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第18話 友


 曙光に照らされた森をかき分け、事件の現場へ足を踏み入れた瞬間、血と野生の臭いが鼻をついた。

 土にしみ込んだ血の跡、新鮮な色をした細かな肉片と欠けた人型の物体が、無造作に散乱している。一目で(けだもの)の仕業だと気づいた。

 さらに注意深くヴォルが周囲を観察していると、半狂乱で彼の名を呼ぶ者がいた。

 大木を背に預け、左足を隠すように身を丸くしながら、ラップは嘆きの声をあげている。


「無事だったか。何があった?」


 ヴォルは彼の傍によるとその場に膝をつく。


「おい、これが無事に見えるのかよ。ヴォル、俺はもうダメだ、このままじゃ死んじまう」

「珍しく弱気だな。叫ぶ元気があるなら悲観することはない。他の者よりは十分にましだ」

「ましとかあるのかよ。俺は足を喰われた。もう二度と歩けないってのに、これがひどくないって言うのかよ?」

「歩けないかどうかは見てみないと判断できない」


 傷口を確認しようとヴォルは手を伸ばす。けれど、ラップはその手を遮るように自らの脚を隠した。


「焦るなよ、誰にだって心の準備ってものが必要だ。それに、何があったのか先に話しておいた方がいいだろう?」


 ヴォルはたまらず眉をしかめる。

 時間稼ぎのように見えるそれは、彼に不快感を与えた。


「狼だ、それも飛び切りに餓えたやつらが十匹、俺たち五人を藪の中から狙っていたんだ」


 この地域に「彼ら(オオカミ)」が生息しているのをヴォルは知っていた。行商人や狩りに来た貴族が、その群れの被害に遭うという話は年に数回は聞く話だった。しかし、その事実を知っていたとしても、武装した兵士が四人もやられるという事態をにわかには受け入れ難かった。


「どちらにせよ、君が助かったのは幸運だ。噛まれたのが片足だけなら衛士に肩を借りて先に戻って休むといい。私は他の者を見なければならない」


 ヴォルは立ち上がり、ラップから視線を外す。


「待ってくれ、行かないでくれ!」


 突如、彼はマントの裾をつかみながら、媚びた声で懇願した。


「俺たちはガキのときからの親友だろ。なんで俺が助かったのか特別に教えてやる。俺は木に登ったんだよ。ほら、昔から木登りが得意だったろ。ヴォルもカルロも、俺の足元にもおよばなかったじゃないか。水泳も、剣術もそうだ。たしかに噛まれちまったが、日ごろの行いがよかったんだ。でなけりゃ生きてはいなかった。そうだろ?」

「何が言いたい。昔話なら、野営地に戻ってからにしろ」

「いや悪かったって。でも、やっぱり俺の脚を診てくれよ。お前に見捨てられたらさすがの俺も気が狂っちまうからさ」


 ラップは下品な笑みを浮かべる。

 精神が昂っているのか、彼は馴れ馴れしくヴォルの腕を撫で上げる。


「わかった。ならばその手をどけて、邪魔をしないでくれ…………ふん、確かに歩いて帰らせるのは酷だな。ただ、見たところ肉は裂けていないし、骨も折れてはいない。それなりに皮を切って血は流したが、一週間もすれば元に戻るだろう」

「なんだって、そんなんじゃ困る!」


 周囲の者の視線がラップに集まる。

 彼は首をすくめながら忙しなく周りを見回し、声をひそめた。


「なあ、酷い怪我をしたことにしてくれないか?」

「なぜそんなことをする必要がある」

「それは……俺を国へ送り帰してほしいんだ、頼むよ」


 ラップはニヤリと笑いながら舌をだした。まるで悪だくみを思いついた子どものように。

 ヴォルはすぐに言葉の意味を理解できなかった。


「私に報告書を偽造しろと言うのか。軍規違反は重罪だ」

「そうなるけどよ。でも、ヴォルなら平気だろうし、俺の気持ちもわかってくれるだろう?」

「武勲をあげるのではなかったのか」

「そんなもの、もうどうでもいいんだよ。死んだら終わりさ、くだらないっ」


 ラップはそう吐き捨て、視線を泳がせる。


「俺は気づいたんだ、こんな寒い場所で、こんな痛い目にあって。目の前で人が獣に喰われてなにが名誉だよって。逃げ腰野郎と罵られたとしても生きている方が何倍もましだ。あったかい暖炉の火がある部屋で、まともな飯を家族と囲んで、柔らかいベッドで大の字になって寝る。そうやって生きることの方がえらいに決まっている。なっ、お前もそう思うだろ?」


