第5話 移ろい
「私の所見だと、聖王が非凡であるという事は疑いようがない。どこまでも先を見通しているかのような慧眼と、驚くような攻守を繰り出す卓越した戦術。軍駒だけをとっても、並みの人間とは比べようもない」
ヴォルにとってそれは噓偽りない評価であった。軍駒の研究には一切妥協をしない彼をしても、聖王は互角の戦いをして見せた。それはヴォルにとって初めて体験であった。
「へぇ、ヴォルがそこまで言うとは珍しいな」
背中を地面にあずけて寝ていたラップは、驚いた顔をしてみせた。
「まあ、俺も言ってはこなかったが、今の聖王は天才だと思っていたぜ。俺の親父みたいに『稀代の天才』だとまでは持ち上げてはいないけどな」
「あらっ、そう呼ばれていたのって、去年亡くなった先代の聖王様じゃなかったかしら? ただでさえ王族なのに、頭がいいなんてずるいってお兄ちゃんはそう言っていたわよね?」
「ど、どうだったかな。それはキャロラインが勝手に話を作っただけだろ」
カルロは顔を真っ赤にしながらキャロルの言葉を否定した。
「じつをいえば、実際に会ってみるまで、貴族の間で噂される『稀代の天才』という呼び名に対して、懐疑的だったのは間違いない。先王が亡くなられたのと同時に、帝国が宣戦布告した。聖王国内では貴族の統率をとるため、彼を担ぎ上げたのだと思っていたのだが」
「だと思ったよ、そんなんだから、ヴォルは考えすぎだって言われるんだ。カルロもそう思うだろ?」
「そっ、そうかもね。もうちょっと、気楽に考えてもいいんじゃないかな?」
曖昧な笑みを浮かべながら、カルロはへへへっと笑った。
ヴォルは三人のことを視界の端から消すと、川面を見つめながら指でリズムをとりだした。
帝国の侵攻に対し、空席の玉座を埋めるのは急務だった。いたずらに時間をかければ帝国につけいられるだけでなく、貴族間での内紛がおこる可能性もあった。それが成人する前の子どもであるのは、その背後にいる貴族の思惑が感じ取れた。
だが、凡俗な貴族たちを相手に、あの聖王が傀儡に成り下がるとは到底思えなかった。戦争への備えが十分とは言えない状況とは裏腹に、聖王国の被害は少なく長期にわたり戦線は拮抗している。陣頭指揮をとっている者の手腕が卓越しているのは想像に難くなかった。
しかし、どんなに情報を集め、思考の精度を高めても、遠い戦場を見ることができないように、この国の行く末を知る方法はない。もう二度と故郷に帰らぬ者もいれば、その日の食事すら満足に用意できない者もいる。どんな知力を働かせても、不安という分厚い雲をヴォルは晴らすことが叶わなかった。
「これは推察になるけれど、私たちが赴く戦地はきっと主戦場ではないだろう」
「ヴォル、それはどういう意味なんだい?」
「いまの聖王国が気にするべきなのは背後の警戒。西側諸国の動向や北の国境沿いへ視線を向ける必要がある。万が一にもつけ入る隙ができれば、聖王国が挟み込まれる格好となる」
「なら、兵隊として呼ばれても、戦う必要はないってことかっ!」
カルロは言葉を継ぐようにそう言うと、嬉々として目を輝かせた。
「そうだよ。そもそも僕たちは貴族の出身なんだから、最前線で命を張る必要はないはずさ。そんなこと市民とか奴隷の役目じゃないか」
「おっ、カルロにしては気の利いたこと言うな。俺だって喧嘩は得意だからな、敵兵士をぶん殴るくらいはわけないぜ、男としても箔がつくしな。戦果をあげて聖王から褒章をもらうのも悪くない」
「あなたのはどうせ、女の子にモテたいからでしょうね?」
「おいおい、棘のある言い方はやめろ。でも、正直にいうと、剣を持って闘うのはごめんだ。べつに人殺しなんて誰もしたくないんだからよ。誰だってそうだろ?」
「当たり前じゃないか」
ラップの言葉にカルロはしんみりとした口調で同意した。
「ちょっと、辛気臭い話はやめましょうよ。それよりも、私とヴォルの結婚式の話をしましょう。とうぜん、ラップとお兄ちゃんには、面白い催しをしてもらうんだから」
「それは前に断っただろう」
「ダメよ。一生に一度しかない私の結婚式なんだから。思い出に残るような式にしないといけないじゃない。ねえ、ヴォルもそう思うでしょ?」
キャロルは甘えた声で言った。
「……君が望むなら、私からもお願いしたい物だな。ただ、祝いの歌だけはやめてくれ。式が台無しになる」
ヴォルがそう言うと、キャロルは声を上げて笑った。
「それは聞けない相談だな。なぜなら、ネタばらししちまえば、俺とカルロは何曲かすでに練習を始めているからな」
「そうだよ、当日に何を歌うかは楽しみにしていてくれよ」
ラップとカルロは視線を合わせると、にやりと邪な笑みを浮かべる。
ヴォルは、そんな二人のやりとりを鼻で笑ったが、ふと、自分が笑った事を意外に思った。
それはなにも彼自身だけでなく、珍しく弱音を吐いたラップや、興奮気味にまくしたてるカルロ、あるいはいつも以上に明るいキャロルのお転婆、普段とは異なる空気であった。
そして、水に垂らした竿がピタリと動かなくなったように、秋の終わりを告げる冷たい風と寂しげな斜陽みたいに、変化していた。
それらはまるで、青春の翳りみたいに思えた。