第14話 パーティータイム〈貴族の余暇〉
ヴォルが隊長たちのいる天幕を訪れたのは、野営地を移動してからこれが初めての事だった。
そこは暖が轟々と焚かれ、貴族たちが集まる屋敷の応接室のように、部隊長たちはくつろぎ、頬を赤らめてトランプの札を切っていた。脱ぎ捨てられた甲冑は無造作に端へと追いやられ、葡萄酒の芳醇な臭いが内にこもっている。
その場に立っているだけで、ヴォルは頭がうずくように痛んだ。
ここに来る直前まで血に汚れた手を洗っていた彼は、現実感の欠如に襲われ、困惑していた。
「おお、若造の医療衛士どのじゃないか。どうした、酒でも飲みにきたのか?」
父親と変わらない年齢の部隊長が、機嫌よさそうに話しかけてきた。
戦場の指揮官には似つかわしくない、人の良い明るい眼をしている。
「いえ、昨日運ばれてきた兵士たちの処置が終わりましたので、ご報告に参りました」
「そいつは真面目だなあ、ご苦労さま」
この報告に、部隊長は満面の笑みでヴォルの背中をたたく。
彼はその陽気な男を無視するよう、騎士団長の方へ顔を向けた。
ダンバース騎士団長は、天幕に入ってきた時に一度だけ視線を寄越したが、すぐに自らの手札に熱中していた。
「運ばれてきた五名の偵察隊に何が起きたのか、医療衛士長としてお伺いしたいのですが」
まっすぐな声でそう言うと、場は一瞬だけ静まりかえる。
ダンバースは手札を無造作に捨て、わかりやすく大きなため息をついた。
「言葉の通じない獣にやられた。あの隊はツキがなかったと言わざるを得んな」
「獣ですか。私が診たところ矢傷がほとんどでした。まさか、二本足の獣に襲われたと?」
「そうそれだ、そういった類の獣。北方の他民族、田舎者の山猿どもにやられたのだ。愚かにもやつらはわが軍の力を思い知りたいそうだ。これからも攻撃は続くだろう……ふん、口だけではなかったということだ」
「それはいったい、どういうことでしょう?」
ヴォルはとっさに聞き返す。嫌な予感が頭をよぎった。
「衛士長、ことの元凶は貴殿が飼っている捕虜だ。五日前、北方民族の連中が使者をよこしてきた。やつらは預かっている捕虜の、返還と公式な謝罪を要求してきたのだ」
「使者が来ていた。私は初耳なのですが」
「この件はすぐに片付いたからな。伝えるのが遅れたのは兵士の問題だろう。まったく役に立たん奴らばかりだ。次からは漏れが無いようにしなければいかんな」
ダンバースはもっともらしい顔をして一人でうなずいた。
「それで、交渉の結果はどうなったのですか。まさか、決裂したと?」
「その通りだ。生意気にもやつらは自分たちは対等な関係だと言い放った。この要求は至極当然のもので、捕虜の身にもしものことがあれば、こちらの命を捧げろと挑発してきた。だから、我々は言ってやったのだ。『お前らが求めている捕虜とやらはとっくに死に、切り刻んだそれは橋の上から川へ捨てた』と。今思い返しても笑えてくる。そう言った時の馬鹿な野蛮人どもの顔は、滑稽ではなかったかね?」
静かにダンバースの言い分を聞いていた部隊長たちが、それに応えるように拍手と賛同の声を上げた。彼はそれらを受けて両腕を上げ、誇らしげな笑みを浮かべる。
「やつらは正規軍である我々に対し、報復すると宣言し、腰の剣を抜いた。その蛮行を許すことは、騎士として、いや、聖王国の貴族として見過ごすことはできない。私は、愚かな野蛮人どもをその場で切り捨ててやったのだ。そして、我々と戦うというなら目に物を見せてやらなければならない。なあ、諸君よ。我らの闘争はこれからが始まりだ。辺境のここで、存分に武勲をあげ凱旋の旗を掲げよう!」
ダンバースの演説に、一層の拍手が沸きおこる。
求めていた闘争。戦争への羨望を持った彼らは、勝利した未来を想像し、目を輝かせていた。彼らからこぼれる言葉には活力があふれ、興奮に満ち足りていた。
ヴォルは、衝動的に口を開きかけたがそれをなんとか押しとどめる。