 同情を誘うような弱々しい笑みをラップは浮かべる。

 まだ剣を習い始めたばかりの頃、背が一回り大きいラップは剣を振るうのが一番うまかった。しかし、半年もかからずにヴォルは彼を技量で抜き去った。行われた模擬試合は一方的な展開となり、負けて尻もちをついた彼は、同じような卑屈な笑みを浮かべた。


「君は自らの外聞にこだわる(たち)だと思っていたんだがな」

「買いかぶりすぎだ。俺は努力とか嫌いなんだ。楽に箔をつけたかっただけだ……戦場に出たっていう実績さ。お前とは違うんだよ。どんな時でも潔白そうなツラをしたやつとはな」

「ならば、私が自らの職務に忠実なのも理解しているのではないか」


 ラップは苦笑いしてみせた。


「ああ、知ってるさ。けどよ、こっちもお前のことはよくわかってるぜ。貴族らしい建前を並べながらも実利を考えている。身内の利益ってやつをな。つまり、俺やカルロ、キャロルみたいな幼馴染には甘いはずだろ?」


 ヴォルは考え込むように、こめかみを指で触れた。彼の言い分は間違っていない。

 旧知の仲である三人のことを、彼らのしてきた大抵のことをヴォルは許してきた。両親から禁止されていた危ないこと、くだらない悪戯、ときには愚鈍な者たちを一緒に蔑みもした。


「なあ、なにも俺だけじゃない。お前のことだ、どうせカルロだって送り返すんだろ。ダンバースみたいなやつらについていっても、泥沼なのはわかっているんだ。なら、俺が先でもいいじゃないか。キャロルのことを考えてやれよ。俺たち二人が戻らないと、あいつは悲しむぜ?」


 その言葉に、ヴォルは見送りの場にいた彼女の姿を思い返し、叩く指を止めた。


「ああ見えて、あいつは甘ったれのお嬢様なんだよ。俺たちのことを自分のおもちゃか執事みたいに考えているのさ。でも、それって貴族からすれば家族みたいなもんだろ。たまにわがまますぎるが、そこがあいつの可愛いところでもある」

「たしかに、彼女の不安を思えば一考の余地はある」


 ヴォルは手を離し、生々しい傷を負った友人の脚にふれる。


「君が医者としての私の提案に賛成してくれるならば、国へ帰そう」

「そうこなくっちゃ。なんでも約束は守るぜ」


 ラップは明るい顔をして見せたが、ヴォルは真顔のまま彼の瞳の奥を覗きこむ。


「この脚をここで切り捨てよう。さすれば、これ以上の取引は不要だ」


 予想外の提案には、口数の多いラップもさすがに言葉を失った。そして、震えながら口を開き、何か言葉を絞り出そうとするがそれは叶わず、代わりに目の端へ涙を浮かばせる。


「なあ、それはいくらなんでも……『冗談』だよな、ヴォドレール?」

「もちろん、冗談に決まっている。キャロラインの好む悪趣味な類のものだがな」


 ヴォルの言葉を聞いた瞬間、うれし涙と笑みがあふれ、ラップは友人の身体に腕を回した。

 頬をくっつけた耳元で、彼は「ありがとう」と何度もこぼした。


「私も友を失うのは胸が痛い。ただ、これから一年は脚を使えない怪我人として、周囲の者を全て欺き続けることだ。私以外には誰にも話さず、傷を見せず、状態を悟られない。それが条件だ」

「ああ、必ず約束する」


 歓喜に震えた声は、確固たる意志と感謝が込められていた。

 それはヴォルが彼の友人でなかったとしても感じ取れるものであり、医者として生きる者にとってはこれ以上ない報酬でもあった。


「まずは無事に帰路を戻れるよう祈っておこう」

「ああ、国でお前らが帰ってくるのを待っているぜ、兄弟(しんゆう)


 ラップは再度、熱く友を抱きしめた。

 

 


 そして、(ラップ)の予見は正しかったと、ヴォルはすぐさま痛感する。

 


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