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第3話 三人の幼馴染

 許嫁であるキャロラインは、晴天のような朗らかな顔で手を振っていた。

 馬の手綱を操る男の腰に手を回し、遠くからヴォルの名を呼ぶ。

 しかし、馬が突如として前脚を蹴って立ち上がると、彼女の声は叫び声に変わった。

 その間、キャロラインは男の腰にしがみつき、馬が元の四足へ戻ると、大きな声で悪態をつく。けれど、それもすぐ冗談を笑うみたいに顔をほころばせた。

 

 ヴォルの目に彼女の笑顔は、まるで無垢な少女のようにうつった。

 二頭の栗毛はスキップするように駆けると、彼の傍らまですぐにやってきた。

 男とキャロラインが乗った馬と、もう一人の男が乗った馬は、立ち止まると元気を持て余すように大きくいなないた。


「やあやあ、敬虔なる釣り人よ。大事な大事な重たい荷物を運んできたぞ」

「まあ、それはいったい誰のことかしら?」

「これは貴婦人、あなた以外に誰がいましょうか。これ以上乗せてたら馬がダメになる」

「さいてぇ」


 キャロラインが乗った馬を操る男は、川の中のヴォルへ挨拶代わりの軽口を言った。

 ヴォルが曖昧な笑みを返すと、彼は肩をすくめてみせ、キャロラインを降ろすために手を差し出した。

 彼女はムッとした顔をしていたが、その手を借りて馬から降りる。

 ドレスのスカートの皺を軽くはたくと、まっすぐなまなざしで自らの夫を見た。


「ごきげんよう、ヴォル。どうしてあなたの親友はこうも意地がわるいのかしら。友達は選んだほうがいいわ」

「キャロル、ずっと馬に乗って疲れなかった?」

「これぐらいなんてことはないわ。風がすごく気持ちよかった」


 彼女が両手で後ろ髪を払うと、ブロンドの髪が波打つ。


「ラップがもう少し馬の扱いが上手ければ文句はなかったわね」

「こんな真っ昼間から下品なことを言うなよ。馬と女の扱いが上手いだなんて。ヴォルもそう思うだろう?」

「私には、判断の難しい問題だな」


 ヴォルがそう答えると、キャロルは呆れた声で「バカ」と馬上の男を非難する。

 ラップは唇を尖らせて拗ねた顔をしてみせたが、軽快な身のこなしで地面に降り立つ。

 岸の上で彼と彼女が他愛ないやり取りするのを横目に見ながら、いつの間にか草陰にしゃがみ姿を隠している弟子の少年にヴォルは声をかける。


「ナイフをとってきてくれ、馬の荷物に紛れているはずだ」

「えっ、俺がですか……」

「そうだ、君に頼んでいる」


 少年はこそこそと中腰で立ち上がると、先ほどとは打って変わってか細い声を出す。


「でも、その……」

「カルロに私が頼んでいると言えばいい。彼は孤児だからといって、あの二人みたいに邪険にする事はない。……行け、これ以上は繰り返さない」


 ヴォルがそう言って口を閉ざすと、少年はしぶしぶ草陰から姿を現した。そして、ヴォルにとってのもう一人の幼馴染、キャロルの兄であるカルロのもとへかけていった。

 カルロはヴォルたちから少し離れた場所に馬をつなぎ、川の水を飲ませていた。少年が彼のそばまで来ると、彼は少年のほうへ顔を向けた。カルロは一瞬、少年に対して身構えるような態度をとった。

 しかし、お使いの内容を聞くと合点がいったらしく、馬の荷から自らのナイフを取り出すと少年に手渡した。


「ずいぶんとでかい魚だな。この川で釣ったのか」

「誰かさんと違ってヴォルは腕がいいのよ。さすが私の旦那様でしょ」


 ラップとキャロルの二人は川岸のすぐそばまで来ると、崖下を望む人のようにヴォルの手にあるウグイを眺めた。


「こんなところで釣れる魚なんて、食えるのか?」

「あなたそんなことも知らないのかしら。魚って川にも住んでいるのよ。そうよねヴォル」

「キャロルのいう通り、ウグイは川魚だ。市場にも出回る時期もあるし、味も悪くはない」

「ほおー、でもこいつは結構でかいんじゃないのか。なあ、ヴォル。キャロラインの手で測ってみせようぜ」


 ラップはにやりと笑うと、その大柄な手でキャロルの左腕を捕まえた。


「ちょっと、噓でしょう!」

「大丈夫だ、こいつはもうほとんど死んでる」

「ねえ、私はそっちのほうが嫌ななんだけど!」  


 キャロルは抵抗しながら悲鳴を上げていたが、ヴォルは彼女の表情がそこまで恐怖していないことに気づいていた。

 手に持った魚を掲げ、ゆっくりと彼女の眼前にウグイを近づける。

 彼女は人差し指と親指で物差しをつくり、恐る恐る鱗に触れていく。しかし、三度目に指が触れた瞬間、ウグイはその身を水しぶきと共に震わせた。

 キャロルは「きゃっ」と甲高い声を上げながら手を引き、幼子みたいにラップの懐に抱きついた。

 彼女のその行動に、ラップは困ったような笑みを浮かべていた。


「おい、ヴォルの前だぞ」

「ちょっと、私はいま、ものすごく怖い目にあったのよ。本当にどうにかなってしまいそうだわ。背筋がぞぞって、もう金輪際、二度と魚には触れたくないわ」

「わかったわかった、だからもう離れろよ、なあ?」


 ラップが肩をつかみキャロルを引き離すと、彼女はその場からあとずさり、近くにあった岩の上に腰を落ち着けた。


「悪ふざけしすぎたよ。まさか、ここまで驚くとは思わなかった。すまなかった」

「びっくりしたわ、いまもまだ背中に鳥肌がたっているわよ、ぜったいぜったいに」

「そいつは大変だ。気絶しないだけでも立派じゃないか。ヴォル、奥様が心労で倒れないうちにさっさととどめをさしておけよ」

「そうしよう」


 カルロと並んで立っていた孤児院の少年は視線に気づくと、犬のように駆けてきた。

 ヴォルは受け取ったナイフの刃を一瞥し、すぐさまそれを魚のエラへと差し込んだ。


「うおっ、えげつな」


 流れ出る鮮血にラップがはやし立てたが、ヴォルは慣れた手つきで切り込みを入れると、魚を川に沈めた。水の中で流れる血液は泥のようにどす黒い色で川を汚したが、やがて浄化されたように無色へと帰った。


 魚を引き上げ、岸へとあがると、ヴォルは少年が広げていた包みの前で膝をついた。

 そして、躊躇なく腹を開くと、流れるようにウグイを解体していった。

 無言でナイフを扱うヴォルの周りで、三人の幼馴染と孤児の少年は解体ショーに見入っていた。身は溶けかけたバターのように柔らかく、骨は細枝のようにぱきりと割れる。大柄だった魚は目にもとまらぬ速さでその内側を暴かれた。

 ヴォルは頭と内臓を避け、身だけを布で包んだ。

 それを見ていたカルロは感嘆のため息と共に言葉をこぼした。


「さすが、ヴォルは名医の家系だな。ぼくには真似できないよ」


 ヴォルはその称賛には反応せず、包んだ魚を少年の腕に持たせた。


「先生っ、いいんですか?」

「かまわない。帰り道に香草があればそれも摘んでいくといいだろう。腐らせないように注意しろよ」

「はい、任せてください」


 少年は元気よく礼を言うと、浮かれた足取りで去っていった。


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