しかし、ダンバースは暗がりのねずみが人の気配を鋭敏に感じ取るように、目ざとくそれを見逃さなかった。
「若い衛士長よ、なにか言いたそうだな?」
無数の視線が、ヴォルの全身へと突き刺さる。
貴族たちが見せるその冷たい沈黙の意味を、彼はとうに理解していた。
「戦争を始めることに、もちろん異論などありません。衛士長としてお役に立てるよう奮起いたします」
「ほう、思っていたよりも話がわかるじゃないか」
ダンバースはそういって満足そうに笑う。ヴォルは聞き分けのいい青年のように、団長からの賛辞に誇らしげな笑みを浮かべた。
「ただ、一つ確認しておきたいのですが、捕虜の処遇はどういたしましょう。彼はまだ子どもです。解放するのが軍規に沿った対処だと考えますが」
「……それはまずいな。いや、これは騎士団長の判断として許せん。衛士長よ、お前もわかるだろうが、そのガキはすでに事故にあって死んだと扱え」
「それは開戦前から医療天幕内には、重傷患者が一人もいなかった、という事でしょうか」
「そうだ。いまさら解放するぐらいなら処分してしまえ」
彼の言葉に、ヴォルは考え込むように目を伏せたが、すぐさま顔を上げる。
「いえ、彼には利用価値があります。野蛮人の内情や住処がどこにあるか、情報を吐かせましょう。この捕虜の扱いに関しては、私が全責任を負います」
「なぜだ。そこまで言う理由はなんだ?」
「もちろん、私も功績が欲しいからです」
ヴォルは率直に答えた。
「私は医療衛士です。皆さんのように剣に覚えがあったとしても、戦場で武勲を立てることは叶いません。ですが、異民族を殲滅するこの戦争に参加したいのです。戦場にいる一人の男として、皆様のために、貢献させていただきたいのです」
背筋をただし、ヴォルは軍人としての正規の立ち姿を見せたまま、室内にいる貴族の男たちの顔を一人一人眺めた。
やがて、乾いた拍手の音が天幕に響くと、彼らは皆、心打たれたように次々と手を叩く。
最初にヴォルに声をかけた男は、まるで息子の成長を目の当たりにしたかのように涙を流していた。
「いいだろう。ただの若造だと思っていたが、なかなか見こみのあるやつだ」
ダンバースは満足そうに微笑む。
「ありがとうございます。……それと、医療衛士としての提案ですが、使えなくなった兵士ですが、国へ返そうと思います。そのために私の判断で全部隊の部隊を動かしてもよろしいでしょうか?」
「それは困る、これから私たちを守る兵隊が減るのは問題だ」
「そうですね。私もそれは望むべきことではありません。ならば、負傷兵の中でも軽傷の者に世話させることにしましょう。おそらく敵はこちらに負傷兵を増やすつもりです。殺す気があるならば今回の五人は生きてはいません。私に任せてもらえれば、国へ返した者たちにより物資や兵員の補充を頼めるよう交渉します」
「わかった、そこまで出来るというならば、衛士に任せよう。ついでに若い兵士たちの面倒も見てもらおう。最近は若い無能な兵士どもがずいぶんと燻っている。とくに身分の低い小僧たちは反抗的だ。そいつらを抑えることができるなら、部隊の指揮は思う通りにしていい。もちろん、私に迷惑が掛からない範囲で、私の利になるのならば」
「承知しました。お任せください」
ヴォルは敬礼で応じると、ダンバースたちは興味をテーブル上の絵札に戻した。
そんな彼らの姿を見ながら、掲げていた腕を下した。
「ああ、最後にもう一言だけよろしいでしょうか」
「若いの、私は今から忙しいのだ。少しは自分の頭で考えて判断してみたまえ」
「申し訳ありません。ですが、大事なことなのです。私は軍駒を嗜みます。状況に応じて駒を切り捨てるのにはなれています。ゆえに、どうしようもなく使えない駒であるならば、私の判断で処理してしまってもよろしいでしょうか?」
「好きにしろ。つかえない兵士など捨ておくがいい」
「ありがとうございます。そのお言葉が聞ければ充分です」
ヴォルは誰も見ていないにも関わらず微笑み、踵をかえす。
その張り付いた笑顔のまま、天幕を後にした。