり暖かくなる。
過ぎ去った時間を想う、なつかしさを、この時の彼は感じていた。